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三章「前に進む方法」
last.旅立ちの日
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一度町に戻る。
今日で町を発つ。最後の稽古だ。
「あーあ。今日がクロウとの最後の稽古の日か~。クロウ、ようやくいい感じにあたしについてこれるようになったのになあ」
「アタシも寂しいわあ~」
「まっ、まあ、あたしは寂しいなんて言ってないけどね!」
ジャスティンが体を寄せてくると、反対側からアリッシュも張り合うようにひっついてくる。
両側筋肉。これも慣れたやり取りだな。
「あっ、あの!」
するとミリアが、つかつかと近づいてきた。
「あんまり、クロウさんに、ベタベタしないでほしいんですけどっ!」
ミリアは、若干怒ったような顔で、そう言った。
アリッシュとジャスティンは、一瞬ぽかんとする。が、すぐに、さらに挟んできた。
「はあ~? なにこの子。今までずーっと黙ってたくせに。生意気ー」
「そうよ~。もうあなただけのクロウじゃないのよお~」
息苦しい。
しかし、たしかに、今までネーヴェやジャスティンととりとめもないような雑談をしていただけのミリアが。急に、どうしたのか。
「だめよ、アリッシュもジャスティンも。あんまりミリアちゃんのこと、からかわないであげてちょうだい」
ネーヴェがミリアの肩に手を置いて言う。
ジャスティンは、わかってるわよ、とウインクして離れていく。だいぶ息が楽になった。
が、アリッシュのほうは、まだくっついたままだ。
「……なによ」
アリッシュはミリアのことをじーっと睨んでいる。ミリアも、じーっと睨み返している。
何か言ったほうがいいだろうか。いや、しかし、俺が口を挟める空気ではないような……。
「クロウさんから、離れてもらえますか」
「イヤよ。なによ。剣も握れない、冒険者でもないただのおチビが」
「こ、これから成長するんです! とりあえず、離れてもらわないと困ります!」
「あんたがどー困るってのよ?」
「う、それは……」
ミリアは言葉に詰まる。
アリッシュは、さらに俺の腕にぎゅーっとすがりつくようにして言う。
「クロウは筋もいいし、このままあたしと鍛えていけば、もっともっと強くなれるもの。なんならこのままうちのパーティに入って剣士やらない? もう一人くらい増えたって全然困らないわ?」
「いや、俺は……」
「それは困りますっ!!」
見上げてきたアリッシュに返そうとすると、ミリアのほうが大きく声を上げた。
「離れてください! いいから! たしかにわたしは冒険者でもないし、ただの小娘ですけど! でも変にベタベタするのだけはだめです! アリッシュさんのほうこそ、どういう意味でクロウさんにベタベタしてるんですかあぁ!」
ミリアはアリッシュに突進して押し退ける。そんな果敢なミリアは久しぶりに見たような、どうだったか。
「なっ、なによぉ……うっ!?」
唇を尖らせるアリッシュに、背後から木剣が入る。
カウルだ。相変わらず、顔に似合わず容赦がない。
「いーから稽古始めんぞー。バカなことやってないでさ」
「カウル、あんた、今本気で殴ったわねー!? 痛かったー!」
「筋肉バカにはこんくらいじゃ足んねーんじゃねーの。バーカ」
「バカって二回も言ったわね!? なによ、まずはカウルから叩きのめしてあげるわよ!」
「おおとも。やれるもんならやってみな」
「なによっ、今日はずいぶん強気じゃないの! カウルのくせに生意気!」
そのまま、カウルとアリッシュは、二人で打ち合いを始めてしまった。
いつもなら、稽古の順番だとか、手順を真剣に考案して重視しているはずのカウルが。珍しいこともあるものだ。
ミリアは、アリッシュに掴まれていた腕にぎゅーっと掴まっている。
しかし、やはり、アリッシュのほうが断然大きかったな……。
いや大きいのがいいというわけではないが。ミリアも、これから成長する余地ありだろうし。
「やだ~、ミリアちゃんったら妬いちゃって。やっと素直になれたのねえ」
「そうよそうよ。女はそれくらい素直なほうがかわいいものよ。それからもっと強気でいなくちゃ。これから大きくなるのに、生きていけないわよ」
ネーヴェとジャスティンが、ミリアを覗き込むように言ってくる。
途端にミリアははっとしたように俺の腕から離れて、ネーヴェとジャスティンにがばっと頭を下げた。
「あっ、あの! ネーヴェさんにも、ジャスティンさんにも、大変、お世話になって……! 前は、あの、わたし、少し、頭の中が変になってて、その、嫌なところが、たくさん……」
「いいのいいの。今は元気になってくれたみたいだから、それだけで十分。まだ若いんだから、もっとわがままでいいのよ。まあ、アリッシュぐらいは、ちょっとやりすぎだけどね……」
「でも、アリッシュさん、すごいですね。女性なのに、あんなに強くて……」
「あれはあれで、もう可愛げの欠片もないけれどねえ」
ミリアたちは、打ち合うカウルとアリッシュに目を向ける。
アリッシュは、やはり強い。カウルの固いはずの防御など、あっさり崩して、言葉どおり叩きのめしていた。
「あっはっは! やっぱカウルはザコね!」
「いつかぜってー勝つ……」
カウルは妙に悔しそうにしていた。
何はともあれ、稽古だ。
今日で俺たちは町を発つ。今日が最後の日なのだ。最後の最後まで、学べるだけ学ばせてもらわなければ。
「そうだ。剣、ちょっと探してみたんだけどさ。これとかどうかな?」
休憩に入ると、ふと、カウルに渡された。
どうかな、と言われても。カウルの荷物から出てきたということは、これはカウルの所持品じゃないのか。と思いつつも剣をまじまじと眺める。
