楽園の天使

8

　その間にも秋葉あきはの顔色は悪くなる一方で、立っているのすらつらそうに見える。
　それもそうだろう。あの悪魔が実体を得る為に使っている生命エネルギーは、秋葉あきはの命そのものなのだから。

（あの顔色、状況はかなり深刻だな）

　秋葉あきはの顔色をうかがい、猶予があまりないことを再確認する。
　秋葉あきはを助けると誓った。
　その為にも、あの悪魔の興味を何とかして引き付けなければならない乱世らんせは出来るだけ自然を装って悪魔と会話を続ける。

「残念だけど、俺は自殺志願者じゃない。お姉さん、あんたを排除対象として消しに来たんだ。だから、謝るのは俺の方だよ。悪いね、最後の晩餐すらさせてあげられなくて」

　乱世らんせの言い分に悪魔の額に青筋が浮かんだ。
　見るからに気に入らないといった顔で悪魔が右手を前へと突き出す。

「そう、いい度胸ね。でも人間風情が悪魔のワタシに楯突くなんて無理よ。前言は撤回するわ。坊やは死になさい、ワタシの為に」

　乱世らんせに向けられた悪魔の手のひらから、凄まじい衝撃波が起こる。
　あっという間に乱世らんせの立っていた場所は悪魔の攻撃で巻き上げられた粉塵で見えなくなった。
　しかしその程度でやられる乱世らんせではない。
　衝撃波をかいくぐり、路地の壁を駆け上がると秋葉あきは達の背後へと下り立つ。
　パリッという静電気のような音をさせて拳を握り込むと、乱世らんせの動きを追って振り向いた悪魔の胴体目掛けて殴りかかった。
　本能で危険を察知した悪魔は大袈裟なほど後ろに跳び退き、乱世らんせとの距離を取る。
　耐え切れなくなり、ついに膝をついた秋葉あきはの姿が視界の隅に映ったが、さすがの乱世らんせにも秋葉あきはを気にしている余裕はないらしい。
　少しでも隙を見せれば、あの女性型の悪魔は容赦なく乱世らんせを殺すだろうことが目に見えていた。
　だから代わりに敵意を込めた鋭い視線を悪魔に向ける。

「……確かに人間だよ。だけどいくら綺麗なお姉さんの見た目をしてても悪魔にそれを言われると、なんか腹立つな」
「随分と妙な力を持っているのね、坊や。でもその程度じゃ、ワタシは倒せないわよ」

　攻撃姿勢を取った悪魔の両の手が、黒光りする鋭い刃物のような形状へと変わる。

（なるほど、あれで今までの被害者は切り刻まれたのか）

　冷静に状況を分析しながら、悪魔の行動に注視する。
　ギャリンッという音を立てて、両腕の刃で道路を抉りながら乱世らんせ目掛けて悪魔が駆け足で向かってくる。
　砕けた道路の破片をまき散らしつつ、悪魔が右腕を下方から斜めに振り上げて乱世らんせを斬り付ける。
　それを後方へ二度跳ぶことで避けると、着地したその足に力を込めて身体に左回転をかけながら前方へと跳び出して悪魔の頭目掛けて上段回し蹴りをお見舞いする。
　しかし難無く避けられ、代わりに悪魔の右手が刺突を繰り出す。
　突き出された刃を足場に乱世らんせは再び後方へと跳び退く。
　息をつかせぬ攻防で悪魔がエネルギーを消費しているのだろう。
　秋葉あきはの額から脂汗がにじむのが見えた。

（このままだとまずいな……）

　秋葉あきはの顔色を視界の隅で確認した乱世らんせが焦り始める。
　先程までの攻防で、双方共に互いの戦闘力が拮抗している事に気付いているからだ。
　秋葉あきはを助ける為にも悪魔を倒さなくてはならないのだが、このままでは悪魔を倒す前に秋葉あきはが力尽きてしまうだろう。
　それでは本末転倒だ。

（なるべく悪魔にエネルギーを使わせずに戦わないと）

　そうは思うが、動けばエネルギーを消費するのは生き物も悪魔も同じ。
　乱世らんせと悪魔が派手に立ち回るほどに秋葉あきはは生命エネルギーを失っていくのだ。
　しかも乱世らんせは生身の人間で、相手は実体を得たとはいえ疲労という概念のない悪魔である。
　長引けば長引くほど乱世らんせが不利になっていくのは明白だった。

「どうしたの、坊や？　来ないならこっちから行くわよ！！」

　悪魔にとっての宿主は所詮エネルギー源でしかない。
　エネルギーが尽きれば宿主を変えればいいだけの事で、秋葉あきは一人に固執して生かし続けておく必要などないのだ。
　一方秋葉あきはを思い、派手な攻防を行えなくなった乱世らんせの身体にじわじわと傷が出来始める。
　致命傷には至っていないが腕や足、脇腹など身体中のあらゆる所から出血している。

（まだかろうじてそこまで深い傷はない。でも一撃でも直撃すれば失血死しかねないな）

　秋葉あきはを助ける為にも乱世らんせは必死の体で、悪魔の攻撃をギリギリの所で避け続ける。
　その姿を力なく見つめていた秋葉あきはの目から涙が零れていく。

「お願い、ゼネリア……もうやめて……」