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第34話 裏切り者には死を

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「佐々木さん」
 驚きのあまり、前川は名前を呼ぶことしかできなかった。
 相沢は至って冷静だった。肩で息をしているのは変わらなかったが、冷たい目を佐々木に向けている。
「もう少し驚いてくれるかと思ったんだが」
 米田がつまらなさそうに言った。
「ショウビに情報が流れていた時点で、疑ってましたから」
 涼しい相沢の声に、前川はさらに驚いた。まさか佐々木を疑っていたとは。あの時、連絡を入れたのは礼を言うためだけではなかったということか。
「では、無事との連絡も私の反応を確認するためだったんだね」
 佐々木も同じ疑問に至ったのだろう。あえて訊ねる。だが、いつもの佐々木の口調が、前川にはわざとらしく響いた。
「確信は得られませんでしたが、疑いを強めるものはありましたよ」
 相沢が息を整えた。そして気力を振り絞って立ち上がる。しかし、顔には大量の汗が滴っていた。
「この男はお前への影響力を拡大したかったんだ」
 米田が状況を説明するように口を開いた。その言葉に、相沢が目を見開く。
「それでは、美咲も」
 聴きたくないはずなのに、相沢は真っ先にそれを訊ねていた。
「お前と出会ったのは偶然だ。しかし、惚れてしまったのが運の尽きだったな。彼女の臓器移植は無くなった」
「なっ」
 あまりのことに、前川が声を上げてしまった。たしか、移植が出来なくなったから安楽死を。そういう依頼ではなかったのか。
「本来なら、すぐにでも移植できた。だが、手術の話自体がいつの間にか無くなっていた」
「そんな」
「美咲もどこかで気づいていたんだろう。さすが、政治家の娘だ。気丈にも、相沢との再会だけを願った」
 米田の説明に、相沢はわずかに唇を噛んだ。
 佐々木は全く弁明しなかった。それどころか、余計な事を言うなと目が訴えている。
「いいか。お前を信じた奴を救う手立ては一つだ」
 畳み掛けるように言う米田に、相沢は眉を顰めた。
「俺ならば、前川を生かしておくことができる」
 その口振りは、自分が味方だと言っているようだ。だが、相沢にはその真意が解らなかった。米田は依頼人ではない。自分を育てた人間だ。つまり、佐々木以上に内部に深く食い込んでいる。
「貴様、裏切るつもりか」
 呻くように佐々木が言った。
「お前は小物すぎたな」
 冷やかに米田が突き放す。
 相沢を巡って、内部対立まで起きているのか。前川は唐突な展開について行けず、ただただ呆然とするしかない。
 一方、当事者である相沢は成り行きを静かに見つめている。もう慣れたと言いたげだ。
「そいつを利用すれば、権力の中枢に一気に食い込める。ただの議員では、この国の政治は動かせない」
 それまでの温和な雰囲気をかなぐり捨てて佐々木が叫ぶ。
「そうだな。こいつを使えるのは、どんな賄賂よりも強力だろう。死を前に、人は無力だ」
 言いながらも、米田は銃口を佐々木に向ける。その銃口は、ぴったりと佐々木の喉元を狙っている。
「ま……待て」
 佐々木が喚く。米田は殺し屋ではないものの、殺せないわけではない。何と言っても警察の中枢にいる。事件を一つ揉み消すくらい造作もないことだ。それに、相沢やショウビに徹底して殺しの技術を教えていたのだ。人を殺したことがないはずがない。
「俺がお前をここに呼んだのは他でもない。相沢の前で、お前を消すためだ」
 米田の言葉に、さすがの相沢も俯いた。この人ならば大丈夫かもしれない。そう縋ったことが間違いだったと、こうやって証明されるとは思わなかった。
「見届けろ。これがお前の現実だ」
 いつの間にか近づいていた米田が相沢の髪を掴み、無理やり佐々木の方へと向かせた。
「見て、何の意味がある」
 小さく呟くも、相沢は大きく抵抗はしなかった。それは殺し屋として生きていた時の姿だ。何が起きても、ただ通り過ぎるのを待つ。自分は人形で、何を訴えても操っている連中の耳にその言葉が届くことはない。
「お前が手を下さずとも、消える命はある」
 その言葉に、相沢ははっとなった。しかし、考えを打ち消すかのように米田は引き金を引いた。
 パンッと乾いた音が響く。
 血飛沫を上げて倒れる佐々木を、相沢は無表情に見つめていた。
 米田がようやく相沢の髪を放した。
「今日のところは帰る。俺の言いたいことは理解できているな」
 茫然と座り込む相沢に、米田は冷酷な視線を向ける。
「解っています」
 相沢は米田を見ることなく答えた。それには構わず、米田はスマホを相沢に押し付けた。
「明日、指示を出す」
 そう言い残し、米田は平然と去って行った。
 相沢がゆっくりと立ち上がり、右足を引きずりながら佐々木に近づいた。前川も同じく近づく。
 相沢は、佐々木の胸ポケットに紙が一枚入っているのに気づいた。そっと取り出してみると、それは写真だった。
 いつの間に撮られたものなのか、パジャマ姿の美咲と相沢が写っていた。二人とも、自然に笑い合っている。
 殺し屋としての、操り人形としての感覚が戻っていたはずなのに、急に心が動いた。
「み……さき……」
 呼んでしまうと、もう感情の抑えが効かなかった。
 泣くなんて、いつから忘れていただろうか。
 止め処なく溢れる涙を拭うこともせず、相沢は声なく叫んでいた。
 自分のせいで、誰かの命がなくなる。
 奪ってきたことより、犠牲となったことを受け止められなかった。
 なんて、独善的なんだ。
 相沢の中で、様々な想いが溢れ出てくる。
 そして、それが涙に変わっていった。
 前川はそっと傍に佇み、ただ見守ることしかできなかった。
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