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七章「最後の希望まで、あと」

05.捕縛作戦出撃前

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 自室のベッドで、目を覚ました。
 ボスの言葉どおり、休んでいた。何もする気力がなかっただけかもしれない。
 意識を失ったように眠りに落ちていたのに、すっきりしない。
 体がだるい。起き上がりたくない。はあ、と重たいため息だけが出た。

 ……起きないと。
 動かないと。働かないと。
 手が足りなくて困ってるだろう。下の人間はまだ右往左往しているはずだ。古顔としてちゃんとしないと。
 ぼうっと外に出る。別棟に向かう。
 その途中の渡り廊下から、中庭が見下ろせる。
 少し前までは、ここにミリアがよくいた。屈んで、服を汚しながら、庭いじりに勤しんでいた。そんなことをする人間はここにはいないから、中庭に人がいるというだけで変な感じだった。
 階下に下りて、中庭に出てみる。襲撃の被害は免れたおかげで、花もいまだ元気に咲いている。

 花。そういえばあの鉢植え、ボスはやっぱり枯らしてたな。精霊様第一なんだから、当たり前だけど。
 じゃあなんで受け取ったんだ。ミリアの手に任せていたほうが、あの花は長生きできたんじゃないか。べつに花の生き死にとかはどうでもいいんだけど。
 ……不意に、思い出した。

 ――あの子の名前。シャノンちゃん、っていうんですね。

 会いに行きたい。お花を見せてあげたい。ミリアは、そんなことを言っていた。
 その名前。もう一度聞くことがあるとは思っていなかった。
 忘れていたかった。けどそれは。
 すでに失ってしまったものだから、なかったことにする以外、わからなかっただけだ。

「充実、か……」

 特別な何かが欲しかったわけじゃない。ただ、得られなかったものが多すぎた。通りすぎていっただけで、何も手元には残らなかった。
 屈んで、花に手を伸ばす。
 手が届かなかったものを、羨みたくなっただけなのかもしれない。

 余計なことだ。考えなくていい。
 けど、このまま進んで、本当に満足なのか。胸を張れるのか。
 胸を張れるわけじゃないって、最初からわかってたはずなのに。これでいい、これで死にきろうと覚悟はできていたはずなのに。
 目の前で見たせいだ。余計なものだった。
 ボスの思想に染まれば、少しは、楽になれるんだろうか。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※

 ある程度は俺の事情が知られているのか、それとも察する何かがあるのか、普段と違ってあまり声をかけられない。結界術の使い手として、今後の作戦の要のはずだが、遠慮されてるんだろうか。
 ぼうっとした頭のまま、地下へ降りる。聞いたとおりなら、マチは小部屋のほうに収容されているはずだ。

「マチ」

 マチを見つける。声をかける。
 簡素な寝床くらいしか物がない室内で、背中を向けて縮こまっていたマチは、くぐもった不機嫌な声を返してきた。

「……なによ」
「元気か、と思って」

 嫌味みたいな聞き方かもしれない。でも他に言うことがなかった。特に何の用もなく、ふらっとここに来てしまっただけだし。

「どうせ笑いに来たんでしょ。バカにしに来たんでしょ。脳みそのない、役立たずの女だって、どうせどうせ……」

 マチの声はすぐに涙ぐむ。収監されてると、やっぱり精神を病みやすいんだろう。

「殺しに来たんだ……こんなのいらないって……ロードのお役に立てない、こんな女なんか、無価値だって……」

 逆に毒気を抜かれている気もする。すぐにキレて暴れ出す様子はなさそうだ。
 マチは事情を知らないはずだ。俺の働き次第、行動次第で自身の命運が左右されるなど。だからいつ殺されるのかと怯えて過ごすしかないのだろう。

 ……シャノン。
 レヴィ。
 ミリア。
 通りすぎていった。何も手元には残らなかった。
 失ってばかり。あるいはこれから奪うことになる。なら、なんのために今まで突き進んできたんだ。こんなに失うためじゃなかったはずだ。
 ボスに認められたい。期待に応えたい。それが一番の理由だったはずなのに。今は、嬉しいと感じなくなっていた。

「……殺させねえよ」

 事情は話せない。俺なんかの人質にされてるなんて、マチには、屈辱だって睨まれそうだから。

「マチ。おまえだけは、絶対に死なせない」

 マチは、まだ目の前にいる。まだ生きてる。
 ただの独善だ。それでもいい。一人でもいいから、目の前にいる人を助けたかった。
 縮こまっていたマチは振り返った。監視用の窓越しに、涙目のまましかめっ面をして、怪しむような目つきで俺を見ている。
 こんなこと言っても、マチにとっては薄気味悪いだけか。力なく笑って、扉を背にして座り込む。

「なあ、マチ。やっぱ、あれ、意地悪だったかもなあ」
「……なによ。あれって」
「ぬいぐるみ。昔おまえが大事にしてたやつ、あるだろ」

 マチが幼かった頃を思い返す。
 〈聖下の檻〉に連れて来られたばかりの頃、マチはお気に入りのぬいぐるみを抱えていつも泣いていた。泣いて、喚いて、何もしたくない、お家に帰りたいと駄々をこねて暴れて、しょっちゅうお折檻されていた。

