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4章 イルミネーション

53話

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新田さんはすぐにはいれてくれなかった。玄関扉を挟んで、しばらくいぶかしまれたあと「そろそろ寒いです」と言ったら、ようやく開けてくれた。

「久しぶりですね。どうしたんですか、こんな遅い時間に」

何ヶ月ぶりに見ただろうか。そんなに経っていないはずなのに、そのひょろっとした身体を随分と見ていない気がした。

新田さんがいる。家まで来たんだから当然なのに、それが嬉しかった。

「お礼を。お礼を言おうと思ったんです」
「……とりあえず入ってください」
「はい」

奥に入ると、部屋は電気がついていなくて真っ暗だった。来客対応のためだけに、わざわざ一旦消したのだろうか。新田さんらしい。

その中に私があげたサンタのスノードームだけがきらきらと光っていた。

ここではまだ、クリスマスは終わっていなかった。小さな光が確かに残っていた。サンタもさっき駅で見たものより、ずっといい笑顔をしている気がする。

「綺麗です、スノードーム。ありがとうございました」
「あれ、もうしまわないといけませんよ。日付が変われば、クリスマスは終わりです」

それがどれだけ綺麗でも、明日を迎えればそれはただの季節遅れだ。

「関係ないですよ。十一月からずっとあれですから。綺麗なので、夜は眠るまでずっと眺めてるんです」
「季節感ないですね」
「それは、そうかもしれません。でも綺麗なので。電気つけますね」

明かりがつくと、スノードームから光がゆるやかに消えていった。整然とした部屋に、スノードームだけ不自然に浮いて見えた。

「座っていてください。飲み物入れますよ。紅茶があります」
「……はい。あの、手伝いましょうか」
「いえ、すぐ終わることです」

言葉通り新田さんは紅茶をいれると、すぐに持ってきてくれた。私の前にことりと置かれた紅茶からは、砂糖の甘い匂いが漂っていた。

「ありがとうございます」
「これくらいなんてことないですよ」
「あと、それから……このマフラーも、手袋もありがとうございます」
「はい。使ってみてください。つい黒を買ってしまって、すいません」
「使わせてもらいます、重ね重ねありがとうございました」
「……大丈夫ですか。そんなにありがとうって、たくさん繰り返すものじゃありませんよ」

新田さんが、心配そうに私を見つめる。私はそこから少し目を逸らした。その視線が私を壊していく気がした。

「はい。大丈夫です。言いたくなっただけなので」
「そうですか。……じゃあ僕も。ありがとうございます」
「え? 私、なにもしてませんよ」
「いえ、この一年で私は笹川さんから色んなものをもらいましたよ。だから、……ありがとうございます」

藪から棒の言葉だった。東京で言われた言葉に似ている。

私がなにも言わないで聞いていると、

「笹川さんがいなかったら、今の自分はいません。仕事もたぶん辞めていたと思います。三月の僕は、そう。どん底にいましたから」

そこからスイッチが入ったように新田さんは次から次に喋りはじめた。一年間あったことを一つ一つ振り返っていく。

「一緒に夜の公園で話したことはまだ覚えてますよ」とか「花火、楽しかったです」とか。

それを聞いていたら、こっちからもいっぱいいっぱい言いたいことが溢れてきた。感謝しているのは、楽しいと思っていたのは私も一緒だ。

けれど私はその間なにも喋らなかった。正確には喋れなかった。時に笑いながら話す新田さんの優しい顔を見ていたら、言葉なんか後回しでいい気がして、しばらく放心したようにその顔をながめた。

なんのことはない。私が叶えて欲しかった小さな願いの答えは、ここにあった。
その笑顔が欲しかったんだ。もう何回も見てきた。でも、それが欲しかった。

もし貰えたなら、私はどれほど幸せになれるだろう。
きっとシンデレラより幸せだ。ガラスの靴はなくとも、擦れたスニーカーでだってどこまでも階段を上っていける気がする。

でも、同時に私は気づいてしまった。それをもらうべきは、私じゃない。

「それから、東京まで遊びに出た時。……僕は色々聞けてよかった、と思ってます」

そう言われて、思わずまだ喋ろうとする新田さんに口を挟んだ。

「……どう思いましたか」

この前、答えてくれなかった質問だ。それが答えにくいことは分かっているのに、私はまた聞いてしまった。それくらいどうしても知りたかった。

「難しいですね。でも決して、軽蔑とかじゃありません。友達ですから、全て受け止めたつもりです。でも話を聞いて、どうにもできない自分が嫌になりました。なんと言ったらいいのかは、未だに分かりません」
「……そう、ですか」

友達。その言葉に頭が真っ白になった。知りたかったはずのことなのに、もう頭に一つも入ってこなかった。できれば、それだけは聞かないままでいたかった。
つまりは、私は新田さんが好きだった。

「はい。でも、そんなことは関係ないんです。笹川さんと友達になれて良かったです。一年色々とありがとうございました」
「ありがとうございました、が多いのは新田さんの方みたいですよ」
「……そうでしたね。少し感傷的になりました。すいません。最後になるかもと思ったら」
「くるみさんから聞きました。本社に戻るそうですね。あの話は本当なんですか」
「はい、本当です。本社が仕事の功績を認めてくれたみたいで」

でも新田さんは、くるみさんが好きだ。たぶんくるみさんも新田さんが好き。

私には転勤するなんてこと一言も言ってくれなかったなぁ。

「頑張ってください。応援しています。この町から、ですが」
「はい、頑張ります。また遊んでください」
「……もう帰ります」
「もう、ですか」
「すいません、明日も早いので」


嘘。明日は遅番だ。

本当は新田さんの気持ちが私に向いていないことが改めて分かって、この場にいるのがつらくなった。薄々分かっていたのと、実際言われてしまうのでは大きく違う。これ以上ここにいたら、本当に壊れてしまうなと思った。ガラスの割れ物なのだ、今の私は。カップに残った紅茶を飲み干す。底の方に溶け残った砂糖のせいで、口の中がべったりと甘くなった。

頭が真っ白になっていた。
椅子から立つ時、私は大きくよろめく。そんな私を新田さんが抱えるように止めてくれた。その腕はやっぱり枝のように細くて頼りない。

「本当に大丈夫ですか。家まで送りますよ。夜も遅いですし」
「いいです、帰れますから。それにここまでだって一人で来たんですよ」

私は新田さんの腕から逃れる。
本当はこのまま倒れ込んで、身を委ねてもいいなと思った。最近トレンドのドラマ、巷で流行るJ‐POPの歌詞が今なら私の気持ちと重なっている気がする。このまま引き寄せて、離さないよう捕まえてそれでこの町から私を連れ出してくれればいい。二人なら、どんな災難や事件に出くわしてもきっと幸せにやっていける。

けれど現実は虚構とは違う。とびきりに苦いわけでもないが、代わりに甘さだって控えめ、なんなら苦みに消されてしまう。だから、そんな思いが叶うわけもなく、新田さんの腕はするりと私から離れていった。

私は筋金入りのバカだ、ちょっとでも期待してしまった。もしこれがフィクションでも、新田さんにそんなことできるわけがないのに。
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