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第43話 境界線の証明

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 境界線の証明。それが、これからの物理学を決めるものになるのは間違いない。美織はごくりと唾を飲み込んでいた。
「向こう側にいかないため、向こう側に干渉しないため。そして、もう二度と悲劇を繰り返さないために必要なことだ」
 史晴はまるでそこに向こう側の敵、神と呼ぶしかないものに向けて宣言しているようだった。それを、誰もが黙って耳を傾ける。
「宇宙の成り立ちの解明は続けていくべきことだ。だが、それは異空間とは別でなければならない。干渉してしまうことは、それこそ物理学が成り立たなくなるからだ。それを、伶人は証明した」
 自らの死をもって。史晴はそこで一度目を閉じる。それは追悼のためと、ここからは正確性を要することだと気合いを入れ直すためだ。
 曖昧な証明は向こう側に引きずられ、こちら側で死ぬことになる。戻ってくる時には死が待つ曖昧な存在にされてしまう。
 今、史晴がそれを避けられているのは、すでに伶人と清野によってマイナスを与えられているからだ。干渉を僅かに避けることに、あの呪いが寄与している。しかし、正確に証明できなければ向こう側に引きずられるし、全く見当違いの答えだと、このまま呪いで死ぬことになる。まさに難しいさじ加減が必要だ。
「虚数解であり、それが一般解となるものだな」
「ああ。本来ならばあり得ないその特殊な一つの解が線引きの条件だ」
 裕和の質問に答え、いいかと史晴は全員を見渡す。本来ならば一人で、もしくは美織と解決すべきかと思っていたが、美織が周囲にも助けを求めるべきだと主張した。だから、史晴は素直にそれに従った。伶人が、彼女は特殊だと見抜いたのだから、彼女の言葉には従うのがいい。そう判断している。
 それに中途半端に知った状態で、この問題を解決してしまったら、後で興味を持ってその数式に挑んでしまうかもしれない。それを避けるためにも、この件に少しでも関わったメンバーは一緒にやるべきだと思う。美織はそれを、理屈ではなく直感で理解しているのだ。
 思えば、何度も美織の直感に助けられたと史晴は思う。美織を見ると、やりましょうと力強く頷いた。
「椎名。適宜、計算の補助を頼む。酒井は俺の数式を追いながら同時に間違いがないか検証してくれ」
「はい」
「了解」
 こうして最後の証明が始まった。すると、不思議なことが起こる。
「えっ」
「なんだ?」
 それに気づいたのは、葉月と学だ。ぐにゃっと空間が歪んだというか、不可思議な感覚が襲ってくる。足元がぐらつき、立っていられない。しかし、計算に集中しているメンバーは気づいていない。
「あれだ。別の、虚数の層が干渉を始めているんだ」
「ちっ。本当に数式だけを引き金にしているとはね。むこう側の神様は、大数学者様か」
 学が干渉しているというので、葉月からは思わず皮肉が漏れる。ずっと、そうだろうとは思っていたものの、証明を始めただけで干渉が始まるとは困ったものだ。ただし、こんなにも早くに変化が現れているのは、先に証明した二人が認めた男だからに他ならない。
 が、同時に気づくこともあった。まだカワウソ姿の史晴とそれに付き添う美織。その二人の周りだけは何事もないように止まっている。やはり、美織はイレギュラーな存在なのか。
「まあ、そうだろうな」
 あの史晴をここまで変えたのは美織だ。彼女が関わらなければ、今もなお史晴は神と呼ばれる存在を認められず、また、従兄が魔法使いにされたなんて想像できなかっただろう。この問題を解く最初のきっかけを与えたのは美織だ。
 それにあの論文を見つけたのも美織だった。いくつか伶人の論文は読んでいたはずなのに、問題の論文には辿り着けていなかった。これもまた、美織は干渉されないからだろう。
「どうしてだ?」
 しかし、疑問も生まれる。女子だからというのは理由にならない。葉月だって女だし、清野だって女だ。しかし、美織だけが違う。
「――まさか」
 薄々思っていたことだが、まさかそうなのか。向こう側にいる神は、そして伶人も清野も、救おうと思いつつも呪ってしまった理由はそれなのか。
 思わず史晴と美織を見る。いつの間にか、史晴の姿は人間に戻っていた。服はいつ着たんだ。そんなことも解らない。
「ああ」
 ぐらぐらと動く世界。先にこんなにも影響を受けているのは、葉月が気づいてしまったからか。
「これだ」
 そんな時、史晴から声が上がった。
「あってます。どういう数値を入れても、この時空の穴は証明できます」
 そしてしばらくして続く美織の声。美織は逐次解析を得意としているから、こういう場面で強い。
「大丈夫だ」
 そして、後から追い掛けるように証明していた裕和からも、オッケーの声が上がる。さあ、これで完全に証明されてしまったぞ。
 すると、実験室ががたんと大きく揺れる。干渉が大きくなったのだ。
「きゃっ」
 美織が思わず史晴に抱き付くと、揺れは収まった。しかし、ぽっかりと穴が部屋の中心に開く。
「あっ」
「なっ」
「まさか」
「やはり」
 そして、その開いた穴から現れたのは、まごうことなき史晴だった。ただし、きっちりとタキシードを纏い、支配者たる風格が漂っている。
「じゃあ、先輩を呪っていたのは」
「向こう側の、俺」
 美織と史晴が呆然と呟くと、現れた虚数の史晴はにやっと笑う。
「まったくの予想外だったよ」
 虚数史晴はそう言ってすっと美織を指差した。予想外とは実数の史晴が数式を特定することではなくお前だと、怖い目が物語っている。
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