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3章 はまひるがお

41話

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「もう少し持ちますよ」面食らいはしたが、冷静に言葉を返す。
「違いますよ、あげるんです。欲しかったんじゃないんですか? スノードーム」
「え、もしかしてそのために?」
「ありゃ、違いました? でもまぁもらってください。新田さんのために買ったわけですし」

そんなつもりとは考えもしなかった。押し付けられる小袋を受け取る。硝子物だけあって、ずしと重かった。
私もこっそりするより、こんな風に自然に渡せばよかったかもしれない。今はもう後付けみたいになってしまうから無理な話だけれど。

「……ありがとうございます」

誰か他人から貰う初めてのまともなプレゼントだった。こんな時、どう言葉を返したらいいか分からない。声がどもり返ってしまった。

「いえ、私が言うべきです。今日は私のためにわざわざ東京に付き合わせてしまいました。その分のお礼です」
「いや」
「本当は来たくなかったですよね。ほら、辛い記憶とか思い出したり……」

笹川さんは、俯き加減に続ける。私は言葉を遮った。それが大きな間違いだったから。

「それは勘違いです。僕は別に東京が嫌いな訳じゃないですよ。ただ、どうとも思ってなかった。でも、今日、少し好きになったかもしれません」
「そうですか。ならよかった」

夜が深まるにつれて、両脇の店の明かりがいっそう眩しい。もう八時だというのに、東京という街はまだまだ眠らない。田舎なら、もう一面真っ暗だ。

こうやって明るいのも悪くない。笹川さんがそう教えてくれた。彼女は私の知らないことをなんでも教えてくれる。
そのまま同じ方向に歩いていたら、しばらくして商業街を抜けた。人が減って、声も届きやすくなる。私には言いたいと思うことがいっぱいあった。それは、自分の内側にとどめておくにはとても多すぎた。

「笹川さんはすごいですね。僕よりずっと若いのに、なんでも知ってるんです」
「新田さんが知らなさすぎるんですよ」
「かもしれませんね。でもそれだけじゃないんです。他にも色んなことを教えてくれました。ほら友達、って関係も」
「……もう。やめてくださいよ」

言いすぎただろうか。しかし、ここまで言ってしまえばもう止めることはできなかった。気持ちは進行形ではやっていた。

「純粋で、それから誠実で。………優しいです、笹川さんは」

 なにも言葉が返ってこなかったから、私は笹川さんのほうを目の端で見る。

「笹川さん?」

目を大きく見開いたまま固まっていた。その瞳に力はほとんど無くて、私を見ているというよりどこか遠くを意思もなく眺めているようだった。私は気づいた、この頃の様子のおかしい笹川さんが目前にいることに。

「そんなのあり得ませんよ」

どこまでも冷たい声だった。

今日見てきた笹川さんとは別人みたいに。遠くなった都会の喧騒、その低く冷たい声だけが鈍く空気を割いた。

「えっと…………それは、どういう…………」私はわけも分からず問い返す。なにか気に障ることを言ったかと思って、自分の言葉を思い返すが分からない。
「そのままの意味です。あり得ないんです。私が誠実とか、優しいとか、純粋とか、あり得ないんです」

急なことだった。

なぜそんなことを言うのだろう。

なにも私は適当な口説き文句的なことを言ったわけじゃない。私からみれば疑いなく、そうなのだ。笹川さんが私を変えてくれた。私を引き上げてくれた。

私は親の手の内、自分で動けているつもりの愚かな傀儡人形だった。そのくせ自分を過大評価し、その繰り糸から逃れようとして、両手両足を絡め取られた。彼女は、それをほどいてくれたのだ。まどろっこしい糸をはさみで断ってくれた。それは笹川さんの優しさであり、純粋さに他ならない。だから私は震えながらでも、たとえ小さくとも一歩を自分の足で踏みだすことができたのだ。

ここのところ、なんとなく覚えていた違和感がついに形を成した気がした。
私は逸らすように空を見上げる。

都会の空に星はほとんど見えない。逃げ場はなかった。

「私はそんないいものじゃないんです」
「……どうしてそんなこと、言うんですか」
「違うんですよ、私は違うんです。新田さんが思ってるようないい人間じゃないんです。勘違いなんですよ。新田さんはなにも知らないだけ」
「…………」

違う、知らない。
言葉がやけに耳の奥で響く。

耳鳴りのように何度も繰り返され、その度に一音階ずつ下がって私の中で真実味を増していった。あぁそうだ、私はなにも知らない。瞬間、雑多な廃棄ガスが都会のビル風に乗って匂った。

あぁここは東京だったっけ。分かりきったはずのことを再認させられた。生ぬるい風のはずなのに、田舎の風よりずっと冷めきっている。
「………聞きますか、私の昔話」
笹川さんの言葉に呼応するように、ずっと頭の片隅に身を潜めていたあのはまひるがおが、にわかに私の頭の中心に姿を現す。
そして、彼は深く長い沈黙を破って口を開いた。





「君も一人かい?」と。

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