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プロローグ
契約しました
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「へえ……。市原、こんな趣味持ってたの」
絶体絶命、背水の陣。鳴海はそんな気持ちで自分のスマホを握る梶原の前に立っていた。梶原は普段にも増して、相手のことを値踏みするような目で鳴海を見てきた。
ああ、スマホをきちんと握っていれば、こんなことにはならなかったのに。そもそも、朝の日課のピッシブ漁りを止めておけば良かったのか。いやしかし、あれがなければ一日の元気がチャージ出来ない。やはりきちんとスマホを握っていなかったことが敗因だった。
そんな後悔をしても、もう遅い。鳴海の性癖がぎっしり詰まったその画面を鳴海に突き付けて、梶原はこう言った。
「才色兼備、成績優秀、一年の入学式の総代だった市原に、こんな秘密があったなんてクラスのみんな……、いや、学年全体どころか学校全体に知れたら、どうなるだろうなあ……?」
にやにやと悪い笑みを浮かべる梶原は、今まさしく悪魔の顔をしている。クラスのムードメーカーで行動力のある梶原を敵に回すことは出来ない。
「お願い! 梶原くん! スマホの中身のことについては忘れてくれないかな!?」
「ええー? でも見ちゃったしなあ……?」
「そこを何とか!!」
何としてでも梶原には口止めしておかないと、高校デビューとこの一年の穏便な学校生活の意味がなくなる、と思い、鳴海は小さく手を合わせた。すると梶原はもったいぶった言い方の後に、こう条件を付けた。
「そうだなあ……、ただ黙ってることも出来るけど、俺はこういうアドバンテージを有効に活かしたいタイプなんだよな。だから、何かの代わりになら、黙っててやってもいいぜ」
まるで猫が新しいおもちゃを見つけたみたいに鳴海をじわじわといたぶってくる。クラスメイトになってから一度も見たことのなかった梶原の裏の顔に、鳴海は体が震える思いだ。
(こ、こんな性悪だとは思わなかった……!! 梶原ってただのガキ大将高校生じゃなかったんだ!!)
「な……、なにと交換なら、いいの……?」
金銭を要求されるのだろうか。お小遣いの範囲内で済めばいいけど、高額だったらどうしようもない。払えなかった場合、鳴海は高校生活を梶原にいじめられて過ごすことになるのだろうか……。鳴海の脳裏に中学時代のことが蘇る。……ああ、あれも一種のいじめだった。鳴海は一年前のことを思い出した。
鳴海は中学の時、その腐女子ぶりで男子に引かれてた。引かれてた、なんてかわいいもんじゃない。ドン引きだ。男子は面白おかしく「腐女子だってよ~。俺とあいつでも『ラブラブ♡妄想』すんのかよ~。ひゃー、やだやだ! キモッ!」などと囃したたれ、女子からは「男同士だなんて、頭おかしいんじゃないの?」と冷ややかな目で見られた。ただ、二人の同志には恵まれた。鳴海は常にその友達たちと常に一緒に居て、中学生活を萌えと共に楽しく過ごした。二人は大人しい性格だったから、二人が男子に冷やかされるのを矢面に立って守りに行った。
「なんだよ、お前らの『妄想』を寸劇してやろうって言ってんじゃん~」
「見せてみろよ、そのスマホの中!」
廊下でクラスの男子にからかわれてる二人と男子の間に、今日も鳴海は割って入る。
「何度言ったら分かるの! 萌えは個人の大事な志向であって、人にひけらかすものじゃないのよ! 同じこと何度も言わせるなんて、やっぱりリアルは頭悪いわね! 私たちの推しなら一度聞いたことは絶対忘れないわ!!」
「『推し』だってよ! けっ、笑わせるわ! 所詮二次元の空想からのできものだろ! 生身の俺らが下に言われる筋合いはねーわ!」
水をかけられたり、軽く叩かれたりしたことなんて、一度や二度じゃない。男子にしてみたら軽い憂さ晴らしなのかもしれないけど、女子の鳴海には結構な痛手だった。それでも推しが悪く言われるのも、同志の友達が悪く言われるのも嫌だった。
