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第二章 聖メディアーノ学園編

29 薬学院のアリア

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 放課後になると、マナはユリカが心配するのを知りつつも、メラメラを抱いて一人で校舎の庭園を歩いていた。昨日の一件に、昼間はアルカードが怒るのを初めて見て衝撃を受けた。それに加えて、ティア姫の存在が常にマナを苦しくさせる。嫌な思いが複雑に絡み合って、どうしても一人になりたい気分だった。

 マナが思考を空にして庭園を歩いていると、
「マナ~、きれいなお花があるよ」

 メラメラの差す垣根の向こうに、色鮮やかな草花が見えた。ふらりとそれに向かって歩き、人が通れるように作ってある垣根の隙間から隣の敷地に入った。それからは花壇の前に蹲って、じっと紫色の小さな草花を見つめていた。

 メラメラが腕を伸ばして、小さな花を指でつついていると、籠を持った女性が現れて、マナから少し離れた場所に同じように蹲った。だいぶ年配の女性だが、赤味がかった銀髪が斜陽に輝く美しい人であった。彼女は白いローブ姿で、マナの感覚では、聖職者のようにも魔法使いのようにも見えた。

 マナが何となく女性の方を見ていると、彼女は草花を摘んで籠の中に入れ始める。そして、少しずつマナの方に寄ってきて、ついにマナが見ていた紫色の花を引っこ抜いた。

「あ~っ、とった~」

 メラメラが声を出すと、女性が振り向いた。その時に、彼女の肩の上で切りそろえた髪がさらりと揺れる。

「まあ、可愛らしいフェアリーね」
「あの、どうして花を摘んでいるんですか?」

 女性の籠に入っている草花は、飾るにしては小ぶりだった。

「この花壇にあるものは、全部薬草なのよ」

 微笑んで言う女性を見ると、マナは懐かしいような切ないような不思議な気持ちになった。

「あなたはお隣の生徒さんね、薬草に興味がおあり?」
「あの、すみません、この花壇にあるのが薬草だなんて、全然分かりませんでした……」

 一応、マナはシャルの教えの下で薬草の勉強をしている。けれど、花壇の花たちが薬草と分らず、少しショックだった。

「何か悩みでもあるのかしら?」
「え!?」

 急に確信を突かれて、マナは声を上げてしまった。

「マナね、怒られたの」
「あら、そうなの」

 メラメラの説明に、女性が笑いを含みながら答える。マナは穴があったら入りたい気持ちになった。そして彼女は、マナを優し気に見つめて言った。

「わたしの娘も何かあると、あなたのように一人で悩んでいました」

 マナは、目の前にいるこの人に、自分の悩みを聞いてほしいと心底思った。けれど、マナにそれを口に出す勇気はなかった。マナが俯いていると、彼女が言った。

「良かったら、わたしの部屋にいらっしゃいな、とっておきのハーブティーをご馳走しますよ」
「は、はい、行きたいです」
 女性はマナの心を知っているかのようであった。



 マナは女性に付いて薬学院の校舎に足を踏み入れた。石造りのビルともいえるこの学校は、ロディスでは先進的な建造物だ。校内の雰囲気は、聖メディアーノ学園とは全く違っていた。放課後なので残っている生徒は少なかったが、彼らの醸す空気に、マナは親しみを感じる。それに、学園にいる時よりも心が安らいだ。

 ――ここは、普通の学校なんだ。

 薬学院の雰囲気は、マナが知っている学校とよく似ている。薬学院は貴族もいるが、平民も多い。全ての生徒が薬師を目指して勉強する同志であり、校内において身分の上下は排除されていた。校則にも、身分の上下は認めず、全ての生徒が平等であると記される。破った者は例え王族でも処罰される。それほどに薬師の権威は強大なのだ。

 女性は階段で、どんどん上に行って、マナは黙って付いていく。やがて最上階の三階の一部屋の前に着いた。その部屋の扉がとても立派で、明らかに教室などとは違う。

 女性は観音開きの扉の片方を押し開いて入っていく。

「さあ、お入りなさい」

 マナは入った瞬間、その部屋のあまりの広さに呆然とした。正面は全てガラス張りで、たっぷりと日が射して明るい。入り口に近い隅の方に客をもてなすソファーとテーブルがあり、壁際は本棚が隙間なく並んでいた。窓から少し離れたところに、ぽつんと机があって、端の方に書類が積んであった。

