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トライアングル編
6.シリウスの枷 ※R18
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結斗は昔から、酒を飲むとやたらにキスをしたがる男だった。
出会った頃から恋仲として付き合っていた時期を回想して、大河はその事実の脳裏で反芻する。
仲間内で飲む機会があると、男相手に誰彼構わずくっついて、頬に唇を寄せる真似をした。
本人曰く、親愛の表現らしい。
旧知の仲である後輩に絡み、エスカレートすれば唇を奪いかけることもあったが、相手からは冷静に、やめてください、としっかり拒絶されたりしていたものだ。
大河は結斗のそういうところが嫌いだったし、酒に強いことを知っていたから、酔ったふりで羽目を外して見せる姿に苛立ちもした。
かと思えば、恋人である大河とふたりきりになり、素面でキスを交わすと時折りぎくりと身構えたり、目を逸らせて笑ってごまかす。
当初その仕草を、照れてんのか、と大河は都合良く解釈していた。
付き合いが長くなるにつれ、結斗はキスの先にある行為を避けたくて困っているのだと気づいてしまって、口づけひとつでも拒まれるのではないかと思えば簡単にできるものでもなくなった。
そうしているうちに仕事が立て込み、ろくに触れ合う機会もないまま、大河と結斗の恋愛関係は終焉を迎えたのである。
恋人という存在がなくなった結斗は、特定の相手を作るような素振りは見せなかったけれど、大河の知らないところで何をしているかはわからない。
しかし適当に女と遊ぶくらいのことはしているだろうという予測はしていたが、まさかルカに手を出すとは思わなかった。
結斗なりに思い悩んで、切羽詰まった行動に出てしまったのだとわかってはいる。
軽い気持ちでふざけたわけでもない。
そうさせたのは結斗に言えないような関係を、ルカと結んでいた自分のせいも大いにあると大河は自責していた。
あの日以降、結斗が飲みの席で後輩に絡んだもしても、キスを迫るような姿は見ていない。
好きでもない相手とするなと叫んだ大河の気持ちを、少しは理解したのだろうか。
キスはいやじゃない、と大河に唇を重ねてきた結斗は、あのときも酒を飲んでいた。
アルコールのせいにしてされたキスに大河の望むような意味はなく、結斗がルカにも手を出した衝撃で、それ自体がうやむやになってしまった。
隠しごとがなくなった大河に安心したような結斗は、以前に比べて自然な笑みが増えたように思う。
それを喜んでいいのか、大河はわからない。
あの後ルカに結斗から何をされたのかと問い詰めたら、キスをされただけ、と教えられた。
それだけで済んで良かったと言うべきか、やっぱり好きじゃなくてもできるんじゃねえか、とまた苛立ちもしてしまう。
結斗の感覚では、好きなら恋愛感情ではなくてもキスをしたくなるだけなのだろう。
異国で生まれ育ったルカがそういう感性なら納得もできるが、ルカの母国では友人同士が頬にキスを交わす習慣もないらしい。
やはりキスは、恋愛関係にある者同士でだけ行う特別な行為、とルカも認識しているのだ。
結斗の言動に振り回されるのはいつものことだが、想いは一層複雑になってしまった。
ずっと一緒にいたいのだと願う結斗の姿を思い返すたびに、大河の胸はぐっと締めつけられる。
同じ願いを抱いているはずなのに、決定的にすれ違う想いは結斗に届かない。
結局何も解決しないまま、大河は胸の靄を振り払うように可能な限り小さな仕事でも受け、ほとんど休みなくスケジュールを埋めていた。
個人の音楽活動では新曲制作やライブに加えサポートメンバーとしての依頼を忙しなくこなし、グループとしても数ヶ月後に発表される案件の撮影やメディアへの露出が多かった。
グループでの活動は、純粋に音楽だけ奏でていれば良いという仕事でもない。
不得手なバラエティー番組や雑誌の取材が続くと、大河は無自覚に肉体より心が疲弊していた。
一度、張り詰めていた気合いの糸がぷつりと切れて、仕事の合間にふらふらとルカ邸へ向かってしまったことがある。
玄関でむすりと眉間に皺を寄せたルカの顔を見た瞬間に、何もかもが頭から吹き飛んでしまった。
大河は思わず目の前の体を引き寄せて、ルカの肩に項垂れて力なく、やらせてくれ、と呟いた。
しばらく溜め込んだ欲が勝手に熱を持って主張してしまうと、ルカはそれを仕方がなさそうに一瞥して寝室へ招いてくれたのだから、話が早くて助かる。
ルカと繋がるのはもう完全に現実逃避でしかないとわかってはいるが、大河をどろどろに溶かす誘惑には抗えない。
頭を空にして欲望を吐き出し、体がすっきりすれば気力を取り戻した大河は、実に単純な男だった。
切り替えの速さは長所でもあるのだろう、とルカは思った。
けれど、大河が唯一、いつまでも断ち切れない結斗との関係は膠着したまま、季節は本格的な冬を迎えていた。
年末には毎年恒例の音楽祭が開催される。
ライブのリハーサルが本格的に始まりだす頃、プロデューサーが唐突にグループでの合宿を提案した。
普段は個々で活動する四人の微妙な距離感を案じてなのか、チームワークの強化が目標だと言う。
ソロ活動が距離感の原因ではないのだけど。
大河とルカは反対したが、結斗は、楽しそう! と賛成し、望は、どっちでもいいよ、と答えた。
この状況で何が楽しめるんだと結斗に言ってやりたかったが、ぐっと堪えた大河が、望がいいならしかたねぇ、と観念するとルカも折れるしかなくなって、ライブ本番までの二週間、宿泊施設を貸し切って四人での共同生活が始まった。
ルカと結斗のふたりと、同じ屋根の下。
朝起きて夜寝るまで、すぐそばにいられて平静を保っていられるだろうかと、大河は不安を拭えなかった。
それでも実際に合宿期間が始まってしまえば、次にリリース予定の楽曲についての会議だとか、ライブのパフォーマンスの相談など、四人で顔を突き合わせて話し合える環境はそれなりに意味があり、有意義と言えた。
レコーディングや撮影で時間を共有し、夜も時間が合えば地下室に設けられたレッスンスタジオでリハーサルに打ち込める。
それぞれ単独の仕事もあったが、普段より顔を合わせる時間の長い生活がしばらく続き、結斗は終始機嫌が良かった。
正反対にルカの沈黙が不気味で、大河はいつ何が仕掛けられるのかと構えてしまっていたけれど、ついに合宿は健全なまま最終日を迎えた。
明日に音楽祭本番を控え、最後の夜にはレーベルのスタッフや見知った共演アーティストらを呼んで、宿泊施設の最上階にあるテラスでバーベキューを催した。
ひとしきり歓談を楽しみ、客人を見送ると急に施設内の静寂がもの悲しい。
大河は人の気配がなくなった最上階のラウンジのソファで、テラスの片付けを終えた結斗と空を見上げていた。
外のテラスに繋がるラウンジは一面がガラス張りになっていて、南の空にオリオンや冬の大三角が昇る。
都心から少し離れた空は、星が静かに瞬いていた。
「楽しかったねぇ」
「……そうだな」
先ほどまでの喧騒を思い返して、結斗が目を細める。
仕事上の付き合いとはいえ、長く活動に携わるスタッフや同じレーベルのアーティストらは気心の知れた仲で、大河はバーベキューで肉を焼いている最中に、仲間に囲まれて笑う結斗の姿を視界に捉えていた。
以前なら、誰彼構わずにへらへらしてんなよ、と苛立っていたところだと自覚がある。
理想の〝楠結斗〟を自分の中に作り上げ、目の前にいる結斗を見てやれなかった。
けれど今なら、結斗が楽しんで笑顔を見せていることが真実なのだと思えたから、素直に肯定することができた。
大河の心境の変化は互いの関係を好転させた。
気を張る必要はなく、穏やかな時間がふたりの間を流れる。
結斗はしあわせそうに頬を緩めた。
「ずっと……このまま、こうしていられたらいいのに」
しんみりと溢す結斗の言葉に、大河は思わず目を閉じた。
どういう意味だ?
