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第31話 殺人人形を育てた男
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相沢と接触した男は、その足である人物の屋敷を訪れた。都内の一等地に建てられた瀟洒な家である。屋敷の使用人は男を訝しがることもなく、無言で応接室へと通してくれた。
「来ると思っていたよ」
その応接室で待っていると、夜も遅いというのにスーツを着た人物がやってきた。代議士の佐々木瞭だ。佐々木はゆったりとした動作で男の対面のソファに座った。
「来ると解っていたなら、用件も解っているな」
「もちろんだ」
男に向けて、佐々木は重々しく頷いた。
「政治家の腹は読めんな」
男は漸く帽子を脱いだ。精悍な顔が現れる。そして、そこにある目は殺し屋そのものだった。しかし、彼自らが殺し屋であったことはない。ただそのノウハウを相沢やショウビに叩き込んだだけだ。
「今の相沢に関わる人間全員が読めない、そうではないかな」
佐々木が意味深長な笑みを浮かべる。
「何だと?」
「あなたも読めないということだよ。米田刑事部長」
名前を呼ばれて、米田は苦笑した。そう、彼こそ前川の上司であり殺し屋を育てることを命じられた男だ。かつて、出世と引き換えになされた取引。その時から彼は常に心の半分を闇に売り渡している。
「誰もが共犯者だ。その意識がどう作用するかな」
話すことはもうないと米田が席を立った。今日佐々木に会いに来たのは、単なる確認のためだ。どこまで本気なのか。政治家の一人が裏切ったとなれば、今回の件は相当重たいものになる。それをどう処理すべきかということだったが――佐々木の手伝った部分は僅かだろう。それも亡き娘のためだ。
「君が率先して動いているのは、前川君のためかね」
ソファに腰かけたまま、佐々木が問う。わざわざ育てた男が裏切り者の後始末をして回る。その必要はないだろう。もっと他に強硬な手段は取り得るはずだ。
「いいや。あいつはただの羽虫だ。私は相沢を無事に回収したいと思っているだけだよ。警察に預けてみたら殺し屋を止めたくなっただなんて、笑い話にもなりませんからね」
米田は言い捨てると、また帽子を被って応接室を出た。
外はまだ冷たい風が吹いていた。
全く予想していなかった、相沢自身が起こした裏切り。ただの刑事である前川が、どうやってあの冷徹な殺し屋を変えたのか。
「あんな顔をする奴ではなかったのにな」
ビルの屋上で見た、あまりにも哀しげな相沢の顔が浮かぶ。
米田は忌々しげにその残像を追いやった。そうしないと、自分が解らなくなりそうだった。
カプセルホテルで一夜を過ごした相沢と前川は、今はチェーン展開の喫茶店で軽食を摂っていた。急襲されないとも限らないため、人目が多い場所を選んで移動している。
「カプセルホテルの外国人の多さにはびっくりだな」
ホットドッグを頬張りながら、前川はぼやいた。
「流行ってるみたいですね」
コーヒーを飲みながら、相沢は相槌を打つ。そんな二人は一見すれば穏やかな空気だが、実際は違う。
「人数は」
小声で前川は本題を切り出した。相変わらず、ホットドッグに食らいついている。そろそろ見張られている状況にも慣れてきた。相沢を救うためにどんどん危ない橋を渡っているのだ。度胸もつく。
「三人ですね」
相沢はのんびりと答える。もちろん、監視の人数である。
ショウビが死んでから、監視は復活していた。だが、昨日米田と会ってから人数が増えている。
「襲って来るのか?」
前川はアイスコーヒーをぐびぐび飲む。
「おそらく。そして、前回のようなはったりは通用しないでしょうね」
一方ホットコーヒーを飲んでいた相沢だが、かちゃりと音を立ててコーヒーカップを置いた。
「前川さん」
「俺はお前を信じるだけだ」
相沢が言うより早く前川は言い切った。
「だが、絶対に死ぬなよ」
すぐに付け加え、前川は真っ直ぐに相沢の目を見つめた。
相沢はその視線を受け止めきれず、下を向いた。
自分の死を考えてのことではない。
「俺は――人を殺さずに生きていけますか」
それは、今まで必死に押し殺してきた言葉だ。
ショウビの前では殺さないと言えた。だが、現実はそれを許してはくれない。昨夜は米田の言葉のせいで、一睡も出来なかった。
甘い夢、そうはっきり言われると辛かった。
「――」
殺し屋という現実を割り切ることができない。それが相沢の特徴だ。常に自分がやらなければ他の殺人人形が生まれるのではと懸念し、だからこそ懸命に仕事をこなしてしまう。そんな相沢に、裏切り行為はきついことの連続だろう。我儘を言っているだけだと思ってしまうことだろう。
