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七章「最後の希望まで、あと」

13.置き去りにしたもの

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 先に、地下牢へ向かう。ミリアも連れていく。
 まずは何よりも、奴に、このことを報告しなければ。

「ミリア……っ!」
「クロウさん! よかった! ちゃんと会えて……」

 牢屋の中に入ると、ミリアを目に留めたクロウは真っ先に名前を呼ぶ。ミリアも駆け寄って抱きついている。
 クロウの腕の鎖が鳴る。きっとミリアを抱きしめたいんだろうが、鎖が外れると警報が鳴る仕組みだ。我慢してもらうしかない。

「聞きました。たくさんひどい目に遭わされたんだって……」
「ミリアのほうこそ。何かされてないか。直接的なこと以外も含めてだ。あの外道どもに手酷い扱いは受けていないか」
「わたしは大丈夫です。クロウさんのほうが、ずっと我慢してますよ」
「殺してやりたい衝動を殺すのが大変だった……」
「殺せてなかったでしょ……」

 様々な実験に晒されはしたが、こいつの目はだいたい殺意満々だった。だから平気だったわけじゃないけど。
 久々の再会でイチャイチャしたいのは山々だろうが、そんな場合じゃない。割って入るように話し出す。

「時間ないから手短に。ボスが承諾した。明日、夜間に決行だ。あんたを呪術の部屋に通して、そのまま魔人化して呪術の発生源を丸ごと食ってもらう」

 端的に要件を伝える、クロウはやや目を見開く。
 俺とミリアがこうして来た時点で察しはついたかもしれないが。それよりも、重要なことを伝える。

「けど問題がある。研究員どもはあのとおり、儀式はせず、あんたを飼い殺しにする気満々だ。儀式を決行しようとしてるのがばれたら、統率者のボスが闇討ちされる危険がある。俺たちはボスを避難させるのを優先するけど、知ってのとおり呪術があるから、どこまで逆らえるかはわからない。もし、研究員が妨害してくる動きがあったなら、あんたには早めに一人で動いてもらう」

 これが重要だ。表立って儀式の手筈を整えていられる状況じゃない。
 研究員に気づかれないように。ボスを守りながらも、誰も呪術の被害を受けないように。そのためには、唯一そういった縛りのないクロウの行動の速度が、肝になる。

「早め、か。儀式は、満月が出ているときでなければ最適ではないはずだが。早めとなると……」
「そのへんはなるようにしかならんでしょ。俺はボスが殺されたらあんたらなんかにわざわざ協力しないからね」
「あ、そ、そうか……」

 俺の目的を思い出したのかクロウは口を閉ざす。これだけ味方はしているが、無償で協力しているわけじゃないのだ。そこは忘れてもらっちゃ困る。

「あんたが呪術を食いさえしてくれれば、少なくとも戦闘員は呪術での即死は防げる。その後は魔人化したあんたを、俺らが総出で止めて、生け贄の陣に押さえ込む。陣もすでに移設済みだ。戦闘の準備も進んでる」

 ボスの返答を待ちながらも、建物の復興に紛れて、滝の付近に儀式と戦闘の準備は整えてある。

「緊急時は、あんたがいかに早く呪術のところにたどり着くかが鍵だ。頼むぞ」

 呪術をなくせるかどうか。これが鍵だ。クロウの行動に俺たちの命が委ねられているのだ。

「俺の役目は、あとは呪術を喰らって、暴れるだけか……」
「しょうがないでしょ。自制できないんでしょ?」

 クロウはげんなりと項垂れている。それはそうだが、生け贄として、完成した魔族になるのがこいつの役目だ。致し方ない。
 とはいえ、あの呪術の発生源を体内に取り入れるなど、どうなることか。今まで繋がってきた人間らの情報の塊だ。あっさり精神崩壊してもおかしくない。
 そして、それを呑み込んだことで、どれだけの怪物が出来上がることか。記憶や理性が飛ぶとはいえ、肉体はクロウ自身のものだ。負担は計り知れないところだが。

「自制できるんならがんばって自分で生け贄用の陣に張りついててよ。それなら俺の仕事も減るし」
「保証はできんが、がんばってはみよう……」

 ……まあ無理だろうな。あの凶暴っぷりを直で見ているし。期待はしていない。
 だから、俺ら戦闘員が、総出で迎え打たなければならない。俺らのがんばり次第だ。古代の怪物相手に現代の技術がどこまで通用するものか。荷が重いのはこっちも同じだ。

「あとは……最後の仕込みだ」

 クロウに近づく。今日まで、クロウの体自体に地道に結界術を仕込んできた。
 消滅する可能性もあるが、何も準備しないよりはマシだろう。それを終えて離れる。

「ミリア」

 用件が済むと、クロウが呼ぶ。
 声の違いでわかる。どれだけ愛しいと思っているのか。
 屈んだミリアに、頬を寄せる。

「ありがとう……」
「大丈夫です。どこまでも一緒ですから」

 ミリアもすり寄せるように、ぎゅっと抱きしめている。
 実質、最後の二人の時間になるんだろう。が。

「……もーいい? 行きますよー」

 目の前で本当にこいつらはもう、容赦なく。何度も見せつけてきやがって。
 太刀で肩を叩くと、俺の苛立ちが伝わったのか、ミリアは苦笑いしながら立ち上がった。

「じゃあ、明日は、がんばりましょう! クロウさん、ダインさん!」
「おー」
「お、おお……」

 片手を振り上げたミリアに合わせるように、適当に手を振っておく。クロウも戸惑いつつも頷いている。

 地下牢を出る。足早に移動する。
 ミリアはなんだか、わざとみたいに明るい。少し空元気にも見える。
 本当は、誰よりも不安なはずだ。大切な人が困難を突き進む。変わり果てた姿を見ることになる。
 本当は嫌なはずだ。俺たちみたいな組織がなければ、二人でひっそりと穏やかに過ごしていられたはずなのに。
 でも今は、無理やりでも、この明るさが励みになった。

「いい子だねえ」

 よしよし、と頭を撫でる。
 ミリアは若干びっくりしたように俺を見上げる。

「そんなふうに言ってくれるの、ダインさんだけかもしれない……」
「そーなの?」

 どっからどう見てもいい子なんだけど。一途だし。たしかに腹黒みたいな面は見ちゃったけど。

「ダインさん。さっき、呪術の部屋に行くって……」

 ミリアにふと聞かれる。
 さっきボスに許可をもらったことだ。ミリアが何を言い出そうとしているのかわかった。

「わたしも行きたいです。いいですか?」

 シャノンちゃん。あのときミリアはそう呼んだ。まるで友達みたいに。

「そうだな。最後に、また一緒に行くか」

 危険だが、これが最後だ。今を逃せばもう機会はない。
 最後の面会。最後の、姿。
 ミリアにとっても、忘れたくない存在になっているのかもしれない。

 ミリアと二人で、さらに地下を下る。仕掛けが解除された通路を駆け足で通り抜ける。
 呪術の部屋にたどり着く。ただの私用。会いに来ただけ。それだけが理由でここに来るのは、どれくらいぶりだろう。
 数十年。置き去りにしてきた。知っていて、忘れようとした。
 手前の小部屋を通り、中まで入る。呪術のための装置が敷き詰められた部屋だ。
 中央の、容器に近づく。急に胃がキリキリしてきた。ミリアに呪術をかけるときは何も思わなかったのに。

「ダインさん、大丈夫ですか? 具合悪いんですか……?」
「いや……。平気……うん」

 ミリアが心配そうに覗き込んでくる。顔色が悪くなってるのかもしれない。
 一歩一歩。形がはっきり見えてきた。姿が、視認できた。
 赤茶色の塊。元が人間だったなんて、一見、誰も信じないだろう。
 変わり果ててしまった。でも死んだわけじゃない。今も、こんな姿になってもなお、生きている。生かされている。自身で死ぬことはできないから。

 息が詰まりそうだ。胸が苦しい。周りに空気がなくなったみたいだ。
 容器に手を伸ばす。透明な板に、手が触れる。
 前までは、声、返してくれてたよな。表情もわかって、俺を俺だと認識もしてくれた。
 今は、もうわからない。俺には、意志疎通なんてできない。声は聞こえない。
 今さら、何を言えばいいのか。言葉を掛ける資格なんてあるのか。
 ……言うべきことがあるはずだ。ずっと伝えられなかった。ずっと待っていたはずだ。
 シャノンは、一人閉じ込められた生活の中、唯一、俺が来るのだけを楽しみにしていたのだから。

