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短い休日 Ⅰ
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冴木さんに呼ばれて、僕が奪ったであろう彼の日数と同じ土日の二日間を譲ることにしたのだけど、迎えに来てくれた冴木さんの車に乗っていたのは、いつかスーパーで出会った絶世の美青年だった。僕が車に乗ったときにはすやすやと眠っていて、綺麗な人は寝姿も絵になるのだな、と思った。
冴木さんは悪戯っぽそうに笑って、実は彼のマネージャーをしていることを話してくれた。有栖とは彼が幼少の頃からの付き合いらしく、10年以上も一緒にいると言う。
有栖みたいな美貌と一緒にいると、周囲からの嫉妬がすごくて大変だと冴木さんは言った。……僕からしたら、冴木さんもかなり整った見た目をしていると思うのだけど、横にいるのがあまりにも整いすぎて、本人では気付かないのかもしれない。
いかにも知的そうで仕事が出来そうな顔に、縁のない眼鏡をかけていて、一見冷たく見えるのだが、その顔には柔らかい笑みが浮かんでいて、人の良さが全面に現れている。ふわふわした薄い茶色の髪を半分オールバックのように掻き上げ、半分は顔の横に垂らしていた。
僕がお礼も兼ねて買ってきた安い茶菓子を渡すと、とても喜んでくれた。
コテージに着くと自己紹介から始まって、そこで初めて僕を助けてくれたのは有栖だと聞かされた。驚きと、ちょっとした納得が生まれた。
……冴木さんは優しい人だ。だけど、どちらかというと気が弱そうで、あのガラの悪い三人から守ってくれるには、なんとなく頼りない感じがした。だから、助けてくれたのが有栖だとすると納得がいく。
美人が凄むと怖いというし。喉はトンネルに繋がっているみたいだし。
僕は礼を言ったが、有栖はなんか気まずそうだった。ちょっとしか面識のない人間が旧知の二人の間に入っているので、それで気まずいのだろう。
それを知ってか知らずか、冴木さんは僕らをおいてどこかに行ってしまった。より一層気まずくなる。僕は何か話題を探しながら笑顔を作っていた。
すると、有栖が眉根を寄せて、「無理に笑うな」と言ってきた。今までそんなことを言われたことがなくて、とても焦ったしどうしていいか分からなかったが、話を聞いてみると目が笑っていないから顔だけ笑顔なのは違和感があるということだった。目、なんてどうやって笑ったら良いのだろう。そう聞くと、笑いたくなったら自然に笑えると言われた。
有名人の有栖と一緒にいても気まずいし、それは相手も同じだろうから僕は散歩に出た。
まだ夏の終わりだけど、風は秋に近い。
澄んだ空気に鳥の声が響き、秋の虫たちも鳴き始めている。迷子になってもいけないので、コテージ周辺をぐるりと探索していると、コテージの左側面付近に、薄緑色の翅を持った蛾が地面の上でひっくり返っていた。
これはオオミズアオという蛾だ。背中の毛がふわふわで、見た目も綺麗だし何より可愛い。人によっては蛾特有の触覚が駄目みたいだけど。秋も近いし、この蛾が過ごすには些か寒すぎるので死んでしまったのだろうか。そう思って眺めていると、突然ばたばたと暴れた。起き上がろうとしているらしく、時折翅をばたつかせているのだが、やはり弱っているようで一向に起き上がれなかった。
見かねた僕はそっと翅の下に手を入れると、手の平を返して起き上がらせてやった。それから、手ですくい上げてコテージに戻る。玄関周辺はウッドデッキのようになっているから、そこに腰掛けた。手の中の小さな命は、大人しく僕の指にしがみついて、僕に背中を撫でさせてくれた。
こんなに可愛いのに、大抵の人間は嫌がってすぐ殺す。それは蛾だけではなくて、蟻とか蚊とか蜘蛛とか。……正直蚊は僕も苦手だ。なんか僕だけやたら刺されるし。すぐ耳の横飛ぶし。だから蚊よけとかで追い払うのだけど、叩いて殺すことはしない。命を簡単に叩き潰すなんて、僕には恐ろしいことのように思えて出来ないのだ。言うなれば究極の小心者ってところか。
