双子協奏曲

渋川宙

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第10話 第一の殺人ー火星ー

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 時間が経つにつれ、雨は止むどころか激しさを増していった。窓を叩く音が耳につき、とても眠れる状態ではない。
「ダメだな。順番に休むって言っても」
「そうだな」
 学生や他の研究員を優先して休ませようと、窓際にいた天翔と将貴は横になるのを諦めて外を眺める。今はもう真っ暗で、外をみたところで何も解らない。しかし雨が窓に当たるのはよく解った。絶えず流れる雫を見ていると、まるで電車の中からそれを見ているかのようだった。
 他にもミーティングルームで休憩を取っているメンバーはいたが、やはり同じように眠れないようだった。無駄に寝返りを打ったり、諦めて天井を見上げていたり、中には同じように窓の外を見つめている者もいる。各研究室から二人ずつが休んでいるため、学生も話し相手に困っているのだ。休むという名目なので議論するわけにもいかない。誰もが時間を持て余している感じがした。
「川の氾濫はかなり広範囲らしいな。下流全域に避難勧告が出ている。夜が明けたら、被害の情報が入ってくるだろうな」
 天翔は先ほど彰真から教えてもらった情報に暗澹たる気分だった。ただでさえ恵介のことが無視できないほど頭を悩ませ始めているというのに、状況がどんどん悪化しているのだ。
「被害か。となると、ますます帰られない可能性が高まるな。天文台に繋がる道の横にその川が流れているんだぜ。下手したら道が消えている」
 将貴もこの場では川の話題だけに留めた。しかし気になることばかりだ。このまま帰れないとなると、どこかで衝突が起こるのではないか。周囲が気を遣っているだけに、恵介の行動が余計に目に付くようになっている。お前もこの時は遠慮しろよと、あくまでいつも通りおべっか使いに精を出す恵介への不満が将貴にも溜まっていた。それと、情報を抜かりなく収集しようという魂胆も腹が立つ。今もミーティングルームの片隅で、他の人たちの会話に耳を傾けていた。
「道路か。完全にこの山に閉じ込められてしまったわけだ。通信がしっかりしているのが、逆に気持ちを暗くするな」
 ここで気象庁や他からの連絡がなければこの雨の具合だけで判断するしかなく、今から朝の心配をすることもないのにと天翔は溜め息だ。
「贅沢な悩みだけどな。まあ、今のインフラ技術は凄いからな。道が塞がったとしても大丈夫だろ。すぐに復旧するさ」
 川幅は上流からすでにかなりあって、普段は緩やかな流れの川だ。雨による増水で氾濫したとしても、大きな被害にはならないだろうと将貴は笑う。
「まあ、そう願いたいよな。でも、最近の川の氾濫による洪水は洒落にならない。ここも楽観視は出来ないよ」
 将貴があまり心配ばかりしても仕方ないと言いたいのは解っているが、それだけでは駄目だ。地球温暖化がどこまで影響しているのか、その方面の研究には疎い天翔には断言できないものの、ここ数年の大雨による被害は大きいものが多い。近くの川だから、普段から見慣れているところだから大丈夫というのは、正しい考え方とは思えない。
「お前は本当に遊びがないね。どうしてそうきっちり考えないと気が済まないんだ」
 恭輔も指摘していることだが、天翔はどうにも真面目過ぎる。考えとしては正論で間違いはないものの、周囲が見ていると息が詰まりそうだ。
「きっちり考えるねえ。そういうつもりで言っているわけじゃないんだけど」
 それは小さい頃からの癖だしと、天翔は困ったなと腕を組んだ。さすがに一日で二回も指摘されると困惑するところだ。
「これは筋金入りだな。両親もそういう感じなんだ」
 将貴がこっちが困るよと苦笑する。それに対し、天翔は曖昧な表情を浮かべただけで答えなかった。ただ再び窓へと目を向け、その話題には触れないとの態度を取る。
 一体どうしたんだと、将貴が声を掛けようと口を開いた時
「すみません。小杉さんを見なかったですか」
 気弱そうな声がそう訊ねてきた。見ると学部生の一人、山田(やまだ)剛大(たかひろ)がいた。名前に似合わずこうおどおどしたところのある学生である。
「どうした。小杉がいないのか」
 さっきまでここで休んでいたよなと、将貴は天翔に確認する。天翔も休めずに何度も寝返りを打つ姿を見ていたので頷いた。そして部屋の中へと目を転じたが、確かに圭太の姿は見当たらない。
