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五章「離別の先で彼方を想う」

11.従者と裏切り者

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 地下を出て、ミリアにいつもの中庭まで引っ張ってこられた。
 ちゃんと座って話そう、と言われたが、そこまでがっつり聞きたいわけじゃないんだけどな。仕方がない。言っても聞かなさそうだからこちらが折れるしかない。

 中庭に出ると、肌寒い夜風が通り抜けた。
 渓谷の谷底という立地だから、辺りの空気は常に乾いている。建物付近の滝壺からは、水がぶつかりあう音が響いてくる。地盤が斜面になっているおかげで、昼間であれば、建物の屋上越しに滝が流れ落ちていく様がよく見える。
 夜空は、頭上高くを覆う岩肌の隙間からしか見えない。狭まった視界から見上げた夜空と、荘厳な滝が望める風景。建物内の明かりが後ろから差し込んで、小さな中庭には二つの濃い影が落ちる。
 人工物と自然物。窮屈さと解放感。ここの景色は奇妙な組み合わせで、いつもいびつだった。

「ダインさんは、何かに利用したくて聞いてるわけじゃないみたい、っていうのはわかりました」

 中庭の地面に適当に腰を下ろす。
 ミリアは、中庭に少しばかり咲いている花を見てから、戻ってきた。

「きっと、ダインさんの個人的な感情ですよね? それなら教えてあげます」
「公平無私。フェアな関係だっつの。恩着せがましいんだよクソガキ」

 びし、とデコピンする。どうにもやっぱり、このミリアという生き物は、若干苦手なのかもしれない。小生意気だし、勝手に見透かしたような顔をされても困るし面倒くさい。
 ミリアは痛そうに額を擦りながら、俺の隣に座る。レヴィの一通りの経緯について、話し出した。

「へえ……。精霊を利用しようとしてた、か。儀式とかも、そのへんで初めて知ったのね」

 レヴィにとって、唯一にして最大の足枷が、呪術だった。それさえなければと、偶然出会ったミリアを利用しようとしたらしい。

「呪術って、精霊の力なら、本当に壊せるんですか?」
「まあ……可能ではあるんじゃない?」

 レヴィも予測したであろうことを、なぞるように言う。

「精霊の力は、予想がつかないからね。何せ人間には不可能なことを実現するから、降臨の儀式なんてシステムを生み出して、精霊様~って崇めてたんだ。世の理に反することでも、奇跡を引き起こしてみせても、古の伝承が再現されただけで、まったくの不可思議な話ではないよ」
「普通ならもう変えられないものでも、精霊の力なら可能かもしれない……んですか」
「だね。だから、あんたは精霊をその身に宿せる器として、精霊術士として、とんでもなく価値が高い存在なわけよ」

 レヴィにとってミリアとの遭遇は、天運にも思えたはずだ。精霊術士とは、それだけ希少にして絶対的な地位を誇るものだ。
 しかしミリアは実感がないのか、それとも興味がないのか、あるいは嫌悪による反応なのか。膝に顎を沈めて、複雑な表情をして黙り込んだ。

「でもそんな精霊を降ろす手段を、結局は最後までやりきれなかったか。あんたを利用しきることはできなかったわけだ。レヴィらしいな」
「はい。レヴィさんは、最後まで、いい人でした」

 そう至るまでの過程を思い浮かべて、思わず気が緩んでそんな言葉が出た。
 公平無私だって言ったのに。しかしミリアは、迷うことなく肯定した。
 過程を聞いていると、ミリアは無知さに付け入られて騙しにかかられていたはずだ。レヴィが最後までやりきれなかったにしても、簡単に許せることではないはずだ。

「そんな目に遭わされてまで、そう言えるんだねえ」
「レヴィさんのことは大好きです。不器用なだけで、きっと優しい人なんだろうなって思って。やっぱり最後まで、優しい人でしたから」

 利用されようとしたのに、なおそう言えるのか。肩の力が抜けたような、緩んだ笑みがこぼれる。
 考えてみれば、俺に対してもそうか。ミリアが俺に怯えたりする素振りがないから、気に留めていなかったが。
 これは、安心に近い感情なのかもしれない。外面的な悪人としてではなく、あの不器用な真人間を、わかってくれる人間がいたのだ、ということに対して。