現状維持の大河の心ごと、ずっとこのままにしていろということか。
だいたいこいつは自分からキスしてきたくせに、あれからひとりだけすっきりした顔で何もなかったみてぇに振る舞いやがって。
ふたりきりで星を見上げ、随分といい雰囲気なわけだが、手でも握ってやろうか? と内心で悪態をつく。
こっちの気も知らず、終わったことにするつもりなら、大河は黙っていられなかった。
「それは……おれと一生このままでいてぇってことか」
「……とらちゃんは違うの?」
今度は肯定してくれない大河に、結斗は残念そうに眉を下げる。
上目遣いで顔を覗かれ、どきりと心臓が反応してしまうから悔しい。
「お、おまえ、おれが何もしねぇと思って……!!」
思わせぶりな態度にどうにもならないフラストレーションを抱くのは懐かしい感覚だ。
結斗はばつが悪い顔で視線を逸らし、口を尖らせた。
「キスから逃げたじゃん」
「好きでもねぇくせにするからだ!」
「キスはいやじゃないって言ったよ」
「それ以外はいやだってことだろうが!」
ふたりともに避けていたあの日の記憶を掘り起こす。
大河は思わず、ルカとはできるくせに! と言い放ってきまいそうになって言葉を飲み込んだ。
「それは、……そうだけど」
一瞬口ごもってから認めた結斗に、はっきりと言葉にされて大河はまた傷ついてしまう。
大河の悲痛な顔に、結斗も罪悪感で胸を軋ませた。
「ごめん、ぼく、何も変わってないね」
「別に、それでもおれは、おまえが……」
好きだ、と言いかけて躊躇う。
謝らせたいわけではないのに。
きっとこれ以上の言葉は、結斗をまた追い詰める。
今でもまだ、結斗と恋人に戻れる可能性はあるのかと、大河は諦めているわけではないけれど、考えないようにはしていた。
合宿の間に見かけた、地下スタジオでひとり自主練に励む結斗の真剣な横顔。ステージで輝く満開の破顔。
パフォーマンスで不意に見せる不敵な笑み。
人畜無害な草食動物のような顔をして、ライオンのごとく獰猛な牙を隠し持っている男だ。
大河は結斗の隠し持つ、秘めた熱情が好きだった。
それをいちばん近くで見ていたかった。
自分だけのものにしてしまいたかった。
叶わないことはもうとっくにわかっている。
例えば結斗に肉体関係を求めないのなら、一緒に居られるのだと思う。
キスだけを交わし合う関係なら、結斗は受け入れられるのだろう。
けれどそれは、すでに破綻したふたりの恋の形だ。
大河はそれでもいいのだと自身に言い聞かせても、結斗にだって欲はある。
浮気を許されて付き合い続けるなんて、結斗はできなかった。
だからふたりは離れたのだ。
今度は大河が身体的な欲求を他で済ませていたとして、結斗がそれでいいと言うのなら、もう一度ふたりで恋ができるだろうか。
しかし大河にそんな不健全なことは似合わず、歪な形を恋と呼ぶことはできなかった。
恋人とはキスがしたいし、触れたいし、触れられたい。
焦がれる相手に求められる男でありたい。
「おれは、キスだけでいいってなんか言ってやれねぇよ」
本音を絞り出すと、結斗は困ったように眉を下げた。
「ぼくなんてもうアラサーのおじさんなのに」
大河の三つ歳上な結斗が、まだ自分に欲情できるのかと苦笑する。
今も変わらず結斗にそういう気持ちが持てるかというと、正直なところ大河は自身でもわからなかった。
拒まれるとわかっていて高ぶる気力はとうに失くした。
「そういうのに歳なんて関係ねぇだろ」
惚れていれば欲が尽きることなどないと思うのも本当なのに、萎れた心を知られたくなくて大河は結斗から目を逸らす。
「そう? ぼく昔よりは……、あ——……あはは」
自分の好みを言いかけた結斗が話題のまずさに気付くと、笑ってごまかした。
年若い頃から芸能界に身を置いていた結斗は年上の女とばかり遊んでいたのだろうが、自身が歳を重ねた今なら若い女にも目がいくものらしい。
恋仲だった男からは聞きたくない言葉というか、やはり女と遊び慣れているような言動に呆れてしまう。
大河の知っている楠結斗は、上辺だけ完璧に装って誰にでも馴れ馴れしいほどの気さくでありながら、誰にも自身へ深入りさせない一線を引いている男だ。
意図的に特定の相手を作らなかった結斗が唯一恋人と呼んだ大河にも、へらへらと笑う顔の下に隠した本心を見せなかった。
深く暗い沼がそこに在るとわかっているのに、大河は結斗を引きずり出すことができなかった。
道化のように笑う仮面をどうにかしてやりたいと伸ばした手が、結斗に取られることはない。
恋人だからこそ、暴く権利があると思っていた。
けれど結斗は、それを大河に許さなかった。
立ち場の変わった今も、自分が結斗にしてやれることは何もないのだろうか。
燻る想いを抑え込みながら、大河はじっと睨むように結斗をみつめる。
鋭い狼の視線に気づくと、結斗は懐かしそうに目を細めて苦笑った。
「キスはもうしないよ。怒られちゃうからね」
わざと大河の恋心をもてあそぶような物言いをする。
怒らねぇならするのかよ、とは冗談でも言えない。
「当たり前だ。それならおれとこんなとこにいねぇで、とっとと部屋に戻れ」
「はぁい」
大河が顔を顰めると、結斗は肩をすくめて笑った。
「おやすみとらちゃん。また、明日」
おとなしくソファを離れて約束を交わすように囁く結斗を、複雑な面持ちで見送った。
本当ならもっとそばにいたいはずなのに、触れられないことを言い訳にして自ら逃した。
それでも結斗との明日があると思えば、大河はただただ嬉しかった。
きっと結斗も、このままずっと共に歌い続けることを望んでいる。
あとは自身の心次第なのだ。
破れた恋心の修復方法はまだわからずに、どうすっかな、と独りごちて大河は冬の星空を仰いだ。
どうしたものかと考えたところで、同じ場所で足踏みするだけでは歯痒い大河と、このままでいたいと望む結斗では、永遠に平行線でしかない。
遠くに瞬く星をぼうっと眺めながらふたりの未来を思い描けずにいると、ラウンジの出入り口からかつん、と足音が聞こえた。
「どうした。忘れもんか?」
結斗が戻ってきたと思い込んで音の主に振り返る。
暗がりから姿を見せた長身のブロンドに、大河の心臓はぎくりと焦りで飛び跳ねた。
シンプルなボタンダウンのホワイトシャツにグレーのスラックスを合わせたルカが、静かに大河の元へ近づく。
妙に無表情で感情は読めない。
「今、結斗が」
「あぁ、下ですれ違った」
咄嗟に結斗だと思って声を掛けた言い訳をしたくなった大河が口を滑らせる。
ルカは大して気にした様子もなかった。
合宿の間はふたりきりになる機会をなんとなく避けてしまっていたから、ルカが手の届く距離に立つのは久方ぶりな気がした。
悪いことをしているわけではないはずなのに、大河はどうにも居心地が悪い。
うまく続きの会話が思いつけずにいると、ルカが少しむっと顔を顰めて言葉を続けた。
「聞いてもいないのに、お前が上にいると告げられたんだ」
階下でルカと顔を合わせた結斗は、とらちゃんならまだ上にいるよ、と笑った。
