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第一章 異世界召喚編

12 マナ・シーリング

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「もうおやめ下さい、アルメリア様」
 全員の視線が真那の近くに立ったユリカに集まった。

「我が主に対するこれ以上の無礼には黙っていられません」

「あなた、正気なのですか? 王妃様が選んだ侍女とは言え、平民ごときが公爵令嬢であるこのわたしに意見するなんて」

 ユリカは黙っていたが、アルメリアに屈しないという意思が毅然とした態度に現われていた。それを見て取った公爵令嬢は、目を細めて冷ややかにユリカを見つめる。

「わたくしがその気になれば、あなたなをお城から追い出す事など造作もないこと」
「この身がどうなろうと、マナ様をお守りするのが、わたしの役目です」

 動じないユリカの姿にアルメリアは驚きを隠さなかった。公爵令嬢のアルメリアが動けば、平民のユリカなど城を追い出されるだけでは済まない。悪くすれば命だって消されかねない。ユリカはそれを理解した上で、真那の盾となっていた。

 アルメリアはエメラルドのような瞳でユリカを見ながら、扇子を開いてまた口元を隠した。自分の表情を見られたくなかったのだ。

「このような侍女が居て羨ましいこと、わたくしの侍女と交換してほしいくらいですわ」

 それはユリカに対するこれ以上ない誉め言葉であると同時に、アルメリアの侍女に対する最大級の侮辱であった。子爵出の娘が、平民出の娘に劣ると言っているのだ。アルメリアの侍女は下を向いて、その屈辱に耐えていた。

「アルメリア、もう止めるんだ」

 王太子のアルカードが声を上げると、嫌な空気が洗われて、すっと軽くなる。

「……申し訳ありませんでした、せっかくのお茶会に水を差してしまった事は認めます」

 アルメリアは王太子のみならず、その場に全員に対して素直に謝罪した。真那が、そう悪い人間でもなさそうだなと思った矢先、刃の切り返しの如き言葉を浴びせられた。

「マナでしたね、これだけは言っておきます。その侍女が、あなたの為に命を掛けるという覚悟は本物です。その覚悟に甘えていたら、あなたは取り返しのつかない過ちを犯すでしょう」

 しんと静まり返る。メラメラが真那の懐から、不安そうに公爵令嬢の顔を見上げていた。

「もう、本当にいい加減にして! なんなのさ! そんなにマナを苛めたいの!?」
「苛めるだなんて」

 ついに我慢できなくなって叫ぶシャルに、アルメリアは扇子を下ろし、意味深な笑顔を見せた。

「まあ、どのように受け止めるかは、あなた次第ですわ」

 これは真那に向けられた言葉だった。そしてアルメリアは席を立つ。

「わたくしはこの席には相応しくないようなので、お暇致しますわ」

 アルメリアは、アルカードに頭も下げずに、そっぽを向くようにして去っていった。慌てて後を追う侍女の背中が疲弊と憔悴を感じさせた。

「何なんだよあいつ! 最悪だよ!」
「アルメリア様は意地悪をするような方ではないと思うのだけど」

 噛みつくような勢いのシャルに対して、ゼノビアは釈然としていない様子だった。

「彼女に悪気はない。気にすることはないよ」

 アルカードがそう言ってくれると、真那は地獄から天国へ救い上げられるような気持ちになった。けれど、アルメリアの一部の言葉が、胸の奥深くに入り込んでいつまでも消えない。

「お茶が冷めてしまったよ。淹れなおしてもらおうか」

 アルカードの一言で侍女たちが動き出すと、雰囲気が一気に和んだ。

「アルメリアって、初めて見た時から好きじゃなかったけど、予想通りの嫌な性格だったね!」
「そう悪い人ではありませんよ。ただ、自分にも他人にも厳しすぎるのよね」

 シャルとゼノビアが、アルメリアの話をすると、マナの脳裏に先程の公爵令嬢の姿が浮かんだ。あれだけこてっぱんに言われたのに、何故かアルメリアには惹かれるものがあった。