俺が今まで買っていた、最安価の量産品とは明らかに違う。鞘までしっかりした作りだ。少し刃を抜いてみて、戻しながら言う。
「少し大きいような気がするが……」
「でもクロウは身長あるし、力もあるから、いけると思うんだ。よかったらあげるよ」
「え」
唐突にカウルはそう言った。
あげる、とは。これを、か。
「い、いくらだ」
「え、違うよ。あげるって言ったんだよ」
「い、いや。無償で貰うわけには……」
「なによー。気に入らないってのー?」
さすがに、そんな唐突に言われてもだ。
するとアリッシュが不満げに口を挟んできた。
「あたしが持ってた、たまたま余ってた魔術品使ってあげたのよ。剣自体は店売りのもんだから、それでもたいしたことないけどねー」
「いや、アリッシュがさ。どうせ剣選ぶんなら、クロウに安物なんか似合わない! って騒ぐもんだからさ」
「さ、騒いでないわよ! カウルがいつまでも剣見てていいかげんウザいから、さっさとこれで手を打てって言ったの!」
「でも俺は魔術品使うことまでは考えてなかったぜ? まあそのほうが手っ取り早く強化できるんだけどさ」
「あ、あげる……タダ……」
カウルとアリッシュは何か言い合っているが、あんまり頭に入ってこなかった。
「いや、いや。やはりタダというわけには……」
「あー、わかったよ! じゃあ剣の分だけ! もー、ほんと真面目だな!」
カウルは頭を抱えながらも、店売りだったらしい剣の分だけ請求してきた。
正しい値段なのかはわからないが、この場で支払う。足りてよかった。が、どうにも、少なく言われているようにしか感じない金額だったが。
「……本当にいいのか」
「あのさ。今、何のために金払ってもらったの?」
「いやしかし……」
「そんな顔されても、なあ……」
カウルは、若干引いたような、微妙な顔をしている。
ミリアは、よく人から物を譲り受けてくるものだと思っていたが。毎回、こんな気持ちなのだろうか。いや、剣は食べ物よりかずっと高額だろう。少し訳が違うか。
それでも、そうだ。こういうとき、ミリアは、どういう態度で返していただろうか。
ミリアはいつも、素直にお礼を述べて、相手の厚意を、喜んで受け入れていたはずだった。
「あ……ありがとう。いや、その程度で足りるのか……。本当に、感謝している……」
俺には、あれは無理だが。それでも頭を下げる。
しかし、金と手間の問題は、この程度で解決するものなのかとも疑問に思う。
「そーよ。もっと感謝しなさい。魔術品まで使ってあげたんだから。普通の剣よりずっと丈夫なはずよ」
「ああ、アリッシュの物を使った、という話だったな。本当に助かる……あ、いや、そうじゃないな。ありがとう……ええと、感謝して……」
精一杯、感謝の意を表そうとするものの。
だめだ。これ以上、言葉の種類が浮かばない。
相手の厚意に応えたい。が、それに見合った、適切な態度と表現というものがわからない。
人から厚意で物を譲り受けるなど。しかも剣などという高価な品を。こんな経験今まであっただろうか。
ましてやカウルたちには、普段から世話になっているというのに。
「……じゃあ。お礼にキスして」
「へ」
するとアリッシュは、唐突に、言った。
「それで許してあげる。いいからほら!」
んっ、とアリッシュは促すように上を向いて、目を瞑る。
キス……。というと。
脳裏に蘇るのは、あのときの記憶しかない。
極限状態の脳みそだったが。それでも、しっかりと記憶に刻まれている。
ミリアをちらと見る。ミリアは、相変わらず、ネーヴェとジャスティンと何か楽しげに話しているようだ。こちらの様子には気づいていないらしい。
いやしかし。あれは、そういう意味のこもった行為ではなかった。
次にするのなら。もっと真摯に、誠実にだ。勝手にしていいことじゃない。
「……それはできない」
「なっ、なによ! なんでよ!」
「勝手にするものじゃないからだ」
「勝手じゃないわよ……いだぁっ!?」
またカウルが木剣でアリッシュをぶん殴っていた。
ふん、と横を向きながらカウルは素っ気なく言う。
「冗談で言うことじゃないだろー」
「冗談じゃなっ……! な、なによもー! 恥かかせないでよー!」
「アリッシュはもう少し自分を大事にしたほうがいいと思うが」
「はあ!? クロウまで! なによ、どういう意味よっ! バカーっ!」
アリッシュは、叫びながら走り去ってしまった。
あれについては、ミリアには、いまだ何も言われていないが。言われないということは、怒っていないという認識でいいのかどうか。言わないだけな可能性もあるが。
するとカウルは、遠ざかるアリッシュの後ろ姿を見て、深くため息をついた。
なんだか、その丸まった背中に、妙に親近感を覚えた。どこか、自分の姿と被ったような気配がした。
「……伝わらないものだな」
「えっ? は、はあ!? どういう意味だよ! あ、あんなサルみたいな女、誰が……!」
思わずぼそりと言ってみると、カウルは慌てて否定してくる。
が、どこか諦めたように、またため息をついた。
口を曲げて、苦々しい顔をする。いつも愛想よく笑っている雰囲気のカウルにしては、初めて見る、卑屈な表情だった。
「そっちはいいっすね。ちゃんと、両思いなようで……」
「……そうでもない。微妙だな」
「そーなの? 普通に、そう見えるけど……。まあ、最初見たときは、微妙だなと思ったけどさ……」
カウルは、ちらとミリアのほうを見ている。
「しかし、カウルたちは、なぜここまでしてくれるんだ?」
ふと聞いてみる。
カウルは丸まっていた背筋を正しながら聞き返してくる。
「剣のこと?」
