上 下
76 / 116
六章「彼と彼女の理由」

09.いつものような、前までの

しおりを挟む
 ダインが立ち去るのを見届けた。
 日は沈みきり、辺りは薄闇に包まれた。遠目の町からの明かりが頼りだ。気温も下がってきて肌寒い。今日のところは町に戻って、宿屋で一晩明かすとして。

「ミリア」

 ミリアに声を掛ける。
 しかしミリアは、じっと下を向いて、何やら思案顔だ。

「ミリア」

 もう一度声を掛ける。ようやくはっとして、ミリアは顔を上げた。

「あ、ごめんなさい。ちょっと考えごとしてました」
「……さっきの話の続きか?」
「はい」

 ダインと話していたことの続きか。今のところは秘密だということらしいが、俺に切り出してくれるときは来るのだろうか。
 ミリアとダインの間の秘密の話。いったい何なのか。その内容も気になりはする、が。
 ……面白くない。単純に。

「わっ!? ちょっ……!」

 ミリアの額を掴む。前髪のあたりをわしわしと掻き回す。
 このあたりだったか。ダインが触れたあたりは。よくわからないな。全面的に触っておいてやろう。上書きだ。

「ちょっ、ちょっと! 髪ぐしゃぐしゃにしないでくださいよ!」

 いやそれより前に抱きしめられてたが。ミリアはいやいやをするように振り払う。
 それでも、話の内容を言う気はないんだろう。気に食わない。

「あっ、もう、クロウさん! こんな暗い中、置いてかないでくださいよ!」

 先を歩き出すと、ミリアは怒りながら追いかけてくる。置いていったつもりはない。ついてくると思っていたし。
 ミリアは、俺の隣に並びながら、不満げな声を上げる。

「クロウさん。前から思ってたんですけど。その、わたしが他の男の人と話してると、不機嫌になるのなんなんですか?」
「……なってない」
「なってるじゃないですか」

 強い口調で断言されて、もう一度否定するのは躊躇われた。

「なってるつもりはない」
「でもなってますよ」
「気分は良くないだけだ」
「それを不機嫌っていうんです」
「た……たしかに」
「なんなんですか? 理由。はっきり言ってください」

 理由、と言われてもだ。
 単に、面白くない。ミリアが他の男と仲良くしているのは、気持ち的に許せない。それだけじゃないのか。そこに深い理由はあるものなのだろうか。

「わたしは、クロウさんが他の女の人と仲良くしてると、嫌です。不機嫌になります」

 ミリアは、自分を指して言った。
 他の女の人。そういえば、ふとアリッシュのことを思い出す。アリッシュに腕を掴まれたとき、ミリアははっきりと怒って、押し退けていたような。
 それから酒盛りのときにいた、ディアナという巨乳の女性もそうだったか。やけに近寄られて一晩誘われたが、ミリアはむくれて不機嫌になっていたような気がする。

「なら、それは……なんでだ?」

 いわゆる嫉妬、というやつなのだろうか。しかし、ミリアが嫉妬心を抱くはっきりとした理由までは……考えてみれば、わからないな。

「嫌です言いません。クロウさんが自分で自覚してくれたら言います」
「なぜ教えてくれない」
「当たり前です」
「俺には問い詰めておいてか」
「わたしはわかってるんで」
「……俺の理由は、関係あるのか?」
「ありますよ! もー、ほんとやだ、この人……」

 ミリアは怒ったかと思えば、何か嘆くようになぜか涙目になった。
 俺の理由とどう関係があるのか。そもそもなぜ教えないのが当たり前なのか。疑問が次々と湧いてきて思考が追いつかない。
 相変わらず、ミリアは何が言いたいのか、何を考えているのか、判然としない。

「わたしは、クロウさんのこと、一生懸命考えてるのに……」
「俺のこと? なにがだ?」
「ああ、もうっ! もういいです! この、にぶにぶの、ぼんやり!」

 どんっと背中をどつかれる。ミリアにどつかれてもあまり威力はないが。
 にぶにぶ……鈍いということか。鈍いというのは、なんとなく、言われても仕方ないことだとは思う。鈍いというよりは疎い、だが。一般的な感覚というのが、俺にはいまいち理解しがたい部分だし。
 しかし、ぼんやりか。そこまで呆けていたつもりはないが。
 だいたい、ミリアのほうが、言うことがいちいち遠回しな気がする。察してほしい、わかってほしいだとか、難しい注文だ。わかってほしいのなら、もう少し優しく説明してくれないものだろうか。

 宿に着く。今日はもう遅い。少し休んだだけで、まだ疲れは溜まっている。早めに眠っておいたほうがいいだろう。
 寝る準備をしていると、ミリアは怒りのこもった口調でぼそりと言った。

「そんなぼやっとしたままなら、わたし、もう前のお願い聞いてあげないですよ」
「前? いつの? 何のだ?」
「一緒に寝たいって言ってたやつですよ! 言わせないでくださいよ!」
「わ、わかるわけがないだろう」

