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第10話 下積みは誰にでもある
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「そういうわけだから、普通の貴族になれなかったのも、ああいう汚れ仕事を引き受けるようになったのも、元はと言えば俺のせいなんだよね。だから、晴明のことを嫌いにならないでほしい」
益材はそう言うと、泰久の肩をぽんぽんっと叩いた。
なるほど、確かに色々な原因は益材にある。でも、それは色んな思惑の妥協の結果だ。
「嫌いになりませんよ。というより、裏側が知れてすっきりしました」
だから、泰久は心配しなくても大丈夫だと笑顔で返した。それに益材は良かったと笑顔になる。
二人でしばらくくすくすと笑っていると
「何をべらべら喋ってるんですか」
いきなり不機嫌な声が降ってきた。驚いて振り返ると、晴明が腕を組んで立ちはだかっていた。
「お、お帰りなさい」
「お疲れ様」
二人がすぐにそう返すと、晴明は器用に片方の眉だけを吊り上げる。しかし、溜め息を吐いただけだった。
「明日も朝早い。寝ろ」
そしてそれだけ言うと、さっさと自分の部屋へと戻っていった。その背中から、泰久が今日のことをどう受け止めるのか、心配していたのだろうことが解る。益材もそれに気づいたのか、ああいう性格だからねえと苦笑している。
「さて、怒られちゃったし、お開きにしようか」
「そうですね」
二人はもう一度笑うと、それぞれの寝床に引き上げたのだった。
翌朝、陰陽寮にて泰久は雑用を手伝うところから始めた。さすがに教えてもらうだけでは気が引けるし、何よりこの時代の陰陽寮はあらゆる意味で忙しい場所だ。何もしないのは申し訳ない。ということで、引き受けたのは今日一日使う墨を擦る作業だ。
「結構大変なんだよなあ」
すりすりと擦りながら、思わずぼやいてしまう。しかし、計算したり必要な書類を書いたり、呪術的な側面ももちろんこの時代からあるわけで札を書いたりするのに、どうしても大量の墨が必要だ。
「おっ、精が出るね」
「おはようございます」
すりすりと擦っていると、保憲が顔を覗かせた。その顔は意外と逞しいなというような顔をしている。
「昨日は色々とありがとうございます」
というわけで、泰久はそう言って頭を下げておいた。これでも陰陽博士の地位で働いているのだ。上の顔色を読むくらいは出来る。
「ははっ、そうだね。じゃあ、後で」
保憲はそれでただぼんやりしているお坊ちゃんではないと認めてくれたようで、笑顔で去って行った。
「しかし、晴明様と手を組んでいるのが保憲様か。この辺りはまだ不明だな」
二人が師弟関係にあることは知っている。しかし、最初に晴明を引き受けると決めたのは忠行なわけで、最初の師も忠行だ。その忠行は現在陰陽頭であるように、一線を退いているわけではない。それなのに、どうして師匠が変わったのだろう。
「ううむ」
「集中しろ」
余計なことを考えていたら、いつの間にかその晴明がやって来た。そしてすでに出来上がった墨の濃度を確認している。
「すみません。あの、大丈夫でしょうか」
「ああ。問題ない。それを擦り終わったら、あっちの部屋に来てくれ」
晴明は右側の部屋を指差すと。擦り終わった墨を持って、それを上司のところに配りにいく。まだ晴明もこういう雑用が主な仕事のようだ。
「それはそうか。今、天文生だっけ」
十九歳の晴明はまだまだ下っ端で、活躍するのはもう少し先の時代だ。泰久は不思議な気持ちになるが、まだこの頃は世襲制じゃないから下積み時代があるのは当然だった。
「ううむ。真剣にやらなくちゃ」
せっかくこの時代に来て、学生の晴明と一緒に学べるのだ。学べるだけ学びたい。が、裏稼業の方はそれほど知りたくないなというのが本音だ。
まあ、あの二人もまさか手伝えとは言わないだろう。ただ、こういうこともやっているから注意しろと言いたかったのだ。
「よし、頑張ろう」
気合いを入れ直し、泰久は残りの墨作りに精を出すのだった。
しかし、入れた気合いは教科書を前にすると少し凹んでしまう。
「ええっと」
何だか数字が羅列されている。それに、泰久はどういうことでしょうと首を傾げてしまった。
「今日は天文道の基礎だ。惑星の動きについて確認していくぞ。ついでに保憲様に頼まれている調べ物もやる」
晴明はそんな戸惑う泰久に、大丈夫かと不安になる。が、何も知らない新入生が入ってきた気分で接しよう。そう心に決めていた。
「惑星と言いますと、金星ですか」
「そう。それが最も観測しやすい惑星だな。明けの明星、宵の明星と言われるように、見える時間がずれることでも知られており、一定の周期性を持っている。これを知ることは、空の変化を知ることの道しるべにもなる」
「ははあ」
と頷いてみた泰久だが、よく解っていない。確かに明け方に夕方に見えたりするのを知っているが、それに周期性があったとは知らなかった。