「もちろんそれもだが。稽古もだ。引き受けてくれたのはもちろんありがたいが。ここまで真剣に面倒を見てくれるとは……」
「あー。それは、同じ冒険者のよしみっていうか……」
「それに、俺は自身の素性についてをろくに話していない。カウルはこの傷痕のことも聞いてこないし、ミリアとどういう経緯で一緒にいるのかも聞いてこない。それでなぜ、ここまで良くしてくれる?」
人と顔を合わせれば、真っ先にこの傷痕に注目されているのだとわかる。
しかしカウルたちは一度も聞いてこなかったし、そもそも気にしている様子さえなかった。ミリアについても同様だ。
身元がわからなければ怪しいだろう。なぜ見ず知らずの者を怪しむこともせず、良くしてくれるのかがわからなかった。
「うーん……素性ねえ。いや、冒険者ってのはさ、結構みんないろんな事情抱えてるわけよ。話したくないことなら無理に話さなくてもいいし。話さないからって怪しいってわけじゃない。怪しいかどうかは、実際に接してみて判断することだし。それで騙されたとしても、まあ、運がなかったとしか」
カウルはあまり悩んだ様子もなく言う。
「その点でいえば、あんたは、あまりに真剣だったもんだからさ。目が嘘ついてなかったっていうのかな。ちょっと信用してみようか、っていう好奇心みたいなものだった」
「好奇心……?」
「そうそう。賭け事と一緒だよ。良い可能性のにおいがしたならそっちに賭ける。綱渡りだけど、冒険者ってそういうもん、ってところもあるから」
カウルは軽快に笑うと、俺を指し示した。
「あんたは、剣筋は全然なってないし、ほんとに初心者なんだって思ったけど。でもそのわりに、すげえ食らいついてくるし、稽古は本気で、真剣そのものだった。事情は知らないけど、本気で強くなりたいだけなんだ、って思って。だったらそれに乗ってみてもいいかなって。それに、ここのところ魔術品探しとか、似たような魔物の相手ばかりだったからさ。退屈してて。いい刺激になったよ」
「そうなのか……」
カウルの言葉を反芻してみる。
なんとなくはわかった。が、それはやはり、何かあっても自分で対処できるはず、という自信があるからこそだろう。
俺も、カウルたちがどういう人物であれ、俺一人ならなんとでもなるはずだと思って接触していた。
これがミリア一人となると、やはり不安だ。ミリアへの信用が足りていない、と言われればそれまでだが、まだ安心できるほど成熟していないのは事実だ。
「しかし、剣までは……。ここまでするのはなぜなんだ?」
「ええ。なんでだろうなあ……。指導につい熱が入っちゃった……とかじゃだめ?」
じっと睨むと、カウルは観念したように両手を上げる。
しかしまた、笑った。
「でも、べつに深い理由はないよ。なんとなくそうしたくなっただけ。べつにクロウのためになればいいな、とかはそんなに考えてるわけじゃなくてさ。あんたはもう少しいい剣持ってていいんじゃないかって思って。本当、それだけ」
「それだけ……か」
嘘やごまかし、には見えない。
人の厚意とは、こんなものなのだろうか。特に大きな理由もなく。なんとなく、でいいのだろうか。
「まあ、クロウは、変わってて面白かったよ。こっちも、旅の休憩のつもりだったけど、思いがけないとこでいい時間が過ごせたと思ってる。感謝してるよ」
それは、意外な言葉だ。
カウルたちは、見ず知らずの者に一方的に頼み事をされただけだ。それなのに、そんなふうに思えるのか。感謝、などと、口にできるものなのか。
少し善人すぎるのではないか。しかしそう言われては、こちらも黙ってはいられない。
「……感謝するのはこちらだ。この数日、教えられたことは頭に叩き込んでおく。俺自身、成長できたと思う。本当にカウルたちのおかげだ。ありがとう」
もう一度、頭を下げる。カウルたちからは、いったいどれだけのことを学べたことか。
「いやあ。なんつうか。ほんとクソ真面目だよね、クロウって……」
「そ……そうなのか」
カウルは、こっちが照れる、と言いながら、頬をかいていたが。
深い理由はない、か。実際に接してみて、良い可能性かどうか、その場で判断するのだと。
まだわからない感覚だ。俺の頭が固いだけなのかもしれない。カウルたちのように柔軟にはなれない。
けど、人と人が繋がりを持つ理由なんて、それだけで十分なのかもしれない。何も、誰も彼も、心から信頼、とまでは考えなくてもいいのかもしれない。
この場だけ。一時だけの出会い。共有する時間。それの繰り返しで、繋がりができていくはずなのだから。
「じゃあ、それ。あ、あたしだと思って、大事に、してね」
戻ってきたアリッシュは、別れ際になり、なぜか急にしおらしく言ってきた。
「魔物に突き刺したりするものだが、アリッシュだと思っていいのか……」
「そ、そういうことじゃないわよ! バカッ! 鈍ちん!」
ボカッとアリッシュに殴られる。アリッシュにしてはずいぶん手加減した打撃だったな。
「はぁ……。これじゃ、あんたも、結構大変ね……」
「え、いえ、そんな……ことは、あります……」
アリッシュはなぜかミリアに同情のような眼差しを向ける。ミリアは、何か諦めたような、乾いた笑みを浮かべていたが。
「じゃあ、またどこかで! 冒険者やってんなら、また巡り合うこともあるからな!」
「意外とすーぐ再会したりするのよ!」
「気をつけてね。怪我だけじゃなくて、体調もね」
「次会ったときは、あっちのお世話もしてあげるわ!」
「ジャスティン! だからやめろって!」
「そうよ! クロウはもっと魅力的になったあたしと……」
手を振って別れるが、彼らは依然賑やかだった。
彼らの言うとおりだ。また会うこともあるのかもしれない。
だから、別れを惜しむ必要はない。
これを、人と人との繋がりとして、当たり前のこととして、受け入れよう。