ルカはふたりの姿が見えないことに気づいていたが、大河を探していたわけではない。
それなのにルカが自室から出歩いている目的を見透かしたような結斗が癪に触って、自然と足はラウンジへと向いた。
ルカは、大河がいると知っていてここに来たということだ。
「何しに来たんだよ」
「腑抜けた顔を拝みに」
大河を残して結斗が先にひとりで降りてきたのだから、ふたりの間に何かがあったというより、進展するようなことは何もなかったのだろうとルカには推測できた。
加えて結斗は、ルカを大河の元に向かわせるように仕向けている。
自身とルカの関係を肯定されていると取れる結斗の言動に、大河は目元を歪めた。
「別に、今更傷ついたりしねーよ」
「ふうん。それなら、私は必要なかったか」
「なんだ、慰めにでも来たってのか?」
「嗤ってやろうと思っただけだ」
「そうかよ」
笑いたければ勝手に笑っていろ、と不貞腐れて顔を背ける。
せっかく足を運んでやったというのに蔑ろにされて、ルカは眉間に皺を寄せた。
「……今度は夜に来いと、お前が言ったんだ」
どこか拗ねたような口振りのルカに、思わず大河は顔を向ける。
何の話だ、と言いかけて、ルカの言葉と不遜な顔に、いつかの光景が脳裏にフラッシュバックした。
あれは地中海の太陽の下。
自分の上でからだをくねるルカを目に焼きつけながら、大河は確かに「今度は夜に来いよ」と半ば軽口のように言ったのだ。
数ヶ月前の記憶はまだ鮮明で、あのときルカは大河がひとりになる状況を見計らい、肌を合わせに来た。
今夜もそうなのだとしたら、何をしに来たと聞くなど野暮なことだと、大河はひねた態度を改める。
「覚えてたのか」
「忘れていたのならもういい」
「忘れねぇって」
機嫌を損ねたルカがさっさとここから去ってしまう気がした。
大河は咄嗟にルカへ振り向き、手を伸ばす。
招くように差し出された手にルカは顔をむうっと唇を結んで逡巡したが、仕方がなさそうに大河の手を取った。
どちらからともなく指を絡めながら、大河がルカの体を引き寄せて膝に乗せる。
素直に従ったルカの背に、ガラス越しの夜空が広がっていた。
「やっぱおまえは月の方が似合うな」
燦々と照る太陽の光より、静かにそこに在る月の明かりは、ルカの姿を妖艶に浮かび上がらせる。
早く肌の色を確かめたくて、大河はルカのシャツに手をかけた。
一番上のボタンはすでに開いており、ふたつ目から外しにかかる大河の手をルカがじいっと見つめる。
白い胸板を露わにさせた大河がふっと顔を上げると、ルカの形の良い唇が目前にあった。
薄く開いたそれにどきりとした大河は、思わず唇を寄せようとして、ぐっと歯を食いしばり踏みとどまった。
好きでもない相手とするなと結斗に言っておきながら、自分は何をしようとしているのだと自問する。
心を交わし合っているわけではないルカの唇に、口づける権利など自身にあるはずがない。
惚れた相手にはキスだけではだめなのだと望みながら、キスができない相手と体を繋げようとしている現実に、じくじくと罪悪感が込み上げる。
数分前まで結斗が隣にいた場所で、結斗に伸ばせなかった手で、ルカを捕らえてしまった。
ルカは関係の始まった当初から、大河が結斗を想っているとわかっていて抱かれているとはいえ、今更だがあまりにも身勝手な欲望を押しつけている。
大河が触れることをどうしてルカが許すのか、なぜ歪な関係を受け入れ続けるのか。
おまえはこれでいいのかと本心を聞き出そうとしたところで、ルカのことだから素直に答えるとは思えない。
そこにどんな理由があるのか、考えようとしてこなかった。
ルカは無自覚なのか、それとも意図的にか、その体で大河を蠱惑に誘う。
けれど、導かれるままに暴こうとした大河の手は止まってしまった。
「気が進まないのならやめておけ」
大河の思考を見透かすようにルカが助言する。
「やめてほしいか?」
答えをルカに委ねるなんて、無理やりに侵入するより卑怯だ。
それでもルカは、大河を責めるより淡々と冷静に言葉を紡ぐ。
「馬鹿のくせに難しく考えすぎでは? 簡単なことだ。おまえが、私を必要か、いらないのか」
大河にもわかりやすく、ごく単純な問いかけだった。
耳触りの良い低音の囁きが、思考能力を奪っていく。
「……そんなの、決まってんだろ」
いらない、だなんて言えない。
この行為に心は無用なのだと、雄を惑わせる罠に自ら嵌った。
ルカは大河を堕落させ、陥れることが目的なのかもしれない。
正常な判断を諦めた頭は、この体に触れられるのなら、それでもかまわないと思ってしまう。
頭の片隅に残った理性が、おまえはどうなんだ、とルカの心を知りたがっても、言葉にはできなかった。
求めているのが自分だけなのだと突きつけられたら、結斗に触れられなくなったのと同じように、大河はルカにも手が出せない。
ルカの想いから目を逸らしながら、白い肌を弄り始める。
大河の手を振り払わず、受け入れるこの身体が、ルカの答えだと思いたかった。
胸板に指を這わせ、シャツを開いて片方の乳首に唇を寄せる。
軽く甘噛みすると、ルカの手にぎゅっと力が入って大河の肩が掴まれた。
刺激に身構えるようなそぶりをされると遠慮はいらない。
口内に含んだ突起を舌で舐めまわす。
頭の片隅に浮かぶいつかの記憶。
結斗には拒まれてできなかったこと。
大河は結斗に恋をしていたから、好きな相手のからだには性的興奮を覚えていた。
けれど結斗は、女の子みたいにされるのはいやかな、と眉を下げながら困ったように笑って、大河に触れさせなかった。
大河は結斗を女のように扱っていたつもりはなかったが、行為の役割りとしてそれを求めていることに代わりはなく、好きだから、無理強いなどできなかった。
月明かりに唾液で濡れたそこが、ぬらぬらといやらしく照らされる。
ルカにも関係を始めた当初は、不必要な箇所に触れるな、と睨まれていたけれど、触れてしまいたい衝動が恋心ではないことを言い訳にして聞いてやらなかった。
かたく芯を持ち始めた中心に大河の息が上がり、指の腹でくにくにと弾力を愉しむ。
ルカのここは、大河の手で性感帯に変えられたのだ。
快感を表すからだの反応に、無理やりにいじり続けてやってよかった……、などと感慨に浸ってしまう。
片方に唇を這わせ、反対側の先端を指先で摘むとルカが微かに吐息を漏らして身をよじり、ぐい、と大河の肩を押した。
「しつこい」
つんと立ち上がったそこから引き剥がされて、顔を上げるとルカはむうっと眉を寄せていたが、仄暗い中でも頬を紅潮させているのがわかる。
はやく他のところも触れという催促だろうか、と都合良く解釈すると、大河は視線を落とした先の下腹部に手を伸ばした。
革のベルトを静かに外し、ルカに腰を持ち上げさせる。
下着ごとずり下げ、嵩を上げた性器をぐんと無理やりに露出させた。
その質量にルカの高揚を感じて、大河の熱も一気に加速する。
ルカの片足を衣服から抜き、自身のボトムも性急な手つきでジッパーを開いて欲情を引っ張り出した。
早くそれをねじ込んでしまいたいのに、わずかに残ったなけなしの理性が大河を堪えさせる。
ゴムも潤滑剤になる物も用意などなく始めてしまった。
せめて指で慣らしてやろうと、ルカの尻に手を這わせる。
けれど、大河の手が谷間の奥を探るより早く、ルカは腰を浮かせて勃起した陰茎を会陰で擦った。
挿入を誘うように尻穴が先端へ触れると、大河はたまらなくなって左右の尻を両手で鷲掴んで割り開く。
広げられた窄まりに亀頭を押し込めば、中の粘膜がぎちぎちと性器に絡みついて大河を迎え入れた。
「っ、ん……」
ルカの押し殺した声が吐息になって大河の鼓膜を刺激する。
艶のある低音に興奮をくすぐられ、正常な判断はもうできない。
本能の感覚が大河を突き動かし、ルカを求める。
挿入が深まるたびにルカは喉を鳴らしながら、大河の背にまわした両手でぎゅっとからだをすり寄せた。
ルカと繋がる以外のことが何も考えられなくなった頭では、劣情を中に受け入れて大河に縋るこの手が、ただただうれしいのだ。
溺れてもがくように、ルカがはあはあと浅い呼吸を繰り返す。
大河は互いの腹に挟まれたルカの性器を握り、腰を揺さぶる速度に合わせて上下に擦った。
手の中で膨張していく熱を感じて、大河の息もさらに上がっていく。
先端に透明の粘液が滲み始めると、ルカは自身のスラックスのポケットからハンカチを取り出し、大河の握る性器に被せた。
熱を扱く手を拒むどころか続きを促すようなルカの行動に、出してぇんだなと直感して、遠慮なく劣情を追い詰める。
いつも仕立ての良い衣服を身につけているルカの所有品は手巾でさえ値の張りそうな絹のもので、なめらかな肌触りの布を亀頭に押しつけながら握ってやった。
同時にうしろもいちばん奥の壁を擦るように何度も往復させると、ルカがぎゅうっと太ももで大河を拘束する。
中まできゅうきゅうに締めつけられて、一気に射精感が高まった。
このまま深く埋めて達してしまいたくなるけれど、最後の理性がぎりぎりのところで踏みとどまらせる。
それでも熱を高ぶらせたままで終われずに、しかし引き抜いて放てば互いの服を汚すことになるのだから大河はまわらない頭を悩ませた。
腰を動かしながらだと思考はうまくまとまらず、中で出しても外にかけてもルカに文句を言われる気しかしない。
限界が近づくにつれ抽送の速度が上がり、手の中の熱が膨らむと、ルカはひときわ甲高く喉を鳴らした。
ルカのものに被せた布が爆ぜた熱を受け止めていると手のひらで知る。
甘い嬌声に大河も劣情の解放を観念して、すんでにルカの腰を掴んで持ち上げさせ入り口の近くまで先端を引き抜いた。
急速にずるりと内壁を擦られたルカの腰がびくりと跳ねるのを感じながら、大河は亀頭だけ埋めたまま吐精した。
はっはと息が荒くなり、上がった心拍数を落ち着けるように深く空気を吸う。
果てれば徐々に思考はまわり始め、雁首がきゅうきゅうと締め上げられる感覚に、生々しい現実を自覚した。
奥にも外にも出すのに躊躇する状況では、これで勘弁してくれとルカの反応を窺う。
すると、力の抜けたルカは大河を咥えたまま、ゆっくりと腰を落とした。
精液をまとわりつかせた性器を、ずぶずぶともう一度奥まで飲み込んでしまう。
これでは浅いところに出した意味がないのに、頬を火照らせたルカが気にする様子はない。
しばらくの間そうして繋がったまま、ルカは大河の首筋に顔を預け、肩で息をしていた。
ほんとうにこれでいいのかこいつは。
聞いたところでルカが答えるかわからなかったし、答えたとしてそれが本音だという確証などないのだから、大河は何も言えなかった。
行為のあとは沈黙が気まずい。
けれど掛ける言葉は思いつかない。
何を言っても責められるのではないかとばつが悪いのだ。
しかし今夜はルカから誘ってきたようなものなのだから、誰に言い訳する必要もないと思いたかった。
ルカにも、結斗にも。
熱の落ち着いた大河が現実に引き戻されて中の体積を少しずつ減らしていくと、ルカは言葉のひとつも交わさないまま体を離してソファに倒れ込む。
シャツの裾から覗くなまめかしい肢体から無理やりに目を逸らして、居心地の悪さに耐えながら大河は自身の下衣を整えた。
手持ち無沙汰になるとルカの下肢から白濁液の滲んだハンカチを手に取り、ソファを立ってラウンジに備え付けられた手洗い場で洗ってやる。
大河がソファに戻るとルカは体を起こしており、すでに着衣の乱れも整えて夜空に浮かぶ月をぼんやりと眺めていた。
「おら、部屋で干しとけ」
「もういらない」
水気を絞ったハンカチを手渡そうとした大河の手を、ルカはそっけなく拒否する。
何に使ったかを考えれば、そう言いたくなる気分はわかるが、しかし倹約が身に染みついた大河は、もったいないと思わないでもない。
「高ぇんだろ」
「いるならやる」
「もらえるかよ……」
つんとそっぽを向かれて、これを自分のものにしてしまえば、目に入るたびに今夜のルカが目に浮かびそうで頭を抱えた。
月明かりの下で乱れる妖艶な姿は、何もなくともしばらくまぶたに焼きついて離れないだろうけれど。
ともかく、情事の証拠は隠滅してしまおう。
持ち主がいらないというのだから、上等なシルクは最後に布としての使命を果たしたのだと思うことにして、大河は燃えるごみ入れに放った。
洗い流した体液と一緒に、どろどろの欲も傷ついた恋心も、すべて流してしまえれば楽なのに。
欲を吐き出して軽くなった体とは裏腹に、熱が冷めれば簡単に割り切れない感情が大河の心を重くする。
しかしやってしまったものは仕方ないし、後悔はしていない。
そう結論づけて、己を奮い立たせた。
「立てるか?」
「このくらいで私がどうにかなると思うのか」
ソファにもたれて気怠そうなルカに声をかけると、つれない言葉が返ってくる。
「手加減してやってんだろ。次はその減らず口を黙らせてやる」
思わず大河も喧嘩腰になって応酬するが、その態度にルカは、ふっと小さく口角を上げた。
次が、あるのか。
差し出したからだを堪能しておきながら、身勝手に落ち込まれでもしたら文句のひとつでも言いたくなるが、思い悩みはすれど大河は絶対に下を向かない。
それなら、ルカがここに来た意味はあったのだろう。
大河に宿る熱情は、当の本人の知らぬ間に、触れるものを焼き焦がしていた。
出会った頃から恋仲として付き合っていた時期を回想して、大河はその事実の脳裏で反芻する。
仲間内で飲む機会があると、男相手に誰彼構わずくっついて、頬に唇を寄せる真似をした。
本人曰く、親愛の表現らしい。
旧知の仲である後輩に絡み、エスカレートすれば唇を奪いかけることもあったが、相手からは冷静に、やめてください、としっかり拒絶されたりしていたものだ。
大河は結斗のそういうところが嫌いだったし、酒に強いことを知っていたから、酔ったふりで羽目を外して見せる姿に苛立ちもした。
