10 / 55
第10話 食事は穏やかに
しおりを挟む
「突然のお招きにもこうして全員が参加して頂けたこと、誠に感謝いたします」
そう言って安西は僅かに頭を下げた。それに全員が呼応するように頷く。
「さて、堅苦しい挨拶はこのくらいにして、まずは食事としましょう。互いにまだ緊張したままでしょうからな」
そこで安西は快活に笑い、場の緊張も緩んだ。そこに田辺を先頭に給仕の女性たちが入って来て、それぞれに前菜を配る。女性たちは古風なメイド服を纏っていた。田辺はそれぞれのグラスにワインを注いでいた。
「うちに勤めてくれている、シェフの石田が作った料理です。お口に合うといいのですが」
安西はそう言いながらグラスを手に取る。これから乾杯なのだと、千春は緊張だ。恐る恐ると、横にいる友也の動きを参考にしながらグラスを掴んだ。
実は食事が汚いと、翔馬から注意を受けることがある。それだけに、見知らぬ人がいる場で、さらにテーブルマナーを要求されるとなると緊張が先立つ。ただし、横にいる友也をカンニングすればいいというのは、ちょっと安心できる要素だった。
「では皆さま、六十周年の祝いと、新たな出会いに」
「乾杯」
全員がグラスを掲げ、こうして食事が始まった。最初こそ言葉少なだったが、酒も入って徐々にあれこれと話し出す。隣にいた友也は大地に向けて質問していた。
「ミステリーを書かれるそうですね。あれってよく手の込んだ建物が登場するから、ついついチェックしちゃうんですよ。意外と建築学科卒の小説家もいますから」
「ああ。いますね。あの人たちに掛かると、家なんてぐにゃぐにゃ、色んな形になりますよねえ。あり得ない方向に回転したり、捻じ曲がったり。俺はまあそっち方面は素人で、いつも必死ですよ。ちゃんと調べて書いても、これじゃあ牽強付会だとか言われることもありますからね。まあ、調べ方が甘かったというのはあるでしょうけど、悔しいですからね」
「ははっ。作家ってのは、色々な知識を求められるだろうねえ」
「ええ。トリックを考える度に勉強の連続です。その点、建築家とか椎名先生みたいな学者は一つの知識を極めているわけですよね」
「まあね。そう言えば椎名先生の人工知能、色々と話題になっていますよね」
「ぐっ、ええ」
急に話がこちらに向いて、千春は食べていたステーキを喉に詰めそうになった。香草のたっぷり掛かったソースもまた、喉を刺激してくれる。
「そうそう。それに関して、すごく興味がありますよ。心を持つって、どういうことだろうって思いますよね。もちろん、小説や漫画ではそういった内容が出てきますよ。でも、実際は無理なんだろうなって思っちゃいます」
大地が、先ほどとは違って鋭い質問をしてくる。意外としっかり内容を把握しているらしい。
「だから、感情を数値化できないか。そこから心を考えられないかというのが、僕の研究テーマですよ。どういうことに人間は快と感じ、もしくは不快と感じるかということですね。心を持つってのが先走って、お前はこの気持ちをどう処理するんだみたいな嫌がらせを受けていて、ちょっと大変ですけど」
「へえ、嫌がらせ」
それに大地がにやりと笑うので、千春はしまったと思った。ついつい口が軽くなってしまった。将平に言い触らすなと注意されていたというのに。
「ま、まあ、大したものじゃないんですけどね。そういう勘違いをされるんだなって、こっちは驚いているところです。そんな変な研究じゃなくて、ロボット工学からも、心とはどういうものか、そういうアプローチしている人がいるくらいですから、珍しいテーマではないんですけどね。弱いロボットといって、自分ではゴミを拾えないお掃除ロボを開発し、人間とロボットの心の関係を探っている人がいるんですよ。まあ、そんなロボットと違って、人工知能のイメージが悪いのかもしれないですけど」
「イメージが悪い、か。たしかにそれはあると思いますね。一時期、シンギュラリティがどうこうって本、山のように出てましたもんね」
「そうそう。現実問題としてシンギュラリティ、つまり技術的特異点をどう規定するのか。それすら研究者たちは悩んでいるところなんですよ。人間に勝るというだけで言えば、囲碁や将棋は人工知能が人間に勝てるわけです。でも、あれを誰も脅威だとは思わない。それに、あの人工知能たちがシンギュラリティを起こしたとは思わない。では、どの段階をシンギュラリティと呼ぶべきなのか」
「ええ」
「人工知能といっても千差万別なんです。だから、僕の研究しているものも、人間の情動の数値化がメインってところになるんですよ。そこから、人に近い感情を人工知能は選び取ることが出来るのかっていう方向に持って行きたいんです。いずれ人工知能が社会に普及するにあたって、人間がどう動きたいのかを学習できないのは非常に困りますからね。その部分を僕の研究が担っていると思っています」
いつの間にか、全員の視線が集まっているのに気づき、千春はそこで止めて苦笑した。ひょっとして自分の研究を弁解していると取られたのだろうか。だとすると、印象が悪くなったのでは、そんな心配が過る。