虫なんて人間の人生の一瞬しか生きられないのだから、放っておいてあげれば良いのに。…………ああでも、農家の人たちが苦労して作った野菜を食べるのはやっぱり困るよな。農家の人も虫も生きるためには食べ物が必要だから、誰も間違っていないのだけど。
…………こうやって虫とか鳥とかを眺めて、変な思考にばっか耽っているから虐められるのかな。芸能系の話にも流行にも付いていけなくて融通効かないし。もしかしなくても変な奴だもんな。
悶々としていると、後ろから唐突に声が聞こえる。驚いて振り返ると、有栖がいた。ちょっとだけ恐怖と嫌悪が入った表情をしていて、その目線は手の中の生物に注がれていた。
有栖もそっち側の人間なのか。
僕を助けてくれたって聞いて、ほんの少しだけ僕を理解してくれるんじゃないかって期待したのだけど。
落胆する気持ちを抑えて、有栖にあれこれ話しかけてみる。笑わなくて良いって言ってくれたし、敬語もいらないって言われたから、会話するのがすごく楽だ。いろんなことに神経を使わなくて済む。
気付けばぺらぺら蛾のことを話してしまっていて、また引かれるのではとはっとした。
……だけど、有栖はどこにも行かなかった。それどころか、僕の話に耳を傾けながら、僕の隣に腰掛けた。
変わった人、だった。今まであった人はみんな、虫も含めて僕に対して「気持ち悪い」と言った。そこまで直球じゃなくても、「変人」とか。だから、御園にも虫の話とかしたことがなかったのだけど。
なんかつい話してしまった上に、それを逃げずに聞いてくれたことが嬉しかった。先程の落胆した気持ちもどこかに行ってしまう。
調子に乗った僕は「可愛いよ」と蛾を近付けようとして、思いっきり嫌がられてしまった。有栖の髪は水色だから、とても似合うと思ったのに。……話を聞いてくれただけ、良しとしよう。
僕はオオミズアオを近くの茂み付近で放した。きっともうじき死んでしまうだろうけど、自然の摂理だから仕方ない。せめて最期は安らかに。そう祈った。
冴木さんは悪戯っぽそうに笑って、実は彼のマネージャーをしていることを話してくれた。有栖とは彼が幼少の頃からの付き合いらしく、10年以上も一緒にいると言う。
有栖みたいな美貌と一緒にいると、周囲からの嫉妬がすごくて大変だと冴木さんは言った。……僕からしたら、冴木さんもかなり整った見た目をしていると思うのだけど、横にいるのがあまりにも整いすぎて、本人では気付かないのかもしれない。
いかにも知的そうで仕事が出来そうな顔に、縁のない眼鏡をかけていて、一見冷たく見えるのだが、その顔には柔らかい笑みが浮かんでいて、人の良さが全面に現れている。ふわふわした薄い茶色の髪を半分オールバックのように掻き上げ、半分は顔の横に垂らしていた。
僕がお礼も兼ねて買ってきた安い茶菓子を渡すと、とても喜んでくれた。
コテージに着くと自己紹介から始まって、そこで初めて僕を助けてくれたのは有栖だと聞かされた。驚きと、ちょっとした納得が生まれた。
……冴木さんは優しい人だ。だけど、どちらかというと気が弱そうで、あのガラの悪い三人から守ってくれるには、なんとなく頼りない感じがした。だから、助けてくれたのが有栖だとすると納得がいく。
美人が凄むと怖いというし。喉はトンネルに繋がっているみたいだし。
僕は礼を言ったが、有栖はなんか気まずそうだった。ちょっとしか面識のない人間が旧知の二人の間に入っているので、それで気まずいのだろう。
それを知ってか知らずか、冴木さんは僕らをおいてどこかに行ってしまった。より一層気まずくなる。僕は何か話題を探しながら笑顔を作っていた。