かと思えば、恋人である大河とふたりきりになり、素面でキスを交わすと時折りぎくりと身構えたり、目を逸らせて笑ってごまかす。
当初その仕草を、照れてんのか、と大河は都合良く解釈していた。
付き合いが長くなるにつれ、結斗はキスの先にある行為を避けたくて困っているのだと気づいてしまって、口づけひとつでも拒まれるのではないかと思えば簡単にできるものでもなくなった。
そうしているうちに仕事が立て込み、ろくに触れ合う機会もないまま、大河と結斗の恋愛関係は終焉を迎えたのである。
恋人という存在がなくなった結斗は、特定の相手を作るような素振りは見せなかったけれど、大河の知らないところで何をしているかはわからない。
しかし適当に女と遊ぶくらいのことはしているだろうという予測はしていたが、まさかルカに手を出すとは思わなかった。
結斗なりに思い悩んで、切羽詰まった行動に出てしまったのだとわかってはいる。
軽い気持ちでふざけたわけでもない。
そうさせたのは結斗に言えないような関係を、ルカと結んでいた自分のせいも大いにあると大河は自責していた。
あの日以降、結斗が飲みの席で後輩に絡んだもしても、キスを迫るような姿は見ていない。
好きでもない相手とするなと叫んだ大河の気持ちを、少しは理解したのだろうか。
キスはいやじゃない、と大河に唇を重ねてきた結斗は、あのときも酒を飲んでいた。
アルコールのせいにしてされたキスに大河の望むような意味はなく、結斗がルカにも手を出した衝撃で、それ自体がうやむやになってしまった。
隠しごとがなくなった大河に安心したような結斗は、以前に比べて自然な笑みが増えたように思う。
それを喜んでいいのか、大河はわからない。
あの後ルカに結斗から何をされたのかと問い詰めたら、キスをされただけ、と教えられた。
それだけで済んで良かったと言うべきか、やっぱり好きじゃなくてもできるんじゃねえか、とまた苛立ちもしてしまう。
結斗の感覚では、好きなら恋愛感情ではなくてもキスをしたくなるだけなのだろう。
異国で生まれ育ったルカがそういう感性なら納得もできるが、ルカの母国では友人同士が頬にキスを交わす習慣もないらしい。
やはりキスは、恋愛関係にある者同士でだけ行う特別な行為、とルカも認識しているのだ。
結斗の言動に振り回されるのはいつものことだが、想いは一層複雑になってしまった。
ずっと一緒にいたいのだと願う結斗の姿を思い返すたびに、大河の胸はぐっと締めつけられる。
同じ願いを抱いているはずなのに、決定的にすれ違う想いは結斗に届かない。
結局何も解決しないまま、大河は胸の靄を振り払うように可能な限り小さな仕事でも受け、ほとんど休みなくスケジュールを埋めていた。
個人の音楽活動では新曲制作やライブに加えサポートメンバーとしての依頼を忙しなくこなし、グループとしても数ヶ月後に発表される案件の撮影やメディアへの露出が多かった。
グループでの活動は、純粋に音楽だけ奏でていれば良いという仕事でもない。
不得手なバラエティー番組や雑誌の取材が続くと、大河は無自覚に肉体より心が疲弊していた。
一度、張り詰めていた気合いの糸がぷつりと切れて、仕事の合間にふらふらとルカ邸へ向かってしまったことがある。
玄関でむすりと眉間に皺を寄せたルカの顔を見た瞬間に、何もかもが頭から吹き飛んでしまった。
大河は思わず目の前の体を引き寄せて、ルカの肩に項垂れて力なく、やらせてくれ、と呟いた。
しばらく溜め込んだ欲が勝手に熱を持って主張してしまうと、ルカはそれを仕方がなさそうに一瞥して寝室へ招いてくれたのだから、話が早くて助かる。
ルカと繋がるのはもう完全に現実逃避でしかないとわかってはいるが、大河をどろどろに溶かす誘惑には抗えない。
頭を空にして欲望を吐き出し、体がすっきりすれば気力を取り戻した大河は、実に単純な男だった。
切り替えの速さは長所でもあるのだろう、とルカは思った。
けれど、大河が唯一、いつまでも断ち切れない結斗との関係は膠着したまま、季節は本格的な冬を迎えていた。
年末には毎年恒例の音楽祭が開催される。
ライブのリハーサルが本格的に始まりだす頃、プロデューサーが唐突にグループでの合宿を提案した。
普段は個々で活動する四人の微妙な距離感を案じてなのか、チームワークの強化が目標だと言う。
ソロ活動が距離感の原因ではないのだけど。
大河とルカは反対したが、結斗は、楽しそう! と賛成し、望は、どっちでもいいよ、と答えた。
この状況で何が楽しめるんだと結斗に言ってやりたかったが、ぐっと堪えた大河が、望がいいならしかたねぇ、と観念するとルカも折れるしかなくなって、ライブ本番までの二週間、宿泊施設を貸し切って四人での共同生活が始まった。
ルカと結斗のふたりと、同じ屋根の下。
朝起きて夜寝るまで、すぐそばにいられて平静を保っていられるだろうかと、大河は不安を拭えなかった。
それでも実際に合宿期間が始まってしまえば、次にリリース予定の楽曲についての会議だとか、ライブのパフォーマンスの相談など、四人で顔を突き合わせて話し合える環境はそれなりに意味があり、有意義と言えた。
レコーディングや撮影で時間を共有し、夜も時間が合えば地下室に設けられたレッスンスタジオでリハーサルに打ち込める。
それぞれ単独の仕事もあったが、普段より顔を合わせる時間の長い生活がしばらく続き、結斗は終始機嫌が良かった。
正反対にルカの沈黙が不気味で、大河はいつ何が仕掛けられるのかと構えてしまっていたけれど、ついに合宿は健全なまま最終日を迎えた。
明日に音楽祭本番を控え、最後の夜にはレーベルのスタッフや見知った共演アーティストらを呼んで、宿泊施設の最上階にあるテラスでバーベキューを催した。
ひとしきり歓談を楽しみ、客人を見送ると急に施設内の静寂がもの悲しい。
大河は人の気配がなくなった最上階のラウンジのソファで、テラスの片付けを終えた結斗と空を見上げていた。
外のテラスに繋がるラウンジは一面がガラス張りになっていて、南の空にオリオンや冬の大三角が昇る。
都心から少し離れた空は、星が静かに瞬いていた。
「楽しかったねぇ」
「……そうだな」
先ほどまでの喧騒を思い返して、結斗が目を細める。
仕事上の付き合いとはいえ、長く活動に携わるスタッフや同じレーベルのアーティストらは気心の知れた仲で、大河はバーベキューで肉を焼いている最中に、仲間に囲まれて笑う結斗の姿を視界に捉えていた。
以前なら、誰彼構わずにへらへらしてんなよ、と苛立っていたところだと自覚がある。
理想の〝楠結斗〟を自分の中に作り上げ、目の前にいる結斗を見てやれなかった。
けれど今なら、結斗が楽しんで笑顔を見せていることが真実なのだと思えたから、素直に肯定することができた。
大河の心境の変化は互いの関係を好転させた。
気を張る必要はなく、穏やかな時間がふたりの間を流れる。
結斗はしあわせそうに頬を緩めた。
「ずっと……このまま、こうしていられたらいいのに」
しんみりと溢す結斗の言葉に、大河は思わず目を閉じた。
どういう意味だ?
