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一章「出会い」
04.初めて人に
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「ひぃえっ!? な、なんか、出てきましたよ!?」
「それが毒だ。触るなよ」
ミリアの目の前のワームが、口腔からどろりとした体液を垂らす。
俺は狼狽えているミリアの前に出て、ワームの体を掴み、ナイフを差し込む。裂け目からは口腔から垂れたものと同じ、毒のある体液が流れ出て俺の手に付着する。
ワームには特定の毒を作り出す器官というものがなく、人間にとっては体液そのものが有毒になる。愚鈍だから仕留めるのは容易いが、普通なら解体には骨が折れることだろう。
しかし俺は構わずワームを掴んだままナイフを引き抜き、解体を始める。
「さ、触るなって、今自分で言いませんでした……?」
のたうっていたワームが次第に力尽きていくのを戦々恐々と眺めながら、ミリアは不可解そうに聞いてくる。
そういえば、俺がこうして素材狩りをしているところを人に見られるのは、初めてだったかもしれない。
「おまえは、触るなというだけだ」
「あ、あなたは、なんで平気なんですか……?」
なんで、と聞かれても安易には答えられない。
するとミリアは思い出したように言った。
「……あの。あなたの名前は、まだ教えてもらえないんですか?」
「……」
俺はワームの解体作業に集中するふりをする。
「わたしには、教えたくないってことですか? 教えるに足らない、ってことですか……?」
ミリアは、解体されるワームを見ているのか、それとも解体する俺を見ているのか。こちらをじっと見下ろして聞いてくる。
今の俺はただの名無しだ。それこそ「毒漬け僧侶」とでもなんでも勝手に呼んでくれていい。
名前があった頃の俺は、今の俺には不要なものだった。
「無駄口叩くな。早く次を捜せ」
「あっ……は、はい! ご、ごめんなさい……」
ミリアははっとして、おろおろと次を捜し始める。
それにしても、ミリアという少女は少し素直すぎやしないだろうか。
いくら毒で弱っていたところを運ばれた接点があるとはいえ、こうも無警戒についてきてあっさり言うことに従うとは。火災について罪悪感があるにしても、償う相手は俺じゃなくあの冒険者パーティとこの森だろうに。
というと、俺も俺で、なぜミリアに依頼の手伝いをさせているのかわからないのだが。茫然自失としているミリアに、何かしら罰の代わりを与えようとでも思ったのだろうか。
しかしミリアは手伝いにはまったく適していないことがよくわかった。ワームという平凡な魔物の基礎知識さえないし、それどころか驚くし、剣すら初めて握ったような手つきだ。
駆け出しの冒険者でももっとマシだろう。そのわりに熟練パーティに入れてくれと頼み込んだりと、俺にはどうにもやはり、このミリアという少女の目的がわからなかった。
「きゃーっ! あ、あれ! あれなんですか!?」
ミリアが唐突に甲高い声で叫んだ。
悲鳴のほうに驚いて俺は顔を上げる。
ミリアが指差す方向にいたもの。それは、全長がミリアの二倍ほどはある、ここいらでは比較的大型とされる魔物だ。
普段は四足歩行だが、今は二足で立ち上がってこちらを睨んでいる。ずんぐりとした毛むくじゃらの見た目に、鋭い牙を持っているそいつは、この森では最も注意を要するとされる、ファングベアだった。
げ、という声が思わず出そうになる。
ファングベアの縄張りは森の最奥部だ。いつも俺は森の入り口付近を徘徊しているから、遭遇することは滅多にない。それでももし遭遇してしまった場合は、騒ぎ立てることなく、ゆっくりと後退して視界から消え失せれば、向こうも無闇に襲ってくることはしない。
しかし今は、かなり気が立っている様子な上に、どうしてこんなところにいるのかといえば、先ほどの火災以外に原因はないだろう。森の異常を感じ取って、いつもの縄張りを離れて巡回していたのかもしれない。ミリアが叫び声を上げたこともあり、余計にファングベアは臨戦態勢だった。
一人ならこの時点で脇目も振らず逃げ出すところだが、それだとミリアを置いていくことになる。
冒険者に毛すら生えていないほどのど素人のミリアでは、置いてけぼりにされればどうなるかは簡単に想像がつく。
顔も知って、名前も知ってしまった今となっては、それがファングベアに無惨に頂かれているところは想像したくなかった。
「ミリア。これ以上刺激するな」
俺は小声でミリアに指示を出す。
今のミリアとファングベアの位置は近すぎる。まずはなんとか距離を離さなければ。
しかしミリアは震えて、今にも再び叫び出しそうだった。
「死に、たくない……」
ミリアは足腰をカタカタと震わせたまま、呟く。
「いやだ……お父さん、お母さんっ……!」
ミリアの振り絞ったような声に、ファングベアは、ゴウ、というくぐもった唸り声を上げた。
四つ足になり、こちらに突進してくる。
まずい。こうなったらもう走って逃げるしかない。しかしミリアは依然震えてその場に固まっている。
仕方がない。躊躇ってはいられない。
最終手段、しかないか。
俺はミリアを押し退けて、ファングベアの前に出る。
ファングベアは口を大きく開けて、鋭く生え揃った牙で俺に噛みつこうとする。
俺はその口に、自ら自分の腕を突っ込んだ。ファングベアは一瞬怯みこそしたものの、俺の腕にさらに深く牙を立て、唸りながら食らいついてくる。
骨ごと粉砕されそうな激痛に顔が引きつり、歪むのが自分でもわかるが、しかし恐怖心はなかった。
「ああ、食えよ。いいぞ」
差し出すように、俺は腕をさらに口腔へ押し込む。
皮膚はとっくに裂けて、ちぎれて、ドロドロと血が流れ出している。
腕の感覚がなくなってきた。このまま片腕がなくなってもおかしくないかもしれない。
けど。そろそろ、のはずだ。
「ただし、おまえの身体には、俺は“毒”だがな」
予想的中。
ファングベアは唐突に弱々しい鳴き声を上げ、慌てて牙を離した。
ガフッ、と咳き込み、口内からは俺の血が飛ぶ。その血を必死に吐き出そうとしているかのように、ファングベアは地面に口の先を擦りつけ、頭を振り、悶え苦しみながら転がるように逃げていった。
住処で火災が起き、気が立っていたところに、さらに甲高い悲鳴で刺激してしまってファングベアには申し訳ないことをした。まああの程度じゃ死には至らないだろう。
ある意味、出会ったのが知性の高い魔物でよかった。知性が低ければそんなのお構いなしに食いちぎられていたかもしれない。
ふう、と一息吐き出すと、腕のことを思い出した。
腕からはだらだらと血が流れ、ひくひくと痙攣していた。使い物になるだろうか、と若干冷静さを取り戻すと、どっと汗が吹き出てきた。
「ど――毒漬け僧侶さんっ!!」
俺に押し退けられたままへたり込んでいたらしいミリアが、慌てて駆け寄ってくる。
「ごめんなさい! わ、わたし……! じゃなくて! それよりも、ま、街に! 急いで街に戻りましょう!!」
ミリアは俺の腕の出血量を見て、顔面蒼白になっている。
勢い余ってか、ミリアの手は俺の血に触れてきそうになっていた。
「触るな」
俺は腕を体の内側に庇うようにして、ミリアから距離を取る。
いつも一人でやっている怪我の処置と同じように、まずは止血をする。真っ青なままのミリアを引き連れて、なるべく急ぎ足でその場を離れる。
適当な岩場に俺は腰を下ろす。痛みと出血で目眩がしているが、骨は真っ二つにはなっていなさそうだ。噛ませた腕は当然利き腕じゃないし、しばらく安静にしていればなんとかなるだろう。
「あのっ……。や、やっぱり、街に戻ったほうが……!」
俺の傍に膝をついて、必死に説得するようにミリアは続ける。
「ギルドなら、治癒術もかけてくれますよ! 魔素から作ったお薬だってあります! そっちのほうが絶対いいですよ! こういうの、放置しちゃだめですよ!」
ミリアの目には涙が溜まっていた。
訴えかけてくるその表情は真剣そのものだ。なぜここまで必死なのかといえば、自身の罪悪感と、俺への心配以外にないだろう。
しかしそれに応えることが俺にはできなかった。
「なんで黙ってるんですか!! そ、そのままじゃ、もしかしたら、死――」
俺が黙っているからか、徐々に弱ってきていると思われているのだろうか。
そういうわけじゃないんだが。それにミリアの言うとおりなのはさすがにわかっている。
街に戻れば、金さえ払えばちゃんとした治療を受けられる。薬もあれば、治癒魔術もかけてもらえる。
ミリアの判断のほうが常識的だ。ただ、俺にとっては、そうじゃないというだけで。
「……放置じゃない。薬も治癒術も、それをかけられるほうが、俺は死ぬ」
「どういうことですか!? わけわかんないですっ!!」
ミリアは首を振って、ボロボロと泣き出した。
「だって、わたし……わたしのせいで……っ」
人が怪我をした程度で、こうもパニックになったり泣いたりと、ころころ変化する表情を見ていると、不思議な感覚に陥った。
人の感情をこうして目の当たりにするのは、いつぶりだろうか。まるで他人事のように、場違いなことを考える。
長らくぶりなのはわかるが、それがどの程度の年月なのか思い出せない。そもそも人の感情に最後に触れたのが、いつなのか。
感情って、こんなに熱を持ったものだったか。こんな小さな少女一人が生み出しているとは思えないほどの熱の余波が、こちらまで押し寄せてきているように感じる。
ミリアがこぼした涙が、俺の手の甲に落ちていた。
「……誰にも言うなよ」
「えっ?」
ミリアが治癒術の使える魔術士じゃなくて本当によかった。と実は密かに安堵していた。
いきなりそれをかけられたら、俺の腕は消し飛んでいたかもしれないのだから。
「約束できるな?」
「な、何がです?」
「門外不出だ」
「えっ? な、何か、秘密が……? な、何か、すごい技でもあるんですかっ!?」
ミリアは、俺が何かとんでもない魔術でも使う気なんじゃないかと勘違いしたのか、身構えている。
俺は、呆れにも似たため息を一つ吐き出してから、話し出した。
「べつに、技じゃない。ただの体質だな」
「体質?」
目を瞬かせるミリアに、変な期待は持たせないように俺は言う。
「そうだ。体質だ。俺の身体は、あらゆる魔素を反発する体質なんだ」
「は、反発……?」
「魔物は、その体内に魔素を多く含んだ生物だ。だからさっきのファングベアにとって、魔素を反発する仕組みを持った俺の肉体は毒に等しかった。ああして噛みついて、俺の血だったり肉だったり体液だったりを取り込めば、あいつの体内で拒絶反応のような反発が起こり、刺激になる。摂取しすぎればおそらく死ぬ」
俺の説明に、ミリアはきょとんとしていた。
言葉だけ理解はできてもピンとはこないのだろう。俺だっていまだにそうだ。
けれど、そういうものなのだから、そうとしか言えなかった。
「そういう体質だ」
「体質なんですか……」
「体質だ。生まれつきのな」
べつに俺自身が望んだ身体なわけじゃない。
生まれたときからこうなのだから、選択の自由などなかった。
