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七章「最後の希望まで、あと」

07.交渉の時

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 ボスの部屋に来た。
 ボスは応接室正面に配置してある座席に着く。いつもの、報告を聞く態勢で、口を開く。

「精霊術士の再びの確保に成功したこと。それは素晴らしい成果です。あなたの功績は大いに称えられるべきものです」

 まずは成果についての褒め言葉だ。それが本題じゃない。いつになく背筋を伸ばして、呼吸を整える。次の言葉を待つ。

「魔族を捕獲してきたことは、あなたの独断だと聞きましたが」

 ボスは俺に意見を促すように聞いてくる。
 大丈夫。揺るがない。ボスへの恐怖心が薄れたわけではないが。ここまできたら、もうやるしかない。ミリアの言い出した計画に乗ったのは、俺の意思だ。
 きっと、ボスのためにもなると信じて、希望を見出だしたんだから。

「はい。危険は承知で、俺が判断しました。生け捕りにする余裕がある、価値があると」

 嘘はついていない。堂々と見解を述べる。
 ボスに対する裏切りなんかじゃない。ボスのためになるという、俺の判断によるものだ。
 ボスはふうーと長くため息をつく。椅子に深く座りおして、どこか呆れたように言った。

「……この状態は、少しばかり傾いているかと。結界術が魔族に有効……これはわかりました。ですが、使い手があなた一人しかいない。つまり、あなた一人の発言権が大きすぎるのです」

 急に何の話だろうか。しかし思い当たることではある。黙って耳を傾ける。

「あなたがこうと言えば、結界術に見識のない我々は従わざるを得なくなる。どうあってもあなたを中心に物事が動かざるを得ない。一つの組織形態として、それは大変よろしくない事態です」

 それは、俺も感じ取っていた。
 俺一人に負担がかかりすぎだと。本来、結界術は、魔素を使用しない代わりに特殊な土地の物を消費することで発動する、単なる守りの技だ。
 村特異の技術ではあったが、古代からおそらくほとんど発展していない、簡単に言えば時代遅れの技術だ。村の結界を破るために研究し、解析はしたが、現代の魔術時代にはあらゆる面で劣っていた。
 その結界術が、ここまで優位性を得る状況になるとは、思いもしなかった。おかげで俺が主導権を握れるのは事実だが、組織のトップとしては、見過ごせる問題じゃないだろう。

「だったら? 俺をどうしたいの」
「切り捨てます。あの魔族共々」
「そうしたら、儀式はできないよ。精霊術士も、間違いなく自害する」
「それは阻止せねばなりませんね。何、簡単です。魂を抜き取り、ただの人形にしておけばよい」

 当然のようにボスは言う。
 俺も、魔族も、切り捨てる。ミリアは文字通りただの器にされる。それがボスの現状に対する判断か。
 ……どうしてだ。ちょっと信じられない。ミリアも疑問だと言っていた。ボスは強烈に精霊を求めているはずなのに、なぜか魔族を重要視しないのだ。普通なら、魔族を生け捕りにできたという好条件に、もっと別の反応を見せてもいいはずだ。
 願望と判断が合わなさすぎる。悪い意味で組織の主導権を握る俺を排除したいのはわかるが、魔族まで切り捨てる必要はないだろう。

「あんたは、それでいいの? 魔族が生け贄として最適だなんて、伝承を知ってれば誰でもわかるのに。今の環境よりずっと良い儀式ができる。もっと強力な精霊が手に入るかもしれない。その可能性が秘められてるのに、ふいにするの?」

 いつもなら、たぶん何も言わない。だが俺がここで引くわけにはいかない。もう加担してしまった後だし、頼まれてしまった後なのだから。

「こんな巡り合わせはもう二度とない。あんたの体だってもう限界だ。これがきっと最後のチャンスだ。なのになんで」
「構いませんよ。当初の予定通りに儀式を行うことで、私が抜けたあとでも、〈聖下の檻〉は後世へと繋がっていくでしょう」

 予定通りとは。それは、魔族という生け贄など想定していなかった、当初の方法のままで儀式を行う、ということか?

「例外は必要ありません。現存している生きた魔族、などという生け贄など切り捨ててよい。そのほうが、〈聖下の檻〉という組織を長く存続させることでしょう」
「だったら、なおさらだ。後続のことも考えるなら、魔族を使って儀式をすべきだ」

 なぜ生け贄として最適とわかっていながらも切り捨てるなどとのたまうのか。俺にはそれが理解できない。

「……あなたの目論見に乗ることが、組織のためになると?」

 ボスは、俺をじろりと見た。
 そういうことか。ボスは、俺の独断に、裏の目論見があると理解しているのだ。
 俺がまだ裏切っている、ミリア側の味方をしている。だから目論見に乗るべきではない。組織の存続のために。そう悟って、目論見を破却させるためにも魔族を捨てるなどと言っているのだ。
 組織のためになるかといえば、そうではない。ミリアの考案は、むしろ、組織を完全に崩壊させる一手だった。
 俺が押し黙ると、ボスは察していたように、再びため息をついた。

「曲がりなりにも、私が作り、ここまで育て上げた組織ですから。あなたの独断の目論見に踊らされるわけにはいきません。組織の存続、後継のことまで考えてこその、頭領という立場ですよ」

 わざわざ言わせるなとでも言いたげだ。
 存続や後継。精霊さえ手に入ればそれでいい、という考えではないのか。ボスはそこまで組織のことを考えていたのか。それも意外だ。
 やっぱり俺には、ボスの考えが読めない。こんな状態から、どう説得すればいいのか。

「ダイン。なぜあなたを拾い、居場所を与え、力を与え、今まで育てたのか。おわかりでしょうか」
「……組織のため、でしょ」
「そうです。ですのでそれ以外に使うことは許されません。それは立派な反逆というもの」

 ボスの言葉が、重くのしかかってくる。

「もし、反逆するというならば。組織という一つの肉体にとっての不要な部分は、腐った箇所は、切り捨てなければなりません」
「反逆するつもりなんかない! 俺は……!」

 幾度も使われる、切り捨てるという言葉に、背筋が凍る。
 違うのに。たしかに組織のためにはならない。組織に対しては反逆している。でもボスに逆らう気など、裏切る気など、微塵もないのに。

「ではあの魔族をなぜ生かしているのか。何を企てているのか。吐きなさい」

 ボスは一番の目的を問い詰めてくる。
 ミリアから計画の全容は聞いた。相当無茶のある話だ。ミリアみたいな、なんの立場にも置かれていない人間でなくちゃ、あんなもんは思いつかないし、思いついたとしても普通提案しない。
 今、俺がすべてボスに打ち明けることもできる。けどそれじゃあ、なんだか意味がない。
 俺が言っても、たぶんだめだ。俺にはミリアのような自信も、ひたむきさもない。
 だから俺が言うわけにはいかない。ミリアが言わなければ、説得力なんかない。
 ぐっと口を閉じる。体に力を入れる。これは、来ると、わかったから。

「――ぁがッ……!」

 閉じた口を内側からこじ開けるように、血が飛散する。ぼたりと赤く床を汚す。
 今までで一番強い呪術だ。やばい。まじで死ぬ。呼吸ができない。肺も、喉も、焼けるように痛い。全身猛火に包まれたみたいだ。
 肺がくっついたみたいに息ができない。僅かな空気が入ると突き刺されたみたいに痛い。苦しい。
 頭が揺さぶられてるみたいにぐらぐらして、視界が霞む。耳鳴りのような音が頭中に鳴り響く。

「腐るというのであれば、あなたはここには必要ありません」

 ボスの声が、ぼやけた頭を打つように聞こえてくる。
 革靴の先が視界に映り込む。いつの間にか俺は床に這いつくばるような姿勢になっていて、ボスが目前に立っていた。

「ですが……。すべてを明かすというのであれば。まだ必要な力です」

 ここですべて吐くなら、許される。まだお傍に置いてもらえる。切り捨てないでいてくれる。溺れたように意識が薄れていく脳内に、希望の光のようなものが差し込んでくる。
 死ぬならボスのお膝元がいい。マチが言っていたことは、直球すぎるけど、正しかったんだ。
 俺は何のために、こんな苦しい道を選んでるんだろうか。
 こんなのやめればいい。また元通り、何も考えず、ただひたすらボスに従い続ける駒になればいい。それが望んだ立場のはずだ。

 じゃあなんで反抗をやめないんだろうか。
 ミリアにも言われたな。俺自身は、どうしたいのか。
 何がしたいんだろうな、俺は。
 ここで黙秘なんていうささやかな抵抗をしたところで無駄。説得しようとしたところで無駄。
 だったらどうしたい。
 だったら俺は。

