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第1話 叔父の家へ
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今年も、いつもの夏休みになるはずだった。なんの変哲もない夏休みの一コマ。そうなるはずだった。
そう、いつものようにお盆前に叔父たちの家に行き、そこでのんびりと過ごす。農作業を手伝ったり叔母の作った料理を堪能したりして、従兄とあれこれくだらないことを喋る。たまに進路を相談してみる。ただそれだけのはずだった。
それがまさか、あんな予想外なことに巻き込まれようとは、至って普通の高校生である蓮井悠人には想像もできないことだった。
しかし、人生なんてそんなものかもしれないと、安易に巻き込まれることを許容した自分を思えば、それもまた面白エピソードの一つでしかないのかもしれない。別に犯罪に巻き込まれたわけではないのだ。言うならばご近所トラブル。いや、トラブルですらないのだが、しかし、そう簡単にはないような不思議なことだった。
でも、それは自分の悩んでいた進路を後押ししてくれるような、いい体験だった。これだけは確かだ。あの一週間は、普通の高校生活では関係ないことを、悠人にあれこれと考えさせる体験だったのだから。
田園を貫くように走る電車に揺られながら、その蓮井悠人は単語帳を片手に叔父の家があるS県の西端にある町を目指していた。住んでいる関西の町から約四時間半以上。明らかに飛行機で行くのが早いのだが、毎年のように新幹線と特急、そしてこの田園を走る電車に乗ることにしていた。
急ぐわけでもないし、電車の中で駅弁を食べたり本を読んだりするのが好きなのだ。それに悠人は今年高校二年生。そろそろ本気で受験勉強をしなければと、思い出したように電車の中でも英単語帳を広げていた。だが、頭にはあまり入ってこない。
「今年は和臣さん、いるかなあ。最近は東京に行ったきりらしいからなあ」
その理由は旅行中でウキウキしているからというものではなく、従兄が帰省しているかどうかが気になっているせいだ。進路に悩む悠人は、この夏休みというタイミングでどうにか従兄で大学院生の新井和臣にあれこれと相談したかった。しかし、直前に叔母の新井沙希に確認したところ、今年は帰って来るかどうか解らないとの答えしかもらえなかった。
「何でも実験の途中だとかで、悠人君がいる間に戻って来るか微妙なんだって。大学院生って意外と忙しいのねえ」
理由を問い質したらそう説明されたとのことだった。何の実験なのかと問えば、人工知能だと言っていたが、いやはや、昔から秀才の従兄らしい研究だなと感心してしまう。まさに最前線の研究。彼にぴったりだ。
「ああ、理系で秀才。同じ理系とはいえ脳みそは雲泥の差なんだよなあ。相談しても無駄なのかな。もう一層のこと文転しようかな。でも駄目か。国語が……国語が出来ないんだよ。はあ」
これもまた、英単語が頭に入って来ない理由だろう。要するに、進路で思い切り悩んでいる最中なのだ。志望大学は一応ここかなと決めているものの、そこには到底足りない偏差値。これもまた、悩みを深くする理由だ。
そんな悩みとは関係なく、長閑な田園風景が車窓を流れていく。もうすぐ終点だ。悠人はほとんど頭に入らなかった単語帳を閉じると、荷物をまとめ始める。単語帳をボストンバックに突っ込み、窓辺に置いていたペットボトルを回収する。
終点の駅は有名な神社の最寄り駅とあって、観光客も多い。それも夏休みの真っ最中だから、尚更多かった。わざわざ暑い日に参拝しなくてもと、何度も訪れている悠人は思うのだが、このタイミングしかない人もいるかと思い直す。
人混みに流されて、まだ電化されていない、今では珍しくなった人が立っている改札を抜けると、叔父の新井信明が手を振っていた。日焼けした顔に満面の笑みを浮かべている。
「おおい、こっちだ。悠人」
「こんにちは、叔父さん」
ぺこりと頭を下げると、その頭をわしわしと撫でられる。小さい子どもではないのだから勘弁してほしかった。しかも多くの観光客が横を通り過ぎているというのに。恥ずかしい思いに耐えられなくなってきたところで
「ちょっと、叔父さん。もう小さい子どもじゃないんですから」
と抗議しておいた。
「ああ、悪いな。子どもを見ると、つい癖でやっちゃうんだよ。それにしても、また大きくなったか」
「そうですね。去年より五センチは伸びました。今、百七十二センチですね」
「でかいなあ」
信明はそう言って、しみじみと悠人の全身を眺める。その信明は百六十五センチくらいだから、まあ、大きく見えるだろう。昔は大きな人だなと思っていたのに、今ではちょっと視線を下げて喋る立場になってしまっている。
「和臣さんの方が大きいでしょうに」
しかし、従兄の和臣はその上を行く百八十センチだ。それから比べたら、まだまだ小さいと思うのだが、叔父からしたら見上げる大きさになれば大きいということか。
「あれもひょろひょろと大きくなったよなあ。今の子は大きいよなあ。うん」
「そうですか」
クラスでは自分と同じくらいか、それより低い奴が大半だけどなと思うも、わざわざ否定することでもないだろう。叔父の中では若い子イコール大きいという図式が成り立っているのかもしれない。
「その和臣だけどな。今日の夜には帰って来るってよ」
「あれ、実験が忙しいんじゃなかったんですか」
「そんなこと言ってたけどな。会いたいんだろ。何とかならんかって、せっついておいた」
「うわあ」
俺、凄く悪いことをしてないか。そんな不安が悠人の中に広がる。信明とすれば年に一度やって来る甥っ子のためなのだろうが、和臣の都合を無視していいのだろうか。人工知能なんていう凄いものを研究している人なのに、邪魔しちゃ悪い。
そう、いつものようにお盆前に叔父たちの家に行き、そこでのんびりと過ごす。農作業を手伝ったり叔母の作った料理を堪能したりして、従兄とあれこれくだらないことを喋る。たまに進路を相談してみる。ただそれだけのはずだった。
それがまさか、あんな予想外なことに巻き込まれようとは、至って普通の高校生である蓮井悠人には想像もできないことだった。
しかし、人生なんてそんなものかもしれないと、安易に巻き込まれることを許容した自分を思えば、それもまた面白エピソードの一つでしかないのかもしれない。別に犯罪に巻き込まれたわけではないのだ。言うならばご近所トラブル。いや、トラブルですらないのだが、しかし、そう簡単にはないような不思議なことだった。
でも、それは自分の悩んでいた進路を後押ししてくれるような、いい体験だった。これだけは確かだ。あの一週間は、普通の高校生活では関係ないことを、悠人にあれこれと考えさせる体験だったのだから。
田園を貫くように走る電車に揺られながら、その蓮井悠人は単語帳を片手に叔父の家があるS県の西端にある町を目指していた。住んでいる関西の町から約四時間半以上。明らかに飛行機で行くのが早いのだが、毎年のように新幹線と特急、そしてこの田園を走る電車に乗ることにしていた。
急ぐわけでもないし、電車の中で駅弁を食べたり本を読んだりするのが好きなのだ。それに悠人は今年高校二年生。そろそろ本気で受験勉強をしなければと、思い出したように電車の中でも英単語帳を広げていた。だが、頭にはあまり入ってこない。
「今年は和臣さん、いるかなあ。最近は東京に行ったきりらしいからなあ」
その理由は旅行中でウキウキしているからというものではなく、従兄が帰省しているかどうかが気になっているせいだ。進路に悩む悠人は、この夏休みというタイミングでどうにか従兄で大学院生の新井和臣にあれこれと相談したかった。しかし、直前に叔母の新井沙希に確認したところ、今年は帰って来るかどうか解らないとの答えしかもらえなかった。
「何でも実験の途中だとかで、悠人君がいる間に戻って来るか微妙なんだって。大学院生って意外と忙しいのねえ」
理由を問い質したらそう説明されたとのことだった。何の実験なのかと問えば、人工知能だと言っていたが、いやはや、昔から秀才の従兄らしい研究だなと感心してしまう。まさに最前線の研究。彼にぴったりだ。
「ああ、理系で秀才。同じ理系とはいえ脳みそは雲泥の差なんだよなあ。相談しても無駄なのかな。もう一層のこと文転しようかな。でも駄目か。国語が……国語が出来ないんだよ。はあ」
これもまた、英単語が頭に入って来ない理由だろう。要するに、進路で思い切り悩んでいる最中なのだ。志望大学は一応ここかなと決めているものの、そこには到底足りない偏差値。これもまた、悩みを深くする理由だ。
そんな悩みとは関係なく、長閑な田園風景が車窓を流れていく。もうすぐ終点だ。悠人はほとんど頭に入らなかった単語帳を閉じると、荷物をまとめ始める。単語帳をボストンバックに突っ込み、窓辺に置いていたペットボトルを回収する。
終点の駅は有名な神社の最寄り駅とあって、観光客も多い。それも夏休みの真っ最中だから、尚更多かった。わざわざ暑い日に参拝しなくてもと、何度も訪れている悠人は思うのだが、このタイミングしかない人もいるかと思い直す。
人混みに流されて、まだ電化されていない、今では珍しくなった人が立っている改札を抜けると、叔父の新井信明が手を振っていた。日焼けした顔に満面の笑みを浮かべている。
「おおい、こっちだ。悠人」
「こんにちは、叔父さん」
ぺこりと頭を下げると、その頭をわしわしと撫でられる。小さい子どもではないのだから勘弁してほしかった。しかも多くの観光客が横を通り過ぎているというのに。恥ずかしい思いに耐えられなくなってきたところで
「ちょっと、叔父さん。もう小さい子どもじゃないんですから」
と抗議しておいた。
「ああ、悪いな。子どもを見ると、つい癖でやっちゃうんだよ。それにしても、また大きくなったか」
「そうですね。去年より五センチは伸びました。今、百七十二センチですね」
「でかいなあ」
信明はそう言って、しみじみと悠人の全身を眺める。その信明は百六十五センチくらいだから、まあ、大きく見えるだろう。昔は大きな人だなと思っていたのに、今ではちょっと視線を下げて喋る立場になってしまっている。
「和臣さんの方が大きいでしょうに」
しかし、従兄の和臣はその上を行く百八十センチだ。それから比べたら、まだまだ小さいと思うのだが、叔父からしたら見上げる大きさになれば大きいということか。
「あれもひょろひょろと大きくなったよなあ。今の子は大きいよなあ。うん」
「そうですか」
クラスでは自分と同じくらいか、それより低い奴が大半だけどなと思うも、わざわざ否定することでもないだろう。叔父の中では若い子イコール大きいという図式が成り立っているのかもしれない。
「その和臣だけどな。今日の夜には帰って来るってよ」
「あれ、実験が忙しいんじゃなかったんですか」
「そんなこと言ってたけどな。会いたいんだろ。何とかならんかって、せっついておいた」
「うわあ」
俺、凄く悪いことをしてないか。そんな不安が悠人の中に広がる。信明とすれば年に一度やって来る甥っ子のためなのだろうが、和臣の都合を無視していいのだろうか。人工知能なんていう凄いものを研究している人なのに、邪魔しちゃ悪い。
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