※ ※ ※ ※ ※ ※
町を出て、旅立つ前にバナードの家に寄る。
「ミリア。あなたにこれを」
バナードは、事前に用意していたらしいものを差し出してくる。
「結界術が込められた短剣です。実用的かどうかはわかりませんが。もしもクロウさんの魔の力が暴走してしまった場合は、右腕にこれを直接突き立てることさえできれば……ですが」
携帯用の短剣だ。柄には紅と金の模様が施されている。ずいぶんと凝った作りだ。観賞用だといわれたほうが納得できる。
しかしバナードは、俺のほうを見て、あの状態を思い出したように首を振った。
「いいえ。護身程度ですね。ですがその布の力が弱まった際には、もしかしたら、何かの役には立つかもしれません。備えは多いほうがいいでしょう」
短剣をミリアに持たせて、もう一つ、と包みを解く。
「あなた自身が、修行の成果で作ったものです。私が少し加工しておきました」
出てきたのは、二つの指輪のようなものだ。
宝石を削って作ったかのような、透き通った見た目をしている。二つともを、ミリアに渡す。
「片方をあなたが身につけ、結界術を使うことで、もう片方をつけたものを封じることができます。ですので、もう片方はクロウさんに身につけていただきたい。ですが、その短剣よりは、どうしても効力は弱いものです。あまり過信は致しませんよう」
ミリアは、短剣と二つの指輪をじっと見てから、包みにしまった。
「今の私では、助力はこれが限界でした。もっと長くここに留まってくだされば……ですが、それは、望むところではないのでしょう」
ここに長く留まる。
それはつまり、結界術を駆使して、魔人の腕を封じるために時間を使う、ということだ。
せっかく目覚めさせたのに、それでは意味がない。俺は、これを利用しなければならないのだから。
それくらいの覚悟は、しているつもりだ。
「ありがとうございます。バナードさんから教わったこと、ちゃんと、忘れないようにします」
ミリアは、短剣と指輪を入れた包みをぎゅっと抱いて、かしこまって頭を下げる。俺も、倣うように頭を下げた。
バナードも、背筋を正した。
「常に命の危機に晒されていることになります。何が起きるかはわかりません。ですが、クロウさん。あなたになら、託してみたいと。あなたなら、きっと良い結末へと導いてくれるはずだと。もはや人の上に立つことしかできない老輩ですが、そんな希望を抱きました」
バナードも、俺たちに返すように深く頭を下げてから、ミリアの両肩に手を置いた。
「ミリアのことはお任せします。何を選ぶか、何を求めるかは、あなたたち次第です。ですが決して、力を間違ったことにだけは使わないよう。お二人とも、これだけは、約束してください」
「わかってる」
もはや多くは語らずともいいだろう。ミリアも、小さくだったが、たしかに頷いていた。
するとふと、バナードは、ミリアに視線を落として言った。
「……ミリアには惨いことをしました。もはや現代では、精霊も、我々も、身を潜めるべき存在なのです。そんな過去を、願わくば、あなたが吹き飛ばしてくれますよう」
バナードは屈んでミリアに目線を合わせる。
ミリアは、たまらなくなったように、バナードにがばっと抱きついた。
「ごめんなさい……! わたし、本当はわかってたのに……。誰も望んでない、自分だって望んでないって……。なのに、どうしても……あのままじゃ、つらくて、生きて、いけなくって……」
「いいえ。ミリア。私も、両親も故郷も失ったあなたの気持ちを、きちんと理解できてはいませんでした。あなたを、精霊術士という枠組みでしか見られませんでした」
バナードは、ミリアの肩を優しく抱きながら言う。
「ミリアという一人の子としては、見ていなかったのかもしれません。こんなに近くにいながら、あなたのつらい気持ちに気づけなかった。そのことを、許してください」
ミリアはまた泣き崩れそうになる。
しかしバナードは、ミリアのことを引き離す。俺に視線を移す。
ミリアは、涙を拭いながら、バナードのもとを離れて、俺のところに来る。
バナードは、並んだ俺とミリアに、強く言った。
「では行きなさい。あなたたちの旅路に、どうか、幸福があらんことを祈っております」
バナードの家を発つ。結界が張られた森林を通り抜ける。
渡されていた護符は返しておいた。これでもう、俺は一人ではここに出入りできなくなる。バナードも、また来客もない一人きりの生活に戻るのだろう。
外は、やけに新鮮な空気に感じた。小高い丘から見下ろした景色は、やけに拓けて感じた。
カウルたちはいい人間だった。
バナードもいい人間だった。
人間、いつどうなるかわからない。目的がぶつかればすぐに反転するかもしれない。
けれど、それでいい。そんなのは、当たり前のことだ。それも受け入れて、向き合うと覚悟して、生きていけばいい。
「行きましょ、クロウさん」
ミリアが先に歩き出す。坂を下っていく。
「うん……そうだな」
何を選ぶか、求めるかは、俺たち次第。
間違った方向に進む気はない。
俺がどうしたいのか。何が欲しいのか。何を求めているのか。
学んだこと。教わったこと。それを確かめながら、前進していこう。
「えっ。クロウさん、今、今――」
「……なんだ?」
すると、振り返ったミリアは、素っ頓狂な声を上げた。
俺の顔を指差して、言う。
「ちょ、ちょっと、笑ったように見えました! 初めて見ました今の顔! み、見間違いじゃないですよね!?」
「……なにがだ」
「あーっ、遠くてよく見えなかった! も、もっかい! もっかい見たいです! やってくださいっ!」
「だからなにがだ……」
戻ってきて騒ぐミリアを引っ張るようにして、先へ進む。
……笑った?
