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第8話
再び広島へ
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わたしはその後、節子さんの葬儀に出席する約束を祖父母と交わし、列車に乗っていったん広島から夫や娘の待つ自宅のマンションへと戻った。
祖父母は節子さんの遺体を安置した葬儀場に赴き葬式の打ち合わせを始めるという。
自宅のマンションに戻るとそこには学校から帰った娘の由美と会社を早引きして来た旦那がわたしの帰りを待っていた。
わたしは二人に今までの経緯を軽く説明するとシャワーを浴びてから服を着替えた。
そして今度は近くの施設に入所する母の元に向かった。
翌日わたしは母と娘の由美と共に再び広島へと向かう列車の中に乗っていた。
それは母の実母である節子さんの葬儀に参列する為だ。
わたしは昨日、広島から帰ってから母の入居する老人施設を訪ね、そこで母と話をしたのだ。
母の実母である中川節子さんが亡くなった事。
節子さんが原爆の被害者でありその為に夫を亡くし子供である母を手放さざるを得なかった事。
そしてー。
自分が被爆者である事から子供である母と距離を取った方がいいと考え結果的に母と疎遠になってしまった事も。
わたしは自分の推測も交えて節子さんの大きな苦しみと彼女の本当の気持ちを懸命に母に伝えた。
本当は母の事を誰よりも愛していたのだと。
母は初めて聞く真実にかなりショックを受けたようだった。
わたしは母に全てを話した事を一瞬後悔したがそれでも心を強く持ち自分のしている事は正しいのだと信じようとした。
この機会を逃せば母が実母の真実を知る事は永遠にないだろう。
それは母にとって大きな損失だとわたしは思う。
これは戦争という巨大な災厄に運命をねじ曲げられた母と娘が和解する最後のチャンスだった。
最初はショックを受けていた母であったがやがて気持ちの整理ができたのか少し顔を俯かせて言った。
「そうだったのねー。今やっと分かった。何故あの人があんなに悲しい眼をしていたのか。冷たい人だと思っていたけどそんな事情があったなんてー。でも・・・嬉しいよ。嫌われていたわけじゃなかったんだ」
そう言った後、母は目からこぼれ落ちた涙を指でそっとぬぐった。
わたしから話を聞いた母は実母の死に心を打ちひしがれながらもどこかスッキリとした表情をしていた。
やはり母も実母に対してずっと重苦しい感情を抱き続けていたのだろう。
そのわだかまりがわたしの言葉で少しは解消されたのかもしれない。
そして更に母はわたしに対して節子さんの最期の様子を聞いてきた。
わたしはそれに応えて節子さんの最後の言葉や彼女が孫であるわたしと母とを間違えていた事などを伝えた。
すると母は今度は涙をポロポロと流しながら泣き始めた。
そしてしばらくの間、泣き続けたがやがて顔を上げると涙で濡れた目でわたしを見つめて言った。
節子さんの葬儀に出たいと。
こうしてわたしは母と娘を連れて明後日に行われる節子さんの葬式に出席する為に広島へとって返す事になったのだった。
旦那は会社の休みが取れず一緒に行く事は出来なかったが気をつけて行っておいでと言ってくれた。
ガタンガタンと列車に揺られながら、わたしを含めた三世代の女性陣は一路、広島へと向かった。
二人掛けの椅子が差し向かいになっている四人用のボックス席に座り列車の揺れに身を委ねるわたし達。
母は病のせいで足が不自由であり白い杖を手に持ちわたしの前の座席に座っていた。
娘の由美はその母の隣の車窓近くの席に陣取り旅行気分なのか列車の窓ガラスに手と顔をぴったり付けて流れる車外の風景を嬉しそうに見ている。
わたしはと言うと二人掛けの席を一人で占領しながら向かい側の二人掛けの席に座る母と娘の様子をときおり確認しながら物思いにふけっていた。
ふと、わたしは一昨日列車の中で読んだ「譲り葉」の詩を思い出してまた読みたいと思った。
そして件の詩集を自宅に置いてきた事を後悔した。
やがて列車は広島駅に到着しわたし達三人は駅のホームへ降りた。
わたしは杖をついて歩く母の側に付き添って改札口まで一緒に歩いた。
由美はステップを踏みながら後ろからついて来る。
わたし達三人が駅の改札口を出ると一昨日と同じく祖父母が外で待っていた。
ダッシュで祖父母の元に駆け寄り祖父と祖母に順番に抱きつく由美。
そして母はわたしに身体を支えられながら杖をつきゆっくりと歩いて祖父母たちのいる方へ近づいていった。
すると祖父母もわたしと母の元へ歩み寄り彼らは両側から支える様にギュッと母を抱きしめた。
母も涙を流しながら祖父の胸に顔を埋め祖母の腕をしっかりと掴んでいる。
母の側で付き添うわたしを含めた4人はこうしてしばし身体を寄せ合いお互いの温もりを確かめあった。
今はもういないもう一人の家族の事を想いながらー。
そんなわたし達を娘の由美が少し離れた場所で後ろ手を組みキョトンとした表情で見つめていた。
それからわたし達は側に止まっている車に乗り込むと祖父の運転で節子さんの葬式が明日行われる市内の葬儀会館へと向かったのだった。
[続く]
祖父母は節子さんの遺体を安置した葬儀場に赴き葬式の打ち合わせを始めるという。
自宅のマンションに戻るとそこには学校から帰った娘の由美と会社を早引きして来た旦那がわたしの帰りを待っていた。
わたしは二人に今までの経緯を軽く説明するとシャワーを浴びてから服を着替えた。
そして今度は近くの施設に入所する母の元に向かった。
翌日わたしは母と娘の由美と共に再び広島へと向かう列車の中に乗っていた。
それは母の実母である節子さんの葬儀に参列する為だ。
わたしは昨日、広島から帰ってから母の入居する老人施設を訪ね、そこで母と話をしたのだ。
母の実母である中川節子さんが亡くなった事。
節子さんが原爆の被害者でありその為に夫を亡くし子供である母を手放さざるを得なかった事。
そしてー。
自分が被爆者である事から子供である母と距離を取った方がいいと考え結果的に母と疎遠になってしまった事も。
わたしは自分の推測も交えて節子さんの大きな苦しみと彼女の本当の気持ちを懸命に母に伝えた。
本当は母の事を誰よりも愛していたのだと。
母は初めて聞く真実にかなりショックを受けたようだった。
わたしは母に全てを話した事を一瞬後悔したがそれでも心を強く持ち自分のしている事は正しいのだと信じようとした。
この機会を逃せば母が実母の真実を知る事は永遠にないだろう。
それは母にとって大きな損失だとわたしは思う。
これは戦争という巨大な災厄に運命をねじ曲げられた母と娘が和解する最後のチャンスだった。
最初はショックを受けていた母であったがやがて気持ちの整理ができたのか少し顔を俯かせて言った。
「そうだったのねー。今やっと分かった。何故あの人があんなに悲しい眼をしていたのか。冷たい人だと思っていたけどそんな事情があったなんてー。でも・・・嬉しいよ。嫌われていたわけじゃなかったんだ」
そう言った後、母は目からこぼれ落ちた涙を指でそっとぬぐった。
わたしから話を聞いた母は実母の死に心を打ちひしがれながらもどこかスッキリとした表情をしていた。
やはり母も実母に対してずっと重苦しい感情を抱き続けていたのだろう。
そのわだかまりがわたしの言葉で少しは解消されたのかもしれない。
そして更に母はわたしに対して節子さんの最期の様子を聞いてきた。
わたしはそれに応えて節子さんの最後の言葉や彼女が孫であるわたしと母とを間違えていた事などを伝えた。
すると母は今度は涙をポロポロと流しながら泣き始めた。
そしてしばらくの間、泣き続けたがやがて顔を上げると涙で濡れた目でわたしを見つめて言った。
節子さんの葬儀に出たいと。
こうしてわたしは母と娘を連れて明後日に行われる節子さんの葬式に出席する為に広島へとって返す事になったのだった。
旦那は会社の休みが取れず一緒に行く事は出来なかったが気をつけて行っておいでと言ってくれた。
ガタンガタンと列車に揺られながら、わたしを含めた三世代の女性陣は一路、広島へと向かった。
二人掛けの椅子が差し向かいになっている四人用のボックス席に座り列車の揺れに身を委ねるわたし達。
母は病のせいで足が不自由であり白い杖を手に持ちわたしの前の座席に座っていた。
娘の由美はその母の隣の車窓近くの席に陣取り旅行気分なのか列車の窓ガラスに手と顔をぴったり付けて流れる車外の風景を嬉しそうに見ている。
わたしはと言うと二人掛けの席を一人で占領しながら向かい側の二人掛けの席に座る母と娘の様子をときおり確認しながら物思いにふけっていた。
ふと、わたしは一昨日列車の中で読んだ「譲り葉」の詩を思い出してまた読みたいと思った。
そして件の詩集を自宅に置いてきた事を後悔した。
やがて列車は広島駅に到着しわたし達三人は駅のホームへ降りた。
わたしは杖をついて歩く母の側に付き添って改札口まで一緒に歩いた。
由美はステップを踏みながら後ろからついて来る。
わたし達三人が駅の改札口を出ると一昨日と同じく祖父母が外で待っていた。
ダッシュで祖父母の元に駆け寄り祖父と祖母に順番に抱きつく由美。
そして母はわたしに身体を支えられながら杖をつきゆっくりと歩いて祖父母たちのいる方へ近づいていった。
すると祖父母もわたしと母の元へ歩み寄り彼らは両側から支える様にギュッと母を抱きしめた。
母も涙を流しながら祖父の胸に顔を埋め祖母の腕をしっかりと掴んでいる。
母の側で付き添うわたしを含めた4人はこうしてしばし身体を寄せ合いお互いの温もりを確かめあった。
今はもういないもう一人の家族の事を想いながらー。
そんなわたし達を娘の由美が少し離れた場所で後ろ手を組みキョトンとした表情で見つめていた。
それからわたし達は側に止まっている車に乗り込むと祖父の運転で節子さんの葬式が明日行われる市内の葬儀会館へと向かったのだった。
[続く]
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