「いけません、テーブルに土足で上がるなんて」

 ゼノビアからそんな声が聞こえてくる。考え事をしていた真那は、メラメラがテーブルの上で這い這いしながらクッキーに向かっている姿を見て慌てた。

「うわぁ!? またそんな事して!」

 真那がメラメラの胴を掴んで引き戻すと、メラメラがクッキーの乗っている皿をつかんでいて、それも一緒に引きずられて、かなりの数のクッキーが零れ落ちてしまった。

「ああっ!? ごめんなさいっ!」
「あむ、むぐ」

 メラメラは慌てまくる真那なんか気にしないで、テーブルに半分這い出した状態でクッキーを食べまくる。そこにユリカが駆け寄って零れたクッキーを拾っていく。

「マナ様、メラメラの事は、しっかりと見ていて頂きませんと」
「ごめんなさい……」

 こればっかりは契約者の真那が責任を持たなければいけないのであった。

「可愛いじゃないか、メラメラっていうんだね。異世界から来たばかりの君が、どうしてフェアリーと一緒なんだい?」

「この子は突然やってきて、分からない事だらけなんです」

「フェアリーはフラウディアにはたくさんいるけれど、この辺りでは滅多に見ないよ」

 アルカードはフラウディアの事を知っているような口ぶりだったので、真那は質問してみようと思うが、彼女がそれを声に出すのには、大きな勇気が必要だった。

「あの……殿下、は」
「アルカードでいいよ、出来れば名前で呼んでほしい」

 真那は彼の青い瞳に射抜かれて、顔がかっと熱くなってしまった。暫しの沈黙があり、その間はメラメラがクッキーを食べるサクサクと小気味の良い音だけが、妙に大きく聞こえた。

「……ア、アルカード様」

 名を呼ばれたアルカードが満足げに微笑むと、真那はもう一段を勇気を出して声を上げた。

「フラウディアに行ったことがあるんですか?」
「一度だけあるよ」

「そこにはフェアリーがいっぱいいるんですよね? よかったら、フェアリーの事を詳しく教えて頂けませんか?」

 するとアルカードの表情が曇った。真那は自分が何か失礼なことを言ったかと心配になる。

「聞かない方がいいと思うよ。君がそのフェアリーを大切に思っているのなら、なおさらね」

 アルカードの嫌悪感に苛まれた言葉と表情が、真那の心を芯から凍り付かせた。それ以上は何も聞けなかった。

「君はミノセ・マナと言ったよね。ミノセなんて変わった名前だね」

 アルカードが急角度に話を変えてきて、真那は答えるのに少し時間がかかった。

「えっと、海ノ瀬は姓で、真那が名前なんです」
「そうか、名がマナなんだね。可愛らしい君に相応しい名だ」

 理想的な王子様から可愛らしいと言われて、真那はこの上ない喜びと一緒に、ある種の怖さも感じた。真那は自分を可愛いなどと思っていなかったし、それを一国の王太子から言われたとなると、自分の知っている現実から乖離かいりしすぎている。今この瞬間にも、この夢のような現実から覚めて、以前の暗い世界に戻るのではないか。そんな恐怖があるのだ。

 アルカードに、そんな真那の気持ちが分かるはずもなく、何気ない話が続く。

「姓名としても、ミノセは変わっている」
「王妃様にも同じことを言われました。あと、違う姓を考えておくって」
「そうなんだね。ミノセって、どういう意味なんだい?」
「あの、多分、海を表現しているんだと思います」

 真那は自分の名字についてなど考えた事はなかったので、漢字を思い浮かべて自分の印象をそのまま伝えた。

「海か。だったら、シーリングというのはどうだい? この国の古い言葉で海という意味なんだ」

「シーリング……」
「そう、マナ・シーリング、良いと思うんだけどな」

「とても素敵です」
「気に入ってくれて良かったよ」

 アルカードが笑顔になると、マナはその姿に胸を撃たれて直視できなくなった。そして、アルカードからもらった名を生涯大切にしていこうと心に誓うのであった。
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