「全く! やっぱり現実の男は粗野で頭悪いわ! ウイリアムもテリースも、絶対女性に酷いことしないしやさしいし紳士だし、なんといっても二人の関係性以上に尊いものなんてないのに!」
憤慨する鳴海を、友達二人は心配した。
「なるちゃん、あんまり周りと波風立てない方がいいよ……。内申に変なこと書かれたら困るし、こういう趣味だもん、おとなしくしてた方がいいのよ」
内にこもりそうになる二人を、鳴海は励ました。
「何言ってるの、ウイリアムとテリースは世界一尊いのよ。誇っていいのよ。あんなに、相手を想い合って尊重し合う関係、リアルにないじゃない!」
鳴海は自分たちにとってとっておきの、とある二次創作作家が描いた宮殿の庭でのウイリアムとテリースの告白シーンを見せる。それは豪華絢爛な宮殿の裏にある広大な薔薇園での絵だった。星々が煌めく深夜、ウイリアムが執務に疲れて薔薇園に散歩に出た。秋深くなった深夜に薄着では風邪を引くと気遣った執事のテリースが上着を持ってウイリアムの許を訪れる。
――「ウイリアムさま、お風邪を召します。これをお掛け下さい」
――「ああ、テリース。こんな夜に此処まで追いかけて来てくれるのは、君だけだと思っていた」
――ウイリアムは上着を持つテリースの手を取り、そっとその銀の指輪をはめた左の手の甲に口づける。
――「……っ! ウイリアムさま!? なっ、何を……!」
――「常に僕を見、僕を気遣い、僕に醜いものを見せまいとしてきた君が、今一番、僕に醜いものを見せていることを、君は知っているのかい? こんな気持ちを、持たなければ良かったと、心の底から思うよ、テリース……。君を愛さなければ……、こんなに美しく咲く薔薇を羨むこともなかった。薔薇咲く庭に待つ君の婚約者を羨んで、この胸がどす黒く燃え尽きそうだよ……、テリース!」
最高の告白シーンだった。何もかもを持つ王子のウイリアムが、ただひとつ手に入れられないテリース。美しき白い豹が獲物を手に入れられないジレンマに苦しむ。そしてその後、ウイリアムはテリースの顎に手をかけて……。
ドンッ! ガコン!
いよいよ萌えの最高潮というシーンを三人で堪能しようとしたその時、さっきの男子が蹲ってスマホを見ていた鳴海たちの背を蹴った。そしてその拍子に鳴海の手からスマホが転げ落ち、それをその男子が拾った。
「うっへー! 男同士でちゅーしてら! キッモ!! キッッッモッッ!! 大体、こんな華奢な男が居るもんかよ! お前ら、頭おかしーんじゃねーの!?」
男子の言葉は鳴海の逆鱗に触れた。怒髪天を衝くとはこのことだ。怒りのままに鳴海はその男子に襲い掛かった。
「ウイリアムとテリースを侮辱するな!! 彼ら以上に清くて尊くて聡明な男が居てたまるもんですか!! あんたらは彼らに追いつけないから悪態をついてるだけの、ただのガキよ!! 子ザルは豹に喰われて死んでしまえばいいんだわ!!」
「なんだと!? 誰が子ザルだよ!!」
口喧嘩が取っ組み合いになるのに時間は必要なかった。鳴海は武器である爪で男子の顔を引っ掻きまくった。男子は鳴海のお腹を何度も蹴り、騒ぎは教師が効きつけるところとなった。夏服で制服から出ている皮膚に多数のミミズが這った男子生徒と、髪の毛を引っ張られ、腹部を蹴りつけられた鳴海は、それぞれ職員室でお小言を喰らったが、仲直りすることはなかった。
それ以来、鳴海たち……、いや、鳴海だけかもしれない、クラスの皆から遠巻きに見られるようになった。
「なるちゃん……、だから波風立てない方がいいよって言ったのに……」
何処か鳴海を非難するような言葉を吐く同志が信じられなかった。
「何言ってるの!? あの神絵師さまが描いてくださったあの尊いシーンを穢されたのよ!? あの尊いシーンを、私たちは何度も見て嗚咽しながら崇めてきたじゃない……!!」
「でも……、だからって、クラスから孤立するのは……」
「ねえ……」
二人の言うことが信じられなかった。二人はウイリアムとテリースの愛を永遠に見守る同じ仲間ではなかったのか?
「私たち、周りにはやし立てられてまで、二人の話をするのはどうなのかなって、思ってたところなの」
「なるちゃん、高校では腐女子控えた方がいいよ」
ショックだった。人生の奈落の底に落ちたとはこのことか。今の今まで同胞だと思っていた友人が、あっさりと鳴海の手を離す。それは鳴海にとって裏切りだった。
「……、……分かったわ。あんたたちは推しから手を引くのね。でも、私はウイリアムとテリースへの敬愛を止(と)めない。だって、二人の愛を見守ることこそ、私の使命だもの……!」
そうして鳴海は彼女たちと袂を別った。最後の裏切りは卒業式の日だった。同級生たちがみんな男女で仲良くしたり、校門で待つ人の許へと急ぐ中、二人も式を終えると一目散に校門へ向かって行った。そこに鳴海への友情は微塵もなかったし、彼女たちが急いだ先には、他校の制服を着た男子が居て、彼女たちは笑い合っていた。……鳴海の中学時代は、そうやって『負け』て終わった。それは腐女子としての高い志の心とは別の所に、冷たい風穴を空けた。えっ、私、こんなにさみしい中学三年間を送って来た? そう思ってしまったほどだった。その時思ったのだ。彼女たちを見返してやると。高校では絶対、イケメン彼氏を作って、華々しい卒業式を迎えてやると。
最初が肝心。終わりよければすべてよし。そう言うではないか。そこで高校入学の前に一念発起した。高校では腐女子を隠して彼氏を作る。そして晴れやかな卒業式を迎える為に鳴海は眼鏡をコンタクトに替え、髪を染め、高校生らしい薄化粧を覚えた。そしていざ、高校デビューを果たして、周囲からは『頭脳明晰、才色兼備、誰にも引けを取らない市原さん』としてその名を全校生徒にとどろかせた。鳴海の高校デビューの成果は上々だった。
(見てらっしゃい、絶対、腐女子を隠し通してみせる! そして卒業式の日に高らかに笑うのよ!)
しかし、その心の誓いも梶原の性悪な笑いの前に無残に砕け散る運命にあるらしい。デビューの甲斐なく腐女子を大々的にばらされるか、梶原の金銭の要求を卒業まで受け続けるか、あるいは何か別の梶原の遊びに付き合わされるのか、どれをとっても鳴海の高校生活は薔薇色一転暗黒の地に落ちた。そんな風に鳴海がぐるぐると恐ろしい想像を次から次へと繰り出す中で、梶原はいい案思いついた、と言って指をパチンと鳴らした。
「じゃあ、こうしようぜ。俺は市原のこと、美人で頭良くて、結構ポイント高いと思ってる。だから、俺と付き合う、っての、どう?」
…………。
は?
脳みそフリーズ。
えっ? 今この人、私と付き合うって言った?
「…………、……えっ? わた……、私と、……梶原くんが?」
「丁度いいんだよ。俺も、顔と性格で慕われてモテてるの鬱陶しくて、虫よけ欲しいと思ってたとこなんだよな。でも、本気で好意のない女子にそれを頼むのも心が痛むだろ? でも、今の市原なら好都合だ。市原は秘密を守れる。俺は周りの皆に有無を言わせない美人の市原という彼女が出来る。利害は一致するだろ?」
なんか頭おかしいこと言ってんな……? でも……。
「……念のため聞いとくけど、本当の彼女じゃなくて良いんだね? つまり、私たちは……『契約カップル』になるってこと?」
「そうだな」
スマホを片手ににっこりと笑ってるこの男は鬼かと思った。でも本当のお付き合いをしないなら、表面だけで誤魔化して、リアルお付き合いにならないのならいい。なんて言ったって鳴海にとって性癖がぎっしり詰まったスマホの中身に勝るものはないんだから。それに、高校で彼氏を作る、という目標も(難は残るが、鳴海の性癖を固持したうえで)、達成できる。
「……良いわ。梶原くんは虫よけが出来る、私は秘密が守れる。利害は一致よ。梶原くんと『契約カップル』になるわ」
そうして鳴海と梶原の間に、契約が結ばれたのだった。
