科学部と怪談の反応式

渋川宙

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第35話 だからあの井戸は何だ?

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「同胞よ。どうして逃げるんだ?」
 ぜえぜえと肩で息をしつつも諦めない林田は桜太に迫った。もうこのまま二人とも抱きしめてしまおうという作戦である。
「いや、俺も抱き付いていいって言ってないから」
 桜太は楓翔を差し出すわけにはいかず、しかし抱き付かれたくないので首をぶんぶんと振った。このくそ暑い状況で男に抱き付かれるなんて御免だ。いや、寒くても凍死寸前までは遠慮したい。桜太は嫌を全力でアピールするために首を振り続けた。おかげで首は痛くなるし眼鏡が遠心力で飛んでいきそうだ。
「はふっ」
 もう少しと迫っていた林田だが、急に奇妙な声を上げて遠ざかった。
「えっ?」
 首を振るのを止めて恐る恐る目を開けると、横にいたはずの莉音が林田の背後から股間に容赦ない蹴りを入れていた。色々と林田被害を受けている莉音も我慢の限界を超えるとあそこを蹴ってしまうものらしい。
「馬鹿なことをやっていないで、さっさとあの井戸について説明してください」
 莉音が冷たく悶える林田を見つめた。その目の迫力に、周りにいた科学部員たちは莉音を怒らせないようにしようと心に誓った。
「わ、解ったよ。それにしても、いつになく手荒い処置」
 蹴られた林田は涙目だった。しかも相当な痛さであるらしく、内股になった足が震えている。
「それで、あの井戸は何なんですか?」
 桜太はまだ背中にしがみついている楓翔に代わって訊いた。それにしても井戸の曰くが知れる日が来るとは驚きだ。
「そうだぞ。あそこに井戸がある事実を誰も知らないのも困ったものだ。俺は三年間悶々としていたんだぞ」
 いきなり亜塔が割って入って来る。この七不思議に井戸を加えた男はまだ諦めていなかったのだ。しかも発見したのは一年生の時だったらしい。
「いや。だからさ、穴が開いたからどうしようって話になったんだよ。でも地盤沈下かと思って観察していても変化なし。これはもう崩れないなとなってさ、生徒がうっかり穴に落ちないための処置がいるってなったんだ。そこで、俺が井戸のような恰好をさせておけばいいと提案し、製作したってわけだ」
 内股のままだが林田は胸を反らして自慢する。その珍妙な格好と揺れる天然パーマに千晴が限界を迎えて吹き出した。
「その、水が入っていたのも先生のせいですか?」
 やはり興味がある楓翔は、桜太の背中からちょっとだけ顔を出して訊いた。まだ警戒しているのだ。
「えっ?さすがにそんな芸の細かいことはしてないよ?雨水でも溜まったのかな?」
 林田が井戸を制作していた時はただの穴だった気がする。水はなかったはずだ。
「地下水じゃないのか。地盤沈下しているし」
 亜塔が楓翔に訊く。この井戸問題でともに国営放送の某番組ごっこをした仲だ。この問題解明には楓翔が必要との認識がある。
「そうですね。でも、それにしては水が少ししかないんですよ」
 ようやく桜太の背中から離れた楓翔は首を傾げる。それにあれが地下水による地盤沈下の結果だとすれば穴の大きさが小さい気もした。
「地下水以外の地盤沈下ってあるのか?」
 疑問に思った迅が訊く。
「そうだよ。ああいうのって地下水か水道管の破裂じゃないのか。あっ、ガス管の爆発もあるか」
 優我がそれに足した問題はどう考えてもない話だ。ガス管が爆発していたらガス会社が飛んでくる。穴は井戸に加工されることなく塞がれているはずだ。
「ううん。水道管や下水管は違うと思うな。あれは穴が大きく開くし。高校の傍に水田があることを考慮すれば、やっぱり地下水だろうか」
 楓翔は必死に可能性を考えるも情報が少ない。
「水田はいつも世話になっているな。そういえば、ちょっと行ったところに川があったし」
 芳樹がいつものようにカエルの入った水槽を手にして言った。カエルを捕まえるために芳樹は足繁く水田に通っているのだ。
「あっ。昔はこの辺に鉱脈があったとかは?たしか坑道が原因で穴が開くこともあるんだよな?」
 桜太が閃いたと楓翔に訊く。
「ううん。聞いたことないけど。でも、この辺は新興住宅地だしな。あっ」
 そこで楓翔は重要な人物を思い出した。坑道といえばあの人に聞けばいいはずだ。
「どうした?」
 桜太はきょとんとする。
「松崎先生に訊いてみようよ。先生は鉱物マニアだ。坑道や鉱脈の情報は持っているよ」
 楓翔の提案に、そういえばと誰もが忘れていた松崎を思い出した。林田のせいで顧問の存在を忘れてしまうとは、とんだ誤算である。
「ほう。松崎女史はそんな高尚なものを愛でているのか」
 挨拶しか交わせなかった林田が松崎に興味を示す。実は林田と入れ替わるようにこの学校にやって来たのが松崎だ。おかげで林田は科学部の顧問が女性になっていて心底驚いてしまった。
「じゃあ、呼んできます」
 ここは部を代表する桜太の仕事だ。桜太は早速職員室に松崎を呼びに行くことにした。






「坑道はないよ。それにしてもあの井戸。ただ穴を塞いでいただけとはねえ」
 やって来た松崎は石を握り締めていた。暇を持て余して石をルーペで観察していたところに桜太が来たせいだ。ここで持ったまま来るというところに変人らしさを発揮している。
「その石、綺麗な青色をしている部分がありますね」
 林田が緊張した声で松崎に話しかけた。松崎を前にした林田は普通の理系男子となっていた。女性を相手にすると緊張し、この僅かな出会いを活かしたい気持ちで一杯なのである。もさもさの天然パーマもこの時ばかりは揺れない。
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