「シャノン……」

 唇が震える。なんとか言葉を絞り出す。

「ごめん……。出来損ないの兄貴で、ごめん……」

 わかっていたのに。
 俺は、自分のことばかりに夢中だった。取り戻せなくなってから謝っても、もう届いてはいないだろう。
 気づけば、涙が溢れていた。
 どうしよう。ミリアには何がなんだかわからないだろう。隠したい。でも止まらない。

「……妹さん、だったんですか?」

 そっと背中に手がかかる。

「だからあんな反応して……。それでも、ダインさんは、ボスさんに従うことを、選んだんですよね」

 そのとおりだ。声が出なくて、頷いて返す。
 シャノンがこんな姿になっても、ボスへの忠誠は変わらなかった。
 諦めとかじゃない。屈したわけでもない。〈聖下の檻〉のせいだとか言うつもりも、ボスを恨む気持ちもなかった。
 シャノンを置き去りにしたまま、前進することを選んだ。

「……誰のせいでもないよ」

 呪術が溜まり続ければ、術者はどうなることか。ボスや研究員らは、末路など知っていた。
 俺は知らされていなかった。それでもだ。

「恨む気もない。嘆く気もない。こうなったのは、仕方のないことだったんだって……」

 幼少の頃、〈聖下の檻〉に捕まった時点で、もう決まっていたことだ。
 だからといって捕まらなければ幸せだったのか。そんなことはない。俺にとっては。
 ボスに出会えた。〈聖下の檻〉という居場所を得られた。ゴミ溜めの中で死に物狂いで生き続けるよりか、遥かによかった。ずっと、生きてる、と思えた。

「許せないのは、俺自身だ。忘れたふりして。なかったことにして。本当は、ずっと……忘れてなんかなかったのにな」

 ただ、逃げていた自分が。シャノンから目を背けていた事実が、許せなかった。

「……ミリア。シャノンはもうこんな姿だ。自分の意思で死ぬことはできない」

 人としての自由などない。それどころか、もはや――もう、人ではないんだろう。

「だから……あんたらの計画に、精霊の儀式に使ってもらえるなら。それなら、きっとこの責苦から解放されるはずだって……」

 このまま生き続けるのが幸せだなんて思えない。身勝手で都合のいい解釈かもしれないけど。

「そう信じたい。頼む。シャノンを……もう、解放してやってくれ。助けてくれ」

 本当に助けになるかはわからない。クロウの右腕で吸収されたら、命を絶たれるだけだ。
 でももうこんな姿を見るのはつらかった。自分じゃ死ねない。俺が殺すこともできない。きっと苦しいはずだ。だったら、精霊のための捧げ物として使ってもらえたほうが、まだ救われるはずだ。

「……助けるのは、わたしじゃないです」

 ミリアは言う。それは、自分にできることではない、と言わんばかりに。

「でも、ダインさんにそう言ってもらえて、よかったです」

 ミリアが助けようとしていたかどうかはわからない。少なくとも俺と同じ気持ちではないだろう。
 それでも、シャノンのことを認識して、思ってくれただけで、よかった。だから、呪術を食わせるという提案にも頷けたのかもしれない。

「明日は、がんばるのは、わたしじゃないんですからね? クロウさんと、ダインさんなんですからね」

 ミリアは気合いを入れるように肩を叩いてくる。

「……そうだな」

 脇に置いていた太刀を握る。鞘と柄をくくった紐に触れる。
 これは、簡単には抜けないようになっている。普段は使わない。

「ちゃんと本気出すよ。あるもの全部使う。温存とか、後先とか一切考えねえ。そうでなきゃ……」

 魔人化したクロウの姿を思い浮かべる。
 そうしても、勝てるかどうか。もしかしたら……。嫌な考えが過って、言葉を止めた。

「もう出ないとだな」

 話を変えるように立ち上がる。
 時間を食い過ぎた。ボスよりも、ミリアが抜け出してると知られるほうがよっぽどまずい。
 ミリアは、シャノンに近づく。容器に額を寄せて言う。

「シャノンちゃん。もう少し待っててくださいね」

 ミリアは、シャノンから何を聞いたのだろうか。聞き出したかったが、やめておいた。
 ……これが最後だ。もう大丈夫。心残りはない。
 部屋の外に出る。元通り施錠する。

「……あのさ」

 階上に戻ったら喋る暇はなくなる。だから今のうちに、言っておかなければ。

「えっと……。まあ。なんだ。……いろいろ、ありがとうな」

 言おうと思ったが、何から言えばいいのかわからなかった。
 言いたいことは、いろいろ溜まってるはずなんだけど。こんな子ども相手に改まるのは、なんか照れ臭いな。

「お礼なんかまだ早いですよ。でも、こちらこそです」
「言えるときに言わんとだし……」

 するとミリアは、察したように表情を引き締めた。

「明日は、言えるかどうか、わかんないし」
「さっきもですけど、ダインさん。不吉なこと、言わないでください」
「言えるかどうかわかんないってだけじゃん」
「でもそういうのはだめです」

 ミリアはむすっと眉をつり上げている。
 明日。魔人化したクロウを、止めなければならない。儀式のために、生け贄用の陣に少しの間、拘束する必要がある。
 それだけだ。何も仕留める必要はない。勝つことは求められていない。
 けど、どうあっても、結界術が使える俺が最前線だ。魔術士に後方支援をしてもらうにしても、俺が真正面からあのクロウを迎え打たなければならない。
 つまり、一番、俺が死ぬ確率が高い。

 魔族と戦った経験なんてないから、どの程度の確率で生き残れるかはわからない。それに呪術を食えば、クロウはますます強化される。襲撃の際に見た力よりも格段に上がっていると想定すべきだ。
 そんなものに正面からぶつかって、止められるのか。生き残れるのか。
 やるしかない。それはわかってる。だから今さら後悔も泣き言も出てこない。
 それよりも。ミリアを見下ろす。つぶらな瞳は不満げに俺を睨んでいる。むすっとしていて、あどけない顔立ちが、台無しだ。
 前髪を指でどける。つるっとした額が露になる。その額に、近づく。

「そんな顔してたら可愛くないよ?」

 額に、口付けする。
 笑ってほしい。こんなときだからこそ。そんな深刻そうな顔で、泣きそうな瞳で、眉間にシワを寄せて睨まないでほしかった。

「あぁっ!? ひどい! なんてことするんですかっ!?」
「デコだしセーフセーフ」
「おデコとかほっぺはまだチューされたことないのに……! クロウさんに言いつけますよ!」
「え? 嫉妬心煽りたいの? わざと嫉妬させるとか悪い女だねえ」
「そういうことじゃなくて!!」

 ミリアは真っ赤になってむぎぎと歯を食い縛っている。
 それでいい。そういう顔のほうが似合う。まだ子どもなんだから、深刻そうに悩んだり悲しんだりじゃなくて、素直に元気でいてほしかった。

「内緒内緒。ばれないばれない」
「ばれなきゃいいってもんでもないと思うんですけど……」

 通路を歩き出す。ミリアは不満そうに足を止めていたが、やがてついてくる足音が聞こえた。

「……がんばるよ。死ぬつもりはない」

 ちゃんと、それは伝えておく。負け戦にするつもりなど毛頭ない。
 だから安心しててほしい、とまでは言えないけど。
 ミリアは、わかったとは言わない。ただ了承を示すように、隣に並んだ。

 ミリアを部屋に戻してきた。
 さて。俺は、最後の戦闘準備だ。建物の外に出る。
 滝壺付近に来る。谷底の、辺りは岩盤に囲われただけのだだっ広い空間。明日はここを戦闘場所として、クロウを誘導するつもりだ。
 太刀を見る。俺専用の、結界術が込められた武器。
 俺の役目は、本拠地を守ること。最優先は、ボスを守りきること。
 そのために、守りの術は豊富だ。守ることにおいてなら誰にも負けない。一度きりの奥の手は豊富だ。有事の際、緊急事態、不測の襲撃に備えて、継続的な効果や攻めの力は捨ててきた。

 周辺には結界術の仕込みがすでに大量に施してある。
 どれだけやっても余分ってことはないだろう。備えられるだけ備えたい。
 何せ相手は古代の怪物の血筋だ。対して俺はしょせん、人間だ。肉体をどれだけ魔改造しても、純粋な怪物には敵わないし、結界術も、人間が物に依存した力を引き出して使う技術に過ぎない。
 もしかしたらあっという間に戦線が崩壊して、ものの数秒で壊滅させられる可能性もある。そうなったら儀式どころじゃない。

 それでも、後悔はない。
 そのためにがんばれること自体が嬉しい。もう温存しなくていい。すべてを使いきる覚悟を決められた。命を燃やし尽くしたいと思えた。
 ……本望だ。望むところだ。
 最後の一滴まで。俺が戦う理由に、捧げよう。
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