絶体絶命、背水の陣。鳴海はそんな気持ちで自分のスマホを握る梶原の前に立っていた。梶原は普段にも増して、相手のことを値踏みするような目で鳴海を見てきた。
ああ、スマホをきちんと握っていれば、こんなことにはならなかったのに。そもそも、朝の日課のピッシブ漁りを止めておけば良かったのか。いやしかし、あれがなければ一日の元気がチャージ出来ない。やはりきちんとスマホを握っていなかったことが敗因だった。
そんな後悔をしても、もう遅い。鳴海の性癖がぎっしり詰まったその画面を鳴海に突き付けて、梶原はこう言った。
「才色兼備、成績優秀、一年の入学式の総代だった市原に、こんな秘密があったなんてクラスのみんな……、いや、学年全体どころか学校全体に知れたら、どうなるだろうなあ……?」
にやにやと悪い笑みを浮かべる梶原は、今まさしく悪魔の顔をしている。クラスのムードメーカーで行動力のある梶原を敵に回すことは出来ない。
「お願い! 梶原くん! スマホの中身のことについては忘れてくれないかな!?」
「ええー? でも見ちゃったしなあ……?」
「そこを何とか!!」
何としてでも梶原には口止めしておかないと、高校デビューとこの一年の穏便な学校生活の意味がなくなる、と思い、鳴海は小さく手を合わせた。すると梶原はもったいぶった言い方の後に、こう条件を付けた。
「そうだなあ……、ただ黙ってることも出来るけど、俺はこういうアドバンテージを有効に活かしたいタイプなんだよな。だから、何かの代わりになら、黙っててやってもいいぜ」
まるで猫が新しいおもちゃを見つけたみたいに鳴海をじわじわといたぶってくる。クラスメイトになってから一度も見たことのなかった梶原の裏の顔に、鳴海は体が震える思いだ。
(こ、こんな性悪だとは思わなかった……!! 梶原ってただのガキ大将高校生じゃなかったんだ!!)
「な……、なにと交換なら、いいの……?」
金銭を要求されるのだろうか。お小遣いの範囲内で済めばいいけど、高額だったらどうしようもない。払えなかった場合、鳴海は高校生活を梶原にいじめられて過ごすことになるのだろうか……。鳴海の脳裏に中学時代のことが蘇る。……ああ、あれも一種のいじめだった。鳴海は一年前のことを思い出した。
鳴海は中学の時、その腐女子ぶりで男子に引かれてた。引かれてた、なんてかわいいもんじゃない。ドン引きだ。男子は面白おかしく「腐女子だってよ~。俺とあいつでも『ラブラブ♡妄想』すんのかよ~。ひゃー、やだやだ! キモッ!」などと囃したたれ、女子からは「男同士だなんて、頭おかしいんじゃないの?」と冷ややかな目で見られた。ただ、二人の同志には恵まれた。鳴海は常にその友達たちと常に一緒に居て、中学生活を萌えと共に楽しく過ごした。二人は大人しい性格だったから、二人が男子に冷やかされるのを矢面に立って守りに行った。
「なんだよ、お前らの『妄想』を寸劇してやろうって言ってんじゃん~」
「見せてみろよ、そのスマホの中!」
廊下でクラスの男子にからかわれてる二人と男子の間に、今日も鳴海は割って入る。
「何度言ったら分かるの! 萌えは個人の大事な志向であって、人にひけらかすものじゃないのよ! 同じこと何度も言わせるなんて、やっぱりリアルは頭悪いわね! 私たちの推しなら一度聞いたことは絶対忘れないわ!!」
「『推し』だってよ! けっ、笑わせるわ! 所詮二次元の空想からのできものだろ! 生身の俺らが下に言われる筋合いはねーわ!」
水をかけられたり、軽く叩かれたりしたことなんて、一度や二度じゃない。男子にしてみたら軽い憂さ晴らしなのかもしれないけど、女子の鳴海には結構な痛手だった。それでも推しが悪く言われるのも、同志の友達が悪く言われるのも嫌だった。
「全く! やっぱり現実の男は粗野で頭悪いわ! ウイリアムもテリースも、絶対女性に酷いことしないしやさしいし紳士だし、なんといっても二人の関係性以上に尊いものなんてないのに!」
憤慨する鳴海を、友達二人は心配した。
「なるちゃん、あんまり周りと波風立てない方がいいよ……。内申に変なこと書かれたら困るし、こういう趣味だもん、おとなしくしてた方がいいのよ」
内にこもりそうになる二人を、鳴海は励ました。
「何言ってるの、ウイリアムとテリースは世界一尊いのよ。誇っていいのよ。あんなに、相手を想い合って尊重し合う関係、リアルにないじゃない!」
鳴海は自分たちにとってとっておきの、とある二次創作作家が描いた宮殿の庭でのウイリアムとテリースの告白シーンを見せる。それは豪華絢爛な宮殿の裏にある広大な薔薇園での絵だった。星々が煌めく深夜、ウイリアムが執務に疲れて薔薇園に散歩に出た。秋深くなった深夜に薄着では風邪を引くと気遣った執事のテリースが上着を持ってウイリアムの許を訪れる。
――「ウイリアムさま、お風邪を召します。これをお掛け下さい」
――「ああ、テリース。こんな夜に此処まで追いかけて来てくれるのは、君だけだと思っていた」
――ウイリアムは上着を持つテリースの手を取り、そっとその銀の指輪をはめた左の手の甲に口づける。
――「……っ! ウイリアムさま!? なっ、何を……!」
――「常に僕を見、僕を気遣い、僕に醜いものを見せまいとしてきた君が、今一番、僕に醜いものを見せていることを、君は知っているのかい? こんな気持ちを、持たなければ良かったと、心の底から思うよ、テリース……。君を愛さなければ……、こんなに美しく咲く薔薇を羨むこともなかった。薔薇咲く庭に待つ君の婚約者を羨んで、この胸がどす黒く燃え尽きそうだよ……、テリース!」
最高の告白シーンだった。何もかもを持つ王子のウイリアムが、ただひとつ手に入れられないテリース。美しき白い豹が獲物を手に入れられないジレンマに苦しむ。そしてその後、ウイリアムはテリースの顎に手をかけて……。
ドンッ! ガコン!
いよいよ萌えの最高潮というシーンを三人で堪能しようとしたその時、さっきの男子が蹲ってスマホを見ていた鳴海たちの背を蹴った。そしてその拍子に鳴海の手からスマホが転げ落ち、それをその男子が拾った。
「うっへー! 男同士でちゅーしてら! キッモ!! キッッッモッッ!! 大体、こんな華奢な男が居るもんかよ! お前ら、頭おかしーんじゃねーの!?」
男子の言葉は鳴海の逆鱗に触れた。怒髪天を衝くとはこのことだ。怒りのままに鳴海はその男子に襲い掛かった。
「ウイリアムとテリースを侮辱するな!! 彼ら以上に清くて尊くて聡明な男が居てたまるもんですか!! あんたらは彼らに追いつけないから悪態をついてるだけの、ただのガキよ!! 子ザルは豹に喰われて死んでしまえばいいんだわ!!」
「なんだと!? 誰が子ザルだよ!!」
口喧嘩が取っ組み合いになるのに時間は必要なかった。鳴海は武器である爪で男子の顔を引っ掻きまくった。男子は鳴海のお腹を何度も蹴り、騒ぎは教師が効きつけるところとなった。夏服で制服から出ている皮膚に多数のミミズが這った男子生徒と、髪の毛を引っ張られ、腹部を蹴りつけられた鳴海は、それぞれ職員室でお小言を喰らったが、仲直りすることはなかった。
それ以来、鳴海たち……、いや、鳴海だけかもしれない、クラスの皆から遠巻きに見られるようになった。
「なるちゃん……、だから波風立てない方がいいよって言ったのに……」
何処か鳴海を非難するような言葉を吐く同志が信じられなかった。
「何言ってるの!? あの神絵師さまが描いてくださったあの尊いシーンを穢されたのよ!? あの尊いシーンを、私たちは何度も見て嗚咽しながら崇めてきたじゃない……!!」
「でも……、だからって、クラスから孤立するのは……」
「ねえ……」
二人の言うことが信じられなかった。二人はウイリアムとテリースの愛を永遠に見守る同じ仲間ではなかったのか?