「焼いて処分するとか言ってさ。結構前だけど、おぼえてる?」
「忘れたわ」

 あまりに泣くもんだから、手を差し伸べてやろうとしても突っぱねられて、ムカついてそんなことを言った。
 さすがにおぼえてないか。結構ショックかもしれない。

「……って言いたいけど。おぼえてるわよ。忘れてないわよ。ずっと恨んでるわ。そのときから、あなたって、ずーっと意地悪だもの。前からずーっと、嫌いなの」

 マチは心底恨みのこもった口調で言う。本当に、だいぶ恨まれてたんだろう。軽はずみな冗談のつもりでも、幼いマチにとっては、友達を燃やされそうになったようなものだ。そりゃ嫌われるか。

「そっか」

 はは、と笑みがもれた。恨まれてるけど、忘れられてはいないんだ。

「なによ気持ち悪い。なんでちょっと嬉しそうなのよ」
「おっさんだからかねえ。感傷的になった」

 見た目が老けてないから、自分でも勘違いする。マチが成長した分、俺も年を食ってるんだよな。

「……今思えば、わざと意地悪してたわ。今さらだけど、悪かったな」
「なんなのよ本当に。気持ち悪い」

 伝わらないよな。べつにそれでいいけど。一人でくつくつ笑ってると、ますます頭が変になった人みたいだ。それがまたおかしかった。
 俺は何にもなれない。誰かに求められるような人にはなれない。前々から、そう感じていたからだろうか。
 なんか、ずるい。俺の言うことは誰にも聞いてもらえないのに。そんな浅ましい妬みみたいな気持ちだったのかもしれない。

「なあ、マチ。おまえは、ロードのために死ねたら、それで満足か?」
「何の話よ」
「いいから」

 マチはいつでもどこでも、ロードのため、ロードに愛してほしい、と叫んでいるが。なんとなくその胸中が気になった。
 お熱なのはわかったけど。ロードのために死ねるのなら、本望だとでも言うつもりだろうか。

「……そんなの、私だって知らないわよ」

 意外にも、マチは、そっぽを向くような口調で言った。

「でもロードのお役に立ちたい。ロードが救ってくれたの。袋小路の私に手を差し伸べてくださったの。あのお方のためならなんでもできるわ。なんでもしたいの。それだけよ」

 命に囚われてはいない、ってことだろうか。
 どうあってもロードに尽くせるだけでいい。それだけで幸せってことだろうか。マチのほうがわかりやすいかもしれない。

「あなたのほうこそ、どうなのよ。あなたって、自己がないんだもの。いっつも他人に口出ししてばっかりじゃない」

 するとマチは、鋭く言い返してきた。
 たしかにそうなんだけど。自覚はあったけど。なんか、いつも以上に痛いとこ突かれた気分だ。

「あなただって。ロードのお力になれて死ねたら、幸せなの?」

 俺か。どうなんだろう。
 ボスに拾われて、力も希望も与えられて今まで活動してきた命だ。それを懸けようが構わないが、本望だとは思えない。そもそもがボスの拾い物なんだし。
 めいっぱい首を捻って、唸って、さんざん悩んでから、答えた。

「……死ぬのは、幸せじゃねえな」
「でも、死に場所はロードのお膝元がいいんでしょう。だったら私と同じだわ」
「マチと同じにはされたくねえな」

 ロード愛してる、愛して。堂々とそう主張して憚らないマチと同じとか、ちょっと、だいぶ悪寒がする。

「でも同じよ。言い訳して取り繕って塗り固めてるだけで、根本的なところは同じなの。だから嫌いなのよ」
「なんで嫌いなのよ?」
「だって嘘つきのくせに、あなたのほうが、ほんのちょびーっとだけ、私よりもロードに近しいんだもの。だからって偉ぶらないでほしいのよ。だから嫌いなの」

 つんと突っぱねられて、少しずつマチの言い分を咀嚼して、苦笑した。
 本当に、マチは、ボスのことが大好きなだけなんだな。要は競争相手なのに卑怯だ、みたいに思われてるのか。
 ……けど、競争相手か。マチは愛とか恋の方向で好きなんだろう。なんで一緒くたにされなきゃなんないんだ。

「結局、あなただって、私と同じよ。かっこつけてるだけで、同じ理由じゃない」
「マチみたいな盲信と同じにされんのはな……」

 そこまで盲目的じゃない。と思ったけど、ちょっと自信をなくした。
 今、どうしてボスに従うのか。俺は何がしたいのか。ブレて、見えなくなっているからかもしれない。

「マチ。俺はしばらくはここに来れないと思うけど」

 体を起こす。立ち上がりながら言う。

「いい子にしてろ。大人しくしてろ。暴れなければ無理に処分されたりしねえんだ。できるな?」
「処分……」

 マチは、突きつけられたように愕然と呟いた。

「そう……私、やっぱり、もういらないのね。ロードに見限られて……だから……」
「見限られたかどうかは、まだ……」

 根拠のないことを言おうとして止まった。これは嘘だ。不確かなこと言って、無駄な希望を持たせても責任取れない。
 マチはまたぐすぐすと泣き始める。
 だったらなんて声を掛ければいいのか。どうやって泣き止ませればいいのかわからない。
 マチが今欲しいのは、きっと、そんな中途半端な励ましなんかじゃない。

