18 / 60
花車に託した希望
(1)
しおりを挟む
*
がシャン! とカップの割れる音がして、琴子が金切り声を上げた。
「ちょっと! 目障りよ! わたくしが見えるところで掃除などしないで!」
「は、はい、申し訳ございません」
居間から見える縁側の拭き掃除をしていた使用人が即座に謝罪し、割れたカップを片付けていく。一緒にくつろいでいた茂三は琴子の様子に眉をひそめた。
「琴子、あまり些末なことに目くじらを立てない方がいい。それに、使用人とはいえ家のものではないのだからね、気をつけなさい。あまり辛く当たってしまうと、辞めてしまうだろう?」
「だって、お父さま。最近、使用人の仕事ぶりが悪いですわ。前は廊下が濡れていることもなかったですのに、昨日学校から帰ってきたら、廊下が濡れていて、わたくし、転びそうになったんですのよ」
琴子の言うことに、茂三も心当たりがあった。
もともと堀下家の使用人は、楓も含めてギリギリの人数で賄っていた。しかし楓を琴子の代わりに嫁がせたことで、使用人の数が足りなくなっているのだ。使用人の一人くらい、と思っていたら、楓以外の使用人の気の付かなさと言ったらなかった。もともと楓を引き取った時に、代わりに五人の使用人を解雇しており、結果として楓はその五人分の仕事を引き受けていたのだ。
これは茂三にとっても誤算だった。使用人というものは、兎に角勤勉に働くから給与がもらえるものであるはずである。今いる使用人たちが手を抜いているわけではないのだろうが、立ち返って見ると彼女たちは楓ほどの勤勉さはなかった。残念なことに堀下には、これ以上のしようにんを雇うほどの資金がない。荒れていく屋敷内を鑑みると、琴子や良子のイライラは収まらないし、解決策としては一つしかなかった。
(琴子をあの成金に嫁がせるかどうかは兎も角、やはり楓は使い手として連れ帰らなければ)
しかし、堀下(ここ)から嫁がせた娘を、どうやって?
茂三は眉間にしわを寄せて、深く考え込んだ。
*
「最初にお会いした日に旦那さまがお召しになっておられた七宝文は、ご縁のつながりを祈念する文様でもありました。失礼ながら、初対面の場にそぐう文様を、日本の方ではない旦那さまが選ぶことは困難だと思いました。ですので、あの時私は少し、驚いたのです」
健斗は楓の説明を、興味深そうに聞いていた。
「あの柄にそんな意味があったとは。控えめで好きな柄だったのだが」
「そうだったのですね。あの時、旦那さまが妻(わたし)を迎えるにあたって、七宝文をお召しになられていたのは、ある意味正解なのだと思います。日本では、催事の場で選ぶ柄がございますので」
「ほう、たとえば」
ぎし、と健斗の座っていた椅子が軋む。楓の話を真剣に聞くあまり、椅子から身を乗り出し、音が鳴ったのだ。
「吉兆文は、おめでたい席で選ばれます。良い前兆を意味する文様だからです。それぞれの意味は、日本の歴史風土から意味づけられていて、着物の柄に親しんで頂ければ、この国にも親しみを持っていただけるかと思います」
「キッチョウモンとは、どんな模様なんだ」
そう言って、具体的に説明しろと要求してくる健斗に、失礼します、と断って、机の上の書類を何枚かひろげた。以前見かけた、染匠が描いたものと同じ、きものの柄の構図を書き記した書類だ。
「『鶴は千年、亀は万年』と言う言葉のように、この鶴と亀の文様は長寿を意味します。こちらの松や竹・梅もそうです。鴛鴦(おしどり)はいつもつがいで居る様子から、夫婦円満の象徴と言われています。また、平安時代の貝合わせの貝を入れていた容器をあらわす貝桶は、貝が対になる貝としかかみ合わないことから、唯一無二の方との結婚を意味します」
「ほう、日本古来の文化の模様なのか……」
健斗は貝桶に興味を示して、まじまじと図面に見入った。自分の話に耳を傾けてくれるさまが嬉しいと思う。楓はその図面は健斗に預けて、他の柄についても説明していった。
「こちらの鳳凰は古代中国の伝説の鳥で、天下泰平をもたらす瑞鳥とされますので、平和や高貴であることを意味します。それから、こちらはおめでたいことを意味する束ね熨斗ですね。昔の不老長寿の象徴だった鮑の肉を薄く削ぎ、引き伸ばして乾かした熨斗(もの)の文様化です。こちらの図は末広がりの扇です。末広がりがめでたいという理由は、先に行くほど広がっていくさまが、未来へ行くほど発展・繁栄することを想わせて縁起がいいからだと言われています」
話に真剣に耳を傾けていた健斗が、ほう、と息をつく。小さな声で、Amazing、と呟いた。
がシャン! とカップの割れる音がして、琴子が金切り声を上げた。
「ちょっと! 目障りよ! わたくしが見えるところで掃除などしないで!」
「は、はい、申し訳ございません」
居間から見える縁側の拭き掃除をしていた使用人が即座に謝罪し、割れたカップを片付けていく。一緒にくつろいでいた茂三は琴子の様子に眉をひそめた。
