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第15話 不可思議な態度
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「何だよ。何が言いたい」
「それはお前の方だろ」
しばらくしてから天翔たちが二階に戻ると、そんな言い争う声が聞こえてきた。二人はどうしたとその声の方へと駆け寄る。
「別に。ちょっとおかしいって言っただけだろ」
諍いを起こしていたのは修士課程の久保秀人と佐介だった。廊下で互いに睨み合い、今にも一触即発の雰囲気がある。が、今まで目立ったトラブルになるようなことはなかった。それがどうしたというのか。
おそらく年齢が近いためか、ちょっとしたことで言い合いになったのだろう。そして、イライラしているせいで互いに引っ込みがつかなくなったというところだ。だから二人はすぐに止めに入る。
「おいおい、何を言い争っているんだ」
まず将貴が入ったのは、大事にはしたくないぞとの意思表示のためだった。
「その」
「何でもないです」
予想通り、互いの肩がぶつかったことがきっかけだった。それが日頃の不満へとつながり、言い争いに発展していったのだという。いつもならば歯止めの効くことが、この緊張状態では自制が飛び、大きな言い争いになってしまったのだ。
「落ち着けないのは解るが、他に八つ当たりするのは良くない。そうだろ」
声を聞きつけた他のメンバーが、声が止まったことで研究室や廊下の隅から遠巻きに見ている。だから将貴はより声を大きくして言った。そしてどうすると天翔を見る。一応、この場で最も責任のある人間が判断を下した方がいい。
「何もなかったのだからこのままでいいだろう。いつもより気を付けなければいけない。それだけだよ」
天翔はお前も責任感を持ってやってるじゃないかと肘で突く。自分よりも気配りをしているのだ。こういうのを裏で支えるというのだろうか。自分が一番苦手とすることだ。
「ま、さっきは気分を悪くさせたようだからな。これくらい引き受けるさ。ほらほら、他はもう戻れ。まだ夕飯には早いぞ」
将貴ははにかんだ笑みを浮かべると、あちこちで覗き見をしている奴らに戻るよう手を振る。その中には天翔の研究室のメンバーの顔もあった。佐介は天翔の傍で小さくなり、もう一人の秀人はやって来た彰真が引き取った。
「まったく。腹でも減ってるのか」
イライラしている原因がこの状況にあるとは、引き取って来いと恭輔に言われた彰真でも指摘できない。だから明るくそう訊いて秀人の腹を突くに留める。将貴が夕飯はまだだと言ったことを受けての言葉だ。職員全員が率先して気を使ってやっていくしかない。そういう雰囲気になる。
「妙に結束してきた感じだな」
天翔が咎めることなく佐介を研究室に戻したのを見て、トラブルが起こっても手慣れてきたよなと彰真は笑った。指導する立場として、柔軟性は必要だ。そんな褒め方に天翔も聞いていた将貴も笑う。
「このまま乗り切れればいいんですけど」
「弱気になるなよ。晩飯はお待ちかねのカレーらしいから」
強く降り続く雨を心配する天翔に対し、彰真はそう言って秀人を連れて戻って行く。先ほどの言葉に引っ掛けてこのまま晩御飯の手伝いをさせるつもりなのだろう。
「まだ戻れない感じになったな」
将貴はどうすると天翔を見て肩を竦めた。先ほど将貴が余計なことを訊ねて天翔に声を掛けられなかったように、今の佐介は二人に声を掛けられるのを嫌がるはずだ。それどころか姿を見たくないと思っているかもしれない。
「そうだな。小杉君のドライアイスが大丈夫か。その確認でもしよう」
ここでぼんやりしているわけにもいかず、かといって一階にもどるのも妙なので天翔はそう提案した。給湯室はミーティングルームの先、研究室とは反対方向だから丁度いい。
「そうだな。冷房が入っているとはいえ、確認しておいた方がいい」