「レヴィのこと好きかどうかって聞かれたけどさあ。どうしようもなく不器用でさ。馬鹿正直で、愚直なまま変わんなかったとことかさ」

 気づいたら、そんな言葉が出てきていた。

「最後まで真人間だったとことか。好きとは違うけど。なんか、愛おしいよね」
「愛おしい、ですか?」
「俺、レヴィがここに来たときから知ってるもん。小さい頃からずーっと変わんなかったよ、雰囲気も考え方も。だからジード……ええと、シレウスのことも知ってる。まあ、俺はどっちからも嫌われてたけどね」
「そうなんですか?」
「そ。なんか、方向性の違い? 根幹的な部分がわかりあえないからさ。相容れないから、お互い受け入れようがないんだよね」

 こんなことを言っても、この小娘にはわからないだろう。それが逆に安心で、つい饒舌になっていた。
 〈聖下の檻〉の内部事情とは無関係で、物を知らない小娘だとたかを括っているせいかもしれない。どうせ何もわからないだろうと思って喋りすぎてしまう。
 あんまり自分語りするのもよくないな。関係ないことは胸にしまって、話を戻す。

「そだ。レヴィが持ってた宝石は? あれ、あんたらが持ってるんじゃないのかって、予想してるんだけど」
「あ、えっと、それは……。貰ったというか、渡してもらったというか……。その、即時性の呪術? に関係があるというか……」

 ミリアは急に口ごもり始めた。
 さすがのミリアでも、言ってはまずいと判断していることなのか。宝石。即時性の呪術と関係……。まさか。

「あー……。そういうことか……? それは、言わんほうが、いいかもねえ……?」
「あ、でもあれ、そういえばクロウさんに渡したまま……」
「それもやめたほうがいいかも」

 俺が何をせずとも勝手にボロを出しそうなミリアの口を手で塞ぐ。
 即時性の呪術の発動。つまりは禁忌。あの死に方。そして魔力を込めるための宝石。そこから連想できることといえば……。
 もしそれがあってるなら、ちょっと、だいぶ、ヤバい。かもしれない。ミリアたちが俺らについて妙に詳しいことに納得がいってしまう。こちらにとって不利、不都合もいいところだ。聞かなかったふりをするしかない。

「まあ、要するにレヴィは、自分の意志であんたらにそれを渡したんだよな? 自分の命ぐらいに大事にしてたものを渡したんだから、あんたらは、よっぽど信頼されてたってことだよ」

 俺には、得られなかったものだ。俺は結局最後までレヴィに嫌われたままだった。何も知らない小娘であるミリアだからこそ、なのかもしれない。
 沈黙が流れる。そうすると、滝の音と乾いた風の音が偏狭的な空間にこだましているのがよくわかる。

「……ここは間違ってます」

 やがてミリアは、膝を抱えて、こちらを見ないまま小さく言った。

「レヴィさんは、呪いがどうしようもなかったって。呪いのせいで無理やり従わされてたんです。それさえなければ、あんなことには……。嫌がる人を無理やり従わせて、命を物みたいに扱って。ダインさんは、おかしいって思わないんですか?」

 ミリアは、窺うように、俺を見た。

「ダインさんは、わたしを同じ人として接してくれます。レヴィさんのことだって、ちゃんと理解してくれてて……。なのに、無理やり従わされてるわけじゃないんですよね?」

 何を言わんとしているのか。なんとなく察して、だからこそ沈黙で返す。
 ミリアの疑問など、今さらな話だからだ。そんなことを言われても、こちらはもう引き返せない場所にいる。
 だから今さら正否の二択しかない反応を示すつもりなどない。要するに取り合う気がない。外部の他人にどうこう言われたところで、揺らぐこともないし、曲がったりもしない部分だからだ。
 ミリアも、俺の意思が変わらないことを察したらしい、言葉を呑み込む。そんな単純化できる問題ではない、言葉一つじゃ何も変わらないことなのだと。
 それでもミリアは絞り出すように、別のことを口にした。

「レヴィさんのこと、かわいそうって、思わなかったんですか?」
「思ったよ」

 理非や正否。そんな理屈ではなく、感情に訴えかけてきた。
 けどそれだって無駄だ。

「でもかわいそうと思うことと、俺がここに従うことは別だよ」

 感情に対する答えなども、とっくに出てしまっている。

「この檻は間違ってるしおかしいよ。人は結局、物みたいにコントロールはできねえ。事実、制御しきれなくてどんどんガタがきてる。そう簡単には立て直しだってきかねえよ。自業自得だ。ざまあみろ、だ」

