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第32話 求不得苦
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大騒動があったものの、旅館側が大事にしたくないと酔客同士の争いと説明していたため、大きな混乱はなかった。翌朝、みんなで揃って朝食を食べに食事処に行くと、お酒には注意しないとねという会話があちこちで交わされていた。
「本当に、注意してくださいね、先生」
「いや、うん、面目ない」
包帯が巻かれているせいでどうしても注目を浴びる八木に、千鶴はわざとらしくそう言った。すると、横で食事をしていた老夫婦がくすくすと笑っている。
「あれ、亮翔さんは?」
がっくんを迎えに行った時は一緒にいたというのに、席についてみると亮翔の姿がない。千鶴は勝手なんだからと鼻を鳴らす。
「ああ、なんか気づいたとか言っていたよ。それを調べてからごはんを食べるってさ」
そんな冷たい反応に、がっくんは苦笑しつつ教えてくれた。先に行ってほしいと、同室のがっくんには伝えていたようだ。
「そうなの? 閃いたって、十六夜の間に入った理由かしら?」
「そうじゃないかな。あの人、負けず嫌いっぽいよね」
「負けず嫌いも負けず嫌い。相当なもんだよ」
千鶴とがっくんの会話に、八木は昔から解らないことがあると意地になって調べる癖があるからなあと苦笑。そして、利き腕を怪我していてご飯を食べ難いとぼやく。和食だから箸が使えないと食べられないものばかりだ。
「先生、スプーンとフォーク用意してもらいますか」
がっくんがすかさずそう言い、通り掛かった仲居さんに頼んだ。その対応の早さに、千鶴と琴実は女子力高いと声を揃えてしまう。
「いや、普通でしょ」
「なんだろう。がっくんが女子だとライバル視しちゃうわ」
千鶴は強敵よねと言うと
「そうよね。同性となればライバルだわ。女子力って常に競い合うものなのよ」
琴実もそんなことを言い出す。おかげで慌てる羽目になるがっくんだ。
「いやいや、なんでだよ」
「お前ら、本当に仲がいいなあ」
八木はそんな可愛らしい会話を繰り広げる三人にほっこりしてしまう。亮翔から高梨岳人がトランスジェンダーだと聞いた時、受け入れているという二人とぎくしゃくしていないか心配したが、とんだ取り越し苦労だったようだ。普通に女子三人として過ごせるのだから、やはり若い感性は侮れない。
「悪い、遅れた」
そこに亮翔が現れ、椅子に座るなり大欠伸をした。ひょっとしてあの後、ずっとなぜ十六夜の間に入ったのかについて悩んでいたのか。
「解ったんですか、あの男の人がしつこく十六夜の間に入ろうとした理由」
だからつい、千鶴は意気込んで聞いてしまう。それに亮翔は少し面食らったような顔をしたが、たぶんなと笑顔になった。
くう、その顔はイケメンで素敵すぎる。総てを忘れて顔が真っ赤になってしまった。
「ええっと、それで、何でだ?」
そんな千鶴の反応に困惑したのは亮翔ではなく八木で、慌てて真相を喋れと促してしまう。生徒に悪い虫がつかないように見張るのも教師の役目だ。
「たぶんだが、あの男はあの部屋に欲しいものがあると勘違いしたんだろうな。それも前回の、あの大威徳明王の巻物。あの情報と家宝の情報が混ざった状態で知ってしまったのだろう。俺の推測では部屋に飾られた壺か花瓶か、そういうものだと思ったのだが、どうやら違ったらしい」
「へっ」
しかし、亮翔から聞かされた内容は全く要領を得なくて、八木だけでなく千鶴たちも首をかしげてしまう。それってどういうことだろう。
「この旅館から高価なものが出てきた。しかもそれが売りに出された。これは骨董に興味がある人の間で、すぐに噂になるはずだ。砧青磁の本物なんてなかなかお目に掛かれないものだ。情報が飛び交っていたことだろう」
「値段は聞いていないですけど、相当なんでしょうね。露天風呂って、高そうだし」