すると、有栖が眉根を寄せて、「無理に笑うな」と言ってきた。今までそんなことを言われたことがなくて、とても焦ったしどうしていいか分からなかったが、話を聞いてみると目が笑っていないから顔だけ笑顔なのは違和感があるということだった。目、なんてどうやって笑ったら良いのだろう。そう聞くと、笑いたくなったら自然に笑えると言われた。
有名人の有栖と一緒にいても気まずいし、それは相手も同じだろうから僕は散歩に出た。
まだ夏の終わりだけど、風は秋に近い。
澄んだ空気に鳥の声が響き、秋の虫たちも鳴き始めている。迷子になってもいけないので、コテージ周辺をぐるりと探索していると、コテージの左側面付近に、薄緑色の翅を持った蛾が地面の上でひっくり返っていた。
これはオオミズアオという蛾だ。背中の毛がふわふわで、見た目も綺麗だし何より可愛い。人によっては蛾特有の触覚が駄目みたいだけど。秋も近いし、この蛾が過ごすには些か寒すぎるので死んでしまったのだろうか。そう思って眺めていると、突然ばたばたと暴れた。起き上がろうとしているらしく、時折翅をばたつかせているのだが、やはり弱っているようで一向に起き上がれなかった。
見かねた僕はそっと翅の下に手を入れると、手の平を返して起き上がらせてやった。それから、手ですくい上げてコテージに戻る。玄関周辺はウッドデッキのようになっているから、そこに腰掛けた。手の中の小さな命は、大人しく僕の指にしがみついて、僕に背中を撫でさせてくれた。
こんなに可愛いのに、大抵の人間は嫌がってすぐ殺す。それは蛾だけではなくて、蟻とか蚊とか蜘蛛とか。……正直蚊は僕も苦手だ。なんか僕だけやたら刺されるし。すぐ耳の横飛ぶし。だから蚊よけとかで追い払うのだけど、叩いて殺すことはしない。命を簡単に叩き潰すなんて、僕には恐ろしいことのように思えて出来ないのだ。言うなれば究極の小心者ってところか。
虫なんて人間の人生の一瞬しか生きられないのだから、放っておいてあげれば良いのに。…………ああでも、農家の人たちが苦労して作った野菜を食べるのはやっぱり困るよな。農家の人も虫も生きるためには食べ物が必要だから、誰も間違っていないのだけど。
…………こうやって虫とか鳥とかを眺めて、変な思考にばっか耽っているから虐められるのかな。芸能系の話にも流行にも付いていけなくて融通効かないし。もしかしなくても変な奴だもんな。
悶々としていると、後ろから唐突に声が聞こえる。驚いて振り返ると、有栖がいた。ちょっとだけ恐怖と嫌悪が入った表情をしていて、その目線は手の中の生物に注がれていた。
有栖もそっち側の人間なのか。
僕を助けてくれたって聞いて、ほんの少しだけ僕を理解してくれるんじゃないかって期待したのだけど。
落胆する気持ちを抑えて、有栖にあれこれ話しかけてみる。笑わなくて良いって言ってくれたし、敬語もいらないって言われたから、会話するのがすごく楽だ。いろんなことに神経を使わなくて済む。
気付けばぺらぺら蛾のことを話してしまっていて、また引かれるのではとはっとした。
……だけど、有栖はどこにも行かなかった。それどころか、僕の話に耳を傾けながら、僕の隣に腰掛けた。
変わった人、だった。今まであった人はみんな、虫も含めて僕に対して「気持ち悪い」と言った。そこまで直球じゃなくても、「変人」とか。だから、御園にも虫の話とかしたことがなかったのだけど。
なんかつい話してしまった上に、それを逃げずに聞いてくれたことが嬉しかった。先程の落胆した気持ちもどこかに行ってしまう。
調子に乗った僕は「可愛いよ」と蛾を近付けようとして、思いっきり嫌がられてしまった。有栖の髪は水色だから、とても似合うと思ったのに。……話を聞いてくれただけ、良しとしよう。
僕はオオミズアオを近くの茂み付近で放した。きっともうじき死んでしまうだろうけど、自然の摂理だから仕方ない。せめて最期は安らかに。そう祈った。
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