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七宝の縁
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静子にそう言われても、先程の健斗の言葉が蘇り、全てを言葉通りには受け止められなかった。ただ、家同士が決めた政略結婚とはいえ、健斗の、楓に対する第一声があの言葉であった理由は何なのだろうな、とは思い、楓が自分の経歴から必要とされてこなかったように、理由の一つにあの容貌があるのではないかと思った。堀下家で一人、血縁でない楓が冷遇されたのと同じ理由が、健斗にもあるのではないかと。
「……あの……、峯山さまご夫妻に外国の血が混じっているとは、聞いておりませんでしたが……」
もしかして叔父は知っていたのだろうか。控えめに問うと、静子が頬に手を当て、そうですね、と眉を寄せた。
「実は健斗さまは半年前に峯山家にいらした、ご養子なんです。旦那さまと奥さまの間には洋一さまというご子息が居られましたが、一年前に事故でお亡くなりになられまして……。旦那さまは洋一さまに期待をかけておいでで、洋一さまに全てを教えつくすつもりでおられました。そしてその事故で、その夢が潰えようとした時に迎えられたのが健斗さまです。健斗さまは英吉利に居られる、旦那さまの弟さまご夫妻のご次男であられます。健斗さまの髪と目の色は、ご夫人のものなのです」
なるほど。だから異国の色をしていても日本語が話せたのか。楓は両親と死に別れた時を思い出した。
「では……、おひとりで日本へいらして、お寂しかったでしょうね……」
黒ばかりの国に、異国の色で居るのには、どんな強さと寂しさがあるのだろう。楓の比ではないその『異』の中で、それでも健斗は先程のように背筋を伸ばしてそこに居るのだ。
(健斗さまは、お強い方なのだわ……)
そう思って、静子が微笑んでいることに気付いた。
「あの……、私なにか……」
「いえ。楓さまが健斗さまの奥さまで宜しかったなと、思ったのです」
思いもよらないことを言われて、きょとんとする。
「何故……、でしょうか。私は何も出来ません。先ほど旦那さまにも拒絶されたと思いますし……」
楓の言葉に静子は首を横に振った。
「いいえ、楓さま。若旦那さまのご様子をご覧になって、上等の金づると見るか、お心に射す影を見るかであれば、後者であることのほうが、お仕えする若旦那さまにとって良いことだと思うのは、ごく普通のことですよ」
静子は穏やかに言葉を続ける。
「楓さまが若旦那さまにお会いになったばかりなのですから、若旦那さまに何も出来ないのは当然です。大事なのは若旦那さまに向ける楓さまのお気持ちが、いたわりであったことなのです」
……そんな、大層な事だろうか。誰だって独りぼっちは寂しいと思う。楓は、叔父たちの目を気にして、使用人たちがあまり関わってくれなかった自分の過去を思い出して、やはり静子の言うような重大なことだとは思わなかった。静子の手が楓の手に、そっと触れる。あたたかい。
「楓さま。若旦那さまをどうぞよろしくお願いいたします」
「はい……。私に出来ることがありましたら……」
いたわり、という気持ちなら、静子が楓に向けてくれる気持ちこそ、いたわりなのだと思った。
その後、健斗は夜になっても階下に降りて来なかった。静子に聞いたところ、仕事が休みの日も書斎にこもって、持ち帰りの仕事に没頭しているらしい。静子が本家に帰るまでに食堂に降りてこなければ、握り飯を用意して帰るのだと言って、静子は皿に握り飯をふたつ、用意して本家へ帰った。静子は本来、本家に雇われている使用人だという事だった。
楓も、主である健斗が何も食べないのに自分だけ食事をとる気にはなれず、食堂で健斗が降りてくるのを待った。しかし、八時になっても十時になっても、健斗は階下に降りてこなかった。流石に時計の針が十二時を過ぎた頃、楓は静子が用意した握り飯と淹れたてのお茶を盆に持って、二階の健斗の書斎の扉をノックした。しかし、返答がない。
(まさか、椅子に座ったまま、寝てらっしゃるとか……?)