「俺は……っ、組織のためじゃ、なくて……!」

 喉が焼かれるような痛みを伴いながら、声を上げる。
 こんな中途半端な俺には、何をやったって、無駄なのかもしれない。

「ボスの……、――……っ!」

 けどそうやって、今までと同じように自ら蓋をして、諦めたくなかった。もうこれ以上、後悔したくなかった。

 扉を叩く音が聞こえた。
 しばらく、何も起こらなかったのか。それとも何か起きていたのか。耳鳴りがして意識が遠退いたままの頭じゃ、何も認識できなかっただけだろうか。
 今、どのくらい経過したのかわからない。白んだ視界にはまだ革靴の爪先が見える。
 呼吸の苦しさは残ったままだが、肺の痛みは遠退いている。単に脳みそが働いてなくて、感覚が薄れているだけかもしれないが。
 外から、ボスに用件を伝えているような声が聞こえた。うっすらと聞き取れた。
 ミリア、という名前だけは。

「通しなさい」

 ボスが言うと、扉が開く音がした。

「ダインさん!? 血が……!」

 ミリアが、ボスの部屋に通されたらしい。俺を見てか、慌てた声が響く。
 二度目だな。こんな情けない姿を見せるのは。
 でも俺なんかこの程度だ。何の選択権も決定権もない。結局は、ボスという中枢がなければ、何も動けない人間なんだ。

「主として当然の権利です。ダインは私の部下ですから。身体の一部も同然。そこに不備があったのなら切り捨てる。当然のことでしょう」

 上からボスの声が聞こえる。体に力を入れて、なんとか上体を起こす。頭がぐらぐら揺れる。
 体に支える手がかかった。ティナだ。ティナがミリアを連れてきたらしい。会話の邪魔にならないよう、黙って血の処理をしている。

「私という存在は、〈聖下の檻〉の中枢。いわば脳にあたります。ダインはその手足に該当する部分。あなたは、腐った部位をそのままにするでしょうか?」
「でも、大事な部下なんじゃないですか? 普段は、あんなに親しそうにしてるのに、どうして……」
「いや……いいよ」

 悲しげな声で訴えかけようとするミリアを制する。
 そんなことを言っても無意味だし、それはただのお節介ってやつだ。
 血が一気に抜けていったからか、まだ頭がぼうっとしているが、ティナに支えられながら立ち上がる。
 ミリアは、そんなことを言うためにここに来たわけじゃない。それよりも、もっと大事な話が、ある。

「ボス。俺は実は、あんたのことは、よく知らない」

 声がまだ掠れる。喉はヒリヒリと痛いままだ。

「でも、この娘が話すことに、あんたの望みが、含まれてるかもしれないんだ」

 ミリア一人に任せたままでいられるか。俺ばっかり情けないところは晒していられない。
 少しでも、ミリアの交渉の助力になるように。俺のほうを見ないままのボスに、言葉をかける。

「組織のためだなんて、言わないでほしい。あんたが、どういう気持ちで精霊を求めてるのか。……ミリアの話を聞いて、考えて、みてほしい」

 言い終えて、ティナに促されるようにして、部屋の外に向かう。

「話、ですか」

 ボスは興味がなさそうな声で呟く。ミリアに目を向ける。

「はい。あなたが大事な部下を呪術で縛って、使ってまで、欲しがってるはずの精霊についてです」
「口を慎め小娘。欲しい、手に入れるなどと、そのような類いの言葉をもう一度口にしてみろ」
「それはもう聞きました。だから聞いた上での、交渉です」

 ミリアはボスに毅然と言い返す。立ち向かっている。けど顔つきは強ばって、声もやや震えているのがわかる。

「ダインが使い物にならなくなったのは、あなたの影響ですかね。いえ正しくは、あなた方、でしょうか」

 ボスは嘲るように笑う。
 使い物にならない。ボスの言うとおりだ。今の俺はくだらない反抗と嘘をつく低能でしかない。

「いいでしょう。何の悪巧みをしていることやら。お聞きしましょう。くだらなければ、その醜い精神を取り除くのみですから」

 ボスは手前に並んでいる応接の場に座る。向かいにミリアに座るよう促した。
 ボスとしての座席ではなく、対等な場所に座ることを選んだ。交渉の場に応じた、ということだ。
 話を聞くつもりではあるのか。なら、これで、いい。俺の役目は終わりだ。
 となれば、もう俺は邪魔者だろう。ティナに連れられるがまま、退室した。
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