現状維持の大河の心ごと、ずっとこのままにしていろということか。
だいたいこいつは自分からキスしてきたくせに、あれからひとりだけすっきりした顔で何もなかったみてぇに振る舞いやがって。
ふたりきりで星を見上げ、随分といい雰囲気なわけだが、手でも握ってやろうか? と内心で悪態をつく。
こっちの気も知らず、終わったことにするつもりなら、大河は黙っていられなかった。
「それは……おれと一生このままでいてぇってことか」
「……とらちゃんは違うの?」
今度は肯定してくれない大河に、結斗は残念そうに眉を下げる。
上目遣いで顔を覗かれ、どきりと心臓が反応してしまうから悔しい。
「お、おまえ、おれが何もしねぇと思って……!!」
思わせぶりな態度にどうにもならないフラストレーションを抱くのは懐かしい感覚だ。
結斗はばつが悪い顔で視線を逸らし、口を尖らせた。
「キスから逃げたじゃん」
「好きでもねぇくせにするからだ!」
「キスはいやじゃないって言ったよ」
「それ以外はいやだってことだろうが!」
ふたりともに避けていたあの日の記憶を掘り起こす。
大河は思わず、ルカとはできるくせに! と言い放ってきまいそうになって言葉を飲み込んだ。
「それは、……そうだけど」
一瞬口ごもってから認めた結斗に、はっきりと言葉にされて大河はまた傷ついてしまう。
大河の悲痛な顔に、結斗も罪悪感で胸を軋ませた。
「ごめん、ぼく、何も変わってないね」
「別に、それでもおれは、おまえが……」
好きだ、と言いかけて躊躇う。
謝らせたいわけではないのに。
きっとこれ以上の言葉は、結斗をまた追い詰める。
今でもまだ、結斗と恋人に戻れる可能性はあるのかと、大河は諦めているわけではないけれど、考えないようにはしていた。
合宿の間に見かけた、地下スタジオでひとり自主練に励む結斗の真剣な横顔。ステージで輝く満開の破顔。
パフォーマンスで不意に見せる不敵な笑み。
人畜無害な草食動物のような顔をして、ライオンのごとく獰猛な牙を隠し持っている男だ。
大河は結斗の隠し持つ、秘めた熱情が好きだった。
それをいちばん近くで見ていたかった。
自分だけのものにしてしまいたかった。
叶わないことはもうとっくにわかっている。
例えば結斗に肉体関係を求めないのなら、一緒に居られるのだと思う。
キスだけを交わし合う関係なら、結斗は受け入れられるのだろう。
けれどそれは、すでに破綻したふたりの恋の形だ。
大河はそれでもいいのだと自身に言い聞かせても、結斗にだって欲はある。
浮気を許されて付き合い続けるなんて、結斗はできなかった。
だからふたりは離れたのだ。
今度は大河が身体的な欲求を他で済ませていたとして、結斗がそれでいいと言うのなら、もう一度ふたりで恋ができるだろうか。
しかし大河にそんな不健全なことは似合わず、歪な形を恋と呼ぶことはできなかった。
恋人とはキスがしたいし、触れたいし、触れられたい。
焦がれる相手に求められる男でありたい。
「おれは、キスだけでいいってなんか言ってやれねぇよ」
本音を絞り出すと、結斗は困ったように眉を下げた。
「ぼくなんてもうアラサーのおじさんなのに」
大河の三つ歳上な結斗が、まだ自分に欲情できるのかと苦笑する。
今も変わらず結斗にそういう気持ちが持てるかというと、正直なところ大河は自身でもわからなかった。
拒まれるとわかっていて高ぶる気力はとうに失くした。
「そういうのに歳なんて関係ねぇだろ」
惚れていれば欲が尽きることなどないと思うのも本当なのに、萎れた心を知られたくなくて大河は結斗から目を逸らす。
「そう? ぼく昔よりは……、あ——……あはは」
自分の好みを言いかけた結斗が話題のまずさに気付くと、笑ってごまかした。
年若い頃から芸能界に身を置いていた結斗は年上の女とばかり遊んでいたのだろうが、自身が歳を重ねた今なら若い女にも目がいくものらしい。
恋仲だった男からは聞きたくない言葉というか、やはり女と遊び慣れているような言動に呆れてしまう。
大河の知っている楠結斗は、上辺だけ完璧に装って誰にでも馴れ馴れしいほどの気さくでありながら、誰にも自身へ深入りさせない一線を引いている男だ。
意図的に特定の相手を作らなかった結斗が唯一恋人と呼んだ大河にも、へらへらと笑う顔の下に隠した本心を見せなかった。
深く暗い沼がそこに在るとわかっているのに、大河は結斗を引きずり出すことができなかった。
道化のように笑う仮面をどうにかしてやりたいと伸ばした手が、結斗に取られることはない。
恋人だからこそ、暴く権利があると思っていた。
けれど結斗は、それを大河に許さなかった。
立ち場の変わった今も、自分が結斗にしてやれることは何もないのだろうか。
燻る想いを抑え込みながら、大河はじっと睨むように結斗をみつめる。
鋭い狼の視線に気づくと、結斗は懐かしそうに目を細めて苦笑った。
「キスはもうしないよ。怒られちゃうからね」
わざと大河の恋心をもてあそぶような物言いをする。
怒らねぇならするのかよ、とは冗談でも言えない。
「当たり前だ。それならおれとこんなとこにいねぇで、とっとと部屋に戻れ」
「はぁい」
大河が顔を顰めると、結斗は肩をすくめて笑った。
「おやすみとらちゃん。また、明日」
おとなしくソファを離れて約束を交わすように囁く結斗を、複雑な面持ちで見送った。
本当ならもっとそばにいたいはずなのに、触れられないことを言い訳にして自ら逃した。
それでも結斗との明日があると思えば、大河はただただ嬉しかった。
きっと結斗も、このままずっと共に歌い続けることを望んでいる。
あとは自身の心次第なのだ。
破れた恋心の修復方法はまだわからずに、どうすっかな、と独りごちて大河は冬の星空を仰いだ。
どうしたものかと考えたところで、同じ場所で足踏みするだけでは歯痒い大河と、このままでいたいと望む結斗では、永遠に平行線でしかない。
遠くに瞬く星をぼうっと眺めながらふたりの未来を思い描けずにいると、ラウンジの出入り口からかつん、と足音が聞こえた。
「どうした。忘れもんか?」
結斗が戻ってきたと思い込んで音の主に振り返る。
暗がりから姿を見せた長身のブロンドに、大河の心臓はぎくりと焦りで飛び跳ねた。
シンプルなボタンダウンのホワイトシャツにグレーのスラックスを合わせたルカが、静かに大河の元へ近づく。
妙に無表情で感情は読めない。
「今、結斗が」
「あぁ、下ですれ違った」
咄嗟に結斗だと思って声を掛けた言い訳をしたくなった大河が口を滑らせる。
ルカは大して気にした様子もなかった。
合宿の間はふたりきりになる機会をなんとなく避けてしまっていたから、ルカが手の届く距離に立つのは久方ぶりな気がした。
悪いことをしているわけではないはずなのに、大河はどうにも居心地が悪い。
うまく続きの会話が思いつけずにいると、ルカが少しむっと顔を顰めて言葉を続けた。
「聞いてもいないのに、お前が上にいると告げられたんだ」
階下でルカと顔を合わせた結斗は、とらちゃんならまだ上にいるよ、と笑った。
ルカはふたりの姿が見えないことに気づいていたが、大河を探していたわけではない。
それなのにルカが自室から出歩いている目的を見透かしたような結斗が癪に触って、自然と足はラウンジへと向いた。
ルカは、大河がいると知っていてここに来たということだ。
「何しに来たんだよ」
「腑抜けた顔を拝みに」
大河を残して結斗が先にひとりで降りてきたのだから、ふたりの間に何かがあったというより、進展するようなことは何もなかったのだろうとルカには推測できた。
加えて結斗は、ルカを大河の元に向かわせるように仕向けている。