自覚はないが。
そういえば、カウルたちは、皆それぞれ表情豊かだった。なんというか、前向きで、冒険者として生き生きしていた。自分たちのやりたいことがはっきりしていて、それに対してまっすぐだった。
俺には、まだそういうのはないのかもしれない。生きてきた年数を重ねてはいても、たいした経験はしてきていない。今までの自分の生き方に、自信などない。
笑う。そういった感情が、自分の中にちゃんと残っているのかどうかさえ疑問だ。
けれど、良い気分だったのは、間違いないな。
ミリアにも、もっと、思い切り笑っていてほしい。
何もかも、しがらみのないミリアでいい。普通の少女としてのミリアがいい。
そのためには。精霊術士として狙われる、などというこの状況から、救いだすためには。
今後、必要なこと。するべきことを、思い描く。
〈聖下の檻〉を、破壊するために。
その手段を手に入れるために。もっともっと、力が必要だ。磨かなければならない。
そのために、今は、まっすぐ突き進もう。
今日で町を発つ。最後の稽古だ。
「あーあ。今日がクロウとの最後の稽古の日か~。クロウ、ようやくいい感じにあたしについてこれるようになったのになあ」
「アタシも寂しいわあ~」
「まっ、まあ、あたしは寂しいなんて言ってないけどね!」
ジャスティンが体を寄せてくると、反対側からアリッシュも張り合うようにひっついてくる。
両側筋肉。これも慣れたやり取りだな。
「あっ、あの!」
するとミリアが、つかつかと近づいてきた。
「あんまり、クロウさんに、ベタベタしないでほしいんですけどっ!」
ミリアは、若干怒ったような顔で、そう言った。
アリッシュとジャスティンは、一瞬ぽかんとする。が、すぐに、さらに挟んできた。
「はあ~? なにこの子。今までずーっと黙ってたくせに。生意気ー」
「そうよ~。もうあなただけのクロウじゃないのよお~」
息苦しい。
しかし、たしかに、今までネーヴェやジャスティンととりとめもないような雑談をしていただけのミリアが。急に、どうしたのか。
「だめよ、アリッシュもジャスティンも。あんまりミリアちゃんのこと、からかわないであげてちょうだい」
ネーヴェがミリアの肩に手を置いて言う。
ジャスティンは、わかってるわよ、とウインクして離れていく。だいぶ息が楽になった。
が、アリッシュのほうは、まだくっついたままだ。
「……なによ」
アリッシュはミリアのことをじーっと睨んでいる。ミリアも、じーっと睨み返している。
何か言ったほうがいいだろうか。いや、しかし、俺が口を挟める空気ではないような……。
「クロウさんから、離れてもらえますか」
「イヤよ。なによ。剣も握れない、冒険者でもないただのおチビが」
「こ、これから成長するんです! とりあえず、離れてもらわないと困ります!」
「あんたがどー困るってのよ?」
「う、それは……」
ミリアは言葉に詰まる。
アリッシュは、さらに俺の腕にぎゅーっとすがりつくようにして言う。
「クロウは筋もいいし、このままあたしと鍛えていけば、もっともっと強くなれるもの。なんならこのままうちのパーティに入って剣士やらない? もう一人くらい増えたって全然困らないわ?」
「いや、俺は……」
「それは困りますっ!!」
見上げてきたアリッシュに返そうとすると、ミリアのほうが大きく声を上げた。
「離れてください! いいから! たしかにわたしは冒険者でもないし、ただの小娘ですけど! でも変にベタベタするのだけはだめです! アリッシュさんのほうこそ、どういう意味でクロウさんにベタベタしてるんですかあぁ!」
ミリアはアリッシュに突進して押し退ける。そんな果敢なミリアは久しぶりに見たような、どうだったか。
「なっ、なによぉ……うっ!?」
唇を尖らせるアリッシュに、背後から木剣が入る。
カウルだ。相変わらず、顔に似合わず容赦がない。
「いーから稽古始めんぞー。バカなことやってないでさ」
「カウル、あんた、今本気で殴ったわねー!? 痛かったー!」
「筋肉バカにはこんくらいじゃ足んねーんじゃねーの。バーカ」
「バカって二回も言ったわね!? なによ、まずはカウルから叩きのめしてあげるわよ!」
「おおとも。やれるもんならやってみな」
「なによっ、今日はずいぶん強気じゃないの! カウルのくせに生意気!」
そのまま、カウルとアリッシュは、二人で打ち合いを始めてしまった。
いつもなら、稽古の順番だとか、手順を真剣に考案して重視しているはずのカウルが。珍しいこともあるものだ。
ミリアは、アリッシュに掴まれていた腕にぎゅーっと掴まっている。
しかし、やはり、アリッシュのほうが断然大きかったな……。
いや大きいのがいいというわけではないが。ミリアも、これから成長する余地ありだろうし。
「やだ~、ミリアちゃんったら妬いちゃって。やっと素直になれたのねえ」
「そうよそうよ。女はそれくらい素直なほうがかわいいものよ。それからもっと強気でいなくちゃ。これから大きくなるのに、生きていけないわよ」
ネーヴェとジャスティンが、ミリアを覗き込むように言ってくる。
途端にミリアははっとしたように俺の腕から離れて、ネーヴェとジャスティンにがばっと頭を下げた。
「あっ、あの! ネーヴェさんにも、ジャスティンさんにも、大変、お世話になって……! 前は、あの、わたし、少し、頭の中が変になってて、その、嫌なところが、たくさん……」
「いいのいいの。今は元気になってくれたみたいだから、それだけで十分。まだ若いんだから、もっとわがままでいいのよ。まあ、アリッシュぐらいは、ちょっとやりすぎだけどね……」
「でも、アリッシュさん、すごいですね。女性なのに、あんなに強くて……」
「あれはあれで、もう可愛げの欠片もないけれどねえ」
ミリアたちは、打ち合うカウルとアリッシュに目を向ける。
アリッシュは、やはり強い。カウルの固いはずの防御など、あっさり崩して、言葉どおり叩きのめしていた。
「あっはっは! やっぱカウルはザコね!」
「いつかぜってー勝つ……」
カウルは妙に悔しそうにしていた。
何はともあれ、稽古だ。
今日で俺たちは町を発つ。今日が最後の日なのだ。最後の最後まで、学べるだけ学ばせてもらわなければ。
「そうだ。剣、ちょっと探してみたんだけどさ。これとかどうかな?」
休憩に入ると、ふと、カウルに渡された。
どうかな、と言われても。カウルの荷物から出てきたということは、これはカウルの所持品じゃないのか。と思いつつも剣をまじまじと眺める。
俺が今まで買っていた、最安価の量産品とは明らかに違う。鞘までしっかりした作りだ。少し刃を抜いてみて、戻しながら言う。
「少し大きいような気がするが……」
「でもクロウは身長あるし、力もあるから、いけると思うんだ。よかったらあげるよ」
「え」
唐突にカウルはそう言った。
あげる、とは。これを、か。
「い、いくらだ」
「え、違うよ。あげるって言ったんだよ」
「い、いや。無償で貰うわけには……」
「なによー。気に入らないってのー?」
さすがに、そんな唐突に言われてもだ。
するとアリッシュが不満げに口を挟んできた。
「あたしが持ってた、たまたま余ってた魔術品使ってあげたのよ。剣自体は店売りのもんだから、それでもたいしたことないけどねー」
「いや、アリッシュがさ。どうせ剣選ぶんなら、クロウに安物なんか似合わない! って騒ぐもんだからさ」
「さ、騒いでないわよ! カウルがいつまでも剣見てていいかげんウザいから、さっさとこれで手を打てって言ったの!」
「でも俺は魔術品使うことまでは考えてなかったぜ? まあそのほうが手っ取り早く強化できるんだけどさ」
「あ、あげる……タダ……」
カウルとアリッシュは何か言い合っているが、あんまり頭に入ってこなかった。
「いや、いや。やはりタダというわけには……」
「あー、わかったよ! じゃあ剣の分だけ! もー、ほんと真面目だな!」
カウルは頭を抱えながらも、店売りだったらしい剣の分だけ請求してきた。
正しい値段なのかはわからないが、この場で支払う。足りてよかった。が、どうにも、少なく言われているようにしか感じない金額だったが。
「……本当にいいのか」
「あのさ。今、何のために金払ってもらったの?」
「いやしかし……」
「そんな顔されても、なあ……」
カウルは、若干引いたような、微妙な顔をしている。
ミリアは、よく人から物を譲り受けてくるものだと思っていたが。毎回、こんな気持ちなのだろうか。いや、剣は食べ物よりかずっと高額だろう。少し訳が違うか。
それでも、そうだ。こういうとき、ミリアは、どういう態度で返していただろうか。
ミリアはいつも、素直にお礼を述べて、相手の厚意を、喜んで受け入れていたはずだった。
「あ……ありがとう。いや、その程度で足りるのか……。本当に、感謝している……」
俺には、あれは無理だが。それでも頭を下げる。
しかし、金と手間の問題は、この程度で解決するものなのかとも疑問に思う。
「そーよ。もっと感謝しなさい。魔術品まで使ってあげたんだから。普通の剣よりずっと丈夫なはずよ」
「ああ、アリッシュの物を使った、という話だったな。本当に助かる……あ、いや、そうじゃないな。ありがとう……ええと、感謝して……」
精一杯、感謝の意を表そうとするものの。
だめだ。これ以上、言葉の種類が浮かばない。
相手の厚意に応えたい。が、それに見合った、適切な態度と表現というものがわからない。
人から厚意で物を譲り受けるなど。しかも剣などという高価な品を。こんな経験今まであっただろうか。
ましてやカウルたちには、普段から世話になっているというのに。
「……じゃあ。お礼にキスして」
「へ」
するとアリッシュは、唐突に、言った。
「それで許してあげる。いいからほら!」
んっ、とアリッシュは促すように上を向いて、目を瞑る。
キス……。というと。
脳裏に蘇るのは、あのときの記憶しかない。
極限状態の脳みそだったが。それでも、しっかりと記憶に刻まれている。
ミリアをちらと見る。ミリアは、相変わらず、ネーヴェとジャスティンと何か楽しげに話しているようだ。こちらの様子には気づいていないらしい。
いやしかし。あれは、そういう意味のこもった行為ではなかった。
次にするのなら。もっと真摯に、誠実にだ。勝手にしていいことじゃない。
「……それはできない」
「なっ、なによ! なんでよ!」
「勝手にするものじゃないからだ」
「勝手じゃないわよ……いだぁっ!?」
またカウルが木剣でアリッシュをぶん殴っていた。
ふん、と横を向きながらカウルは素っ気なく言う。
「冗談で言うことじゃないだろー」
「冗談じゃなっ……! な、なによもー! 恥かかせないでよー!」
「アリッシュはもう少し自分を大事にしたほうがいいと思うが」
「はあ!? クロウまで! なによ、どういう意味よっ! バカーっ!」
アリッシュは、叫びながら走り去ってしまった。
あれについては、ミリアには、いまだ何も言われていないが。言われないということは、怒っていないという認識でいいのかどうか。言わないだけな可能性もあるが。
するとカウルは、遠ざかるアリッシュの後ろ姿を見て、深くため息をついた。
なんだか、その丸まった背中に、妙に親近感を覚えた。どこか、自分の姿と被ったような気配がした。
「……伝わらないものだな」
「えっ? は、はあ!? どういう意味だよ! あ、あんなサルみたいな女、誰が……!」
思わずぼそりと言ってみると、カウルは慌てて否定してくる。
が、どこか諦めたように、またため息をついた。
口を曲げて、苦々しい顔をする。いつも愛想よく笑っている雰囲気のカウルにしては、初めて見る、卑屈な表情だった。
「そっちはいいっすね。ちゃんと、両思いなようで……」
「……そうでもない。微妙だな」
「そーなの? 普通に、そう見えるけど……。まあ、最初見たときは、微妙だなと思ったけどさ……」
カウルは、ちらとミリアのほうを見ている。
「しかし、カウルたちは、なぜここまでしてくれるんだ?」
ふと聞いてみる。
カウルは丸まっていた背筋を正しながら聞き返してくる。
「剣のこと?」
「もちろんそれもだが。稽古もだ。引き受けてくれたのはもちろんありがたいが。ここまで真剣に面倒を見てくれるとは……」
「あー。それは、同じ冒険者のよしみっていうか……」