「琴子、あまり些末なことに目くじらを立てない方がいい。それに、使用人とはいえ家のものではないのだからね、気をつけなさい。あまり辛く当たってしまうと、辞めてしまうだろう?」
「だって、お父さま。最近、使用人の仕事ぶりが悪いですわ。前は廊下が濡れていることもなかったですのに、昨日学校から帰ってきたら、廊下が濡れていて、わたくし、転びそうになったんですのよ」
琴子の言うことに、茂三も心当たりがあった。
もともと堀下家の使用人は、楓も含めてギリギリの人数で賄っていた。しかし楓を琴子の代わりに嫁がせたことで、使用人の数が足りなくなっているのだ。使用人の一人くらい、と思っていたら、楓以外の使用人の気の付かなさと言ったらなかった。もともと楓を引き取った時に、代わりに五人の使用人を解雇しており、結果として楓はその五人分の仕事を引き受けていたのだ。
これは茂三にとっても誤算だった。使用人というものは、兎に角勤勉に働くから給与がもらえるものであるはずである。今いる使用人たちが手を抜いているわけではないのだろうが、立ち返って見ると彼女たちは楓ほどの勤勉さはなかった。残念なことに堀下には、これ以上のしようにんを雇うほどの資金がない。荒れていく屋敷内を鑑みると、琴子や良子のイライラは収まらないし、解決策としては一つしかなかった。
(琴子をあの成金に嫁がせるかどうかは兎も角、やはり楓は使い手として連れ帰らなければ)
しかし、堀下(ここ)から嫁がせた娘を、どうやって?
茂三は眉間にしわを寄せて、深く考え込んだ。
*
「最初にお会いした日に旦那さまがお召しになっておられた七宝文は、ご縁のつながりを祈念する文様でもありました。失礼ながら、初対面の場にそぐう文様を、日本の方ではない旦那さまが選ぶことは困難だと思いました。ですので、あの時私は少し、驚いたのです」
健斗は楓の説明を、興味深そうに聞いていた。
「あの柄にそんな意味があったとは。控えめで好きな柄だったのだが」
「そうだったのですね。あの時、旦那さまが妻(わたし)を迎えるにあたって、七宝文をお召しになられていたのは、ある意味正解なのだと思います。日本では、催事の場で選ぶ柄がございますので」
「ほう、たとえば」
ぎし、と健斗の座っていた椅子が軋む。楓の話を真剣に聞くあまり、椅子から身を乗り出し、音が鳴ったのだ。
「吉兆文は、おめでたい席で選ばれます。良い前兆を意味する文様だからです。それぞれの意味は、日本の歴史風土から意味づけられていて、着物の柄に親しんで頂ければ、この国にも親しみを持っていただけるかと思います」
「キッチョウモンとは、どんな模様なんだ」
そう言って、具体的に説明しろと要求してくる健斗に、失礼します、と断って、机の上の書類を何枚かひろげた。以前見かけた、染匠が描いたものと同じ、きものの柄の構図を書き記した書類だ。
「『鶴は千年、亀は万年』と言う言葉のように、この鶴と亀の文様は長寿を意味します。こちらの松や竹・梅もそうです。鴛鴦(おしどり)はいつもつがいで居る様子から、夫婦円満の象徴と言われています。また、平安時代の貝合わせの貝を入れていた容器をあらわす貝桶は、貝が対になる貝としかかみ合わないことから、唯一無二の方との結婚を意味します」
「ほう、日本古来の文化の模様なのか……」
健斗は貝桶に興味を示して、まじまじと図面に見入った。自分の話に耳を傾けてくれるさまが嬉しいと思う。楓はその図面は健斗に預けて、他の柄についても説明していった。
「こちらの鳳凰は古代中国の伝説の鳥で、天下泰平をもたらす瑞鳥とされますので、平和や高貴であることを意味します。それから、こちらはおめでたいことを意味する束ね熨斗ですね。昔の不老長寿の象徴だった鮑の肉を薄く削ぎ、引き伸ばして乾かした熨斗(もの)の文様化です。こちらの図は末広がりの扇です。末広がりがめでたいという理由は、先に行くほど広がっていくさまが、未来へ行くほど発展・繁栄することを想わせて縁起がいいからだと言われています」
話に真剣に耳を傾けていた健斗が、ほう、と息をつく。小さな声で、Amazing、と呟いた。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
元カノと復縁する方法
なとみ
恋愛
「別れよっか」
同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。
会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。
自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。
表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる