真夏の因果律

渋川宙

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第8話 大名屋敷のよう

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「はあ。なんとかタイヤが落ちなくて済んだな」
 門を潜って、以前は祖父の車が停まっていた辺りに停車させると、桐山はやれやれと溜め息を吐く。トータル四時間半の運転は、最後の最後で気の抜けないものだった。おかげでエンジンを切ると同時にどっと疲れがやって来る。
「これって完全な私道ですよね」
「そうだな」
 助手席で同じくらいの緊張を強いられていた荒井の確認に答えつつ、桐山は車から降りるとうんと身体を伸ばす。そうしていると、後ろから追い掛けていた深瀬の車が到着する。
「軽自動車で正解、みたいな道ですね」
 その深瀬は日頃から運転に慣れているので、疲れた様子もなく笑顔で車から降りてきた。助手席にいた柏木も楽しかったようで、笑顔である。こちらのように神経を使ってへろへろという様子はない。
「あっちは快適だったみたいだな」
「こっちも楽しかったよ」
 荒井の恨めしそうな呟きに、小島は面白かったじゃんと呑気なものだ。途中ひやりとしたことも、絶叫マシーンに乗ったようなものだと思えばいい。
「おおい、荷物を運び入れてくれ。それと、あちこちの窓を開けるのを手伝ってくれよ」
 玄関を開けて戻ってきた桐山が、ここで落ち着いている場合じゃないから、暑いからと顔を顰めている。山に囲まれた場所で都会より涼しいはずだが、それでも夏嫌いの男からすると、一刻も早く涼しい部屋の中がいいらしい。
「この家にエアコンってあるんですか」
 田舎にある大きな古民家というより、大名屋敷のような桐山家を見上げて、深瀬は思わず確認してしまう。
「俺が導入させたからあるよ。小学生の頃、エアコンがないなら二度と来ないと駄々をこねてな」
「納得です」
 桐山の言葉に深瀬は大きく頷くと、まずは自分の車に詰め込まれた食料の入ったクーラーボックスを肩に掛けて桐山に続いた。他もそれぞれ、持てるだけ荷物を持って桐山の後に続く。往復回数は出来る限り減らしたい。
「うわあ」
「すごっ。映画のセットみたい」
「ザ・日本家屋」
 引き戸式のドアを入り、立派な上がり框のある玄関を見て学生たちは感嘆の声を上げる。彼らにとって見るもの総てが目新しいのだ。それに桐山は
「段差があるから気を付けろよ。意外と高いんだよな」
 とだけ注意する。それから自分は先に中へと進むと、玄関横の応接間や板間といった手近な障子や襖、それから窓ガラスを一度総て開けていく。
 叔母が正月前に掃除をしたというが、半年以上放置されているものだから、部屋の中は空気が淀み、埃っぽかった。しかし、日本家屋らしく中の襖を開けるとひと繋ぎになる部分が多く、すぐに空気は入れ替わるだろう。奥に進みながらそれを続けると、大きな空間が広がっていく。
「迷子になりそうですね」
「とりあえず、荷物はこの玄関に運び入れようか。車に置いてあると不便だし、いざって時に困るからね」
「そうだな。寝室がどこか見当もつかないし。ってか凄っ。一直線に奥まで見渡せるなんて、マジで大名屋敷じゃん」
「先生、台所ってどっちですか」
 学生たちが口々に家の感想を述べている。それを聞きながら窓開けを続けていると、柏木が訊ねる大きな声がする。初めてここにやって来た人にとって、この家はどうなっているのかと驚くことばかりだろう。台所の位置すら解り難いのも頷ける。
「玄関から見て一番奥の右側だ。今、俺がいるところな。そこから見えるだろ」
 窓を開けるのを続けながら、桐山は大声で返した。丁度今、自分がいる場所が台所に近い。茶の間から廊下に出て、その先にあるのが台所である。何度かリホームしているが、それでも古さを感じる、と窓を開けるために入って思った。
「ああ、あっちか」
 柏木が解ったと叫ぶ声がする。
「少し建付けが悪くなってるな」
 桐山はそれに苦笑しつつ、流しのところにある窓を開けると、キイキイと音が鳴る。後で油を指しておく必要があるか。さらにその奥にある勝手口を開け、これで台所の空気も良くなるだろう。
「わおっ。昭和っぽいですね」
 そこにクーラーボックスを担いだ柏木がやって来て、これもまた映画のセットのようだとはしゃいでいる。平成生まれの彼女からすれば、ガスコンロも少し古い型の家電も物珍しいものなのだ。
特に電子レンジは出始めの頃のものだから、桐山の目から見ても珍しい部類に入るものが置いてある。これは凄いとはしゃぎたくなるのも解るので、桐山は苦笑するだけだ。ついでに冷蔵庫を開けて中を確認しておく。
「電気は点けっ放しだから、冷蔵庫の中は大丈夫かなあ。ああ、叔母さんが置いて行ったお茶が入っているだけだな。これはアウトだろう。冷凍庫は、なぜかアイスが入ったままになってるけど、こっちは大丈夫だろう。ここに入れても問題ないぞ」
「はい。ああ、そのお茶。捨てておきます」
「よろしく」
 ガラス製のポットに入っていたお茶を取り出した桐山に、柏木が処分を申し出てくれたのでそのまま預ける。桐山はそのまま台所を出て、今度は横にある脱衣所と浴室に入ると、そこの窓を開ける。風呂は祖父母の足腰が悪くなった段階でリホームしているから、綺麗なものだ。これなら学生も文句なく使うだろう。
「にしても、無駄に広いんだよなあ」
 廊下に出て、今度は廊下に面していた襖を開ける。と、窓開けを手伝っていた深瀬がその先にいた。
「あっ、先生。あっちの縁側の窓は開けておきましたよ。でも、雨戸が上手く仕舞えないんです。端っこまで動かすことは出来たんですけど、その先が上手くいかないんですよね。あれ、どうなってるんですか」
「ああ、あの奥のね。ちょっとコツがいるんだよな。解った。俺がやっておく。じゃあ、この辺、開けておいて」
「了解です」
 その場は任せて、桐山は深瀬が仕舞えなかったという、縁側にある雨戸のところへと向かった。トイレの横まで雨戸がやって来ているが、その先に進めなかったようで渋滞している。そこに仕舞うための隙間があるのだが、少し持ち上げて入れてやらなければいけないから難しい。
「確かここをこうやって」
 この雨戸を仕舞うのは祖父の仕事だったから、コツがいると言った桐山も見様見真似だ。何度かがたがたと揺らすと、ようやく持ち上げることが出来て最後の部分を動かすことが出来、隙間の中に入っていった。
「ふう。暑い」
 いつの間にかうっすら額に汗が浮かんでいる。無事に雨戸を仕舞い終えると、桐山はやれやれと袖で汗を拭った。それからようやく、今日初めて庭へと目をやった。夏草が茂り、かつての面影のない庭。それを目にすると、ここはもう住人がいないんだなと強く感じる。だが、そんなしみじみした気持ちも
「雑草が凄いですね。これも掃除するんですか。庭側から回ろうとすると、ちょっと通りにくいですよね」
 小島がそう声を掛けてきたことで途切れた。
「嫌だよ。家の中の掃除しか頼まれていない。俺は外の作業は一切やらないからな」
「先生。そんなきっぱり」
 大人げないとも取れる桐山の発言に、小島は苦笑する。しかし、普段のパソコンの前から動かない桐山からすれば、車を運転して家中の窓を開けまくっているだけでも、十分に動いていることになるのだろう。
「空気は入れ替わったか。エアコンのリモコンはどこだったっけ。あれ、すぐにどっかに行くんだよな」
「先生。十分涼しいですよ。エアコンなくてもいけますよ」
「そうか。でも、俺はリモコンを探す」
 学生に窘められようと、桐山は絶対に使うからな、と外気のまま過ごすことを拒否するのだった。
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