千鶴の言葉に、亮翔は大きく頷いた。しかし、今は値段については関係ない。
「で、そんなお宝が出てきた場所で今度は巻物が話題になっている。それもここのお嬢さんがわざわざお寺に相談に行ったほどだ。これは再び大物が出てきたのではないかと、あの男は考えたわけだよ」
「え?」
まさかあの人、この旅館を見張っていたのか。それってちょっとしたストーカーじゃないのか。千鶴はぞっとしてしまう。
「もとよりこの旅館は俳人の有名な句を飾っているほどの、高級志向の旅館だ。そういう場所から出てきたとあれば、それは価値のあるものと考えるのは仕方がない。まさか昔、藪入りの時期に掛けられていたものだなんて、長年勤めている人さえもう知らない話だろう」
「そうか。客観的に見て、あの巻物が何かを知ることはできなかったんですね」
千鶴の指摘に、それが重要なヒントだったんだと頷いた。
「ヒント」
「そう。あの男の目的は絵だったんだ。ところが、この旅館の中には壺や俳句の短冊は飾ってあっても絵はない。いや、客室に僅かにあるが、それも巻物ほどの大物ではない。一体どういうことだろうと男は首を捻る。しかもここは望月という名前の冠された旅館で、月にちなむ部屋もある。きっと目的の絵が出てきたはずなのにと、男の思考は暴走してしまったわけだ」
「ううん。そこまで欲しいものだったってことですか」
がっくんも一時期は可愛い小物や服が買えないことで悩んでたから、ちょっと気持ちが解るようだ。欲しいのに手に入らない。そんなもやもやが、巻物が出てきたことによって、ひょっとしたらここにあるのではという発想を妄執に変えてしまった。
「そう。コレクターなんだろうな。手に入らない気持ち、求不得苦の辛さに耐え兼ね、この場所にあるのだと思い込んでしまった」
「求不得苦」
「ああ。欲しいものが手に入らない、まさにそのままの言葉さ。仏教の教えの中にある八苦の一つで、これは不老不死だけでなく、物質的な欲望が満たされない場合も使うんだ」
「へえ」
こうやってすぐに仏教用語に絡めてくるところはお坊さんだなと、千鶴は笑ってしまう。それは琴実やがっくん同じようで、なるほどねえという顔をしていた。
「本当に、注意してくださいね、先生」
「いや、うん、面目ない」
包帯が巻かれているせいでどうしても注目を浴びる八木に、千鶴はわざとらしくそう言った。すると、横で食事をしていた老夫婦がくすくすと笑っている。
「あれ、亮翔さんは?」
がっくんを迎えに行った時は一緒にいたというのに、席についてみると亮翔の姿がない。千鶴は勝手なんだからと鼻を鳴らす。
「ああ、なんか気づいたとか言っていたよ。それを調べてからごはんを食べるってさ」
そんな冷たい反応に、がっくんは苦笑しつつ教えてくれた。先に行ってほしいと、同室のがっくんには伝えていたようだ。
「そうなの? 閃いたって、十六夜の間に入った理由かしら?」
「そうじゃないかな。あの人、負けず嫌いっぽいよね」
「負けず嫌いも負けず嫌い。相当なもんだよ」
千鶴とがっくんの会話に、八木は昔から解らないことがあると意地になって調べる癖があるからなあと苦笑。そして、利き腕を怪我していてご飯を食べ難いとぼやく。和食だから箸が使えないと食べられないものばかりだ。
「先生、スプーンとフォーク用意してもらいますか」
がっくんがすかさずそう言い、通り掛かった仲居さんに頼んだ。その対応の早さに、千鶴と琴実は女子力高いと声を揃えてしまう。
「いや、普通でしょ」
「なんだろう。がっくんが女子だとライバル視しちゃうわ」
千鶴は強敵よねと言うと
「そうよね。同性となればライバルだわ。女子力って常に競い合うものなのよ」
琴実もそんなことを言い出す。おかげで慌てる羽目になるがっくんだ。
「いやいや、なんでだよ」
「お前ら、本当に仲がいいなあ」
八木はそんな可愛らしい会話を繰り広げる三人にほっこりしてしまう。亮翔から高梨岳人がトランスジェンダーだと聞いた時、受け入れているという二人とぎくしゃくしていないか心配したが、とんだ取り越し苦労だったようだ。普通に女子三人として過ごせるのだから、やはり若い感性は侮れない。
「悪い、遅れた」
そこに亮翔が現れ、椅子に座るなり大欠伸をした。ひょっとしてあの後、ずっとなぜ十六夜の間に入ったのかについて悩んでいたのか。
「解ったんですか、あの男の人がしつこく十六夜の間に入ろうとした理由」
だからつい、千鶴は意気込んで聞いてしまう。それに亮翔は少し面食らったような顔をしたが、たぶんなと笑顔になった。
くう、その顔はイケメンで素敵すぎる。総てを忘れて顔が真っ赤になってしまった。
「ええっと、それで、何でだ?」
そんな千鶴の反応に困惑したのは亮翔ではなく八木で、慌てて真相を喋れと促してしまう。生徒に悪い虫がつかないように見張るのも教師の役目だ。
「たぶんだが、あの男はあの部屋に欲しいものがあると勘違いしたんだろうな。それも前回の、あの大威徳明王の巻物。あの情報と家宝の情報が混ざった状態で知ってしまったのだろう。俺の推測では部屋に飾られた壺か花瓶か、そういうものだと思ったのだが、どうやら違ったらしい」
「へっ」
しかし、亮翔から聞かされた内容は全く要領を得なくて、八木だけでなく千鶴たちも首をかしげてしまう。それってどういうことだろう。
「この旅館から高価なものが出てきた。しかもそれが売りに出された。これは骨董に興味がある人の間で、すぐに噂になるはずだ。砧青磁の本物なんてなかなかお目に掛かれないものだ。情報が飛び交っていたことだろう」
「値段は聞いていないですけど、相当なんでしょうね。露天風呂って、高そうだし」
千鶴の言葉に、亮翔は大きく頷いた。しかし、今は値段については関係ない。
「で、そんなお宝が出てきた場所で今度は巻物が話題になっている。それもここのお嬢さんがわざわざお寺に相談に行ったほどだ。これは再び大物が出てきたのではないかと、あの男は考えたわけだよ」
「え?」
まさかあの人、この旅館を見張っていたのか。それってちょっとしたストーカーじゃないのか。千鶴はぞっとしてしまう。
「もとよりこの旅館は俳人の有名な句を飾っているほどの、高級志向の旅館だ。そういう場所から出てきたとあれば、それは価値のあるものと考えるのは仕方がない。まさか昔、藪入りの時期に掛けられていたものだなんて、長年勤めている人さえもう知らない話だろう」
「そうか。客観的に見て、あの巻物が何かを知ることはできなかったんですね」
千鶴の指摘に、それが重要なヒントだったんだと頷いた。
「ヒント」
「そう。あの男の目的は絵だったんだ。ところが、この旅館の中には壺や俳句の短冊は飾ってあっても絵はない。いや、客室に僅かにあるが、それも巻物ほどの大物ではない。一体どういうことだろうと男は首を捻る。しかもここは望月という名前の冠された旅館で、月にちなむ部屋もある。きっと目的の絵が出てきたはずなのにと、男の思考は暴走してしまったわけだ」
「ううん。そこまで欲しいものだったってことですか」
がっくんも一時期は可愛い小物や服が買えないことで悩んでたから、ちょっと気持ちが解るようだ。欲しいのに手に入らない。そんなもやもやが、巻物が出てきたことによって、ひょっとしたらここにあるのではという発想を妄執に変えてしまった。
「そう。コレクターなんだろうな。手に入らない気持ち、求不得苦の辛さに耐え兼ね、この場所にあるのだと思い込んでしまった」
「求不得苦」
「ああ。欲しいものが手に入らない、まさにそのままの言葉さ。仏教の教えの中にある八苦の一つで、これは不老不死だけでなく、物質的な欲望が満たされない場合も使うんだ」
「へえ」
こうやってすぐに仏教用語に絡めてくるところはお坊さんだなと、千鶴は笑ってしまう。それは琴実やがっくん同じようで、なるほどねえという顔をしていた。
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