「あ、あなたは、平気なんですか? その、魔素を反発する体質だっていうなら、魔物に触れたりしたら、あなたの身体のほうにも、その、拒絶反応が……」
「いや。あくまで反発だからな。体内にさえ取り込まなければ、俺の肉体は魔素をただ弾くだけだ。身体の外側、という逃がす場所がある限りは平気だ。だからな……」
「だから?」
「俺の肉体にとってとんでもなく危険なのが、治癒術だ」
俺が言うと、ミリアははっと息を呑んだ。
若干期待していたどおりの反応、いや、期待を軽く上回る反応だったせいで、妙に間抜けに見えて少しおかしかった。
「あれは対象者の肉体そのものに働きかける魔術だろう。魔術っていうのは凝縮された魔素の塊だ。だからそれをかけられると、俺の肉体は、外から入ってくる魔術と、それを反発しようとする体質に板挟みにされる」
「……されたら、どうなるんですか?」
「さあな。俺自身はかけられたことがないからな」
俺自身は、だが。話だけなら聞いたことがある。が、どうなるかだなんてだいたい想像がつく。
ざっと説明は終わった。俺が街へ戻るのを嫌がる理由にも、納得がいったことだろう。これでミリアも少しは静かになるはずだ。
岩に頭を預けていると、ふと思い当たったように、ミリアは言った。
「なんだか……呪いみたいですね」
ミリアが言った言葉に、俺は微かに目を見開く。
――呪い。
呪い、か。まあ、そうか。
魔素を反発する体質。治癒魔術でも、魔素から作られた薬でも、魔物の毒であっても、魔素が含まれていればありとあらゆるものを排除しようとする力。
それのおかげでこの毒の森でも悠々と生活ができるのだが、話したとおり有利なことばかりじゃない。
駆け出しの冒険者であっても初級の治癒魔術ぐらいは大抵簡単に使いこなせる。魔物を使った肉や、魔素から作った薬、道具なども大量にある。魔素からできている魔物・魔術はもはや生活から切っても切り離せない存在だ。
それをもし知らずに取り込んでしまったら。他人の魔術を喰らうことがあったら。俺の身体は内部から破壊されるに違いない。
この体質は、殊更他人と交わって生活するには向かないのだ。
「どこでどうして、そんな体質になったんですか? そんなの、ほとんど、枷じゃないですか。呪いと同じです」
ミリアは、どこか憎らしげに言う。
枷。呪い。
そうだ。そのとおりだな。
しかし俺の中では、ふつふつと感情が湧き上がっていた。
……ミリアが俺に名前を「なんでもいい」と無碍にされたときも、こういう感覚だったのだろうか。
「ミリア」
「は、はいっ」
思っていた以上にどすの利いた声が出たのか、ミリアは条件反射のように素早く背筋を正した。
「……クロウだ」
俺は、ぼそりと口にする。
もののついでだ。独り言をたまたまミリアの耳が拾っていればいい、という感覚で口にした。
「はい?」
ミリアは、きょとんとして、聞き返すように首を傾げる。
べつに誰に言うつもりもなかった。体質のことも、誰に言うこともなく、この森で淡々と時間が流れ過ぎていくのに身を任せているだけだと。
そして誰に知られることもなく、俺はいずれどこかでひっそり死ぬのだろうと思っていた。
名前どころか、俺という存在がどこにも残ることはなく。
「名前だ。それからもう一つ。母親から譲り受けて、大切にし続けているものがある」
俺がそう言うと、ミリアは先に悟ったように、表情を固くした。
「この体質だ」
ミリアは、これを呪いだと言った。
そのとおりだ。こんな体質は枷でしかない。これはたしかに呪いなんだ。
けれどそれでも、大切だった母親から譲り受けたものだ。母親が俺に残していった、大切な遺伝子としての象徴だった。
「……ご、ごめんなさい。わたし、呪いだとか、言っちゃって……」
するとミリアはまた、ポロポロと泣き出した。
あまりに素直すぎる反応に、俺のほうがばつが悪くなる。
「なんで泣く」
「いえ……。ごめんなさい。あなたにも、そういうのがあって、わたし、無神経だったなって……」
「……べつに、そこまで怒ってない」
言われた瞬間は、たしかに怒りに似たようなものが湧いたが、こうもさめざめと泣かれるとその気も失せる。
「あと……。お父さんとお母さんのこと、思い出しちゃって……。ごめんなさい、わたし、勝手で……」
そういえば、ミリアの両親は、亡くなったとの話だったか。
亡くしたとは言われてはいないが、口振りからして良い別れではなかったことぐらいわかる。
「両親とは、死に別れか」
俺が確認をとると、ミリアはこくんと頷く。
「なぜ亡くした?」
ミリアのあまりに感情的な姿に、思わず口をついて疑問が出てきた。
言ってから、しまったと気づく。軽々しく聞いていいものじゃないんじゃないか。
しかしミリアは、ぽつぽつと語りだした。
「……盗賊に殺されたんです。わたしの両親だけじゃない。わたしの村の人、みんな……。わたしには、何がなんだかわからなかった。突然変な人たちが村に押し掛けてきて、みんなを捕まえて、村に火を放って……。わたしたちは、誰も悪いことなんてしてない。ただ普通に生活してただけなのに……」
ミリアは、そのときのことを思い出したのか、唇を震わせて顔を覆った。
俺の隣に並ぶように座り込んで、膝に顔を伏せながら続ける。
「本当に、普通の、山間にある小さな村だったんです。魔物なんかいない、平和で、静かなところで……。みんな、わたしだけはって、必死に逃がしてくれたんです。逃げ延びて、両親の知り合いの人のところに匿ってもらって、点々と渡り歩いて……。でもそのうち、街から街へ移動するには、冒険者のパーティにくっついていくのが一番いいって、思ったんです」
