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第一章 降龍の谷と盗賊王
第十四話 龍の伝説
しおりを挟む「この砦は、古の王たちが隠れ住んだとされる場所だ。千頭の龍によって、護られたと言う伝説から、"降龍の谷"と呼ばれる様になった…」
薄暗く長い通路を歩きながら、玄徳は語った。
その後ろを、孟徳は黙って付いて歩いている。
「古の王は…人々と同じ暮らしをし、同じ衣服を纏い、同じ物を食べた。人々は、一体誰が統治者であるのかさえ知らなかったと言う…人の上に立つ者とは、そうあるべきだと、思わないか…?」
玄徳は振り返って、孟徳を見た。
「…さあ、どうだろうな…」
孟徳は曖昧に返事をした。
何故そんな話を自分にするのか、玄徳の真意を計り兼ねていた。
玄徳は更に、言葉を続けた。
「権力を振り翳し、贅沢な暮らしをするのが王では無い…」
二人はやがて、広い空間に辿り着いた。そこは、兵士たちの訓練場だった。
広場の先は空に繋がっており、そこから雨が降り注いでいる。
傍にあった剣を手に取り、玄徳は振り返って孟徳を見ると、それを投げて渡した。
「孟徳、剣を構えよ…!」
「え…?!」
唐突に言われ、孟徳は戸惑った。
玄徳は、背中の大剣を抜き取る。
「そちらから来ぬなら、こっちから行くぞ…!!」
そう言うと、いきなり斬り掛かって来た。
孟徳は素早く剣を鞘から抜き放ち、大剣を受け止めた。
その衝撃は、想像以上に大きく、孟徳の腕は激しく痺れた。
右肩の傷口に激痛が伝わって来る。
「くっ…!!」
思わず顔をしかめ、後退る。
玄徳は容赦無く、剣を打ち出して来る。
孟徳は逃げ惑う様にしながら、玄徳の剣を跳ね返した。
強い…!!
奉先と同じくらいか…いや、それより上かも知れぬ…!!
数合打ち合うと、孟徳の息は乱れた。
それでも玄徳は手を緩めず、更に攻撃を繰り返す。
やがて孟徳の体は、大剣の威力に堪えかね、よろけて片膝を地面に突いた。
「はぁ、はぁ…!」
「何だ、お前の腕はその程度のものか…」
玄徳は、冷ややかに見下ろしながら言った。
孟徳は右肩を押さえながら顔を上げ、玄徳を睨み返した。
「…くそっ!!」
再び立ち上がり、剣を構え直して玄徳と対峙する。
「ようやく、本気になったか…」
玄徳はほんの少し、口の両端を上げた。
孟徳の目から、殺気立った光の揺らめきが見て取れた。
空から降りて来る、青白い光と雨粒たちが、二人の背後に幻想的に広がっている。
突如雷光が閃き、二人の影を浮き上がらせた。
その瞬間、孟徳は剣先を閃かせ、玄徳に鋭く剣を放った。
玄徳は素早くその剣を躱し、跳ね返したが、直ぐに次の一撃が飛んで来た。
今度は、玄徳が防御する立場に回る。冷静に、孟徳の打ち出す一撃一撃を確実に受け止め、弾き返した。
初めての打ち合いだが、孟徳には、玄徳が既に自分の剣を見切っている様に感じられた。決定的な一撃が入らない。
一度孟徳は下がり、玄徳と距離を開いた。
「お前の剣は、奉先から習ったのか…?」
「ああ、そうだ…!」
それを聞くと、得心が行ったという面持ちで、玄徳は孟徳を見詰めた。
「その男の事だが…悪い事は言わぬ、諦めろ…!」
「どういう意味だ…?」
孟徳は、玄徳を見詰めたまま、怪訝な顔で、構えていた剣を下げた。
「その男には、良い兆しが見えぬ…」
真剣な眼差しを注ぎながら、玄徳は答えた。
孟徳は押し黙ったまま、玄徳を見詰めていたが、やがて俯きながら言った。
「お前の"予言"と言うやつか…分かった…」
そう言うと、玄徳に背を向けて歩き出す。
「協力出来ぬと言うなら、構わぬ…!俺たちだけで、何とかする…!」
「どちらかが、死ぬ事になってもか…?!」
玄徳は、呼び止める様に言った。