「……絶対に見捨てない。必ず迎えに来る」

 それ一つで、根拠はないとわかっていても、無条件に安心できてしまうようなもの。
 ふと、伝言として渡された言葉が過った。

「信じ……いや。信じられないと思うけど。待っててくれ」

 俺じゃ、こんなこと言っても、たいした力はない。伝言一つで女を泣かせるとか無理だ。
 でも、後悔はしたくない。せめても、まだ目の前にいる彼女くらいは、死なせたくない。ここで諦めたら、きっと後悔しかしないと思ったから。
 自分を偽らずに突き進みたい。充実した人生だった、って胸を張りたい。
 そうじゃないと、示しがつかない。
 忘れてでも、封じ込めてでも、選んだ道なのだから。

「……泣くなよ」
「悔し泣きよ」

 マチは、ぐずるどころか、嗚咽を漏らし始めた。今までとは違う泣き方にちょっとビビる。

「好きでもない男にこんなこと言われるなんて……屈辱だわ……嬉しくなんかないんだから……」

 ひどい鼻声だが、マチの声音からは少し陰りが薄れたように感じる。
 守りたいと思える人がいる。それを信じてくれたかはわからないが、何かしらは力になれたのかもしれない。
 それがどれだけ嬉しいことか。だからあいつらは、あれだけ強いのか。
 ようやく、わかった気がする。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※

 もう一度、精霊術士を確保する。〈聖下の檻〉にはその道しかない。
 ボスは頭は元気だが、体は刻一刻と崩れ始めている。次の満月まで持たせるためにも、正直もう出歩いたりしないでほしいところだが。

 要となるのは、結界術の使い手の俺だ。好きでこうなったんじゃないが、俺しかいないんじゃ仕方がない。
 襲撃の情報、魔族や結界術の知識を共有し、できる限りの対策も打ち立てた。普段は人の姿を取っていることからして、おそらく奴は完全な魔族ではない。ここに欠陥があるはずだ。
 成功確率が高いとは言えない。けれどそれでも、俺たちはやらなければならない。
 出撃準備が整うと、ボスは俺に声をかけてきた。

「できますね? ダイン」

 ボスの目が言っている。できなければ、マチの命はない。
 マチを助けるか。ミリアを見逃すか。そんなの、考えるまでもない。

「やるよ」

 やるしかない。それだけだ。

「術士は絶対に確保する。あんたに献上する。安心して待っててくれ」
「ええ。もちろんです。期待していますよ、ダイン」

 期待。
 その言葉が、何よりも嬉しかったはずだ。その言葉をもらうことが、何よりも大事で、生きる糧だったはずだ。
 今は、やっぱり、そんなふうに思えなかった。それでも。足を止めることなど、あってはならない。

「ボス。一応聞くけど、あの魔族は?」
「殺せ」

 そう聞くと、ボスはすぐさま言った。

「醜い姿。汚らわしい血。消し去れ。滅ぼしてしまえ。憎き存在め。僅かな肉片でさえこの世に残しておいてはならない」
「……体だけでも持ち帰ってくれ。それだけでも、今いる魔物とは比にならない力になるはずだ」

 ボスはぶつぶつと怨念を吐き出すが、ボスを無視して研究員がこそっと言ってくる。
 魔族に守られている精霊術士を確保できるのなら、魔族の死体を持ち帰ることもできるはずだ。せっかくの最適な生け贄だ。有効利用しないともったいないだろう。

「ってことらしいけど。ボス、そういうことだからね。苦労して魔族持ち帰っても、めためたにしたりしないでね」
「あのようなものをッ……! 供物にッ……! 頼るなどとなんたる侮辱か! 精霊様に対する不敬を忘れたか! どいつもこいつも古の因果を忘れるとはァァなんたる無礼かァァァッ!」

 寿命がやばいってのに、ボスは今日も元気に頭を掻きむしっている。精霊術士よりもボスの脳みその確保のほうが先なんじゃないだろうか。
 ボスはああ言ってるけど。儀式の効率のほうが優先だ。〈聖下の檻〉はそうして、今まで精霊を求め続けて、幾多もの犠牲を払って歩み続けてきたのだから。

 精霊術士は捕まえる。そして魔族は殺して持ち帰る。
 〈聖下の檻〉に従う。最後まで。それでいい。俺にはその道しかない。
 マチのため。それもある。けど、今さら道は変えられない。
 せめても、この計画の果てには、何かしらの救いがあってほしい。なら救われるのは、こちら側の人間であるべきだ。俺がそうする。そのために、力をつけてきたのだから。
 それが、俺の選んだ道だ。
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