 感情面は、そうだ。しかしこんなのはあくまで、一個人の些細なわがままでしかないのだ。

「けど、俺がレヴィの本質をねじ曲げることはできねえし。レヴィ自身が従えないと思うなら、それはもう信念みたいなもんだろ。だったらもう、それで苦しもうが、それはレヴィ自身の問題でしかねえよ」

 感情でどうこう思おうが、変わらないものがあるし、変えられないものがある。
 感情とは切り離すべきだ。一緒くたにして本質のように語るなど、ただの身の程知らずだ。

「そうですけど……。でも何か、してあげられることとか。助けるってほどじゃなくても、そんな、見放すんじゃなくて……」
「見放したつもりはねえけどなあ? 拒んだのはレヴィのほうだ」

 一応はな。ただ俺が心底嫌われていたのは事実だ。相容れないのだから当然だし、仕方のないことだ。
 だけど相容れなくとも、折れる道だってあった。折り合いをつける方法だってあった。それさえも拒絶したのは、レヴィの信念に関わる意思によるものだろう。
 なら俺が手を出しても仕方がない。変わらないもの、なのだから。

「ダインさんが何考えてるのか、余計わかんなくなりました」
「わかんなくていーよ」

 突っ伏すように顔を伏せたミリアの頭に手を置く。子どもには多少きつい言い方、冷たい対応だったかもしれない。
 けど今さら他人にわかってほしいなんて欠片も思ってない。
 貫き通せればそれでいい。誓ったものを守れればなんでもいい。
 理解など求めていない。この生き方を歩めるのなら、俺はそれだけでいい。

「話終わり。体も冷えてきたし、もう戻ろっか」
「あ、ごめんなさい。話してもらったの、わたしのほうになっちゃって……。寒いところに長居させちゃってすみません」
「俺はどうでもいいよ」

 慌てて謝ってくるミリアに、苦笑いで返す。肩を竦めつつ立ち上がって、手を差し出す。

「健康管理は大事なの」

 精霊術士の状態に気を遣うのは、当然のことだ。
 ミリアは、一瞬目を丸くしたものの、俺の手を取って、立ち上がった。

「ダインさんって、紳士ですよね」
「はえ」

 ミリアは俺をまじまじと見て言う。
 予想外の言葉に、ぱっと手を離す。

「……初めて言われた」
「ほんとですか? 女性にモテません?」
「ケンカ売られてばっかなんですけど?」
「えぇー?」

 女に好意を寄せられた記憶はない。それどころか、はっきりと嫌悪されている。事実を言うが、ミリアは納得いかなさそうに小首を傾げている。
 年の差のせいで、こっちが自動的に大人な対応に見えてるだけだろうか。それとも、こんなのが紳士だと思えるほど、ミリアは今まで雑に扱われてきたのだろうか。
 ミリアには、俺がどう見えているのか。他人は自分を映す鏡となって返ってくるはずだが、ミリアを見ても、俺の姿は映っているようには見えない。そこには、ただミリアという少女が立っているだけだ。

 部屋の前まで送る。部屋に入る直前に、ミリアは唐突に言ってきた。

「そうだ。ダインさん。今度、一緒にご飯食べませんか?」
「はあ? ご飯? 俺と?」
「はい」
「なんで。やだよ」
「でもここに来てから、ずっと一人で寂しいんです」
「他の奴あたって」
「ダインさんしかわたしと会話してくれません」
「じゃー諦めて」

 何か魂胆でもあるんだろうか。まさか俺を抱き込めるとは思ってないだろうな。だとしたら相当舐められてる。
 ミリアはむうっとむくれるが、改めて言ってきた。

「また、あの部屋に行かせてくださいね。お願いしますね」
「はいはい。わかったわかった。じゃ、ちゃんとあっためて寝ろよ」

 扉を閉める。見張り役を呼んでおく。
 見ている限り、心身ともに良好な状態だ。生活にも不自由、不足なく、幽閉されているとはいえ窮屈さを感じている様子はない。
 けど、この浅薄なほど、無駄にあっけらかんとした態度は。
 その先のことを知らないからだ。何も知らないからこそだ。だからこそ、事もなげに、前を向いていられるんだ。
 降臨の儀式。無事精霊が降りてきたら、その直後。身体から精霊を抜き取られて、その過程で、ミリアは死ぬ。
 この事実は、ミリア本人には厳重に口封じされていることだ。
 痛ましい。そう思いこそすれ、俺には何も変えられない部分だった。
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