「まあいい。惑星に関しては後回しにしよう。暦で最も重要なのは日の長さだな。これも変化するものであり、四季の変化にも関係している。大丈夫か」
「それは何とか」
日の長さは毎日生活していれば実感出来るものだ。こっちはまだ理解出来る。
益材はそう言うと、泰久の肩をぽんぽんっと叩いた。
なるほど、確かに色々な原因は益材にある。でも、それは色んな思惑の妥協の結果だ。
「嫌いになりませんよ。というより、裏側が知れてすっきりしました」
だから、泰久は心配しなくても大丈夫だと笑顔で返した。それに益材は良かったと笑顔になる。
二人でしばらくくすくすと笑っていると
「何をべらべら喋ってるんですか」
いきなり不機嫌な声が降ってきた。驚いて振り返ると、晴明が腕を組んで立ちはだかっていた。
「お、お帰りなさい」
「お疲れ様」
二人がすぐにそう返すと、晴明は器用に片方の眉だけを吊り上げる。しかし、溜め息を吐いただけだった。
「明日も朝早い。寝ろ」
そしてそれだけ言うと、さっさと自分の部屋へと戻っていった。その背中から、泰久が今日のことをどう受け止めるのか、心配していたのだろうことが解る。益材もそれに気づいたのか、ああいう性格だからねえと苦笑している。
「さて、怒られちゃったし、お開きにしようか」
「そうですね」
二人はもう一度笑うと、それぞれの寝床に引き上げたのだった。
翌朝、陰陽寮にて泰久は雑用を手伝うところから始めた。さすがに教えてもらうだけでは気が引けるし、何よりこの時代の陰陽寮はあらゆる意味で忙しい場所だ。何もしないのは申し訳ない。ということで、引き受けたのは今日一日使う墨を擦る作業だ。
「結構大変なんだよなあ」
すりすりと擦りながら、思わずぼやいてしまう。しかし、計算したり必要な書類を書いたり、呪術的な側面ももちろんこの時代からあるわけで札を書いたりするのに、どうしても大量の墨が必要だ。
「おっ、精が出るね」
「おはようございます」
すりすりと擦っていると、保憲が顔を覗かせた。その顔は意外と逞しいなというような顔をしている。
「昨日は色々とありがとうございます」
というわけで、泰久はそう言って頭を下げておいた。これでも陰陽博士の地位で働いているのだ。上の顔色を読むくらいは出来る。
「ははっ、そうだね。じゃあ、後で」
保憲はそれでただぼんやりしているお坊ちゃんではないと認めてくれたようで、笑顔で去って行った。
「しかし、晴明様と手を組んでいるのが保憲様か。この辺りはまだ不明だな」
二人が師弟関係にあることは知っている。しかし、最初に晴明を引き受けると決めたのは忠行なわけで、最初の師も忠行だ。その忠行は現在陰陽頭であるように、一線を退いているわけではない。それなのに、どうして師匠が変わったのだろう。
「ううむ」
「集中しろ」
余計なことを考えていたら、いつの間にかその晴明がやって来た。そしてすでに出来上がった墨の濃度を確認している。
「すみません。あの、大丈夫でしょうか」
「ああ。問題ない。それを擦り終わったら、あっちの部屋に来てくれ」
晴明は右側の部屋を指差すと。擦り終わった墨を持って、それを上司のところに配りにいく。まだ晴明もこういう雑用が主な仕事のようだ。
「それはそうか。今、天文生だっけ」
十九歳の晴明はまだまだ下っ端で、活躍するのはもう少し先の時代だ。泰久は不思議な気持ちになるが、まだこの頃は世襲制じゃないから下積み時代があるのは当然だった。
「ううむ。真剣にやらなくちゃ」
せっかくこの時代に来て、学生の晴明と一緒に学べるのだ。学べるだけ学びたい。が、裏稼業の方はそれほど知りたくないなというのが本音だ。
まあ、あの二人もまさか手伝えとは言わないだろう。ただ、こういうこともやっているから注意しろと言いたかったのだ。
「よし、頑張ろう」
気合いを入れ直し、泰久は残りの墨作りに精を出すのだった。
しかし、入れた気合いは教科書を前にすると少し凹んでしまう。
「ええっと」
何だか数字が羅列されている。それに、泰久はどういうことでしょうと首を傾げてしまった。
「今日は天文道の基礎だ。惑星の動きについて確認していくぞ。ついでに保憲様に頼まれている調べ物もやる」
晴明はそんな戸惑う泰久に、大丈夫かと不安になる。が、何も知らない新入生が入ってきた気分で接しよう。そう心に決めていた。
「惑星と言いますと、金星ですか」
「そう。それが最も観測しやすい惑星だな。明けの明星、宵の明星と言われるように、見える時間がずれることでも知られており、一定の周期性を持っている。これを知ることは、空の変化を知ることの道しるべにもなる」
「ははあ」
と頷いてみた泰久だが、よく解っていない。確かに明け方に夕方に見えたりするのを知っているが、それに周期性があったとは知らなかった。
「まあいい。惑星に関しては後回しにしよう。暦で最も重要なのは日の長さだな。これも変化するものであり、四季の変化にも関係している。大丈夫か」
「それは何とか」
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