「それに、俺は自身の素性についてをろくに話していない。カウルはこの傷痕のことも聞いてこないし、ミリアとどういう経緯で一緒にいるのかも聞いてこない。それでなぜ、ここまで良くしてくれる?」
人と顔を合わせれば、真っ先にこの傷痕に注目されているのだとわかる。
しかしカウルたちは一度も聞いてこなかったし、そもそも気にしている様子さえなかった。ミリアについても同様だ。
身元がわからなければ怪しいだろう。なぜ見ず知らずの者を怪しむこともせず、良くしてくれるのかがわからなかった。
「うーん……素性ねえ。いや、冒険者ってのはさ、結構みんないろんな事情抱えてるわけよ。話したくないことなら無理に話さなくてもいいし。話さないからって怪しいってわけじゃない。怪しいかどうかは、実際に接してみて判断することだし。それで騙されたとしても、まあ、運がなかったとしか」
カウルはあまり悩んだ様子もなく言う。
「その点でいえば、あんたは、あまりに真剣だったもんだからさ。目が嘘ついてなかったっていうのかな。ちょっと信用してみようか、っていう好奇心みたいなものだった」
「好奇心……?」
「そうそう。賭け事と一緒だよ。良い可能性のにおいがしたならそっちに賭ける。綱渡りだけど、冒険者ってそういうもん、ってところもあるから」
カウルは軽快に笑うと、俺を指し示した。
「あんたは、剣筋は全然なってないし、ほんとに初心者なんだって思ったけど。でもそのわりに、すげえ食らいついてくるし、稽古は本気で、真剣そのものだった。事情は知らないけど、本気で強くなりたいだけなんだ、って思って。だったらそれに乗ってみてもいいかなって。それに、ここのところ魔術品探しとか、似たような魔物の相手ばかりだったからさ。退屈してて。いい刺激になったよ」
「そうなのか……」
カウルの言葉を反芻してみる。
なんとなくはわかった。が、それはやはり、何かあっても自分で対処できるはず、という自信があるからこそだろう。
俺も、カウルたちがどういう人物であれ、俺一人ならなんとでもなるはずだと思って接触していた。
これがミリア一人となると、やはり不安だ。ミリアへの信用が足りていない、と言われればそれまでだが、まだ安心できるほど成熟していないのは事実だ。
「しかし、剣までは……。ここまでするのはなぜなんだ?」
「ええ。なんでだろうなあ……。指導につい熱が入っちゃった……とかじゃだめ?」
じっと睨むと、カウルは観念したように両手を上げる。
しかしまた、笑った。
「でも、べつに深い理由はないよ。なんとなくそうしたくなっただけ。べつにクロウのためになればいいな、とかはそんなに考えてるわけじゃなくてさ。あんたはもう少しいい剣持ってていいんじゃないかって思って。本当、それだけ」
「それだけ……か」
嘘やごまかし、には見えない。
人の厚意とは、こんなものなのだろうか。特に大きな理由もなく。なんとなく、でいいのだろうか。
「まあ、クロウは、変わってて面白かったよ。こっちも、旅の休憩のつもりだったけど、思いがけないとこでいい時間が過ごせたと思ってる。感謝してるよ」
それは、意外な言葉だ。
カウルたちは、見ず知らずの者に一方的に頼み事をされただけだ。それなのに、そんなふうに思えるのか。感謝、などと、口にできるものなのか。
少し善人すぎるのではないか。しかしそう言われては、こちらも黙ってはいられない。
「……感謝するのはこちらだ。この数日、教えられたことは頭に叩き込んでおく。俺自身、成長できたと思う。本当にカウルたちのおかげだ。ありがとう」
もう一度、頭を下げる。カウルたちからは、いったいどれだけのことを学べたことか。
「いやあ。なんつうか。ほんとクソ真面目だよね、クロウって……」
「そ……そうなのか」
カウルは、こっちが照れる、と言いながら、頬をかいていたが。
深い理由はない、か。実際に接してみて、良い可能性かどうか、その場で判断するのだと。
まだわからない感覚だ。俺の頭が固いだけなのかもしれない。カウルたちのように柔軟にはなれない。
けど、人と人が繋がりを持つ理由なんて、それだけで十分なのかもしれない。何も、誰も彼も、心から信頼、とまでは考えなくてもいいのかもしれない。
この場だけ。一時だけの出会い。共有する時間。それの繰り返しで、繋がりができていくはずなのだから。
「じゃあ、それ。あ、あたしだと思って、大事に、してね」
戻ってきたアリッシュは、別れ際になり、なぜか急にしおらしく言ってきた。
「魔物に突き刺したりするものだが、アリッシュだと思っていいのか……」
「そ、そういうことじゃないわよ! バカッ! 鈍ちん!」
ボカッとアリッシュに殴られる。アリッシュにしてはずいぶん手加減した打撃だったな。
「はぁ……。これじゃ、あんたも、結構大変ね……」
「え、いえ、そんな……ことは、あります……」
アリッシュはなぜかミリアに同情のような眼差しを向ける。ミリアは、何か諦めたような、乾いた笑みを浮かべていたが。
「じゃあ、またどこかで! 冒険者やってんなら、また巡り合うこともあるからな!」
「意外とすーぐ再会したりするのよ!」
「気をつけてね。怪我だけじゃなくて、体調もね」
「次会ったときは、あっちのお世話もしてあげるわ!」
「ジャスティン! だからやめろって!」
「そうよ! クロウはもっと魅力的になったあたしと……」
手を振って別れるが、彼らは依然賑やかだった。
彼らの言うとおりだ。また会うこともあるのかもしれない。
だから、別れを惜しむ必要はない。
これを、人と人との繋がりとして、当たり前のこととして、受け入れよう。
※ ※ ※ ※ ※ ※
町を出て、旅立つ前にバナードの家に寄る。
「ミリア。あなたにこれを」
バナードは、事前に用意していたらしいものを差し出してくる。
「結界術が込められた短剣です。実用的かどうかはわかりませんが。もしもクロウさんの魔の力が暴走してしまった場合は、右腕にこれを直接突き立てることさえできれば……ですが」
携帯用の短剣だ。柄には紅と金の模様が施されている。ずいぶんと凝った作りだ。観賞用だといわれたほうが納得できる。
しかしバナードは、俺のほうを見て、あの状態を思い出したように首を振った。