 ミリアは何かムキになったように、眉をつり上げて顔を赤くしている。
 ずいぶん前のことだな。いや時間的には過去の出来事と言うにはまだ早いが。かなり経過したような感覚だった。

「それは……あれだ。もうチャンスはない、と言っていたような……」
「……え? そんなこと言いましたっけ? いいですよって言った気がしますよ」
「ん? そうだったか? 嫌がられた記憶しか残っていないが」
「クロウさんが、また寝たいって言うなら、いいですよって、言った気がします」
「そうだったか……?」

 またのチャンスはない、と認識した記憶しかない。なんでこう、食い違っているのだろうか。

「いいのなら……いいのか?」
「……今イヤになりました」
「期待を持たせておいて……」
「クロウさんがぼやーっとして、なんにもわかってないせいですよ」
「な、何をだ。何を、わかってないせい、なんだ……」

 ミリアは、自分のベッドにぼすんと座る。ぶすーっとした顔で俺を睨んでいるが、やがて何か諦めたように、深いため息をついた。
 しかし、ミリアは構わないと言うなら。つまり、またチャンスが巡ってくると思っていいのだろうか。
 なら次こそはしっかりしなければ。とはいえミリアは、俺なんかが相手で本当に後悔しないのだろうか。それは事前に段階を踏んで、順序を追ってきちんと認識を共有しなければ。
 ミリアにとって、一生涯取り消せない経験になるのだ。絶対にヘマはできない。失敗もできない。後悔させないよう、俺ががんばるべきところだ。
 だが、今はそんなことを言ってる場合じゃないな。休めるうちにしっかり休んで、今後の活動に支障が出ないようにすべきだ。

「もう少し待っていてくれ、ミリア」
「はい?」
「俺も覚悟ができたら……いや、俺が、というのはおかしいな。腹を括れたら……事態が落ち着いたら、そういうことの、覚悟はできている。だが、だからこそ、急いでしたくないんだ。段階を踏む必要もあるし……ミリアも、気持ちを作る時間があったほうがいいだろう、と思うし……俺が心構えができていたところで、ミリアのほうの準備があるとのことだし……それも考慮しなければ……」
「……ちょっと待ってください。何の話か全然わかんないんですけど」
「そ、そうか。すまない。いや今はいい。寝よう」
「は、はあ……」

 やはり、今するべき話じゃない。
 腹は決まっている。しかし、事態が落ち着いたら、か。
 それは、俺たちには、訪れるのだろうか。
 ……今深く考えるのはよそう。
 電気を消す。真っ暗な中、布団を被る。しばらくぶりに、落ち着いて眠れそうだ。平気だと言い聞かせていただけで、かなり無理をして動いていた。すぐに眠気が襲ってくる。

「……クロウさん」

 するとミリアが、どこかおずおずと、声を掛けてきた。

「なんだ」
「やっぱり一緒に寝たいです」
「えっ。い、いや、やめてくれ」
「えっ」
「……やめてくれ」
「うそお……そこ断るんですかぁ……」

 まさかの心変わりだった。慌てて断ってしまった。
 ミリアは、わけわかんない……と涙声で呟きつつ、布団に埋もれたらしく静かになった。
 ……悪いことをしただろうか。
 しかし、今ミリアが近くにきたら、何かが我慢できなくなりそうだった。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※

 目を覚ます。窓辺からは明るい日差しが差し込んでいる。
 ぐっすり眠れた。あの変な声は聞こえなかった。夢も見なかった。久しぶりに、頭の中が空っぽのまま深い眠りに落ちられた。昨日までの重石がすべて抜け落ちたかのようだ。
 向かいの壁際のベッドを見る。布団に埋もれて、そこにはミリアの寝姿がある。
 見慣れた景色だ。以前までは、これがいつもの日常だった。
 懐かしいという感覚と共に、ホッと安堵する。起きたらミリアが近くにいて、日中はそれぞれに活動して、食事を共にして、寝るときまた一緒になって。その繰り返しだった。それが今までの、当たり前だった。
 久しぶりに、帰ってきた。取り戻したかった日々に。
 本当に、ミリアが、帰ってきたんだ。

「ミリア」

 ミリアのベッドの近くまで寄る。傍らに膝をつく。
 取り返したかった日常。欲しかったもの。
 これさえあれば、他には何もいらない。これを守れるのなら、俺はなんでもがんばれる。
 そう思えるものだ。他の何を犠牲にしてでも、守りたいもの。俺の、何よりも、大切なもの。
 目の前にはミリアがいて。手を伸ばせばすぐに触れて。俺の日常の中心には、ミリアがいる。
 だから、ミリアがいないと、俺はだめなんだ。