その時、再び雷光が閃き、孟徳は立ち止まった。
「…死は、誰にでも訪れる。生き永らえる事が重要か…?」
呟く様に言うと、孟徳は振り返った。
「お前は、この砦に人々を押し込め、護っているつもりだろうが、それは違う…!お前は、運命に立ち向かう事を、恐れているだけだ…!」
暫し黙して、孟徳を見詰めていた玄徳は、静かに口を開いた。
「その先に滅びが見えていて、その道を進むのは、愚の極みと言うものだ…」
「俺は、そうは思わない…!大事なのは、命の長さでは無い、どう生きるかだ…!」
二人は対峙したまま、無言で睨み合った。
やがて、孟徳は表情を少しだけ和らげ、真っ直ぐに玄徳を見詰めて言った。
「俺は、奉先と共に生き、共に死ぬ…!それだけで良い…!」
孟徳は再び背を向けると、後ろを振り向く事無く、その場を去った。
明明が、一本の紐を両端で括ったものを、器用に指に巻き付け、様々な形を作って見せている。
「へぇ、上手なものですね!!」
それを見て、虎淵は感嘆を漏らす。
「"あやとり"ですよ。ほら、東京塔!!」
「え?え?とう、きょう…?」
笑顔でそれを披露する明明を、虎淵は目を白黒させて見ている。
二人は、燭台の明かりが灯った小さな一室で、筵を並べて寛《くつろ》いでいた。
そこへ、扉を激しく開いて、孟徳が入って来た。
「あ、孟徳様!師亜様のお話は、もう宜しいのですか?」
孟徳は、きっと虎淵を鋭く睨むと、彼の両頬を強く掴んで引っ張った。
「お前、いつからあいつを、"師亜様"なんて、呼ぶ様になったんだ?!」
「しゅ、しゅみましぇん…!明明しゃんがそう呼ぶのれ、つい…!」
虎淵は慌てて弁解する。
「此処を出る…!あいつは、俺たちに協力する気は無い!此処に居る理由は、無くなった…!」
そう言って孟徳は立ち上がると、再び部屋を出て行こうとする。
「え…!今からですか…?!」
「外は雨ですよ…!もう夜遅いですし、明日になさってはいかがですか?」
慌てて虎淵が立ち上がり、明明は引き止めたが、孟徳はそのまま部屋を出て行ってしまった。
「明明ちゃん、色々とお世話になりました…!」
虎淵は振り返りながら言うと、急いで孟徳の後を追い掛けて行った。
砦の外は、激しい雨となっていた。辺りを雷光が照らし、雷が鳴り響いている。
孟徳は一瞬躊躇したが、雨の中足を踏み出した。
二人は、雷鳴が轟く暴雨の中を、借りて来た二頭の馬に乗って、砦から出て行った。
その様子を、小さな雨戸を開け、玄徳は暗い表情で見詰めていた。
「兄者、あの二人出て行った様だな…」
立ち尽くす玄徳に、雲長がそっと声を掛けた。
「仕方が無い…あいつが選択した事だ…」
玄徳は振り向かず、降りしきる雨の外を、じっと見詰めたまま答えた。
「兄者がどんな選択をしようと、俺たちは兄者に付いて行く…!」
振り返ると、そこには雲長だけでは無く、翼徳と明明の姿もある。
玄徳はただ黙って目を細め、彼らの姿を見詰めた。
鄭邑の城では、刺史の暁塊と呂興将軍の前に、集められた十数名の配下たちが、整然と並んでいた。
「結局…師亜を討ち取る事は出来なかった、と言う訳か…!」
暁塊は、手に握った鮮やかな翡翠の首飾りを、全員の前に示しながら、忌々しげに言った。
「あんな小僧に、出来る訳が無い…!」
「よくもおめおめと戻って来られたものだ…!」
「我々の恥さらしではないか…!」
並んだ配下たちの間から、数々の罵声が上がる。
血濡れた衣服を着替え、額の傷に包帯を巻いた奉先は、罵声が飛び交う中、黙して目を伏せたまま、暁会と呂興将軍の前に立っていた。
呂興将軍は、ただじっと奉先の様子を見詰めている。
「お前たち、黙れ!!」
突然、暁会が声を荒げて怒声を放つと、辺りは水を打った様に静まった。
「貴様らの中で、師亜に指一本でも触れた奴はいるか…?!」
