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3章 はまひるがお

29話

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小学生の頃、『はまひるがおの小さな海』というタイトルの物語を読んだことがある。どこで読んだのか定かではないが、とにかく学校の教科書に乗っていたものだったと思う。そこには一部しか抜粋されていなかっただろうから、内容すら私はその一部しか知らない。
あらすじはこうだ。浜辺にぽつんと咲いている、はまひるがおがいた。大雨で海が荒れた日、その目の前に水たまりができ、そこに一匹の魚が取り残されてしまう。すぐに魚と仲良くなったはまひるがおは、自分は摘んでしまって構わないからその代わりに雨を降らせて、唯一の友達であるその魚を助けたいと「僕」に懇願する──
私が覚えているあらすじは、そこまでだ。
読んだあとに先生が感想を聞くと、クラスメイトたちは口々に「いい話だけど、悲しい話だね」と言っていた。ひねくれていた私は、これくらいで安易に感情移入なんてするものかと冷め切った目でこれを読んだ。
しかしこれが今になって思い出して考えてみると、かなりぞっとする話だったりする。
魚が来る前、はまひるがおの世界は完全な自己完結世界だったはずだ。そこには、「自分」なんて意識は存在しない。はまひるがおと「世界」の間になんらの境界線は無くて、一つの何かだった。
そこへ急に、魚があらわれたらどうだろう。自分とは違う誰かがあらわれるということは、他の誰かに気づくということだ。そうしたら、今度は世界から切り離された「自分」という存在が浮き彫りになる。
魚がはまひるがおの望み通り海に帰ることができたとして、はまひるがおに残されるのは孤立した「自分」だけだ。それに気づいてしまったが最後、はまひるがおは他者を求めずにはいられなくなる。常に誰かを意識して、誰かと自分を比べないではいられない。しかしたとえそう望んでも、その小さな海にはもう誰も来ない。その小さな海自体、干上がってしまうこともあるだろう。
もし誰かが来たとしても、またその誰かがいなくなることを祈らなければならない。壊された自己完結の世界で、彼はほとんど一人で生きていくしかない。それはきっとなによりも辛いことだ。
結果的にこの物語がどんな終わりを迎えたのか、私は知らない。本屋で見つけた時は気になって、買ってみようかと思ったこともある。けれどそれを知ったからと、私が満足するような結末ではないのはたしかだった。そう考えたら、手が遠のいた。
こんな話をするのは最近、そのはまひるがおの夢を見たからだ。私は夢の中ではまひるがおを眺める「僕」だった。私が見た時には、はまひるがおの前にもう水たまりは無く、ただ窪みがあるのみだった。物語どおりとは違って、私には、はまひるがおの声は聞こえない。それでも私はじっとはまひるがおを眺める。しばらくそれを見ていると、誰かが私を迎えに来て、そこで夢から覚めた。
所詮は夢の話と言われれば返す言葉もないのだが、これがどうにも無意味なものとは思えなくて、頭に引っかかった。夢で見たはまひるがおが居着いてしまったようだった。少しでも暇があれば、「なぜ」と考えてしまう。今だってそうだ。しようもないことを考えている時間は、好きな方だ。それで結論が出なかったとしても、無言で商談相手と向き合っている時間よりはずっと有意義な時間だと思う。
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