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六章「彼と彼女の理由」
09.いつものような、前までの
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ダインが立ち去るのを見届けた。
日は沈みきり、辺りは薄闇に包まれた。遠目の町からの明かりが頼りだ。気温も下がってきて肌寒い。今日のところは町に戻って、宿屋で一晩明かすとして。
「ミリア」
ミリアに声を掛ける。
しかしミリアは、じっと下を向いて、何やら思案顔だ。
「ミリア」
もう一度声を掛ける。ようやくはっとして、ミリアは顔を上げた。
「あ、ごめんなさい。ちょっと考えごとしてました」
「……さっきの話の続きか?」
「はい」
ダインと話していたことの続きか。今のところは秘密だということらしいが、俺に切り出してくれるときは来るのだろうか。
ミリアとダインの間の秘密の話。いったい何なのか。その内容も気になりはする、が。
……面白くない。単純に。
「わっ!? ちょっ……!」
ミリアの額を掴む。前髪のあたりをわしわしと掻き回す。
このあたりだったか。ダインが触れたあたりは。よくわからないな。全面的に触っておいてやろう。上書きだ。
「ちょっ、ちょっと! 髪ぐしゃぐしゃにしないでくださいよ!」
いやそれより前に抱きしめられてたが。ミリアはいやいやをするように振り払う。
それでも、話の内容を言う気はないんだろう。気に食わない。
「あっ、もう、クロウさん! こんな暗い中、置いてかないでくださいよ!」
先を歩き出すと、ミリアは怒りながら追いかけてくる。置いていったつもりはない。ついてくると思っていたし。
ミリアは、俺の隣に並びながら、不満げな声を上げる。
「クロウさん。前から思ってたんですけど。その、わたしが他の男の人と話してると、不機嫌になるのなんなんですか?」
「……なってない」
「なってるじゃないですか」
強い口調で断言されて、もう一度否定するのは躊躇われた。
「なってるつもりはない」
「でもなってますよ」
「気分は良くないだけだ」
「それを不機嫌っていうんです」
「た……たしかに」
「なんなんですか? 理由。はっきり言ってください」
理由、と言われてもだ。
単に、面白くない。ミリアが他の男と仲良くしているのは、気持ち的に許せない。それだけじゃないのか。そこに深い理由はあるものなのだろうか。
「わたしは、クロウさんが他の女の人と仲良くしてると、嫌です。不機嫌になります」
ミリアは、自分を指して言った。
他の女の人。そういえば、ふとアリッシュのことを思い出す。アリッシュに腕を掴まれたとき、ミリアははっきりと怒って、押し退けていたような。
それから酒盛りのときにいた、ディアナという巨乳の女性もそうだったか。やけに近寄られて一晩誘われたが、ミリアはむくれて不機嫌になっていたような気がする。
「なら、それは……なんでだ?」
いわゆる嫉妬、というやつなのだろうか。しかし、ミリアが嫉妬心を抱くはっきりとした理由までは……考えてみれば、わからないな。
「嫌です言いません。クロウさんが自分で自覚してくれたら言います」
「なぜ教えてくれない」
「当たり前です」
「俺には問い詰めておいてか」
「わたしはわかってるんで」
「……俺の理由は、関係あるのか?」
「ありますよ! もー、ほんとやだ、この人……」
ミリアは怒ったかと思えば、何か嘆くようになぜか涙目になった。
俺の理由とどう関係があるのか。そもそもなぜ教えないのが当たり前なのか。疑問が次々と湧いてきて思考が追いつかない。
相変わらず、ミリアは何が言いたいのか、何を考えているのか、判然としない。
「わたしは、クロウさんのこと、一生懸命考えてるのに……」
「俺のこと? なにがだ?」
「ああ、もうっ! もういいです! この、にぶにぶの、ぼんやり!」
どんっと背中をどつかれる。ミリアにどつかれてもあまり威力はないが。
にぶにぶ……鈍いということか。鈍いというのは、なんとなく、言われても仕方ないことだとは思う。鈍いというよりは疎い、だが。一般的な感覚というのが、俺にはいまいち理解しがたい部分だし。
しかし、ぼんやりか。そこまで呆けていたつもりはないが。
だいたい、ミリアのほうが、言うことがいちいち遠回しな気がする。察してほしい、わかってほしいだとか、難しい注文だ。わかってほしいのなら、もう少し優しく説明してくれないものだろうか。
宿に着く。今日はもう遅い。少し休んだだけで、まだ疲れは溜まっている。早めに眠っておいたほうがいいだろう。
寝る準備をしていると、ミリアは怒りのこもった口調でぼそりと言った。
「そんなぼやっとしたままなら、わたし、もう前のお願い聞いてあげないですよ」
「前? いつの? 何のだ?」
「一緒に寝たいって言ってたやつですよ! 言わせないでくださいよ!」
「わ、わかるわけがないだろう」
ミリアは何かムキになったように、眉をつり上げて顔を赤くしている。
ずいぶん前のことだな。いや時間的には過去の出来事と言うにはまだ早いが。かなり経過したような感覚だった。
「それは……あれだ。もうチャンスはない、と言っていたような……」
「……え? そんなこと言いましたっけ? いいですよって言った気がしますよ」
「ん? そうだったか? 嫌がられた記憶しか残っていないが」
「クロウさんが、また寝たいって言うなら、いいですよって、言った気がします」
「そうだったか……?」
またのチャンスはない、と認識した記憶しかない。なんでこう、食い違っているのだろうか。
「いいのなら……いいのか?」
「……今イヤになりました」
「期待を持たせておいて……」
「クロウさんがぼやーっとして、なんにもわかってないせいですよ」
「な、何をだ。何を、わかってないせい、なんだ……」
ミリアは、自分のベッドにぼすんと座る。ぶすーっとした顔で俺を睨んでいるが、やがて何か諦めたように、深いため息をついた。
しかし、ミリアは構わないと言うなら。つまり、またチャンスが巡ってくると思っていいのだろうか。
なら次こそはしっかりしなければ。とはいえミリアは、俺なんかが相手で本当に後悔しないのだろうか。それは事前に段階を踏んで、順序を追ってきちんと認識を共有しなければ。
ミリアにとって、一生涯取り消せない経験になるのだ。絶対にヘマはできない。失敗もできない。後悔させないよう、俺ががんばるべきところだ。
だが、今はそんなことを言ってる場合じゃないな。休めるうちにしっかり休んで、今後の活動に支障が出ないようにすべきだ。
「もう少し待っていてくれ、ミリア」
「はい?」
「俺も覚悟ができたら……いや、俺が、というのはおかしいな。腹を括れたら……事態が落ち着いたら、そういうことの、覚悟はできている。だが、だからこそ、急いでしたくないんだ。段階を踏む必要もあるし……ミリアも、気持ちを作る時間があったほうがいいだろう、と思うし……俺が心構えができていたところで、ミリアのほうの準備があるとのことだし……それも考慮しなければ……」
「……ちょっと待ってください。何の話か全然わかんないんですけど」
「そ、そうか。すまない。いや今はいい。寝よう」
「は、はあ……」
やはり、今するべき話じゃない。
腹は決まっている。しかし、事態が落ち着いたら、か。
それは、俺たちには、訪れるのだろうか。
……今深く考えるのはよそう。
電気を消す。真っ暗な中、布団を被る。しばらくぶりに、落ち着いて眠れそうだ。平気だと言い聞かせていただけで、かなり無理をして動いていた。すぐに眠気が襲ってくる。
「……クロウさん」
するとミリアが、どこかおずおずと、声を掛けてきた。
「なんだ」
「やっぱり一緒に寝たいです」
「えっ。い、いや、やめてくれ」
「えっ」
「……やめてくれ」
「うそお……そこ断るんですかぁ……」
まさかの心変わりだった。慌てて断ってしまった。
ミリアは、わけわかんない……と涙声で呟きつつ、布団に埋もれたらしく静かになった。
……悪いことをしただろうか。
しかし、今ミリアが近くにきたら、何かが我慢できなくなりそうだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
目を覚ます。窓辺からは明るい日差しが差し込んでいる。
ぐっすり眠れた。あの変な声は聞こえなかった。夢も見なかった。久しぶりに、頭の中が空っぽのまま深い眠りに落ちられた。昨日までの重石がすべて抜け落ちたかのようだ。
向かいの壁際のベッドを見る。布団に埋もれて、そこにはミリアの寝姿がある。
見慣れた景色だ。以前までは、これがいつもの日常だった。
懐かしいという感覚と共に、ホッと安堵する。起きたらミリアが近くにいて、日中はそれぞれに活動して、食事を共にして、寝るときまた一緒になって。その繰り返しだった。それが今までの、当たり前だった。
久しぶりに、帰ってきた。取り戻したかった日々に。
本当に、ミリアが、帰ってきたんだ。
「ミリア」
ミリアのベッドの近くまで寄る。傍らに膝をつく。
取り返したかった日常。欲しかったもの。
これさえあれば、他には何もいらない。これを守れるのなら、俺はなんでもがんばれる。
そう思えるものだ。他の何を犠牲にしてでも、守りたいもの。俺の、何よりも、大切なもの。
目の前にはミリアがいて。手を伸ばせばすぐに触れて。俺の日常の中心には、ミリアがいる。
だから、ミリアがいないと、俺はだめなんだ。
「ん……」
ミリアは、うっすらと目を開ける。
普段はぱちっとした大きな瞳が、とろんと寝ぼけ眼で、俺を見上げる。
「起きたか」
「ほわぁ!?」
妙に子どもっぽい仕種が面白くて、覗き込んでいると、ミリアは奇声を上げて飛び退いた。
「ちっっか! 何してるんですか!?」
「そこまで驚くようなことか……?」
「ひ、久しぶりなんで! クロウさんが近くにいるの! だから驚かせないでくださいよ! ま、まだ、気持ちの整理が、ついてないんですから!」
ミリアは、身を隠すかのように布団を引っ張って、体の前面を覆いながら、顔を真っ赤にしている。
そこまで驚かれるとは思っていなかった。だいたい今さらじゃないのか。ベッドの上でずいぶんと抱き合ったりと、距離が近い行為をさんざんした気がする。
しかし、久しぶり、か。本当にそうだな。ミリアのほうもそう感じていたのか。
ミリアが、オロオロと焦って、顔を真っ赤にしているというのも、久しぶりに見る。この表情豊かさ。くるくると変化する感じ。
前まで当たり前に隣にあった日常、だった。
「そうか。悪かったな」
ふふっと鼻息が漏れた。頬が緩んで、自然と口角が上がる。
久しぶりで感慨深い、というのもあったが。
赤くなって、右往左往するように目を泳がせて、言葉が出てこないのか口をぱくぱくさせるミリアは、すごく、可愛らしかった。
「あ……」
ふとミリアは、調子外れな声を上げた。
ミリアのほうを見ると、ミリアはぽかんと口を開けて、俺の顔をじっと見ていた。やがてわなわなと震えだし、感極まったように口を開いた。
「あぁ……! あぁ! 初めて見た! やっっっと見れました……!」
「……なにがだ?」
「クロウさんの、笑った顔っ! やっと、やっと、この目でちゃんと見れましたあぁ!」
ミリアは、がばっと抱きついてくる。というよりも、首に絡みついてきた感じだが。
「かわいいぃ……クロウさんやっぱりかわいいですよう……もう胸いっぱいできゅーんってしました……」
「それを言われて、俺はどう反応すればいいんだ……」
「ありがとう、でいいんですよ? それで、もっと、笑った顔見せてほしいです。……あ、でも」
かわいいと言われて、ありがとうと返す男って、どうなんだろうか。ただ気色悪いだけじゃないのか。
「これ、他の人に見せるのは、やっぱりイヤだなあ……。うーん。クロウさんがこんなにかわいい人なんだって知ってほしいけど、今のを誰にでも見せるようになっちゃうと、それは寂しいかも……」
「何を悩んでいるのか知らんが」
ミリアを引き離して、立ち上がる。
「朝飯だ。早く行くぞ」
「わー。相変わらずストイックー」
「空腹なんだ」
ミリアを急かす。空腹なのは本当だ。
昨日までが、嘘みたいだな。
こうしていると、本当に、平和だった頃に戻ってきたみたいだ。
日は沈みきり、辺りは薄闇に包まれた。遠目の町からの明かりが頼りだ。気温も下がってきて肌寒い。今日のところは町に戻って、宿屋で一晩明かすとして。
「ミリア」
ミリアに声を掛ける。
しかしミリアは、じっと下を向いて、何やら思案顔だ。
「ミリア」
もう一度声を掛ける。ようやくはっとして、ミリアは顔を上げた。
「あ、ごめんなさい。ちょっと考えごとしてました」
「……さっきの話の続きか?」
「はい」
ダインと話していたことの続きか。今のところは秘密だということらしいが、俺に切り出してくれるときは来るのだろうか。
ミリアとダインの間の秘密の話。いったい何なのか。その内容も気になりはする、が。
……面白くない。単純に。
「わっ!? ちょっ……!」
ミリアの額を掴む。前髪のあたりをわしわしと掻き回す。
このあたりだったか。ダインが触れたあたりは。よくわからないな。全面的に触っておいてやろう。上書きだ。
「ちょっ、ちょっと! 髪ぐしゃぐしゃにしないでくださいよ!」
いやそれより前に抱きしめられてたが。ミリアはいやいやをするように振り払う。
それでも、話の内容を言う気はないんだろう。気に食わない。
「あっ、もう、クロウさん! こんな暗い中、置いてかないでくださいよ!」
先を歩き出すと、ミリアは怒りながら追いかけてくる。置いていったつもりはない。ついてくると思っていたし。
ミリアは、俺の隣に並びながら、不満げな声を上げる。
「クロウさん。前から思ってたんですけど。その、わたしが他の男の人と話してると、不機嫌になるのなんなんですか?」
「……なってない」
「なってるじゃないですか」
強い口調で断言されて、もう一度否定するのは躊躇われた。
「なってるつもりはない」
「でもなってますよ」
「気分は良くないだけだ」
「それを不機嫌っていうんです」
「た……たしかに」
「なんなんですか? 理由。はっきり言ってください」
理由、と言われてもだ。
単に、面白くない。ミリアが他の男と仲良くしているのは、気持ち的に許せない。それだけじゃないのか。そこに深い理由はあるものなのだろうか。
「わたしは、クロウさんが他の女の人と仲良くしてると、嫌です。不機嫌になります」
ミリアは、自分を指して言った。
他の女の人。そういえば、ふとアリッシュのことを思い出す。アリッシュに腕を掴まれたとき、ミリアははっきりと怒って、押し退けていたような。
それから酒盛りのときにいた、ディアナという巨乳の女性もそうだったか。やけに近寄られて一晩誘われたが、ミリアはむくれて不機嫌になっていたような気がする。
「なら、それは……なんでだ?」
いわゆる嫉妬、というやつなのだろうか。しかし、ミリアが嫉妬心を抱くはっきりとした理由までは……考えてみれば、わからないな。
「嫌です言いません。クロウさんが自分で自覚してくれたら言います」
「なぜ教えてくれない」
「当たり前です」
「俺には問い詰めておいてか」
「わたしはわかってるんで」
「……俺の理由は、関係あるのか?」
「ありますよ! もー、ほんとやだ、この人……」
ミリアは怒ったかと思えば、何か嘆くようになぜか涙目になった。
俺の理由とどう関係があるのか。そもそもなぜ教えないのが当たり前なのか。疑問が次々と湧いてきて思考が追いつかない。
相変わらず、ミリアは何が言いたいのか、何を考えているのか、判然としない。
「わたしは、クロウさんのこと、一生懸命考えてるのに……」
「俺のこと? なにがだ?」
「ああ、もうっ! もういいです! この、にぶにぶの、ぼんやり!」
どんっと背中をどつかれる。ミリアにどつかれてもあまり威力はないが。
にぶにぶ……鈍いということか。鈍いというのは、なんとなく、言われても仕方ないことだとは思う。鈍いというよりは疎い、だが。一般的な感覚というのが、俺にはいまいち理解しがたい部分だし。
しかし、ぼんやりか。そこまで呆けていたつもりはないが。
だいたい、ミリアのほうが、言うことがいちいち遠回しな気がする。察してほしい、わかってほしいだとか、難しい注文だ。わかってほしいのなら、もう少し優しく説明してくれないものだろうか。
宿に着く。今日はもう遅い。少し休んだだけで、まだ疲れは溜まっている。早めに眠っておいたほうがいいだろう。
寝る準備をしていると、ミリアは怒りのこもった口調でぼそりと言った。
「そんなぼやっとしたままなら、わたし、もう前のお願い聞いてあげないですよ」
「前? いつの? 何のだ?」
「一緒に寝たいって言ってたやつですよ! 言わせないでくださいよ!」
「わ、わかるわけがないだろう」
ミリアは何かムキになったように、眉をつり上げて顔を赤くしている。
ずいぶん前のことだな。いや時間的には過去の出来事と言うにはまだ早いが。かなり経過したような感覚だった。
「それは……あれだ。もうチャンスはない、と言っていたような……」
「……え? そんなこと言いましたっけ? いいですよって言った気がしますよ」
「ん? そうだったか? 嫌がられた記憶しか残っていないが」
「クロウさんが、また寝たいって言うなら、いいですよって、言った気がします」
「そうだったか……?」
またのチャンスはない、と認識した記憶しかない。なんでこう、食い違っているのだろうか。
「いいのなら……いいのか?」
「……今イヤになりました」
「期待を持たせておいて……」
「クロウさんがぼやーっとして、なんにもわかってないせいですよ」
「な、何をだ。何を、わかってないせい、なんだ……」
ミリアは、自分のベッドにぼすんと座る。ぶすーっとした顔で俺を睨んでいるが、やがて何か諦めたように、深いため息をついた。
しかし、ミリアは構わないと言うなら。つまり、またチャンスが巡ってくると思っていいのだろうか。
なら次こそはしっかりしなければ。とはいえミリアは、俺なんかが相手で本当に後悔しないのだろうか。それは事前に段階を踏んで、順序を追ってきちんと認識を共有しなければ。
ミリアにとって、一生涯取り消せない経験になるのだ。絶対にヘマはできない。失敗もできない。後悔させないよう、俺ががんばるべきところだ。
だが、今はそんなことを言ってる場合じゃないな。休めるうちにしっかり休んで、今後の活動に支障が出ないようにすべきだ。
「もう少し待っていてくれ、ミリア」
「はい?」
「俺も覚悟ができたら……いや、俺が、というのはおかしいな。腹を括れたら……事態が落ち着いたら、そういうことの、覚悟はできている。だが、だからこそ、急いでしたくないんだ。段階を踏む必要もあるし……ミリアも、気持ちを作る時間があったほうがいいだろう、と思うし……俺が心構えができていたところで、ミリアのほうの準備があるとのことだし……それも考慮しなければ……」
「……ちょっと待ってください。何の話か全然わかんないんですけど」
「そ、そうか。すまない。いや今はいい。寝よう」
「は、はあ……」
やはり、今するべき話じゃない。
腹は決まっている。しかし、事態が落ち着いたら、か。
それは、俺たちには、訪れるのだろうか。
……今深く考えるのはよそう。
電気を消す。真っ暗な中、布団を被る。しばらくぶりに、落ち着いて眠れそうだ。平気だと言い聞かせていただけで、かなり無理をして動いていた。すぐに眠気が襲ってくる。
「……クロウさん」
するとミリアが、どこかおずおずと、声を掛けてきた。
「なんだ」
「やっぱり一緒に寝たいです」
「えっ。い、いや、やめてくれ」
「えっ」
「……やめてくれ」
「うそお……そこ断るんですかぁ……」
まさかの心変わりだった。慌てて断ってしまった。
ミリアは、わけわかんない……と涙声で呟きつつ、布団に埋もれたらしく静かになった。
……悪いことをしただろうか。
しかし、今ミリアが近くにきたら、何かが我慢できなくなりそうだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
目を覚ます。窓辺からは明るい日差しが差し込んでいる。