「素晴らしい。さすがは椎名先生。他の研究者にはないものをお持ちだ」
が、安西がそう言い、美紅も笑顔で拍手を送った。それに倣うように、他からも拍手が起こり、千春は恥ずかしくなる。
「い、いえいえ」
「こうして素晴らしい先生方と知己になれ、非常に嬉しいですよ。さて、そろそろデザートですね。その後は私のアトリエをご案内します。そこで、絵を見ながら気楽に一杯と行きましょう」
安西はそう言い、楽しそうに笑う。なるほど、ここからがメインなんだなと千春は気づいた。が、思ったより重苦しい会ではなくて良かったと、心底ほっとしていた。
そう言って安西は僅かに頭を下げた。それに全員が呼応するように頷く。
「さて、堅苦しい挨拶はこのくらいにして、まずは食事としましょう。互いにまだ緊張したままでしょうからな」
そこで安西は快活に笑い、場の緊張も緩んだ。そこに田辺を先頭に給仕の女性たちが入って来て、それぞれに前菜を配る。女性たちは古風なメイド服を纏っていた。田辺はそれぞれのグラスにワインを注いでいた。
「うちに勤めてくれている、シェフの石田が作った料理です。お口に合うといいのですが」
安西はそう言いながらグラスを手に取る。これから乾杯なのだと、千春は緊張だ。恐る恐ると、横にいる友也の動きを参考にしながらグラスを掴んだ。
実は食事が汚いと、翔馬から注意を受けることがある。それだけに、見知らぬ人がいる場で、さらにテーブルマナーを要求されるとなると緊張が先立つ。ただし、横にいる友也をカンニングすればいいというのは、ちょっと安心できる要素だった。
「では皆さま、六十周年の祝いと、新たな出会いに」
「乾杯」
全員がグラスを掲げ、こうして食事が始まった。最初こそ言葉少なだったが、酒も入って徐々にあれこれと話し出す。隣にいた友也は大地に向けて質問していた。
「ミステリーを書かれるそうですね。あれってよく手の込んだ建物が登場するから、ついついチェックしちゃうんですよ。意外と建築学科卒の小説家もいますから」
「ああ。いますね。あの人たちに掛かると、家なんてぐにゃぐにゃ、色んな形になりますよねえ。あり得ない方向に回転したり、捻じ曲がったり。俺はまあそっち方面は素人で、いつも必死ですよ。ちゃんと調べて書いても、これじゃあ牽強付会だとか言われることもありますからね。まあ、調べ方が甘かったというのはあるでしょうけど、悔しいですからね」
「ははっ。作家ってのは、色々な知識を求められるだろうねえ」
「ええ。トリックを考える度に勉強の連続です。その点、建築家とか椎名先生みたいな学者は一つの知識を極めているわけですよね」
「まあね。そう言えば椎名先生の人工知能、色々と話題になっていますよね」
「ぐっ、ええ」
急に話がこちらに向いて、千春は食べていたステーキを喉に詰めそうになった。香草のたっぷり掛かったソースもまた、喉を刺激してくれる。
「そうそう。それに関して、すごく興味がありますよ。心を持つって、どういうことだろうって思いますよね。もちろん、小説や漫画ではそういった内容が出てきますよ。でも、実際は無理なんだろうなって思っちゃいます」
大地が、先ほどとは違って鋭い質問をしてくる。意外としっかり内容を把握しているらしい。
「だから、感情を数値化できないか。そこから心を考えられないかというのが、僕の研究テーマですよ。どういうことに人間は快と感じ、もしくは不快と感じるかということですね。心を持つってのが先走って、お前はこの気持ちをどう処理するんだみたいな嫌がらせを受けていて、ちょっと大変ですけど」
「へえ、嫌がらせ」
それに大地がにやりと笑うので、千春はしまったと思った。ついつい口が軽くなってしまった。将平に言い触らすなと注意されていたというのに。
「ま、まあ、大したものじゃないんですけどね。そういう勘違いをされるんだなって、こっちは驚いているところです。そんな変な研究じゃなくて、ロボット工学からも、心とはどういうものか、そういうアプローチしている人がいるくらいですから、珍しいテーマではないんですけどね。弱いロボットといって、自分ではゴミを拾えないお掃除ロボを開発し、人間とロボットの心の関係を探っている人がいるんですよ。まあ、そんなロボットと違って、人工知能のイメージが悪いのかもしれないですけど」
「イメージが悪い、か。たしかにそれはあると思いますね。一時期、シンギュラリティがどうこうって本、山のように出てましたもんね」
「そうそう。現実問題としてシンギュラリティ、つまり技術的特異点をどう規定するのか。それすら研究者たちは悩んでいるところなんですよ。人間に勝るというだけで言えば、囲碁や将棋は人工知能が人間に勝てるわけです。でも、あれを誰も脅威だとは思わない。それに、あの人工知能たちがシンギュラリティを起こしたとは思わない。では、どの段階をシンギュラリティと呼ぶべきなのか」
「ええ」