「いいえ。護身程度ですね。ですがその布の力が弱まった際には、もしかしたら、何かの役には立つかもしれません。備えは多いほうがいいでしょう」
短剣をミリアに持たせて、もう一つ、と包みを解く。
「あなた自身が、修行の成果で作ったものです。私が少し加工しておきました」
出てきたのは、二つの指輪のようなものだ。
宝石を削って作ったかのような、透き通った見た目をしている。二つともを、ミリアに渡す。
「片方をあなたが身につけ、結界術を使うことで、もう片方をつけたものを封じることができます。ですので、もう片方はクロウさんに身につけていただきたい。ですが、その短剣よりは、どうしても効力は弱いものです。あまり過信は致しませんよう」
ミリアは、短剣と二つの指輪をじっと見てから、包みにしまった。
「今の私では、助力はこれが限界でした。もっと長くここに留まってくだされば……ですが、それは、望むところではないのでしょう」
ここに長く留まる。
それはつまり、結界術を駆使して、魔人の腕を封じるために時間を使う、ということだ。
せっかく目覚めさせたのに、それでは意味がない。俺は、これを利用しなければならないのだから。
それくらいの覚悟は、しているつもりだ。
「ありがとうございます。バナードさんから教わったこと、ちゃんと、忘れないようにします」
ミリアは、短剣と指輪を入れた包みをぎゅっと抱いて、かしこまって頭を下げる。俺も、倣うように頭を下げた。
バナードも、背筋を正した。
「常に命の危機に晒されていることになります。何が起きるかはわかりません。ですが、クロウさん。あなたになら、託してみたいと。あなたなら、きっと良い結末へと導いてくれるはずだと。もはや人の上に立つことしかできない老輩ですが、そんな希望を抱きました」
バナードも、俺たちに返すように深く頭を下げてから、ミリアの両肩に手を置いた。
「ミリアのことはお任せします。何を選ぶか、何を求めるかは、あなたたち次第です。ですが決して、力を間違ったことにだけは使わないよう。お二人とも、これだけは、約束してください」
「わかってる」
もはや多くは語らずともいいだろう。ミリアも、小さくだったが、たしかに頷いていた。
するとふと、バナードは、ミリアに視線を落として言った。
「……ミリアには惨いことをしました。もはや現代では、精霊も、我々も、身を潜めるべき存在なのです。そんな過去を、願わくば、あなたが吹き飛ばしてくれますよう」
バナードは屈んでミリアに目線を合わせる。
ミリアは、たまらなくなったように、バナードにがばっと抱きついた。
「ごめんなさい……! わたし、本当はわかってたのに……。誰も望んでない、自分だって望んでないって……。なのに、どうしても……あのままじゃ、つらくて、生きて、いけなくって……」
「いいえ。ミリア。私も、両親も故郷も失ったあなたの気持ちを、きちんと理解できてはいませんでした。あなたを、精霊術士という枠組みでしか見られませんでした」
バナードは、ミリアの肩を優しく抱きながら言う。
「ミリアという一人の子としては、見ていなかったのかもしれません。こんなに近くにいながら、あなたのつらい気持ちに気づけなかった。そのことを、許してください」
ミリアはまた泣き崩れそうになる。
しかしバナードは、ミリアのことを引き離す。俺に視線を移す。
ミリアは、涙を拭いながら、バナードのもとを離れて、俺のところに来る。
バナードは、並んだ俺とミリアに、強く言った。
「では行きなさい。あなたたちの旅路に、どうか、幸福があらんことを祈っております」
バナードの家を発つ。結界が張られた森林を通り抜ける。
渡されていた護符は返しておいた。これでもう、俺は一人ではここに出入りできなくなる。バナードも、また来客もない一人きりの生活に戻るのだろう。
外は、やけに新鮮な空気に感じた。小高い丘から見下ろした景色は、やけに拓けて感じた。
カウルたちはいい人間だった。
バナードもいい人間だった。
人間、いつどうなるかわからない。目的がぶつかればすぐに反転するかもしれない。
けれど、それでいい。そんなのは、当たり前のことだ。それも受け入れて、向き合うと覚悟して、生きていけばいい。
「行きましょ、クロウさん」
ミリアが先に歩き出す。坂を下っていく。
「うん……そうだな」
何を選ぶか、求めるかは、俺たち次第。
間違った方向に進む気はない。
俺がどうしたいのか。何が欲しいのか。何を求めているのか。
学んだこと。教わったこと。それを確かめながら、前進していこう。
「えっ。クロウさん、今、今――」
「……なんだ?」
すると、振り返ったミリアは、素っ頓狂な声を上げた。
俺の顔を指差して、言う。
「ちょ、ちょっと、笑ったように見えました! 初めて見ました今の顔! み、見間違いじゃないですよね!?」
「……なにがだ」
「あーっ、遠くてよく見えなかった! も、もっかい! もっかい見たいです! やってくださいっ!」
「だからなにがだ……」
戻ってきて騒ぐミリアを引っ張るようにして、先へ進む。
……笑った?
自覚はないが。
そういえば、カウルたちは、皆それぞれ表情豊かだった。なんというか、前向きで、冒険者として生き生きしていた。自分たちのやりたいことがはっきりしていて、それに対してまっすぐだった。
俺には、まだそういうのはないのかもしれない。生きてきた年数を重ねてはいても、たいした経験はしてきていない。今までの自分の生き方に、自信などない。
笑う。そういった感情が、自分の中にちゃんと残っているのかどうかさえ疑問だ。
けれど、良い気分だったのは、間違いないな。
ミリアにも、もっと、思い切り笑っていてほしい。
何もかも、しがらみのないミリアでいい。普通の少女としてのミリアがいい。
そのためには。精霊術士として狙われる、などというこの状況から、救いだすためには。
今後、必要なこと。するべきことを、思い描く。
〈聖下の檻〉を、破壊するために。
その手段を手に入れるために。もっともっと、力が必要だ。磨かなければならない。
そのために、今は、まっすぐ突き進もう。
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