「あまり自分を責めるな」
ただそれしか言えない自分がもどかしかった。しかし、それが慰めにならないことは明白だ。
「来ると思っていたよ」
その応接室で待っていると、夜も遅いというのにスーツを着た人物がやってきた。代議士の佐々木瞭だ。佐々木はゆったりとした動作で男の対面のソファに座った。
「来ると解っていたなら、用件も解っているな」
「もちろんだ」
男に向けて、佐々木は重々しく頷いた。
「政治家の腹は読めんな」
男は漸く帽子を脱いだ。精悍な顔が現れる。そして、そこにある目は殺し屋そのものだった。しかし、彼自らが殺し屋であったことはない。ただそのノウハウを相沢やショウビに叩き込んだだけだ。
「今の相沢に関わる人間全員が読めない、そうではないかな」
佐々木が意味深長な笑みを浮かべる。
「何だと?」
「あなたも読めないということだよ。米田刑事部長」
名前を呼ばれて、米田は苦笑した。そう、彼こそ前川の上司であり殺し屋を育てることを命じられた男だ。かつて、出世と引き換えになされた取引。その時から彼は常に心の半分を闇に売り渡している。
「誰もが共犯者だ。その意識がどう作用するかな」
話すことはもうないと米田が席を立った。今日佐々木に会いに来たのは、単なる確認のためだ。どこまで本気なのか。政治家の一人が裏切ったとなれば、今回の件は相当重たいものになる。それをどう処理すべきかということだったが――佐々木の手伝った部分は僅かだろう。それも亡き娘のためだ。
「君が率先して動いているのは、前川君のためかね」
ソファに腰かけたまま、佐々木が問う。わざわざ育てた男が裏切り者の後始末をして回る。その必要はないだろう。もっと他に強硬な手段は取り得るはずだ。
「いいや。あいつはただの羽虫だ。私は相沢を無事に回収したいと思っているだけだよ。警察に預けてみたら殺し屋を止めたくなっただなんて、笑い話にもなりませんからね」
米田は言い捨てると、また帽子を被って応接室を出た。
外はまだ冷たい風が吹いていた。
全く予想していなかった、相沢自身が起こした裏切り。ただの刑事である前川が、どうやってあの冷徹な殺し屋を変えたのか。
「あんな顔をする奴ではなかったのにな」
ビルの屋上で見た、あまりにも哀しげな相沢の顔が浮かぶ。
米田は忌々しげにその残像を追いやった。そうしないと、自分が解らなくなりそうだった。
カプセルホテルで一夜を過ごした相沢と前川は、今はチェーン展開の喫茶店で軽食を摂っていた。急襲されないとも限らないため、人目が多い場所を選んで移動している。
「カプセルホテルの外国人の多さにはびっくりだな」
ホットドッグを頬張りながら、前川はぼやいた。
「流行ってるみたいですね」
コーヒーを飲みながら、相沢は相槌を打つ。そんな二人は一見すれば穏やかな空気だが、実際は違う。
「人数は」
小声で前川は本題を切り出した。相変わらず、ホットドッグに食らいついている。そろそろ見張られている状況にも慣れてきた。相沢を救うためにどんどん危ない橋を渡っているのだ。度胸もつく。
「三人ですね」
相沢はのんびりと答える。もちろん、監視の人数である。
ショウビが死んでから、監視は復活していた。だが、昨日米田と会ってから人数が増えている。
「襲って来るのか?」
前川はアイスコーヒーをぐびぐび飲む。
「おそらく。そして、前回のようなはったりは通用しないでしょうね」
一方ホットコーヒーを飲んでいた相沢だが、かちゃりと音を立ててコーヒーカップを置いた。
「前川さん」
「俺はお前を信じるだけだ」
相沢が言うより早く前川は言い切った。
「だが、絶対に死ぬなよ」
すぐに付け加え、前川は真っ直ぐに相沢の目を見つめた。
相沢はその視線を受け止めきれず、下を向いた。
自分の死を考えてのことではない。
「俺は――人を殺さずに生きていけますか」
それは、今まで必死に押し殺してきた言葉だ。
ショウビの前では殺さないと言えた。だが、現実はそれを許してはくれない。昨夜は米田の言葉のせいで、一睡も出来なかった。
甘い夢、そうはっきり言われると辛かった。
「――」
殺し屋という現実を割り切ることができない。それが相沢の特徴だ。常に自分がやらなければ他の殺人人形が生まれるのではと懸念し、だからこそ懸命に仕事をこなしてしまう。そんな相沢に、裏切り行為はきついことの連続だろう。我儘を言っているだけだと思ってしまうことだろう。
「あまり自分を責めるな」
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