ぐっすり眠れた。あの変な声は聞こえなかった。夢も見なかった。久しぶりに、頭の中が空っぽのまま深い眠りに落ちられた。昨日までの重石がすべて抜け落ちたかのようだ。
向かいの壁際のベッドを見る。布団に埋もれて、そこにはミリアの寝姿がある。
見慣れた景色だ。以前までは、これがいつもの日常だった。
懐かしいという感覚と共に、ホッと安堵する。起きたらミリアが近くにいて、日中はそれぞれに活動して、食事を共にして、寝るときまた一緒になって。その繰り返しだった。それが今までの、当たり前だった。
久しぶりに、帰ってきた。取り戻したかった日々に。
本当に、ミリアが、帰ってきたんだ。
「ミリア」
ミリアのベッドの近くまで寄る。傍らに膝をつく。
取り返したかった日常。欲しかったもの。
これさえあれば、他には何もいらない。これを守れるのなら、俺はなんでもがんばれる。
そう思えるものだ。他の何を犠牲にしてでも、守りたいもの。俺の、何よりも、大切なもの。
目の前にはミリアがいて。手を伸ばせばすぐに触れて。俺の日常の中心には、ミリアがいる。
だから、ミリアがいないと、俺はだめなんだ。
「ん……」
ミリアは、うっすらと目を開ける。
普段はぱちっとした大きな瞳が、とろんと寝ぼけ眼で、俺を見上げる。
「起きたか」
「ほわぁ!?」
妙に子どもっぽい仕種が面白くて、覗き込んでいると、ミリアは奇声を上げて飛び退いた。
「ちっっか! 何してるんですか!?」
「そこまで驚くようなことか……?」
「ひ、久しぶりなんで! クロウさんが近くにいるの! だから驚かせないでくださいよ! ま、まだ、気持ちの整理が、ついてないんですから!」
ミリアは、身を隠すかのように布団を引っ張って、体の前面を覆いながら、顔を真っ赤にしている。
そこまで驚かれるとは思っていなかった。だいたい今さらじゃないのか。ベッドの上でずいぶんと抱き合ったりと、距離が近い行為をさんざんした気がする。
しかし、久しぶり、か。本当にそうだな。ミリアのほうもそう感じていたのか。
ミリアが、オロオロと焦って、顔を真っ赤にしているというのも、久しぶりに見る。この表情豊かさ。くるくると変化する感じ。
前まで当たり前に隣にあった日常、だった。
「そうか。悪かったな」
ふふっと鼻息が漏れた。頬が緩んで、自然と口角が上がる。
久しぶりで感慨深い、というのもあったが。
赤くなって、右往左往するように目を泳がせて、言葉が出てこないのか口をぱくぱくさせるミリアは、すごく、可愛らしかった。
「あ……」
ふとミリアは、調子外れな声を上げた。
ミリアのほうを見ると、ミリアはぽかんと口を開けて、俺の顔をじっと見ていた。やがてわなわなと震えだし、感極まったように口を開いた。
「あぁ……! あぁ! 初めて見た! やっっっと見れました……!」
「……なにがだ?」
「クロウさんの、笑った顔っ! やっと、やっと、この目でちゃんと見れましたあぁ!」
ミリアは、がばっと抱きついてくる。というよりも、首に絡みついてきた感じだが。
「かわいいぃ……クロウさんやっぱりかわいいですよう……もう胸いっぱいできゅーんってしました……」
「それを言われて、俺はどう反応すればいいんだ……」
「ありがとう、でいいんですよ? それで、もっと、笑った顔見せてほしいです。……あ、でも」
かわいいと言われて、ありがとうと返す男って、どうなんだろうか。ただ気色悪いだけじゃないのか。
「これ、他の人に見せるのは、やっぱりイヤだなあ……。うーん。クロウさんがこんなにかわいい人なんだって知ってほしいけど、今のを誰にでも見せるようになっちゃうと、それは寂しいかも……」
「何を悩んでいるのか知らんが」
ミリアを引き離して、立ち上がる。
「朝飯だ。早く行くぞ」
「わー。相変わらずストイックー」
「空腹なんだ」
ミリアを急かす。空腹なのは本当だ。
昨日までが、嘘みたいだな。
こうしていると、本当に、平和だった頃に戻ってきたみたいだ。
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