「トイレじゃないのか」
 天翔が指摘すると、すでに探したと剛大は小さな声で言う。これは散々探したものの見つからず、意を決して声を掛けたというわけのようだ。それだけ天翔には話し掛け難い雰囲気がある。
「見つからないって、どのくらい前からだ」
 緊急事態と解った天翔が口調をきつくして問う。よもや外に出たとは思えないが、もし出て戻れなくなっているのだとしたら一大事だ。
「三十分前からです。ミーティングルームで休んでいるはずだったんですよ。だから休憩の交代だと思って声を掛けようとしたら、いませんでした。それで、トイレや階段といった休憩できそうなところは探したんですけど」
 どこを探しても姿が見つからないのだと、剛大は自分のミスのように縮こまってしまった。
「若宮は怒っているわけじゃないんだ。そう気にするな。ともかく、もう一度探してみよう。俺たちも手伝うから」
 ほら、その性格はちょっと困ることもあるだろと将貴は苦笑する。それに天翔はどう表情を作っていいのか解らない。その匙加減が解れば人生苦労していないというものだ。
「どうかしたの」
 そこに休憩を取りにやって来た葉月が加わった。圭太の姿が見えないらしいが見なかったかと訊くと、葉月は見ていないと首を振る。
「いなくなるというのは考えられないわよ。どこかにいるはずよ。小杉君ってたしか島田君と仲がいいわよね。どこかで喋っているのよ」
 そんなに心配することはないと、困惑の表情で三人を見比べる剛大に葉月は請け合った。すると少し表情が和らぐ。やはり頼れる存在だ。空気を和ませるには彼女に任せるに限る。
「いてくれて助かったよ」
 廊下に出ると、天翔はそう葉月に声を掛ける。自分だけではより剛大を心配させることしか出来なかっただろう。
「いいのよ。それより探しましょう。若宮は研究室の方向を探して。私は一応、用事があるとは思えないけど、天文台室を見てくるわ。一人になりたいだけかもしれないし」
「解った」
 手早く分担を決め、天翔と将貴は研究室方向へと走り出した。剛大は葉月と一緒に逆方向の天文台室へと上がるための階段に向かう。同じ方向からも行けるのだが、その途中に圭太がいた場合見つからない場合があるとの考えからだ。
「まずは島田に話を聞こう。何か知っているかもしれない」
 天翔は圭太と仲がいいという駆に話を聞くのが早いと、自分の研究室を目指す。廊下には人気がなく、誰もが研究室かミーティングルームにいるはずだとの思いが強くなる。その中で行方不明なんて起こり得るはずがない。この激しい雨の中、外に出るなんてもっての外だった。廊下がどこも濡れていないことも、それを確信させる。
「おい」
 天翔は自分の研究室のドアを開けると、そう声を掛けた。するとパソコンを見ていた四人が顔を上げた。研究室には丁度良く全員が揃っていたのだ。
「島田君。小杉君を見ていないか」
「えっ。小杉ですか。いいえ」
 どうして圭太の行方を訊くんだと、いきなりそう問い掛けられた駆は怪訝な表情だ。それだけでなく動揺したように目が泳いでいる。今の自分の言い方に駆も怒っているように感じるのかと、天翔はうんざりとしてしまった。
「三十分ほど前から姿が見えないらしいんだ。探すのを手伝ってくれ」
 しかし駆は自分の性格を知っている。状況を説明すればどういうことか理解してくれる。その証拠に駆はすぐに頷いた。そして心配そうな顔になった。二人の仲がいいというのは本当らしい。
「小杉の姿が見えないんですか。解りました」
どこかで二人で喋っているのではとの葉月の推理が外れ、一体どこにいるんだと天翔は焦った。横にいた将貴もこれは異常だと表情が厳しくなる。
 駆が立ち上がると、学生たち三人も手伝うと立ち上がった。何かあったのならば自分たちも手伝うと、天翔の力になると申し出てくれたのだ。
「じゃあ、二人一組となって一階を探してきてくれるか。何かあったのかもしれない」
 体調不良で動かなくなっている可能性もあるなと、天翔はそう指示した。そうしておけば一人は救助を、もう一人は応援を呼びに行くことが出来る。学生たちが一階へと向かったのを見届け、自分たちはこのまま他の研究室の確認を続けることにした。
「こんな時に」
 誰もがそわそわして気が立っている中でのトラブルに、天翔は大丈夫だろうかと心配になる。何もないと信じたくても、嫌な方向にしか考えられなかった。