自分からあの冷たい雰囲気の原因となった圭太のことを持ち出した天翔に驚きつつも、将貴は行こうと先に歩き出す。
ミーティングルームを通り過ぎる時に中を覗くと、昨日に引き続きガスコンロと鍋が持ち込まれていた。給湯室が使えなくなったのでここで一気に調理するということらしい。陣頭指揮は相変わらず葉月が執っており、剛大の姿はそこにはなかった。どこかで休んでいるのだろう。手伝っているのは典佳と実結、それに先ほど加わると決めた彰真と秀人だ。
「あれ」
そこを過ぎて給湯室が見えてきたと思った矢先、その給湯室の前に佇む雅之の姿を見つけて二人は立ち止まる。じっと中を見つめたままの雅之は、何を考えているのだろう。ただ、厳粛な空気がそこに流れていた。
「ああ、若宮と菊川か」
しばらく二人は声を掛けずに待とうかと思ったが、すぐに雅之が気づいてこちらを見た。そしてどうしたと訊ねてくる。
「ドライアイスが大丈夫か、その確認に」
天翔が言うと雅之は頷いて入り口から身体をずらした。しかしまだ立ち去るつもりはないようで、じっと中を見たままだ。中にいる圭太には上から毛布が掛けられ、その姿は見えないようになっている。しかし胸に不自然な盛り上がりがあり、それが事件を黙々と訴えているようだった。
「小杉君はハワイのすばる天文台に行ってもらう予定だったんだ」
手を合わせて近づいた天翔に、雅之はそう静かな声で言う。それは未来が決まっていても儚いものだと言いたいのか、何らかの動機になりうると言いたいのか。その声からははっきりとしたことは解らない。
「小杉さんの研究は、確か星雲に関するものでしたね」
しかし無粋にどちらかと訊くことは出来ず、天翔は手早く死体の周囲に置かれたドライアイスを確認しながら言った。圭太がすばる天文台に行く予定だったのは、彼の研究が南半球で見られる星雲に絡むからだろうと推理してだ。
「そうだ。ここで取れるデータはすでに集めていたからな。観測できる範囲の違うデータの収集を始めるためだった」
それに答えた雅之の声に、感情の変化はなかった。ただ静かに淡々と、圭太が生きていた証を思い出しているようである。
ドライアイスはまだ当分持ちそうだと確認を終え、天翔は改めて部屋の中を見てみた。争った跡はそのままに、濡れていた場所だけが乾いているくらいの変化だ。
「ううん」
水が乾いたことで何か解るのでは。そう考えたが無理だった。ただ鍋に入っていたお湯を零しただけなのか、特に床に変化は起こっていない。しかし、レトルトを温めた後、お湯は捨てられたはずだ。鍋に残っていたとは考え難かったのだが、当てが外れてしまった。
「水はポイントではないのか。とすると」
今は見えない、あの表情以外に手掛かりはないということか。それと、何故か置かれた火星のボール。
「君は真剣に誰が犯人か知りたいようだな」
そんな天翔に、雅之が鋭い声を掛けた。それに思わずびくりとなる。
「それは」
「いずれ警察が来ればはっきりすることだ。しかし、探すなとは言わない。事態を収拾させるのが君か警察か。その差でしかないからな。しかし、君が犯人を指摘するということは、少なからず何かが起こるはずだ。仲間を傷つけることになるかもしれない。それを忘れてはいけないぞ」
怒っているのかと思った天翔だったが、見つめた雅之は穏やかな顔でそう諭してきた。それは信頼するからこそだとの思いと、下手すれば自分も傷つくぞと気遣うもので、じわっと心が温かくなる。しかしそれと同時にどうしてあの時は慌てたのか。どうにも違和感が拭えない。
「気を付けます」
しかしこの場で問い質すことは無理で、天翔が素直に頷くと雅之は満足したように頷き返した。そして将貴にしっかりサポートするようにと言い残して去って行った。
「なんか、変だよな」
朝の動転とも厳めしい態度とも違う、責任者として以外の雅之の態度に、将貴はどういうことだろうと首を捻る。あれが、雅之がずっと言いたかった本音というところか。
「先生は、誰かが傷つくと予測しているのだろうか」
