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幸福の燕
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取引の様子をじかに見たからだろうか、そんなことを思ってしまって、気持ちが臆してしまう。熱心に取引をしている健斗たちを見ていると、健斗が飲み物でも取っておいで、と楓を逃がしてくれたので、甘えてその場を去った。ホールの端で提供されている飲み物を取りに行こうとしたら、何人か集まって喋っていた女性たちのひそひそ話が漏れ聞こえてきた。
「峯山さま、前髪で隠してらっしゃるお顔の所に、大きな傷があるのですって」
「えっ、怖いですわ」
「私も怖いですわ。だって、どんな粗野な乱暴ものかと分かるじゃありませんか」
「美しい金髪に傷を隠すだなんて、いくら英吉利出身の方とはいえ、そんな方の嫁だなんて、私だったら嫌だわ」
「叩いて蹴られるのだわ」
扇で顔を半分画しながら、眉をひそめて話している。あんなに会社の、そして日本の絹織物業に尽力している健斗のことを、傷ひとつで卑下されるのが悲しくて、つい口が出た。
「外見だけで人となりを判断されるのは如何でしょうか。少なくとも健斗さまはあなたさま方をそのようにご判断されていないと思います」
あまり人にものを言うのは得意ではなかったが、健斗が見下されているのを、見て見ぬふりは出来なかった。楓が声を発すると、彼女たちは楓を振り向き、そして慌てたように笑みを顔に貼りつけた。
「あ、あら、でも楓さまも最初は怖いと思われたのでは……?」
「そうですわ。お仕事の時は笑顔でいらっしゃるけど、社交で女性(わたしたち)には全くにこりともしないで。お仕事とご結婚されるのだと、みんなが噂していたんですのよ」
口々に健斗への不満を漏らすが、楓には思い当たらないことばかりだった。不必要に微笑まないのは、日本に来てからうわべだけで判断された経験からだし、心が通う辰雄や千鶴子たちには、ちゃんと笑みを見せていた。上面しか見なければ、相手だって上面でしか対応してくれないのは、世の道理ではなかろうか。
「失礼ながら、そしりののしりは巡り巡ってご自身に帰ることになるかと。慎まれる方がよろしいのではないでしょうか」
楓の正論に、女性たちは継ぐ言葉もない。やがてひとり、ふたり、と楓の前を去っていく。やがて噂話をしていた女性たちがみんな去ったところで、後ろからポンと肩を叩かれた。振り仰ぐと健斗がそこにいた。
「正義感に溢れるのもいいが、知らぬ顔をしていても良かったんだぞ?」
どうやら今のやり取りを見たいたようだ。楓は首を振って応えた。
「いいえ。旦那さまが悪く言われているのを、知らぬ存ぜぬでは通せません。私は、旦那さまの妻ですから」
健斗の目を見据えてそう言うと、健斗は一瞬目を見張り、それから口許を緩めた。
「君が、そう言ってくれるのは嬉しい。頼りにしている」
そう言われて、俄然楓にも力が湧く。
「はい。お任せください」
微笑み合っていたところに、声を掛けてくる人がいた。
「社長、奥さま。今日はお招きありがとうございました」
森内だった。楓たちを前に頭を下げる森内は隙なく燕尾服を着こなし、その身のこなしには余裕を感じる。
「ああ、今日は楽しんで行ってくれ。それと、近々増産を頼むことになると思うから、また体制を整えておいてくれ」
「はは、社長はいつでもどこでも働き者ですね。承知いたしました、養蚕農家にその旨、伝えましょう」
「頼んだぞ。あと、楓。私は先ほど商談がまとまった取引先と少し話をしてくるから、暫く森内と一緒に居てくれるか」
健斗はそう言うと、先ほど話をしていた男性たちの所へ戻って行った。残された楓に、森内がダンスを申し込んだ。
「楓さまは今日の主賓だ。ホールの隅で雑談しているより、中央で踊っておられた方がいい」
そう言って楓をホールに連れ出すしぐさのひとつひとつが洗練されている。手を取られくるりと舞うと、歓談していた女性たちからの視線が注いだ。
(旦那さまは異国情緒漂うお姿だけど、森内さまは日本人なのに正装が良くお似合いだし、身のこなしも柔らかだから、女性の方たちの好意が向くのが分かるわ……)
この場で華と問われたら、迷いなく健斗と森内だと楓は答えるだろう。それほどまでに、二人の美貌はこの場においてとびぬけていた。音楽に身をゆだねてワルツを踊っていると、森内が話し掛けてきた。
「聞きましたよ、会長の奥さまと社長の間を取り持ったとか。どんな魔法を使ったのですか?」