そう言われ、罵声を上げていた配下たちは、皆目を伏せ俯く。
「だが、こいつはどうだ?あの忌々しい小僧から、首飾りを奪って来た…!上出来ではないか…!」
一転して暁会は上機嫌となり、奉先の傍まで歩み寄ると、彼の肩を強く叩いた。
「わしはこいつが気に入ったぞ!わしの護衛にしたい程だ…!」
そう言って笑うと、今度は唖然とする奉先の背中を、ばしばしと何度も叩いた。
暁会の力の強さに、思わず顔を歪め、苦笑いを浮かべる。
「これは戦利品だ、お主にやろう…!」
暁会は、奉先の肩を強く抱き寄せる様にして、厳つい顔を近付け、奉先の手に師亜の首飾りを握らせた。
それから、呂興将軍の方を振り返って言った。
「討伐軍の準備は、出来ているであろう…!次こそは、師亜を始末してくれねばならぬぞ!」
「心配無用…直ぐにでも、出陣の準備は出来ている…!」
呂興将軍は、険しい表情を崩さぬまま答えた。
屋敷の外は、激しい雨が降り注いでいる。
時折、雲間から稲妻が走り、辺りに雷鳴が鳴り響く。
呂興将軍の部屋へ通された奉先は、将軍と二人きりで向かい合っていた。
そこへ美しい妾が現れ、二人の前に酒器を置き、優雅な手つきで酒を器へ注いだ。
「お前はもう、戻って来ぬと思っていたぞ…」
そう言って将軍は器を手に取り、薄笑いを浮かべながら、奉先にも取るよう目で促した。
「偵察の兵に、尾行されていた…お陰で、俺の居所を師亜に掴まれた…」
酒器に手を伸ばさず、真っ直ぐ見据えて答える奉先を、将軍は鼻で笑った。
「ふんっ…失敗は、わしのせいだと言いたいのか?だが、お前が師亜を引き付けている間に、砦に侵入し、偵察は成功した。少しは役に立ったぞ…!」
そう言うと将軍は、手に取った酒を煽った。
「俺を囮に、師亜を砦から誘い出せたという訳ですか…」
奉先が皮肉った様な口調で言うと、将軍は彼の目を睨みつけた。
「これも戦略と言うものよ…!上手く行けば、お前が師亜を斃したかも知れぬしな。だが、お前は師亜を斃せなかった…いや、斃す機会が有りながら、そうしなかった…違うか?」
将軍は、何もかも見透かしている、と言わんばかりの顔つきをしている。
「俺が不首尾で戻る事を…最初から、見抜いておられたのか…」
将軍はにやりと笑った。
「だが、約束は約束だ…忘れたとは言わせぬぞ…!」
そう言いながら、自分の器に酒を注ぎ始めた。
「さあ取れ、ここで誓って貰おう…!一生わしの命に従うとな…!」
将軍は、酒器を高く掲げる様な仕草で、奉先の前へ差し出した。
自分の前に置かれた酒器に、ゆっくりと目を落とした奉先は、押し黙ったまま、それを手に取った。
「良い案がある…!お前を今日から、わしの義弟とする…!」
「?!」
将軍のその言葉に、奉先は驚きを隠さぬ表情をした。
「わしとお前は、義兄弟だ!生死を共にすると誓おう…!これからは、呂姓を名乗るが良い…!」
更に将軍は、困惑する奉先に構わず続ける。
「名は…そうだな、お前の武勇は、楚漢の猛将"黥布"にも匹敵する。故に"布"としよう…!」
そう言うと、器の酒を一気に飲み干した。
「呂布奉先…!それがお前の名だ…!」
将軍は、空にした酒器を床に置き、奉先にも同じ様にせよと目配せをする。
奉先は、酒器の中の濁った酒が、燭台の明かりできらきらと煌めいているのを、ぼんやりとした瞳で見詰めていた。
「呂布…奉先…」
そう自分の名を呟くと、やがて酒を口へ運んだ。
その時、部屋の外から、将軍の側近の声が聞こえて来た。
「将軍、面会を望む者が参っております…!」
「誰だ…?」
将軍は席に座したまま、外へ声を掛けた。
「趙泌…と名乗っております。」
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