自身とルカの関係を肯定されていると取れる結斗の言動に、大河は目元を歪めた。
「別に、今更傷ついたりしねーよ」
「ふうん。それなら、私は必要なかったか」
「なんだ、慰めにでも来たってのか?」
「嗤ってやろうと思っただけだ」
「そうかよ」
笑いたければ勝手に笑っていろ、と不貞腐れて顔を背ける。
せっかく足を運んでやったというのに蔑ろにされて、ルカは眉間に皺を寄せた。
「……今度は夜に来いと、お前が言ったんだ」
どこか拗ねたような口振りのルカに、思わず大河は顔を向ける。
何の話だ、と言いかけて、ルカの言葉と不遜な顔に、いつかの光景が脳裏にフラッシュバックした。
あれは地中海の太陽の下。
自分の上でからだをくねるルカを目に焼きつけながら、大河は確かに「今度は夜に来いよ」と半ば軽口のように言ったのだ。
数ヶ月前の記憶はまだ鮮明で、あのときルカは大河がひとりになる状況を見計らい、肌を合わせに来た。
今夜もそうなのだとしたら、何をしに来たと聞くなど野暮なことだと、大河はひねた態度を改める。
「覚えてたのか」
「忘れていたのならもういい」
「忘れねぇって」
機嫌を損ねたルカがさっさとここから去ってしまう気がした。
大河は咄嗟にルカへ振り向き、手を伸ばす。
招くように差し出された手にルカは顔をむうっと唇を結んで逡巡したが、仕方がなさそうに大河の手を取った。
どちらからともなく指を絡めながら、大河がルカの体を引き寄せて膝に乗せる。
素直に従ったルカの背に、ガラス越しの夜空が広がっていた。
「やっぱおまえは月の方が似合うな」
燦々と照る太陽の光より、静かにそこに在る月の明かりは、ルカの姿を妖艶に浮かび上がらせる。
早く肌の色を確かめたくて、大河はルカのシャツに手をかけた。
一番上のボタンはすでに開いており、ふたつ目から外しにかかる大河の手をルカがじいっと見つめる。
白い胸板を露わにさせた大河がふっと顔を上げると、ルカの形の良い唇が目前にあった。
薄く開いたそれにどきりとした大河は、思わず唇を寄せようとして、ぐっと歯を食いしばり踏みとどまった。
好きでもない相手とするなと結斗に言っておきながら、自分は何をしようとしているのだと自問する。
心を交わし合っているわけではないルカの唇に、口づける権利など自身にあるはずがない。
惚れた相手にはキスだけではだめなのだと望みながら、キスができない相手と体を繋げようとしている現実に、じくじくと罪悪感が込み上げる。
数分前まで結斗が隣にいた場所で、結斗に伸ばせなかった手で、ルカを捕らえてしまった。
ルカは関係の始まった当初から、大河が結斗を想っているとわかっていて抱かれているとはいえ、今更だがあまりにも身勝手な欲望を押しつけている。
大河が触れることをどうしてルカが許すのか、なぜ歪な関係を受け入れ続けるのか。
おまえはこれでいいのかと本心を聞き出そうとしたところで、ルカのことだから素直に答えるとは思えない。
そこにどんな理由があるのか、考えようとしてこなかった。
ルカは無自覚なのか、それとも意図的にか、その体で大河を蠱惑に誘う。
けれど、導かれるままに暴こうとした大河の手は止まってしまった。
「気が進まないのならやめておけ」
大河の思考を見透かすようにルカが助言する。
「やめてほしいか?」
答えをルカに委ねるなんて、無理やりに侵入するより卑怯だ。
それでもルカは、大河を責めるより淡々と冷静に言葉を紡ぐ。
「馬鹿のくせに難しく考えすぎでは? 簡単なことだ。おまえが、私を必要か、いらないのか」
大河にもわかりやすく、ごく単純な問いかけだった。
耳触りの良い低音の囁きが、思考能力を奪っていく。
「……そんなの、決まってんだろ」
いらない、だなんて言えない。
この行為に心は無用なのだと、雄を惑わせる罠に自ら嵌った。
ルカは大河を堕落させ、陥れることが目的なのかもしれない。
正常な判断を諦めた頭は、この体に触れられるのなら、それでもかまわないと思ってしまう。
頭の片隅に残った理性が、おまえはどうなんだ、とルカの心を知りたがっても、言葉にはできなかった。
求めているのが自分だけなのだと突きつけられたら、結斗に触れられなくなったのと同じように、大河はルカにも手が出せない。
ルカの想いから目を逸らしながら、白い肌を弄り始める。
大河の手を振り払わず、受け入れるこの身体が、ルカの答えだと思いたかった。
胸板に指を這わせ、シャツを開いて片方の乳首に唇を寄せる。
軽く甘噛みすると、ルカの手にぎゅっと力が入って大河の肩が掴まれた。
刺激に身構えるようなそぶりをされると遠慮はいらない。
口内に含んだ突起を舌で舐めまわす。
頭の片隅に浮かぶいつかの記憶。
結斗には拒まれてできなかったこと。
大河は結斗に恋をしていたから、好きな相手のからだには性的興奮を覚えていた。
けれど結斗は、女の子みたいにされるのはいやかな、と眉を下げながら困ったように笑って、大河に触れさせなかった。
大河は結斗を女のように扱っていたつもりはなかったが、行為の役割りとしてそれを求めていることに代わりはなく、好きだから、無理強いなどできなかった。
月明かりに唾液で濡れたそこが、ぬらぬらといやらしく照らされる。
ルカにも関係を始めた当初は、不必要な箇所に触れるな、と睨まれていたけれど、触れてしまいたい衝動が恋心ではないことを言い訳にして聞いてやらなかった。
かたく芯を持ち始めた中心に大河の息が上がり、指の腹でくにくにと弾力を愉しむ。
ルカのここは、大河の手で性感帯に変えられたのだ。
快感を表すからだの反応に、無理やりにいじり続けてやってよかった……、などと感慨に浸ってしまう。
片方に唇を這わせ、反対側の先端を指先で摘むとルカが微かに吐息を漏らして身をよじり、ぐい、と大河の肩を押した。
「しつこい」
つんと立ち上がったそこから引き剥がされて、顔を上げるとルカはむうっと眉を寄せていたが、仄暗い中でも頬を紅潮させているのがわかる。
はやく他のところも触れという催促だろうか、と都合良く解釈すると、大河は視線を落とした先の下腹部に手を伸ばした。
革のベルトを静かに外し、ルカに腰を持ち上げさせる。
下着ごとずり下げ、嵩を上げた性器をぐんと無理やりに露出させた。
その質量にルカの高揚を感じて、大河の熱も一気に加速する。
ルカの片足を衣服から抜き、自身のボトムも性急な手つきでジッパーを開いて欲情を引っ張り出した。
早くそれをねじ込んでしまいたいのに、わずかに残ったなけなしの理性が大河を堪えさせる。
ゴムも潤滑剤になる物も用意などなく始めてしまった。
せめて指で慣らしてやろうと、ルカの尻に手を這わせる。
けれど、大河の手が谷間の奥を探るより早く、ルカは腰を浮かせて勃起した陰茎を会陰で擦った。
挿入を誘うように尻穴が先端へ触れると、大河はたまらなくなって左右の尻を両手で鷲掴んで割り開く。
広げられた窄まりに亀頭を押し込めば、中の粘膜がぎちぎちと性器に絡みついて大河を迎え入れた。
「っ、ん……」
ルカの押し殺した声が吐息になって大河の鼓膜を刺激する。
艶のある低音に興奮をくすぐられ、正常な判断はもうできない。
本能の感覚が大河を突き動かし、ルカを求める。
挿入が深まるたびにルカは喉を鳴らしながら、大河の背にまわした両手でぎゅっとからだをすり寄せた。
ルカと繋がる以外のことが何も考えられなくなった頭では、劣情を中に受け入れて大河に縋るこの手が、ただただうれしいのだ。
溺れてもがくように、ルカがはあはあと浅い呼吸を繰り返す。
大河は互いの腹に挟まれたルカの性器を握り、腰を揺さぶる速度に合わせて上下に擦った。
手の中で膨張していく熱を感じて、大河の息もさらに上がっていく。