「ん……」

 ミリアは、うっすらと目を開ける。
 普段はぱちっとした大きな瞳が、とろんと寝ぼけ眼で、俺を見上げる。

「起きたか」
「ほわぁ!?」

 妙に子どもっぽい仕種が面白くて、覗き込んでいると、ミリアは奇声を上げて飛び退いた。

「ちっっか! 何してるんですか!?」
「そこまで驚くようなことか……?」
「ひ、久しぶりなんで! クロウさんが近くにいるの! だから驚かせないでくださいよ! ま、まだ、気持ちの整理が、ついてないんですから!」

 ミリアは、身を隠すかのように布団を引っ張って、体の前面を覆いながら、顔を真っ赤にしている。
 そこまで驚かれるとは思っていなかった。だいたい今さらじゃないのか。ベッドの上でずいぶんと抱き合ったりと、距離が近い行為をさんざんした気がする。
 しかし、久しぶり、か。本当にそうだな。ミリアのほうもそう感じていたのか。
 ミリアが、オロオロと焦って、顔を真っ赤にしているというのも、久しぶりに見る。この表情豊かさ。くるくると変化する感じ。
 前まで当たり前に隣にあった日常、だった。

「そうか。悪かったな」

 ふふっと鼻息が漏れた。頬が緩んで、自然と口角が上がる。
 久しぶりで感慨深い、というのもあったが。
 赤くなって、右往左往するように目を泳がせて、言葉が出てこないのか口をぱくぱくさせるミリアは、すごく、可愛らしかった。

「あ……」

 ふとミリアは、調子外れな声を上げた。
 ミリアのほうを見ると、ミリアはぽかんと口を開けて、俺の顔をじっと見ていた。やがてわなわなと震えだし、感極まったように口を開いた。

「あぁ……! あぁ! 初めて見た! やっっっと見れました……!」
「……なにがだ?」
「クロウさんの、笑った顔っ! やっと、やっと、この目でちゃんと見れましたあぁ!」

 ミリアは、がばっと抱きついてくる。というよりも、首に絡みついてきた感じだが。

「かわいいぃ……クロウさんやっぱりかわいいですよう……もう胸いっぱいできゅーんってしました……」
「それを言われて、俺はどう反応すればいいんだ……」
「ありがとう、でいいんですよ? それで、もっと、笑った顔見せてほしいです。……あ、でも」

 かわいいと言われて、ありがとうと返す男って、どうなんだろうか。ただ気色悪いだけじゃないのか。

「これ、他の人に見せるのは、やっぱりイヤだなあ……。うーん。クロウさんがこんなにかわいい人なんだって知ってほしいけど、今のを誰にでも見せるようになっちゃうと、それは寂しいかも……」
「何を悩んでいるのか知らんが」

 ミリアを引き離して、立ち上がる。

「朝飯だ。早く行くぞ」
「わー。相変わらずストイックー」
「空腹なんだ」

 ミリアを急かす。空腹なのは本当だ。
 昨日までが、嘘みたいだな。
 こうしていると、本当に、平和だった頃に戻ってきたみたいだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

大切”だった”仲間に裏切られたので、皆殺しにしようと思います

騙道みりあ
ファンタジー
 魔王を討伐し、世界に平和をもたらした”勇者パーティー”。  その一員であり、”人類最強”と呼ばれる少年ユウキは、何故か仲間たちに裏切られてしまう。  仲間への信頼、恋人への愛。それら全てが作られたものだと知り、ユウキは怒りを覚えた。  なので、全員殺すことにした。  1話完結ですが、続編も考えています。

来訪神に転生させてもらえました。石長姫には不老長寿、宇迦之御魂神には豊穣を授かりました。

克全
ファンタジー
ほのぼのスローライフを目指します。賽銭泥棒を取り押さえようとした氏子の田中一郎は、事もあろうに神域である境内の、それも神殿前で殺されてしまった。情けなく申し訳なく思った氏神様は、田中一郎を異世界に転生させて第二の人生を生きられるようにした。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした

仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」  夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。  結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。  それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。  結婚式は、お互いの親戚のみ。  なぜならお互い再婚だから。  そして、結婚式が終わり、新居へ……?  一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?

ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。

yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。 子供の頃、僕は奴隷として売られていた。 そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。 だから、僕は自分に誓ったんだ。 ギルドのメンバーのために、生きるんだって。 でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。 「クビ」 その言葉で、僕はギルドから追放された。 一人。 その日からギルドの崩壊が始まった。 僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。 だけど、もう遅いよ。 僕は僕なりの旅を始めたから。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

【全話挿絵】発情✕転生 〜何あれ……誘ってるのかしら?〜

墨笑
ファンタジー
『エロ×ギャグ×バトル+雑学』をテーマにした異世界ファンタジー小説です。 主人公はごく普通(?)の『むっつりすけべ』な女の子。 異世界転生に伴って召喚士としての才能を強化されたまでは良かったのですが、なぜか発情体質まで付与されていて……? 召喚士として様々な依頼をこなしながら、無駄にドキドキムラムラハァハァしてしまう日々を描きます。 明るく、楽しく読んでいただけることを目指して書きました。

処理中です...