「人工知能といっても千差万別なんです。だから、僕の研究しているものも、人間の情動の数値化がメインってところになるんですよ。そこから、人に近い感情を人工知能は選び取ることが出来るのかっていう方向に持って行きたいんです。いずれ人工知能が社会に普及するにあたって、人間がどう動きたいのかを学習できないのは非常に困りますからね。その部分を僕の研究が担っていると思っています」
いつの間にか、全員の視線が集まっているのに気づき、千春はそこで止めて苦笑した。ひょっとして自分の研究を弁解していると取られたのだろうか。だとすると、印象が悪くなったのでは、そんな心配が過る。
「素晴らしい。さすがは椎名先生。他の研究者にはないものをお持ちだ」
が、安西がそう言い、美紅も笑顔で拍手を送った。それに倣うように、他からも拍手が起こり、千春は恥ずかしくなる。
「い、いえいえ」
「こうして素晴らしい先生方と知己になれ、非常に嬉しいですよ。さて、そろそろデザートですね。その後は私のアトリエをご案内します。そこで、絵を見ながら気楽に一杯と行きましょう」
安西はそう言い、楽しそうに笑う。なるほど、ここからがメインなんだなと千春は気づいた。が、思ったより重苦しい会ではなくて良かったと、心底ほっとしていた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
特殊捜査官・天城宿禰の事件簿~乙女の告発
斑鳩陽菜
ミステリー
K県警捜査一課特殊捜査室――、そこにたった一人だけ特殊捜査官の肩書をもつ男、天城宿禰が在籍している。
遺留品や現場にある物が残留思念を読み取り、犯人を導くという。
そんな県警管轄内で、美術評論家が何者かに殺害された。
遺体の周りには、大量のガラス片が飛散。
臨場した天城は、さっそく残留思念を読み取るのだが――。
どんでん返し
あいうら
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~
ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが…
(「薪」より)
声の響く洋館
葉羽
ミステリー
神藤葉羽と望月彩由美は、友人の失踪をきっかけに不気味な洋館を訪れる。そこで彼らは、過去の住人たちの声を聞き、その悲劇に導かれる。失踪した友人たちの影を追い、葉羽と彩由美は声の正体を探りながら、過去の未練に囚われた人々の思いを解放するための儀式を行うことを決意する。
彼らは古びた日記を手掛かりに、恐れや不安を乗り越えながら、解放の儀式を成功させる。過去の住人たちが解放される中で、葉羽と彩由美は自らの成長を実感し、新たな未来へと歩み出す。物語は、過去の悲劇を乗り越え、希望に満ちた未来を切り開く二人の姿を描く。
密室島の輪舞曲
葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。
洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。
【完結】縁因-えんいんー 第7回ホラー・ミステリー大賞奨励賞受賞
衿乃 光希
ミステリー
高校で、女子高生二人による殺人未遂事件が発生。
子供を亡くし、自宅療養中だった週刊誌の記者芙季子は、真相と動機に惹かれ仕事復帰する。
二人が抱える問題。親が抱える問題。芙季子と夫との問題。
たくさんの問題を抱えながら、それでも生きていく。
実際にある地名・職業・業界をモデルにさせて頂いておりますが、フィクションです。
R-15は念のためです。
第7回ホラー・ミステリー大賞にて9位で終了、奨励賞を頂きました。
皆さま、ありがとうございました。
人形殺し
中七七三
ミステリー
「汎用AI(人工知能)の開発実験に参加して欲しい」
怪我のため引退した元民間軍事会社社員・鳴海晶はかつてのクライアントだった企業の社長に依頼される。
報酬は破格であり莫大といっていい金額となる。当然、危険も多い。
要塞のような実験施設に集まった男女。
実験の内容は「人工知能」を搭載したアンドロイドを見つけることだった。
意識すら――
己の実存すら――
全てを人と同じく認識している存在であるという。
実験参加者の中に人間以外の存在がいる?
誰が人工知能搭載のアンドロイドなのか?
閉鎖環境の中では血なまぐさい暴力と駆け引きの「デスゲーム」が展開される。
双極の鏡
葉羽
ミステリー
神藤葉羽は、高校2年生にして天才的な頭脳を持つ少年。彼は推理小説を読み漁る日々を送っていたが、ある日、幼馴染の望月彩由美からの突然の依頼を受ける。彼女の友人が密室で発見された死体となり、周囲は不可解な状況に包まれていた。葉羽は、彼女の優しさに惹かれつつも、事件の真相を解明することに心血を注ぐ。
事件の背後には、視覚的な錯覚を利用した巧妙なトリックが隠されており、密室の真実を解き明かすために葉羽は思考を巡らせる。彼と彩由美の絆が深まる中、恐怖と謎が交錯する不気味な空間で、彼は人間の心の闇にも触れることになる。果たして、葉羽は真実を見抜くことができるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる