初恋カレイドスコープ

雪静

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第四章 溢れる想いと最低の提案

第十一話

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 お互い足が止まったのは、きっと目が合ったからだ。

 広い廊下の端と端で、私と愛菜が見つめあう。彼女の耳元で揺れるチェーンのピアス。仕事で勝負をかけに行くとき付けるようにしているのだと、語る彼女のいきいきした横顔がとても好きだったのを覚えている。

 もう、あの頃には戻れないのかな。思わず目を逸らした私に、愛菜は勝ち誇ったように笑うと、

「秘書課は楽しい?」

 と、強気な声で話しかけてきた。

「聞いたよ。凛、そっちでも今までみたいに宴会芸がんばってるらしいね」

「……まあ、うん」

「やっぱ独り身だと身軽でいいよね。私はもう飲み会なんて気軽に行けなくなっちゃったもん」

 ……あ、これはマウントか。彼氏がいるから飲み会いけないや、って言いたいんだろうな。きっと。

 それならそれで構わないのだけど、この子は私にどんな反応を期待して攻撃してきているのだろう。悔しがればいい? 怒ればいい? いまいちよくわからない。

 複雑な表情のまま視線を落とした私の姿をどう解釈したのだろう。愛菜は余裕の笑みを浮かべて、にっこりと私を見下ろしている。

 それから彼女は、私が抱える週刊誌に目を向けると、

「なにそれ、ゴシップ誌? 意外だなぁ、凛ってそういうの読むタイプだったんだ」

 と、揶揄するように声を上げた。

「でも秘書さんはいいよね、会社でのんびり雑誌読む時間があってさ」

「……この雑誌は、社長代理に報告する必要があって」

「社長代理に? 良い飲み屋でも教えてあげるの? ……まあ、いいんじゃない? そういうコミュニケーション、凛らしくて喜ばれるかもよ」

 残念ながら私の報告は社長代理を喜ばせるためのものではないのだけど、廊下の真ん中で愛菜相手に詳細を話すのは気が引ける。

 口ごもる私に追い打ちをかけようと、愛菜が口を開こうとしたとき、

「飲み屋の話?」

 ふいに秘書課の扉が開いて、社長代理の他所行きの笑顔が私と愛菜の真ん中に現れた。

「社長代理」

 呟くように漏らした言葉に、愛菜が「えっ」と顔を上げる。あれ? まさか愛菜は知らなかったのかな。新しく就任した社長代理が、こんなにかっこいい男の人だってこと。

 明らかに顔色を変えた愛菜を横目に、社長代理は私へ向けてにこにこと微笑みを浮かべている。

「どっかいいとこあるの? 教えてよ」

「ええと……その」

「接待で使えそうならありがたいし、そうでないなら個人的に行かせてもらうけど」

 そこでわざとらしく言葉を切り、社長代理は愛菜の方へ視線を向けた。びくっと肩を縮めた愛菜が、自分のスカートの裾を両手でぎゅっと握る。

「営業? いってらっしゃい」

「あ、はい! ……行って参ります!」

 大きくぺこりと頭を下げて、忙しそうに去っていく愛菜。

 …………。

 そういえば愛菜の好きな俳優さんって、社長代理と同じ系統の顔が多かったような気がする。

 去り際の愛菜の上ずった声と、耳まで赤く染まった顔。私は今日一番の不快な気持ちを奥歯でギリッとすり潰す。

「すみません、社長代理」

「いいよ、別に。なんか喋りづらそうにしてるの聞こえたし」

 いつもどおりの声のトーン。

 接待用の爽やかスマイルはあっという間に鳴りを潜めて、仕事中の社長代理らしい落ち着いた顔へと戻る。この他に私はもうひとつ、シンガポールで見せてくれたプライベートの彼の顔を知っている。

 そう思うと、彼の外向けの顔しか知らない愛菜に対する優越感で、頬がにんまりと緩んでしまう。ああ、私も大概ひねくれたものだ。

 社長代理は私のことなんて欠片ほどの興味もなさそうに、小さな口であくびを噛み殺すと、

「で、報告は?」

 と、仕事モードに戻って言った。




「『次のキングはこの男! イケメン高収入ハイスペ男子人気ランキングトップ10』?」

 しっかり最後まで口に出してから、社長代理はめいっぱい嫌そうな顔をする。それはもう、この人こんな顔できたんだってくらいの変顔っぷりで、一緒に週刊誌を覗いていた秘書の先輩が吹き出してしまうほど。

「コンビニで偶然見つけたんです。ほら、ここに社長代理の名前が」

「うわ、マジかよ。しかもこの写真、大学時代のやつだし……いや年収こんなないって。一華ちゃんが俺にこんなにくれるわけないじゃん、冷静に考えろよ」

 社長代理はぶつぶつぼやきながら記事を睨むように読んでいる。『姉が育てた会社を譲り受け、船出を始めた若き経営者。大学時代には起業の経験もあり、今後の成長性も◎。甘いマスクの大きな瞳は見つめられるだけで女性を虜に』……。

(ああ、正直ちょっとわかる)

 社長代理ってカラコンを疑いたくなるほど瞳が大きいんだ。しかも黒目がちで、ぱっちり二重で、絵に描いたように可愛い目。瞳に映る自分の顔が鏡みたいによく見えて、彼の目に見つめられるともうどうしたらいいかわからなくなってしまう。

「次のキングってなんの話なの?」

「婚活バラエティ番組ですよ。ハイスペックな男性を巡って、同じくハイスペックな美女たちがドレスで乱闘するんです」

「……それ、見て楽しいの?」

「面白いですよ、リアリティショーなので台本はあるでしょうけど。最終的に生き残った女性が、見事キングと結ばれてハッピーエンドになるんですよ」

「あ、そ。とりあえず俺は死んでも見ないし、出ない番組だってことがわかった」

 記事には次期キング候補として、社長代理を含めた十人の男性の顔写真とプロフィールがまとめられている。確かに皆高収入なイケメンばかりのようだけど、この中なら社長代理が一番かっこいいな。

 ああいや、私はこんなくだらないお喋りのためにこの雑誌を買ってきたわけじゃない。

「それで社長代理、こちらの記事について、掲載許可は……」

「出してるわけないでしょ。無断だよ」

 やっぱり。

 絶対そうだろうと思ったんだ。こんな俗っぽい雑誌にインタビューもなしで掲載なんて、社長代理の性格を考えれば許可しないに決まっている。

「抗議状を送りましょうか」

「そうだね。放っておいてもいいけど、舐められるのは好きじゃないし」

 雑誌から目を離した社長代理は、斜め後ろを振り返る。

「鮫島、頼んだよ」

 端的な社長代理の言葉に、皆の輪から外れて仕事をしていた鮫島先輩が、綺麗な顔に柔らかな笑みを浮かべて「はい」と返事をした。
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