先端に透明の粘液が滲み始めると、ルカは自身のスラックスのポケットからハンカチを取り出し、大河の握る性器に被せた。
熱を扱く手を拒むどころか続きを促すようなルカの行動に、出してぇんだなと直感して、遠慮なく劣情を追い詰める。
いつも仕立ての良い衣服を身につけているルカの所有品は手巾でさえ値の張りそうな絹のもので、なめらかな肌触りの布を亀頭に押しつけながら握ってやった。
同時にうしろもいちばん奥の壁を擦るように何度も往復させると、ルカがぎゅうっと太ももで大河を拘束する。
中まできゅうきゅうに締めつけられて、一気に射精感が高まった。
このまま深く埋めて達してしまいたくなるけれど、最後の理性がぎりぎりのところで踏みとどまらせる。
それでも熱を高ぶらせたままで終われずに、しかし引き抜いて放てば互いの服を汚すことになるのだから大河はまわらない頭を悩ませた。
腰を動かしながらだと思考はうまくまとまらず、中で出しても外にかけてもルカに文句を言われる気しかしない。
限界が近づくにつれ抽送の速度が上がり、手の中の熱が膨らむと、ルカはひときわ甲高く喉を鳴らした。
ルカのものに被せた布が爆ぜた熱を受け止めていると手のひらで知る。
甘い嬌声に大河も劣情の解放を観念して、すんでにルカの腰を掴んで持ち上げさせ入り口の近くまで先端を引き抜いた。
急速にずるりと内壁を擦られたルカの腰がびくりと跳ねるのを感じながら、大河は亀頭だけ埋めたまま吐精した。
はっはと息が荒くなり、上がった心拍数を落ち着けるように深く空気を吸う。
果てれば徐々に思考はまわり始め、雁首がきゅうきゅうと締め上げられる感覚に、生々しい現実を自覚した。
奥にも外にも出すのに躊躇する状況では、これで勘弁してくれとルカの反応を窺う。
すると、力の抜けたルカは大河を咥えたまま、ゆっくりと腰を落とした。
精液をまとわりつかせた性器を、ずぶずぶともう一度奥まで飲み込んでしまう。
これでは浅いところに出した意味がないのに、頬を火照らせたルカが気にする様子はない。
しばらくの間そうして繋がったまま、ルカは大河の首筋に顔を預け、肩で息をしていた。
ほんとうにこれでいいのかこいつは。
聞いたところでルカが答えるかわからなかったし、答えたとしてそれが本音だという確証などないのだから、大河は何も言えなかった。
行為のあとは沈黙が気まずい。
けれど掛ける言葉は思いつかない。
何を言っても責められるのではないかとばつが悪いのだ。
しかし今夜はルカから誘ってきたようなものなのだから、誰に言い訳する必要もないと思いたかった。
ルカにも、結斗にも。
熱の落ち着いた大河が現実に引き戻されて中の体積を少しずつ減らしていくと、ルカは言葉のひとつも交わさないまま体を離してソファに倒れ込む。
シャツの裾から覗くなまめかしい肢体から無理やりに目を逸らして、居心地の悪さに耐えながら大河は自身の下衣を整えた。
手持ち無沙汰になるとルカの下肢から白濁液の滲んだハンカチを手に取り、ソファを立ってラウンジに備え付けられた手洗い場で洗ってやる。
大河がソファに戻るとルカは体を起こしており、すでに着衣の乱れも整えて夜空に浮かぶ月をぼんやりと眺めていた。
「おら、部屋で干しとけ」
「もういらない」
水気を絞ったハンカチを手渡そうとした大河の手を、ルカはそっけなく拒否する。
何に使ったかを考えれば、そう言いたくなる気分はわかるが、しかし倹約が身に染みついた大河は、もったいないと思わないでもない。
「高ぇんだろ」
「いるならやる」
「もらえるかよ……」
つんとそっぽを向かれて、これを自分のものにしてしまえば、目に入るたびに今夜のルカが目に浮かびそうで頭を抱えた。
月明かりの下で乱れる妖艶な姿は、何もなくともしばらくまぶたに焼きついて離れないだろうけれど。
ともかく、情事の証拠は隠滅してしまおう。
持ち主がいらないというのだから、上等なシルクは最後に布としての使命を果たしたのだと思うことにして、大河は燃えるごみ入れに放った。
洗い流した体液と一緒に、どろどろの欲も傷ついた恋心も、すべて流してしまえれば楽なのに。
欲を吐き出して軽くなった体とは裏腹に、熱が冷めれば簡単に割り切れない感情が大河の心を重くする。
しかしやってしまったものは仕方ないし、後悔はしていない。
そう結論づけて、己を奮い立たせた。
「立てるか?」
「このくらいで私がどうにかなると思うのか」
ソファにもたれて気怠そうなルカに声をかけると、つれない言葉が返ってくる。
「手加減してやってんだろ。次はその減らず口を黙らせてやる」
思わず大河も喧嘩腰になって応酬するが、その態度にルカは、ふっと小さく口角を上げた。
次が、あるのか。
差し出したからだを堪能しておきながら、身勝手に落ち込まれでもしたら文句のひとつでも言いたくなるが、思い悩みはすれど大河は絶対に下を向かない。
それなら、ルカがここに来た意味はあったのだろう。
大河に宿る熱情は、当の本人の知らぬ間に、触れるものを焼き焦がしていた。
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後半、これでもかって言うほど甘やかせてみたいです……
途中無理矢理表現入りますが注意つけるので苦手な方は飛ばしてください。
転移したら獣人たちに溺愛されました。
なの
BL
本編第一章完結、第二章へと物語は突入いたします。これからも応援よろしくお願いいたします。
気がついたら僕は知らない場所にいた。
両親を亡くし、引き取られた家では虐められていた1人の少年ノアが転移させられたのは、もふもふの耳としっぽがある人型獣人の世界。
この世界は毎日が楽しかった。うさぎ族のお友達もできた。狼獣人の王子様は僕よりも大きくて抱きしめてくれる大きな手はとっても温かくて幸せだ。
可哀想な境遇だったノアがカイルの運命の子として転移され、その仲間たちと溺愛するカイルの甘々ぶりの物語。
知り合った当初は7歳のノアと24歳のカイルの17歳差カップルです。
年齢的なこともあるので、当分R18はない予定です。
初めて書いた異世界の世界です。ノロノロ更新ですが楽しんで読んでいただけるように頑張ります。みなさま応援よろしくお願いいたします。
表紙は@Urenattoさんが描いてくれました。
片翼のアレス
結城れい
BL
鳥人族のアレスは生まれつき片翼しかないため、空を飛ぶことができない。鳥人族の村で孤立しながらも、生きていくために危険な森へと入っていく日々を送っていたが――
優しい獣狼ルーカス × 片翼の鳥人アレス のお話です。
*基本的に毎日20時に更新していく予定です(変更がある場合はXでお知らせします)
*残酷な描写があります
*他サイトにも掲載しています
浮気αと絶許Ω~裏切りに激怒したオメガの復讐~
飴雨あめ
BL
溺愛ハイスペα彼氏が腹黒な美人幼馴染Ωと浮気してたので、二人の裏切りに激怒した主人公Ωが浮気に気付いていないフリをして復讐する話です。
「絶対に許さない。彼氏と幼馴染もろとも復讐してやる!」
浮気攻め×猫かぶり激怒受け
※ざまぁ要素有
霧下すずめ(Ω)…大学2年。自分を裏切った彼氏と幼馴染に復讐を誓う。164㎝。
鷹崎総一郎(α)…大学3年。テニスサークル所属。すずめの彼氏ですずめを溺愛している。184㎝。
愛野ひな(Ω)…大学2年。テニスサークルマネージャー。すずめの幼馴染で総一郎に一目惚れ。168㎝。
ハッピーエンドです。
R-18表現には※表記つけてます。
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