譲り葉

きーぼー

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第3話

列車の中で思った事

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 わたしは自宅のマンションを出てすぐに道路でタクシーを拾い近くのJRの駅に向かった。
駅に着いたわたしは広島駅に停まる最終近くの特急電車の席を急いで予約した。
おそらく広島に着くのは真夜中近くになるだろう。
わたしは電車が入線するまでホームのベンチに座りその間に携帯電話で祖母に広島駅に着く時刻を連絡した。
電車がホームに入って来たのでわたしはベンチから立ち上がって車内に乗り込もうとしたがその前にホームにある売店で何か飲み物を買おうと思った。
売店でわたしはペットボトルのお茶を購入したがついでに車内で読むため週刊誌の並べられた棚を物色してみた。
すると雑誌の棚の横に文庫本が並べられたコーナーがありそこにはミステリーや今流行りのハウツー本などが置いてあった。
しかしわたしはその中で異彩を放つ一冊の文庫本に目を留めた。

「日本の近代詩 II」

わたしが若い頃に読んだ本だ。
かつてはハードカバーで出ていた詩選集の中の一冊だ。
明治から戦争前までの選び抜かれた日本の名詩が収録されている。
この本には確かー。
わたしはその文庫本を手に取りパラパラとめくった。
やはりあった。
河井酔茗の「譲り葉」の詩が。
わたしはお茶と共にその本を車内で読むために購入しもうすぐ発車する広島へと向かう夜行列車に乗り込んだ。

ガタン ガタン

数分後わたしは夜の景色の中を走る特急列車の指定席に座ってさっき駅の売店で買った古い詩集に目を通していた。
時間が時間だけあって列車は空いておりわたしのいる車両にはわたしの他にはサラリーマン風の男性が離れた席でうたた寝をしながら座っているだけであった。
わたしは列車に揺られながら件の「譲り葉」の詩を読んだ。
そしてフゥと息を吐いた。
確かに素晴らしい詩だ。
わたしの胸に若い頃この詩を初めて読んだ時の感動が蘇った。
だがしかしー。
大人になり世の中の複雑さを知ったわたしにはこの詩で語られている内容が少し綺麗事すぎると思えたのもまた事実だった。
この「譲り葉」という詩は簡単に言って親子世代間の無償の愛を譲り葉の木の生育する様子に例えた詩だ。
譲り葉の木の青葉が芽ぶく時、その元となった古い葉は既に散っておりその存在さえ気付かれる事は無い。
その潔さが作者の河井酔茗には親の子供に対する無償の愛に重なって見えたのだろうか。
この詩では父や母が無償で子供に残すのは美しいものそして素晴らしいものだけだと言っている。
しかし現実はどうだろう。
親が子供の世代に残すのは良いものばかりとは限らない。
例えば今からわたしが会おうとしている母の実母と母の関係はどうだろう?
前に話した通り母は幼少の頃に実母からその妹である祖母の元へ養女に出されていた。
母の礼子が小学生時代にその事を育ての母である祖母から知らされた時にはやはりショックだったそうだ。
実の母親から捨てられた気がしたという。
母は中学生になる頃、思い切って養母である祖母からその実母の人の住所を聞き出して、その人の自宅を訪ねた事があったらしい。
だが広島市内にあるその家を訪ねた時、実の母であるその人は冷たい態度で母に接して早く帰るよう促したそうだ。
その時、母は思ったという。
この人にとって自分は不必要な存在なのだと。
その後その人とは親類の冠婚葬祭などで会う機会もあったが互いに目も合わせなかったという。
そしてそのまま疎遠な関係は変わらず今日に至ったのだった。
わたしはごくたまにその母の実母の話を母自身から聞くことがあったがいつも辛そうに話していたのを覚えている。
養子になった義父母から充分に愛情を持って育てられ自分も父という伴侶を得て幸せに暮らしながらもその実母の存在は母の心に暗い影を落とし続けた様にわたしには感じられた。
もちろん母の実母にも彼女なりの事情があったのだろう。
それに彼女の夫、つまり母の実父については母が養子に出された頃に病気で亡くなったと聞いた事がある。
やはり女手一つで母を育てるのは無理だったのかも知れなかった。
当時は戦後の混乱期で自分一人が食べていくのも大変だった事だろう。
彼女が母を託した妹夫婦の家は当時は雑貨店を経営しており生活は安定していた。
夫を亡くした寡婦である彼女が止むに止まれず娘を手放し当時は子供のいなかった祖父母の養女にしてもらったのはやむを得ない事だったかも知れない。
しかしそれでも彼女の冷たく突き放したような態度が若い頃の母の心を深く傷つけていたのは事実だ。
やはりこの事は親の世代から子供の世代に対しての負の遺産と言えるかもしれない。
負の遺産といえばー。
わたしは読みかけの詩集を閉じて膝に置き列車の座席に座りながら車窓の外を流れる夜の景色に目を馳せた。
母の実母は若いころ戦争の時代を生きた人だ。
その事実はわたしに今日学校で戦争体験を話してくれたあの年配の男性を思い起こさせた。
自分を譲り葉だと言ったあの老人の事を。

ガタン ガタン ガタン

わたしを乗せて列車は走り続ける。

[続く]
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