「妙なことになっていなければいいが」
 そう、具体的にトラブルが思いつくわけでもないのに呟いてしまう。
 隣の葉月の研究室に行くと、和田美結という研究員と典佳が女子トークで盛り上がっているところだった。当然、二人とも圭太の姿を見ていないと言う。
「いなくなったんですか。こんな雨の中」
 典佳の反応は尤もで、だからこそ困っているのだ。その呑気さをここでも発揮しないでくれと、将貴は思わず注意したくなる。が、それはイライラをぶつけているだけだと堪えた。どうしてなかなか見つからないのか。それが余計に不安を煽る。限られた空間の中で誰も見ていないというのも気になる。
「手伝いましょうか」
 心配そうな二人の顔に美結が申し出るが、すでに捜索の人数は足りている。ここは待機する人が必要だと、二人にはその場で連絡を待ってもらうことにした。
「次は鳥居先生のところだな」
 研究室の三つめは恭輔のところだ。ここに何か用事があっていてくれることを祈るしかない。二人がそう頷いて恭輔の研究室に向かおうとした時だ。
「うわあああ」
 大きな悲鳴のような音が聞こえた。これはどう考えても雷ではない。どこから聞こえたのか、そう思って二人が耳を澄ませていると、続けて誰か来てと叫ぶ声がする。こちらは女性のものだ。
「――」
 不安が的中した。それが二人の率直な思いだった。そしてすぐに声の方向へと駆けだす。それはミーティングルームのすぐ近くのようだった。途中、悲鳴を聞きつけた恭輔と合流する。
「一体何が」
「解りません。ただ、小杉君の姿が見当たらないとの情報があります」
 ただ事ではないはずと、天翔は不安に表情を曇らせる。この雨の中で緊急事態となると、どこにも助けを呼べない。大怪我やここでは対処できないほどのことではないと祈るしかない。
「大丈夫か」
 救援を呼ぶ声を上げたのは、なんと葉月だった。腰を抜かしてしまったのか、給湯室の前で床に座り込んでいる。しかし目は部屋の中にくぎ付けとなっている。
「どうした」
 その状況に、三人はもう手遅れなのだと理解した。だからゆっくりと給湯室に近づく。そして中を見て、覚悟はしていたものの驚くことになる。
「これは」
「一体、誰が」
 探していた圭太は、部屋の中に大の字になって仰向けに倒れていた。その横に、安否確認のために近づいていたのだろう、茫然としてしまった剛大の姿がある。応援が来たことで安心してしまったのか半泣きだ。言葉が出ず、ただ圭太の胸の辺りを指差していた。
そこには深々と包丁が刺さっている。その包丁はこの給湯室に備え付けられているもので、刃の部分はセラミック、柄がプラスチックの丸型と変わったデザインのものだ。だから見間違えるはずがない。ということは、圭太はここで犯人に刺されたことになる。
恨みがあっての犯行か。しかも死ぬまでに、いくらか時間が掛かったはずだ。その間、圭太はどうして異常を知らせなかったのだろうか。
「トラブル。でも」
 全く話題になっていなかった研究員の小杉圭太の死に、誰がどうしてとの疑問しか出て来ない。それに何があったのか。中で争ったらしく、鍋やフキン、それに菜箸や茶碗といったものが散乱していた。
顔の辺りは水に濡れていて、緊迫した状況だったことを伝えている。この二畳半ほどしかない部屋で何があったのか。水は顔だけでなく、床の半分ほども濡らしていた。
「どうしてだろう」
 そして何より気になるのが、圭太の表情だ。目を閉じたのは犯人としても、どうして口に笑みを浮かべているのか。状況からして自殺のはずがない。それなのに、奇妙に幸せそうな顔をしている。まるで自分の胸に包丁が刺さったことに気づいていないかのようだ。
「おい、これ」
 散らかった部屋と圭太の顔を交互にを見つめていた天翔に、何かを発見した将貴が大きな声を出し何かを指を差した。
「どうして、こんなものが」
 それは小さなボール状のものだ。しかしただのボールではない。一階の土産物店で売っているもので、火星の表面を再現した柄となっている。これは太陽系の惑星の総てがシリーズとして売っているものだ。つまり全部で八種類売られている。
「まさか、な」
 ここにいる誰かが犯人というだけでなく、連続殺人を示唆しているのか。そう思った天翔だったが、さすがにその懸念はすぐに打ち消していた。
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