ひょっとして雅之はある程度の目星を付けているのか。そう思わせる態度だったなと天翔はもう一度部屋の中を見つめていた。
「それはお前の方だろ」
しばらくしてから天翔たちが二階に戻ると、そんな言い争う声が聞こえてきた。二人はどうしたとその声の方へと駆け寄る。
「別に。ちょっとおかしいって言っただけだろ」
諍いを起こしていたのは修士課程の久保秀人と佐介だった。廊下で互いに睨み合い、今にも一触即発の雰囲気がある。が、今まで目立ったトラブルになるようなことはなかった。それがどうしたというのか。
おそらく年齢が近いためか、ちょっとしたことで言い合いになったのだろう。そして、イライラしているせいで互いに引っ込みがつかなくなったというところだ。だから二人はすぐに止めに入る。
「おいおい、何を言い争っているんだ」
まず将貴が入ったのは、大事にはしたくないぞとの意思表示のためだった。
「その」
「何でもないです」
予想通り、互いの肩がぶつかったことがきっかけだった。それが日頃の不満へとつながり、言い争いに発展していったのだという。いつもならば歯止めの効くことが、この緊張状態では自制が飛び、大きな言い争いになってしまったのだ。
「落ち着けないのは解るが、他に八つ当たりするのは良くない。そうだろ」
声を聞きつけた他のメンバーが、声が止まったことで研究室や廊下の隅から遠巻きに見ている。だから将貴はより声を大きくして言った。そしてどうすると天翔を見る。一応、この場で最も責任のある人間が判断を下した方がいい。
「何もなかったのだからこのままでいいだろう。いつもより気を付けなければいけない。それだけだよ」
天翔はお前も責任感を持ってやってるじゃないかと肘で突く。自分よりも気配りをしているのだ。こういうのを裏で支えるというのだろうか。自分が一番苦手とすることだ。
「ま、さっきは気分を悪くさせたようだからな。これくらい引き受けるさ。ほらほら、他はもう戻れ。まだ夕飯には早いぞ」
将貴ははにかんだ笑みを浮かべると、あちこちで覗き見をしている奴らに戻るよう手を振る。その中には天翔の研究室のメンバーの顔もあった。佐介は天翔の傍で小さくなり、もう一人の秀人はやって来た彰真が引き取った。
「まったく。腹でも減ってるのか」
イライラしている原因がこの状況にあるとは、引き取って来いと恭輔に言われた彰真でも指摘できない。だから明るくそう訊いて秀人の腹を突くに留める。将貴が夕飯はまだだと言ったことを受けての言葉だ。職員全員が率先して気を使ってやっていくしかない。そういう雰囲気になる。
「妙に結束してきた感じだな」
天翔が咎めることなく佐介を研究室に戻したのを見て、トラブルが起こっても手慣れてきたよなと彰真は笑った。指導する立場として、柔軟性は必要だ。そんな褒め方に天翔も聞いていた将貴も笑う。
「このまま乗り切れればいいんですけど」
「弱気になるなよ。晩飯はお待ちかねのカレーらしいから」
強く降り続く雨を心配する天翔に対し、彰真はそう言って秀人を連れて戻って行く。先ほどの言葉に引っ掛けてこのまま晩御飯の手伝いをさせるつもりなのだろう。
「まだ戻れない感じになったな」
将貴はどうすると天翔を見て肩を竦めた。先ほど将貴が余計なことを訊ねて天翔に声を掛けられなかったように、今の佐介は二人に声を掛けられるのを嫌がるはずだ。それどころか姿を見たくないと思っているかもしれない。
「そうだな。小杉君のドライアイスが大丈夫か。その確認でもしよう」
ここでぼんやりしているわけにもいかず、かといって一階にもどるのも妙なので天翔はそう提案した。給湯室はミーティングルームの先、研究室とは反対方向だから丁度いい。
「そうだな。冷房が入っているとはいえ、確認しておいた方がいい」
自分からあの冷たい雰囲気の原因となった圭太のことを持ち出した天翔に驚きつつも、将貴は行こうと先に歩き出す。
ミーティングルームを通り過ぎる時に中を覗くと、昨日に引き続きガスコンロと鍋が持ち込まれていた。給湯室が使えなくなったのでここで一気に調理するということらしい。陣頭指揮は相変わらず葉月が執っており、剛大の姿はそこにはなかった。どこかで休んでいるのだろう。手伝っているのは典佳と実結、それに先ほど加わると決めた彰真と秀人だ。
「あれ」
そこを過ぎて給湯室が見えてきたと思った矢先、その給湯室の前に佇む雅之の姿を見つけて二人は立ち止まる。じっと中を見つめたままの雅之は、何を考えているのだろう。ただ、厳粛な空気がそこに流れていた。
「ああ、若宮と菊川か」
しばらく二人は声を掛けずに待とうかと思ったが、すぐに雅之が気づいてこちらを見た。そしてどうしたと訊ねてくる。
「ドライアイスが大丈夫か、その確認に」
天翔が言うと雅之は頷いて入り口から身体をずらした。しかしまだ立ち去るつもりはないようで、じっと中を見たままだ。中にいる圭太には上から毛布が掛けられ、その姿は見えないようになっている。しかし胸に不自然な盛り上がりがあり、それが事件を黙々と訴えているようだった。
「小杉君はハワイのすばる天文台に行ってもらう予定だったんだ」
手を合わせて近づいた天翔に、雅之はそう静かな声で言う。それは未来が決まっていても儚いものだと言いたいのか、何らかの動機になりうると言いたいのか。その声からははっきりとしたことは解らない。
「小杉さんの研究は、確か星雲に関するものでしたね」
しかし無粋にどちらかと訊くことは出来ず、天翔は手早く死体の周囲に置かれたドライアイスを確認しながら言った。圭太がすばる天文台に行く予定だったのは、彼の研究が南半球で見られる星雲に絡むからだろうと推理してだ。
「そうだ。ここで取れるデータはすでに集めていたからな。観測できる範囲の違うデータの収集を始めるためだった」
それに答えた雅之の声に、感情の変化はなかった。ただ静かに淡々と、圭太が生きていた証を思い出しているようである。
ドライアイスはまだ当分持ちそうだと確認を終え、天翔は改めて部屋の中を見てみた。争った跡はそのままに、濡れていた場所だけが乾いているくらいの変化だ。
「ううん」
水が乾いたことで何か解るのでは。そう考えたが無理だった。ただ鍋に入っていたお湯を零しただけなのか、特に床に変化は起こっていない。しかし、レトルトを温めた後、お湯は捨てられたはずだ。鍋に残っていたとは考え難かったのだが、当てが外れてしまった。
「水はポイントではないのか。とすると」
今は見えない、あの表情以外に手掛かりはないということか。それと、何故か置かれた火星のボール。
「君は真剣に誰が犯人か知りたいようだな」
そんな天翔に、雅之が鋭い声を掛けた。それに思わずびくりとなる。
「それは」
「いずれ警察が来ればはっきりすることだ。しかし、探すなとは言わない。事態を収拾させるのが君か警察か。その差でしかないからな。しかし、君が犯人を指摘するということは、少なからず何かが起こるはずだ。仲間を傷つけることになるかもしれない。それを忘れてはいけないぞ」
怒っているのかと思った天翔だったが、見つめた雅之は穏やかな顔でそう諭してきた。それは信頼するからこそだとの思いと、下手すれば自分も傷つくぞと気遣うもので、じわっと心が温かくなる。しかしそれと同時にどうしてあの時は慌てたのか。どうにも違和感が拭えない。
「気を付けます」
しかしこの場で問い質すことは無理で、天翔が素直に頷くと雅之は満足したように頷き返した。そして将貴にしっかりサポートするようにと言い残して去って行った。
「なんか、変だよな」
朝の動転とも厳めしい態度とも違う、責任者として以外の雅之の態度に、将貴はどういうことだろうと首を捻る。あれが、雅之がずっと言いたかった本音というところか。
「先生は、誰かが傷つくと予測しているのだろうか」
ひょっとして雅之はある程度の目星を付けているのか。そう思わせる態度だったなと天翔はもう一度部屋の中を見つめていた。
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