「お茶を用意する間、そこのソファーで休んでいてね」
「はいぃっ」

 マナは変に緊張した声を出して、ぎこちない動きでソファーの方に歩いた。

「マナ、歩くの変だぞ」

 メラメラが目ざとく突っ込んできて、マナは苦笑いしてしまうのであった。

 女性は本棚の間にある隙間に入り込んで姿を消す。マナがよく見ると、本棚と本棚の間に小さな扉があり、奥に様々な実験器具のようなものが見える。

 ソファーに落ち着いて部屋を見渡して、マナはもしやと思う。しばらくして、女性がトレイに茶器を乗せて現れ、それをテーブルの上に乗せた時に、マナは思わず聞いてしまった。

「おばさんって、もしかして、すごく偉い人ですか?」

 マナは聞いてしまってから、失礼な事を言ったかもしれないと、内心冷やりとする。すると、女性は上品に笑って言った。

「偉いかどうかは分からないけれど、薬学院の院長をやっているわ。アリア・フェローナよ」

 マナは無意識に立ち上がって頭を下げていた。

「申し遅れました、マナ・シーリングと申します」
「うふふ、変わった子ねぇ。わたしなんて、ただのおばさんよ、そんなに緊張しないでちょうだい」

 アリアはポットからカップにお茶を注ぎながら言った。

「さあ、めしあがれ、リラックスできるわよ。フェアリーちゃんは、こっちのキャンディーをどうぞ」
「うわぁ~い、あま~いキャンディーだ~」

 マナがお茶を一口すすると、口の中に爽やかな風味が広がって、えも言われぬ香りが鼻を抜けていく。そして、胸の底からほっと一息吐くことができた。

「とっても美味しいです」
「そうでしょう、わたしのオリジナルブレンドよ」

 アリアはマナの正面に座って、穏やかに微笑んでいた。見つめられたマナは、俯いて目を逸らしてしまう。

「よかったら、お話を聞きましょうか?」
「はい、お願いします」

 そう言った時のマナは、まっすぐに前を向いて、アリアの目を見つめていた。余り物言わぬマナが、アリアの前ではすらすらと話をする事が出来た。アルメリアに激昂された事から始まり、ティア姫に対する気持ち、お昼休みの一件まで、悩んでいる事を何もかも全て打ち明けた。話を聞いたアリアは、優し気な眼差しをマナに向けて言った。

「アルメリアは、この学校の生徒だったので良く知っています。きっとあの子なりの考えがあって、あなたを叱ったのでしょう。確かに言えることは、アルメリアに悪意はないという事です」

 マナはアリアの目をしっかり見て、真剣に話を聞いていた。メラメラはその横で、色とりどりのキャンディーに夢中である。

「その人に及ばないからと卑下する必要はありません。あなたはあなた、他人とは違うのです。マナ・シーリングらしく生きて、マナ・シーリングらしく努力して下さい、わたしはそれを望んでいます」

 そして最後に、とアリアは続けた。

「殿下が神薬革命に強い反応を示すのは当然の事なのですよ。それは王妃から直接聞いてみても良いでしょう」
「え!? い、いいんですか、聞いちゃって?」
「いいですよ、わたしが許可します」

 アリアの身分は分からないが、王妃より上なはずはない。それなのに、その言葉には異様な説得力があった。

 アリアのおかげで、マナの溜飲はすっかり下がった。陰りのあった表情も明るくなり、話が終わるころには笑顔さえ見せた。

 アリアは最後にこう言った。

「あなたにとって、この世界はどうですか?」

 マナはその言葉に何の疑問も抱かずに、ただ胸の奥から湧いてくる清水のように濁りのない言葉を伝えた。

「とても、温かいです」

 その時のアリアの微笑みは、マナの胸に深い郷愁をもたらす。

「また、いつでもいらっしゃい」
 それはまるで母のように温かい言葉だった。



 マナが薬学院の校舎を出る頃には、庭園に夕焼けが落ちていた。マナは名残惜しい気持ちがあって、校舎の三階の窓を見上げる。抱かれているメラメラは、キャンディーをお土産に貰って嬉しそうだった。

 マナは誰も見ていないのならと、アリアの印象から受けた抑えきれない思いを声に出した。

「お母さん」
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