「私たち、周りにはやし立てられてまで、二人の話をするのはどうなのかなって、思ってたところなの」
「なるちゃん、高校では腐女子控えた方がいいよ」
ショックだった。人生の奈落の底に落ちたとはこのことか。今の今まで同胞だと思っていた友人が、あっさりと鳴海の手を離す。それは鳴海にとって裏切りだった。
「……、……分かったわ。あんたたちは推しから手を引くのね。でも、私はウイリアムとテリースへの敬愛を止(と)めない。だって、二人の愛を見守ることこそ、私の使命だもの……!」
そうして鳴海は彼女たちと袂を別った。最後の裏切りは卒業式の日だった。同級生たちがみんな男女で仲良くしたり、校門で待つ人の許へと急ぐ中、二人も式を終えると一目散に校門へ向かって行った。そこに鳴海への友情は微塵もなかったし、彼女たちが急いだ先には、他校の制服を着た男子が居て、彼女たちは笑い合っていた。……鳴海の中学時代は、そうやって『負け』て終わった。それは腐女子としての高い志の心とは別の所に、冷たい風穴を空けた。えっ、私、こんなにさみしい中学三年間を送って来た? そう思ってしまったほどだった。その時思ったのだ。彼女たちを見返してやると。高校では絶対、イケメン彼氏を作って、華々しい卒業式を迎えてやると。
最初が肝心。終わりよければすべてよし。そう言うではないか。そこで高校入学の前に一念発起した。高校では腐女子を隠して彼氏を作る。そして晴れやかな卒業式を迎える為に鳴海は眼鏡をコンタクトに替え、髪を染め、高校生らしい薄化粧を覚えた。そしていざ、高校デビューを果たして、周囲からは『頭脳明晰、才色兼備、誰にも引けを取らない市原さん』としてその名を全校生徒にとどろかせた。鳴海の高校デビューの成果は上々だった。
(見てらっしゃい、絶対、腐女子を隠し通してみせる! そして卒業式の日に高らかに笑うのよ!)
しかし、その心の誓いも梶原の性悪な笑いの前に無残に砕け散る運命にあるらしい。デビューの甲斐なく腐女子を大々的にばらされるか、梶原の金銭の要求を卒業まで受け続けるか、あるいは何か別の梶原の遊びに付き合わされるのか、どれをとっても鳴海の高校生活は薔薇色一転暗黒の地に落ちた。そんな風に鳴海がぐるぐると恐ろしい想像を次から次へと繰り出す中で、梶原はいい案思いついた、と言って指をパチンと鳴らした。
「じゃあ、こうしようぜ。俺は市原のこと、美人で頭良くて、結構ポイント高いと思ってる。だから、俺と付き合う、っての、どう?」
…………。
は?
脳みそフリーズ。
えっ? 今この人、私と付き合うって言った?
「…………、……えっ? わた……、私と、……梶原くんが?」
「丁度いいんだよ。俺も、顔と性格で慕われてモテてるの鬱陶しくて、虫よけ欲しいと思ってたとこなんだよな。でも、本気で好意のない女子にそれを頼むのも心が痛むだろ? でも、今の市原なら好都合だ。市原は秘密を守れる。俺は周りの皆に有無を言わせない美人の市原という彼女が出来る。利害は一致するだろ?」
なんか頭おかしいこと言ってんな……? でも……。
「……念のため聞いとくけど、本当の彼女じゃなくて良いんだね? つまり、私たちは……『契約カップル』になるってこと?」
「そうだな」
スマホを片手ににっこりと笑ってるこの男は鬼かと思った。でも本当のお付き合いをしないなら、表面だけで誤魔化して、リアルお付き合いにならないのならいい。なんて言ったって鳴海にとって性癖がぎっしり詰まったスマホの中身に勝るものはないんだから。それに、高校で彼氏を作る、という目標も(難は残るが、鳴海の性癖を固持したうえで)、達成できる。
「……良いわ。梶原くんは虫よけが出来る、私は秘密が守れる。利害は一致よ。梶原くんと『契約カップル』になるわ」
そうして鳴海と梶原の間に、契約が結ばれたのだった。
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