「いいえ、旦那さまのご努力が実っただけです。私はなにも」
森内が千鶴子と健斗の間のことを知っていたとは驚いた。そういうことは、風の噂で伝わってくるものですよ、と森内が言う。
「謙虚な方だ。社長があなたに雪輪のバッグを贈る理由が分かります」
「峯山さま、前髪で隠してらっしゃるお顔の所に、大きな傷があるのですって」
「えっ、怖いですわ」
「私も怖いですわ。だって、どんな粗野な乱暴ものかと分かるじゃありませんか」
「美しい金髪に傷を隠すだなんて、いくら英吉利出身の方とはいえ、そんな方の嫁だなんて、私だったら嫌だわ」
「叩いて蹴られるのだわ」
扇で顔を半分画しながら、眉をひそめて話している。あんなに会社の、そして日本の絹織物業に尽力している健斗のことを、傷ひとつで卑下されるのが悲しくて、つい口が出た。
「外見だけで人となりを判断されるのは如何でしょうか。少なくとも健斗さまはあなたさま方をそのようにご判断されていないと思います」
あまり人にものを言うのは得意ではなかったが、健斗が見下されているのを、見て見ぬふりは出来なかった。楓が声を発すると、彼女たちは楓を振り向き、そして慌てたように笑みを顔に貼りつけた。
「あ、あら、でも楓さまも最初は怖いと思われたのでは……?」
「そうですわ。お仕事の時は笑顔でいらっしゃるけど、社交で女性(わたしたち)には全くにこりともしないで。お仕事とご結婚されるのだと、みんなが噂していたんですのよ」
口々に健斗への不満を漏らすが、楓には思い当たらないことばかりだった。不必要に微笑まないのは、日本に来てからうわべだけで判断された経験からだし、心が通う辰雄や千鶴子たちには、ちゃんと笑みを見せていた。上面しか見なければ、相手だって上面でしか対応してくれないのは、世の道理ではなかろうか。
「失礼ながら、そしりののしりは巡り巡ってご自身に帰ることになるかと。慎まれる方がよろしいのではないでしょうか」
楓の正論に、女性たちは継ぐ言葉もない。やがてひとり、ふたり、と楓の前を去っていく。やがて噂話をしていた女性たちがみんな去ったところで、後ろからポンと肩を叩かれた。振り仰ぐと健斗がそこにいた。
「正義感に溢れるのもいいが、知らぬ顔をしていても良かったんだぞ?」
どうやら今のやり取りを見たいたようだ。楓は首を振って応えた。
「いいえ。旦那さまが悪く言われているのを、知らぬ存ぜぬでは通せません。私は、旦那さまの妻ですから」
健斗の目を見据えてそう言うと、健斗は一瞬目を見張り、それから口許を緩めた。
「君が、そう言ってくれるのは嬉しい。頼りにしている」
そう言われて、俄然楓にも力が湧く。
「はい。お任せください」
微笑み合っていたところに、声を掛けてくる人がいた。
「社長、奥さま。今日はお招きありがとうございました」
森内だった。楓たちを前に頭を下げる森内は隙なく燕尾服を着こなし、その身のこなしには余裕を感じる。
「ああ、今日は楽しんで行ってくれ。それと、近々増産を頼むことになると思うから、また体制を整えておいてくれ」
「はは、社長はいつでもどこでも働き者ですね。承知いたしました、養蚕農家にその旨、伝えましょう」
「頼んだぞ。あと、楓。私は先ほど商談がまとまった取引先と少し話をしてくるから、暫く森内と一緒に居てくれるか」
健斗はそう言うと、先ほど話をしていた男性たちの所へ戻って行った。残された楓に、森内がダンスを申し込んだ。
「楓さまは今日の主賓だ。ホールの隅で雑談しているより、中央で踊っておられた方がいい」
そう言って楓をホールに連れ出すしぐさのひとつひとつが洗練されている。手を取られくるりと舞うと、歓談していた女性たちからの視線が注いだ。
(旦那さまは異国情緒漂うお姿だけど、森内さまは日本人なのに正装が良くお似合いだし、身のこなしも柔らかだから、女性の方たちの好意が向くのが分かるわ……)
この場で華と問われたら、迷いなく健斗と森内だと楓は答えるだろう。それほどまでに、二人の美貌はこの場においてとびぬけていた。音楽に身をゆだねてワルツを踊っていると、森内が話し掛けてきた。
「聞きましたよ、会長の奥さまと社長の間を取り持ったとか。どんな魔法を使ったのですか?」
「いいえ、旦那さまのご努力が実っただけです。私はなにも」
森内が千鶴子と健斗の間のことを知っていたとは驚いた。そういうことは、風の噂で伝わってくるものですよ、と森内が言う。
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