念のため、もう一度ノックをして、それでも返答がなかったから、失礼しますと断ってから、扉を開ける。部屋の中は煌々と明かりが灯っており、窓の傍の机に向かって、昼間と変わらない様子で書類に向き合っている健斗の後ろ姿があった。
「……、……旦那さま」
思い切って、声をかけてみた。冷たく突き放されたはずなのに、食事も忘れて、楓が部屋に入ってきたことにも気づかない程、仕事に没頭している健斗が、もしかして今までもこれからもこんな生活を続けていくのであれば、堀下家に居た楓以上に、体を壊すことが近いと思ったからだ。
「……あの……、峯山さまご夫妻に外国の血が混じっているとは、聞いておりませんでしたが……」
もしかして叔父は知っていたのだろうか。控えめに問うと、静子が頬に手を当て、そうですね、と眉を寄せた。
「実は健斗さまは半年前に峯山家にいらした、ご養子なんです。旦那さまと奥さまの間には洋一さまというご子息が居られましたが、一年前に事故でお亡くなりになられまして……。旦那さまは洋一さまに期待をかけておいでで、洋一さまに全てを教えつくすつもりでおられました。そしてその事故で、その夢が潰えようとした時に迎えられたのが健斗さまです。健斗さまは英吉利に居られる、旦那さまの弟さまご夫妻のご次男であられます。健斗さまの髪と目の色は、ご夫人のものなのです」
なるほど。だから異国の色をしていても日本語が話せたのか。楓は両親と死に別れた時を思い出した。
「では……、おひとりで日本へいらして、お寂しかったでしょうね……」
黒ばかりの国に、異国の色で居るのには、どんな強さと寂しさがあるのだろう。楓の比ではないその『異』の中で、それでも健斗は先程のように背筋を伸ばしてそこに居るのだ。
(健斗さまは、お強い方なのだわ……)
そう思って、静子が微笑んでいることに気付いた。
「あの……、私なにか……」
「いえ。楓さまが健斗さまの奥さまで宜しかったなと、思ったのです」
思いもよらないことを言われて、きょとんとする。
「何故……、でしょうか。私は何も出来ません。先ほど旦那さまにも拒絶されたと思いますし……」
楓の言葉に静子は首を横に振った。
「いいえ、楓さま。若旦那さまのご様子をご覧になって、上等の金づると見るか、お心に射す影を見るかであれば、後者であることのほうが、お仕えする若旦那さまにとって良いことだと思うのは、ごく普通のことですよ」
静子は穏やかに言葉を続ける。
「楓さまが若旦那さまにお会いになったばかりなのですから、若旦那さまに何も出来ないのは当然です。大事なのは若旦那さまに向ける楓さまのお気持ちが、いたわりであったことなのです」
……そんな、大層な事だろうか。誰だって独りぼっちは寂しいと思う。楓は、叔父たちの目を気にして、使用人たちがあまり関わってくれなかった自分の過去を思い出して、やはり静子の言うような重大なことだとは思わなかった。静子の手が楓の手に、そっと触れる。あたたかい。
「楓さま。若旦那さまをどうぞよろしくお願いいたします」
「はい……。私に出来ることがありましたら……」
いたわり、という気持ちなら、静子が楓に向けてくれる気持ちこそ、いたわりなのだと思った。
その後、健斗は夜になっても階下に降りて来なかった。静子に聞いたところ、仕事が休みの日も書斎にこもって、持ち帰りの仕事に没頭しているらしい。静子が本家に帰るまでに食堂に降りてこなければ、握り飯を用意して帰るのだと言って、静子は皿に握り飯をふたつ、用意して本家へ帰った。静子は本来、本家に雇われている使用人だという事だった。
楓も、主である健斗が何も食べないのに自分だけ食事をとる気にはなれず、食堂で健斗が降りてくるのを待った。しかし、八時になっても十時になっても、健斗は階下に降りてこなかった。流石に時計の針が十二時を過ぎた頃、楓は静子が用意した握り飯と淹れたてのお茶を盆に持って、二階の健斗の書斎の扉をノックした。しかし、返答がない。
(まさか、椅子に座ったまま、寝てらっしゃるとか……?)
念のため、もう一度ノックをして、それでも返答がなかったから、失礼しますと断ってから、扉を開ける。部屋の中は煌々と明かりが灯っており、窓の傍の机に向かって、昼間と変わらない様子で書類に向き合っている健斗の後ろ姿があった。
「……、……旦那さま」
思い切って、声をかけてみた。冷たく突き放されたはずなのに、食事も忘れて、楓が部屋に入ってきたことにも気づかない程、仕事に没頭している健斗が、もしかして今までもこれからもこんな生活を続けていくのであれば、堀下家に居た楓以上に、体を壊すことが近いと思ったからだ。
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