山間の小さな村。そこから逃げ延びることができたのは、本当に運が良かったのか。細かな過程はわからないが、冒険者と関わるようになってからは、俺の予想どおりだったようだ。
ミリアが冒険者らしくもなく、剣さえ握ったことがない様子なのにも納得がいった。しかし俺は、ミリアが何気なく言った一言に意識が逸れていた。
――魔物なんかいない。
それは、本当だろうか。
かつてミリアが暮らしていた村の周辺には、魔物など存在していなかったということだろうか。
ミリアがたまたま見たことがなかっただけなのか。いや、そんなことがありえるのか。普通、魔物というものは幼い頃から身近な生物のはずだ。「魔物なんかいない」と言えるのは、あまりに不可解な話じゃないだろうか。
しかしミリアは俺の疑問に気づいていない様子のまま、続ける。
「……でもある日、耳にしたんです。精霊術士の素質を持った人間を狙う、盗賊団がいるんだって話を。あのとき村を襲った盗賊は、もしかしたら、わたしが狙いだったんじゃないかって。どこかでわたしのことを知って、わたしを捕まえようとして……。それなら、わたしのせいで、みんな殺されたのかもしれない……って」
俺はミリアの話に意識を戻す。
……なるほど。
別段、おかしな話でもないか。伝説級の秘宝や力を追い求めている奇怪な連中というのは、いつの世にも必ず存在しているものだ。精霊術士、と聞けば普通の人間は「ああ、おとぎ話の登場人物ね」と思うが、それを実在すると妄信し、追求し続けている人間がいたとしても不思議ではない。
もしも、おとぎ話級の魔術を我が物にできるのであれば。そんなことを考える連中なら、村一つ潰す程度の手段など厭わないだろう。
「わたしが精霊術士の素質を生まれ持ったのは、ほんとに、突然変異でした。両親も、周りの人も、みんな普通でしたから。みんな、わたしの力を知っても特別扱いはしないでくれた。その力は、絶対に使ってはいけない。人に絶対に言ってはいけない。普通の人間として過ごすように努力しなさい、って教えてくれたんです。本当に、危険な力だから。でも、もしかしたらそれって、精霊術士を狙う人たちがいるからなんじゃないか、って……」
精霊術士など、馬鹿げた嘘を。そう思っていた。
しかし今の話が作り話だとは思えない。これが丸々でっち上げならミリアは相当な役者だ。
だいたい、俺なんかを相手に嘘をついたところで、ミリアに利益はないだろう。俺は曲解することはせず、今はミリアの話を信じることにした。
しかし、それならそれで、一つ疑問だった。俺はどこか責めるような口調でミリアに苦言した。
「……なら。今のおまえはなんなんだ。両親の教えに反して、でかい声で精霊術士だって言い触らして。狙われる立場なら、ひっそりと身を隠して生きていたほうが、分相応というもの――」
「復讐です」
するとミリアは、はっきりとした口調で言った。
「もしもあの盗賊団が、またわたしを狙ってくるなら。精霊術士だって声を上げてまわれば、また向こうから来てくれるかもしれない。こんな小さな街じゃなくて、もっと大きな街に行ければ、きっと盗賊団の耳にも入ると思うんです。そしたらわたしは、わざと捕まって、そいつらのすぐ傍で精霊を呼び出してやるんです」
「……わざと捕まって?」
「はい。手加減なんかしない。そいつらに連れて行かれた先で、わたしは、わたしもやったことのない、全力の全開で精霊の力を解放して……わたしごと、そいつらを全部滅ぼしてやります」
精霊術士の素質を持つから狙われたのかもしれない。自分のせいで両親も村人も死なせたのかもしれない。
だから元凶であるその身に宿した精霊の力で、自分ごと仇を滅ぼして、復讐することを目論んでいるのか。
辺り一帯の火災を思い出す。少し間違っただけであの火力だ。精霊を全力で解放すれば、どうなることか――
「……やめておけ」
「やめません」
ミリアは、言われるとわかっていたかのように、即答した。
「だって、やめたら……わたしが、今生きてる意味、ないじゃないですか」
ミリアは、たった一人逃げ延びたのだと言っていた。両親も村人も、ミリアだけは逃がそうと。
生き残った自分が、生きている意味。それを考えたとき、ミリアには、その答えしかなかった――ということなのか。
無論、ミリアの周りの人間は、そのために逃がしたわけではないだろう。ミリアの両親も、自分の娘に復讐のために自滅してほしいだなんて思わないはずだ。ミリアの目論見は見当違いのただの自暴自棄だ。
……などと、憶測でそんなことを言うのは簡単だ。こんなの誰にだって言える。俺みたいな奴にだって。
だからこそ、ろくな言葉は出てこなかった。
「……だったら好きにしろ」
「はい。好きにします」
ミリアは、俯いていた顔を上げた。
キッと引きしめた表情から、今度は涙は流れていなかった。
しかし、気が緩んだように、笑みを漏らした。
「あの。……クロウ、さん。ありがとうございます」
「……何がだ?」
「これを人に話したの、初めてです。ありがとうございます、聞いてくれて」
笑って、細められた目には、滲むように薄っすら雫が溢れていた。けれどこぼれないように堪えている。
本当に、ころころと、いろんな表情をする奴だ。人の感情に触れたのは久しぶりだが、ここまで愚直で、自身の感情に素直すぎる奴は世の中的にも稀なんじゃないか。
「……俺もだ」
「はい?」
俺はあえて聞き取れないくらいにぼそりと言う。
ミリアは聞き返してくるが、俺は知らないふりをして再び岩に頭を預けて、瞼を閉じた。
……クロウさん。
妙に、むず痒い。
母親に呼ばれた以来、か。いや、母親以外には、呼ばれたことすらなかったかもしれない。
この名前も。体質のことも。
話したのは、おそらくミリアが初めてだった。
「それが毒だ。触るなよ」
ミリアの目の前のワームが、口腔からどろりとした体液を垂らす。
俺は狼狽えているミリアの前に出て、ワームの体を掴み、ナイフを差し込む。裂け目からは口腔から垂れたものと同じ、毒のある体液が流れ出て俺の手に付着する。
ワームには特定の毒を作り出す器官というものがなく、人間にとっては体液そのものが有毒になる。愚鈍だから仕留めるのは容易いが、普通なら解体には骨が折れることだろう。
しかし俺は構わずワームを掴んだままナイフを引き抜き、解体を始める。
「さ、触るなって、今自分で言いませんでした……?」
のたうっていたワームが次第に力尽きていくのを戦々恐々と眺めながら、ミリアは不可解そうに聞いてくる。
そういえば、俺がこうして素材狩りをしているところを人に見られるのは、初めてだったかもしれない。
「おまえは、触るなというだけだ」
「あ、あなたは、なんで平気なんですか……?」
なんで、と聞かれても安易には答えられない。
するとミリアは思い出したように言った。
「……あの。あなたの名前は、まだ教えてもらえないんですか?」
「……」
俺はワームの解体作業に集中するふりをする。
「わたしには、教えたくないってことですか? 教えるに足らない、ってことですか……?」
ミリアは、解体されるワームを見ているのか、それとも解体する俺を見ているのか。こちらをじっと見下ろして聞いてくる。
今の俺はただの名無しだ。それこそ「毒漬け僧侶」とでもなんでも勝手に呼んでくれていい。
名前があった頃の俺は、今の俺には不要なものだった。
「無駄口叩くな。早く次を捜せ」
「あっ……は、はい! ご、ごめんなさい……」
ミリアははっとして、おろおろと次を捜し始める。
それにしても、ミリアという少女は少し素直すぎやしないだろうか。
いくら毒で弱っていたところを運ばれた接点があるとはいえ、こうも無警戒についてきてあっさり言うことに従うとは。火災について罪悪感があるにしても、償う相手は俺じゃなくあの冒険者パーティとこの森だろうに。
というと、俺も俺で、なぜミリアに依頼の手伝いをさせているのかわからないのだが。茫然自失としているミリアに、何かしら罰の代わりを与えようとでも思ったのだろうか。
しかしミリアは手伝いにはまったく適していないことがよくわかった。ワームという平凡な魔物の基礎知識さえないし、それどころか驚くし、剣すら初めて握ったような手つきだ。
駆け出しの冒険者でももっとマシだろう。そのわりに熟練パーティに入れてくれと頼み込んだりと、俺にはどうにもやはり、このミリアという少女の目的がわからなかった。
「きゃーっ! あ、あれ! あれなんですか!?」
ミリアが唐突に甲高い声で叫んだ。
悲鳴のほうに驚いて俺は顔を上げる。
ミリアが指差す方向にいたもの。それは、全長がミリアの二倍ほどはある、ここいらでは比較的大型とされる魔物だ。
普段は四足歩行だが、今は二足で立ち上がってこちらを睨んでいる。ずんぐりとした毛むくじゃらの見た目に、鋭い牙を持っているそいつは、この森では最も注意を要するとされる、ファングベアだった。
げ、という声が思わず出そうになる。
ファングベアの縄張りは森の最奥部だ。いつも俺は森の入り口付近を徘徊しているから、遭遇することは滅多にない。それでももし遭遇してしまった場合は、騒ぎ立てることなく、ゆっくりと後退して視界から消え失せれば、向こうも無闇に襲ってくることはしない。
しかし今は、かなり気が立っている様子な上に、どうしてこんなところにいるのかといえば、先ほどの火災以外に原因はないだろう。森の異常を感じ取って、いつもの縄張りを離れて巡回していたのかもしれない。ミリアが叫び声を上げたこともあり、余計にファングベアは臨戦態勢だった。
一人ならこの時点で脇目も振らず逃げ出すところだが、それだとミリアを置いていくことになる。
冒険者に毛すら生えていないほどのど素人のミリアでは、置いてけぼりにされればどうなるかは簡単に想像がつく。
顔も知って、名前も知ってしまった今となっては、それがファングベアに無惨に頂かれているところは想像したくなかった。
「ミリア。これ以上刺激するな」
俺は小声でミリアに指示を出す。
今のミリアとファングベアの位置は近すぎる。まずはなんとか距離を離さなければ。
しかしミリアは震えて、今にも再び叫び出しそうだった。
「死に、たくない……」
ミリアは足腰をカタカタと震わせたまま、呟く。
「いやだ……お父さん、お母さんっ……!」
ミリアの振り絞ったような声に、ファングベアは、ゴウ、というくぐもった唸り声を上げた。
四つ足になり、こちらに突進してくる。
まずい。こうなったらもう走って逃げるしかない。しかしミリアは依然震えてその場に固まっている。
仕方がない。躊躇ってはいられない。
最終手段、しかないか。
俺はミリアを押し退けて、ファングベアの前に出る。
ファングベアは口を大きく開けて、鋭く生え揃った牙で俺に噛みつこうとする。
俺はその口に、自ら自分の腕を突っ込んだ。ファングベアは一瞬怯みこそしたものの、俺の腕にさらに深く牙を立て、唸りながら食らいついてくる。
骨ごと粉砕されそうな激痛に顔が引きつり、歪むのが自分でもわかるが、しかし恐怖心はなかった。
「ああ、食えよ。いいぞ」
差し出すように、俺は腕をさらに口腔へ押し込む。
皮膚はとっくに裂けて、ちぎれて、ドロドロと血が流れ出している。
腕の感覚がなくなってきた。このまま片腕がなくなってもおかしくないかもしれない。
けど。そろそろ、のはずだ。
「ただし、おまえの身体には、俺は“毒”だがな」
予想的中。
ファングベアは唐突に弱々しい鳴き声を上げ、慌てて牙を離した。
ガフッ、と咳き込み、口内からは俺の血が飛ぶ。その血を必死に吐き出そうとしているかのように、ファングベアは地面に口の先を擦りつけ、頭を振り、悶え苦しみながら転がるように逃げていった。
住処で火災が起き、気が立っていたところに、さらに甲高い悲鳴で刺激してしまってファングベアには申し訳ないことをした。まああの程度じゃ死には至らないだろう。
ある意味、出会ったのが知性の高い魔物でよかった。知性が低ければそんなのお構いなしに食いちぎられていたかもしれない。
ふう、と一息吐き出すと、腕のことを思い出した。
腕からはだらだらと血が流れ、ひくひくと痙攣していた。使い物になるだろうか、と若干冷静さを取り戻すと、どっと汗が吹き出てきた。
「ど――毒漬け僧侶さんっ!!」
俺に押し退けられたままへたり込んでいたらしいミリアが、慌てて駆け寄ってくる。
「ごめんなさい! わ、わたし……! じゃなくて! それよりも、ま、街に! 急いで街に戻りましょう!!」
ミリアは俺の腕の出血量を見て、顔面蒼白になっている。
勢い余ってか、ミリアの手は俺の血に触れてきそうになっていた。
「触るな」
俺は腕を体の内側に庇うようにして、ミリアから距離を取る。
いつも一人でやっている怪我の処置と同じように、まずは止血をする。真っ青なままのミリアを引き連れて、なるべく急ぎ足でその場を離れる。
適当な岩場に俺は腰を下ろす。痛みと出血で目眩がしているが、骨は真っ二つにはなっていなさそうだ。噛ませた腕は当然利き腕じゃないし、しばらく安静にしていればなんとかなるだろう。
「あのっ……。や、やっぱり、街に戻ったほうが……!」
俺の傍に膝をついて、必死に説得するようにミリアは続ける。
「ギルドなら、治癒術もかけてくれますよ! 魔素から作ったお薬だってあります! そっちのほうが絶対いいですよ! こういうの、放置しちゃだめですよ!」
ミリアの目には涙が溜まっていた。
訴えかけてくるその表情は真剣そのものだ。なぜここまで必死なのかといえば、自身の罪悪感と、俺への心配以外にないだろう。
しかしそれに応えることが俺にはできなかった。
「なんで黙ってるんですか!! そ、そのままじゃ、もしかしたら、死――」
俺が黙っているからか、徐々に弱ってきていると思われているのだろうか。
そういうわけじゃないんだが。それにミリアの言うとおりなのはさすがにわかっている。
街に戻れば、金さえ払えばちゃんとした治療を受けられる。薬もあれば、治癒魔術もかけてもらえる。
ミリアの判断のほうが常識的だ。ただ、俺にとっては、そうじゃないというだけで。
「……放置じゃない。薬も治癒術も、それをかけられるほうが、俺は死ぬ」
「どういうことですか!? わけわかんないですっ!!」
ミリアは首を振って、ボロボロと泣き出した。
「だって、わたし……わたしのせいで……っ」
人が怪我をした程度で、こうもパニックになったり泣いたりと、ころころ変化する表情を見ていると、不思議な感覚に陥った。
人の感情をこうして目の当たりにするのは、いつぶりだろうか。まるで他人事のように、場違いなことを考える。
長らくぶりなのはわかるが、それがどの程度の年月なのか思い出せない。そもそも人の感情に最後に触れたのが、いつなのか。
感情って、こんなに熱を持ったものだったか。こんな小さな少女一人が生み出しているとは思えないほどの熱の余波が、こちらまで押し寄せてきているように感じる。
ミリアがこぼした涙が、俺の手の甲に落ちていた。
「……誰にも言うなよ」
「えっ?」
ミリアが治癒術の使える魔術士じゃなくて本当によかった。と実は密かに安堵していた。
いきなりそれをかけられたら、俺の腕は消し飛んでいたかもしれないのだから。
「約束できるな?」
「な、何がです?」
「門外不出だ」
「えっ? な、何か、秘密が……? な、何か、すごい技でもあるんですかっ!?」
ミリアは、俺が何かとんでもない魔術でも使う気なんじゃないかと勘違いしたのか、身構えている。
俺は、呆れにも似たため息を一つ吐き出してから、話し出した。
「べつに、技じゃない。ただの体質だな」
「体質?」
目を瞬かせるミリアに、変な期待は持たせないように俺は言う。
「そうだ。体質だ。俺の身体は、あらゆる魔素を反発する体質なんだ」
「は、反発……?」
「魔物は、その体内に魔素を多く含んだ生物だ。だからさっきのファングベアにとって、魔素を反発する仕組みを持った俺の肉体は毒に等しかった。ああして噛みついて、俺の血だったり肉だったり体液だったりを取り込めば、あいつの体内で拒絶反応のような反発が起こり、刺激になる。摂取しすぎればおそらく死ぬ」
俺の説明に、ミリアはきょとんとしていた。
言葉だけ理解はできてもピンとはこないのだろう。俺だっていまだにそうだ。
けれど、そういうものなのだから、そうとしか言えなかった。
「そういう体質だ」
「体質なんですか……」
「体質だ。生まれつきのな」
べつに俺自身が望んだ身体なわけじゃない。
生まれたときからこうなのだから、選択の自由などなかった。
「あ、あなたは、平気なんですか? その、魔素を反発する体質だっていうなら、魔物に触れたりしたら、あなたの身体のほうにも、その、拒絶反応が……」
「いや。あくまで反発だからな。体内にさえ取り込まなければ、俺の肉体は魔素をただ弾くだけだ。身体の外側、という逃がす場所がある限りは平気だ。だからな……」
「だから?」
「俺の肉体にとってとんでもなく危険なのが、治癒術だ」
俺が言うと、ミリアははっと息を呑んだ。
若干期待していたどおりの反応、いや、期待を軽く上回る反応だったせいで、妙に間抜けに見えて少しおかしかった。
「あれは対象者の肉体そのものに働きかける魔術だろう。魔術っていうのは凝縮された魔素の塊だ。だからそれをかけられると、俺の肉体は、外から入ってくる魔術と、それを反発しようとする体質に板挟みにされる」
「……されたら、どうなるんですか?」
「さあな。俺自身はかけられたことがないからな」
俺自身は、だが。話だけなら聞いたことがある。が、どうなるかだなんてだいたい想像がつく。
ざっと説明は終わった。俺が街へ戻るのを嫌がる理由にも、納得がいったことだろう。これでミリアも少しは静かになるはずだ。
岩に頭を預けていると、ふと思い当たったように、ミリアは言った。
「なんだか……呪いみたいですね」
ミリアが言った言葉に、俺は微かに目を見開く。
――呪い。
呪い、か。まあ、そうか。
魔素を反発する体質。治癒魔術でも、魔素から作られた薬でも、魔物の毒であっても、魔素が含まれていればありとあらゆるものを排除しようとする力。
それのおかげでこの毒の森でも悠々と生活ができるのだが、話したとおり有利なことばかりじゃない。
駆け出しの冒険者であっても初級の治癒魔術ぐらいは大抵簡単に使いこなせる。魔物を使った肉や、魔素から作った薬、道具なども大量にある。魔素からできている魔物・魔術はもはや生活から切っても切り離せない存在だ。
それをもし知らずに取り込んでしまったら。他人の魔術を喰らうことがあったら。俺の身体は内部から破壊されるに違いない。
この体質は、殊更他人と交わって生活するには向かないのだ。
「どこでどうして、そんな体質になったんですか? そんなの、ほとんど、枷じゃないですか。呪いと同じです」
ミリアは、どこか憎らしげに言う。
枷。呪い。
そうだ。そのとおりだな。
しかし俺の中では、ふつふつと感情が湧き上がっていた。
……ミリアが俺に名前を「なんでもいい」と無碍にされたときも、こういう感覚だったのだろうか。
「ミリア」
「は、はいっ」
思っていた以上にどすの利いた声が出たのか、ミリアは条件反射のように素早く背筋を正した。
「……クロウだ」
俺は、ぼそりと口にする。
もののついでだ。独り言をたまたまミリアの耳が拾っていればいい、という感覚で口にした。
「はい?」
ミリアは、きょとんとして、聞き返すように首を傾げる。
べつに誰に言うつもりもなかった。体質のことも、誰に言うこともなく、この森で淡々と時間が流れ過ぎていくのに身を任せているだけだと。
そして誰に知られることもなく、俺はいずれどこかでひっそり死ぬのだろうと思っていた。
名前どころか、俺という存在がどこにも残ることはなく。
「名前だ。それからもう一つ。母親から譲り受けて、大切にし続けているものがある」
俺がそう言うと、ミリアは先に悟ったように、表情を固くした。
「この体質だ」
ミリアは、これを呪いだと言った。
そのとおりだ。こんな体質は枷でしかない。これはたしかに呪いなんだ。
けれどそれでも、大切だった母親から譲り受けたものだ。母親が俺に残していった、大切な遺伝子としての象徴だった。
「……ご、ごめんなさい。わたし、呪いだとか、言っちゃって……」
するとミリアはまた、ポロポロと泣き出した。
あまりに素直すぎる反応に、俺のほうがばつが悪くなる。
「なんで泣く」
「いえ……。ごめんなさい。あなたにも、そういうのがあって、わたし、無神経だったなって……」
「……べつに、そこまで怒ってない」
言われた瞬間は、たしかに怒りに似たようなものが湧いたが、こうもさめざめと泣かれるとその気も失せる。
「あと……。お父さんとお母さんのこと、思い出しちゃって……。ごめんなさい、わたし、勝手で……」
そういえば、ミリアの両親は、亡くなったとの話だったか。
亡くしたとは言われてはいないが、口振りからして良い別れではなかったことぐらいわかる。
「両親とは、死に別れか」
俺が確認をとると、ミリアはこくんと頷く。
「なぜ亡くした?」
ミリアのあまりに感情的な姿に、思わず口をついて疑問が出てきた。
言ってから、しまったと気づく。軽々しく聞いていいものじゃないんじゃないか。
しかしミリアは、ぽつぽつと語りだした。
「……盗賊に殺されたんです。わたしの両親だけじゃない。わたしの村の人、みんな……。わたしには、何がなんだかわからなかった。突然変な人たちが村に押し掛けてきて、みんなを捕まえて、村に火を放って……。わたしたちは、誰も悪いことなんてしてない。ただ普通に生活してただけなのに……」
ミリアは、そのときのことを思い出したのか、唇を震わせて顔を覆った。
俺の隣に並ぶように座り込んで、膝に顔を伏せながら続ける。
「本当に、普通の、山間にある小さな村だったんです。魔物なんかいない、平和で、静かなところで……。みんな、わたしだけはって、必死に逃がしてくれたんです。逃げ延びて、両親の知り合いの人のところに匿ってもらって、点々と渡り歩いて……。でもそのうち、街から街へ移動するには、冒険者のパーティにくっついていくのが一番いいって、思ったんです」
山間の小さな村。そこから逃げ延びることができたのは、本当に運が良かったのか。細かな過程はわからないが、冒険者と関わるようになってからは、俺の予想どおりだったようだ。
ミリアが冒険者らしくもなく、剣さえ握ったことがない様子なのにも納得がいった。しかし俺は、ミリアが何気なく言った一言に意識が逸れていた。
――魔物なんかいない。
それは、本当だろうか。
かつてミリアが暮らしていた村の周辺には、魔物など存在していなかったということだろうか。
ミリアがたまたま見たことがなかっただけなのか。いや、そんなことがありえるのか。普通、魔物というものは幼い頃から身近な生物のはずだ。「魔物なんかいない」と言えるのは、あまりに不可解な話じゃないだろうか。
しかしミリアは俺の疑問に気づいていない様子のまま、続ける。
「……でもある日、耳にしたんです。精霊術士の素質を持った人間を狙う、盗賊団がいるんだって話を。あのとき村を襲った盗賊は、もしかしたら、わたしが狙いだったんじゃないかって。どこかでわたしのことを知って、わたしを捕まえようとして……。それなら、わたしのせいで、みんな殺されたのかもしれない……って」
俺はミリアの話に意識を戻す。
……なるほど。
別段、おかしな話でもないか。伝説級の秘宝や力を追い求めている奇怪な連中というのは、いつの世にも必ず存在しているものだ。精霊術士、と聞けば普通の人間は「ああ、おとぎ話の登場人物ね」と思うが、それを実在すると妄信し、追求し続けている人間がいたとしても不思議ではない。
もしも、おとぎ話級の魔術を我が物にできるのであれば。そんなことを考える連中なら、村一つ潰す程度の手段など厭わないだろう。
「わたしが精霊術士の素質を生まれ持ったのは、ほんとに、突然変異でした。両親も、周りの人も、みんな普通でしたから。みんな、わたしの力を知っても特別扱いはしないでくれた。その力は、絶対に使ってはいけない。人に絶対に言ってはいけない。普通の人間として過ごすように努力しなさい、って教えてくれたんです。本当に、危険な力だから。でも、もしかしたらそれって、精霊術士を狙う人たちがいるからなんじゃないか、って……」
精霊術士など、馬鹿げた嘘を。そう思っていた。
しかし今の話が作り話だとは思えない。これが丸々でっち上げならミリアは相当な役者だ。
だいたい、俺なんかを相手に嘘をついたところで、ミリアに利益はないだろう。俺は曲解することはせず、今はミリアの話を信じることにした。
しかし、それならそれで、一つ疑問だった。俺はどこか責めるような口調でミリアに苦言した。
「……なら。今のおまえはなんなんだ。両親の教えに反して、でかい声で精霊術士だって言い触らして。狙われる立場なら、ひっそりと身を隠して生きていたほうが、分相応というもの――」
「復讐です」
するとミリアは、はっきりとした口調で言った。
「もしもあの盗賊団が、またわたしを狙ってくるなら。精霊術士だって声を上げてまわれば、また向こうから来てくれるかもしれない。こんな小さな街じゃなくて、もっと大きな街に行ければ、きっと盗賊団の耳にも入ると思うんです。そしたらわたしは、わざと捕まって、そいつらのすぐ傍で精霊を呼び出してやるんです」
「……わざと捕まって?」
「はい。手加減なんかしない。そいつらに連れて行かれた先で、わたしは、わたしもやったことのない、全力の全開で精霊の力を解放して……わたしごと、そいつらを全部滅ぼしてやります」
精霊術士の素質を持つから狙われたのかもしれない。自分のせいで両親も村人も死なせたのかもしれない。
だから元凶であるその身に宿した精霊の力で、自分ごと仇を滅ぼして、復讐することを目論んでいるのか。
辺り一帯の火災を思い出す。少し間違っただけであの火力だ。精霊を全力で解放すれば、どうなることか――
「……やめておけ」
「やめません」
ミリアは、言われるとわかっていたかのように、即答した。
「だって、やめたら……わたしが、今生きてる意味、ないじゃないですか」
ミリアは、たった一人逃げ延びたのだと言っていた。両親も村人も、ミリアだけは逃がそうと。
生き残った自分が、生きている意味。それを考えたとき、ミリアには、その答えしかなかった――ということなのか。
無論、ミリアの周りの人間は、そのために逃がしたわけではないだろう。ミリアの両親も、自分の娘に復讐のために自滅してほしいだなんて思わないはずだ。ミリアの目論見は見当違いのただの自暴自棄だ。
……などと、憶測でそんなことを言うのは簡単だ。こんなの誰にだって言える。俺みたいな奴にだって。
だからこそ、ろくな言葉は出てこなかった。
「……だったら好きにしろ」
「はい。好きにします」
ミリアは、俯いていた顔を上げた。
キッと引きしめた表情から、今度は涙は流れていなかった。
しかし、気が緩んだように、笑みを漏らした。
「あの。……クロウ、さん。ありがとうございます」
「……何がだ?」
「これを人に話したの、初めてです。ありがとうございます、聞いてくれて」
笑って、細められた目には、滲むように薄っすら雫が溢れていた。けれどこぼれないように堪えている。
本当に、ころころと、いろんな表情をする奴だ。人の感情に触れたのは久しぶりだが、ここまで愚直で、自身の感情に素直すぎる奴は世の中的にも稀なんじゃないか。
「……俺もだ」
「はい?」
俺はあえて聞き取れないくらいにぼそりと言う。
ミリアは聞き返してくるが、俺は知らないふりをして再び岩に頭を預けて、瞼を閉じた。
……クロウさん。
妙に、むず痒い。
母親に呼ばれた以来、か。いや、母親以外には、呼ばれたことすらなかったかもしれない。
この名前も。体質のことも。
話したのは、おそらくミリアが初めてだった。
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