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1章 吠えない犬

5話

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その日は遅番まで入っていた。「今度どこかで一日休みあげるから」という口約束で、夜の九時まで働いた。半日、労働。本当は十八歳未満の夜間労働は法律で禁じられているらしいけれど、人手が足りないのだからしょうがない。猫の手も借りたいほど忙しくて、休んだ高崎さんを恨んだ。

私もどうにか休めないかな、と考えたが私には兄弟はいなかったし、父と母はとうに他界してしまっている。身内と呼べるのは、拠り所のない私を拾って、仕事の斡旋までしてくれたおじさんだけだ。そのおじさんは、今は独身。けれどたまに会っても、全く女の匂いがしない。まだ亡くなってしまったおばさんのことを引きずっているのだろう。

「お疲れ様でしたー」
「お疲れ、やればできるじゃん。中退でも!」
「……あはは、お先です」

今度休みを取る分の仕事を終わらせるから(遠方の街コンに行くらしい)、と言っていた中谷さんを置いてタイムカードを切り、店を出る。昼はあたたかくなってきたとはいえ、まだ桜が咲くには早い季節だ、夜は冷えこむ。そんな空気が、仕事終わりの達成感をより演出してくれた。

そこからいつものスーパーに足を向ける。閉店時間が十時だから、今日は少し急がないといけない。朝来た道を同じように走って、戻る。そうすると急にボサボサの髪のことが思い出されて、右手で押さえつけた。何度も染めた結果のこの髪だ。オーソドックスに茶髪、それから金髪、赤髪なんていうのにも挑戦した。色々試した結果、最後はこんな髪になった。どんな流麗な謳い文句のリンスも私の髪をストレートにはしてくれない。
電灯すらまばらな暗闇の中にぽつんと光るスーパーに駆け込む。店頭に地元農家の採れたて野菜が置いてあるのが田舎らしい。そしてなによりそれらしいのは、その物価だ。地元にいた時の半分の値段で売っているものがザラにある。

しかしそれらには目もくれず、私は惣菜コーナーに向かった。この時間になると、半額や三割引なんて値札がつけられていて、一人暮らしの私には財布に優しいし、調理しなくていいという一石二鳥だ。
少し迷ってエビの天ぷらとささみのフライ、自分へのご褒美に(残業した分)といちごのシュークリームを買って家に帰った。いつも食べるカップうどんがデザートまでついて少し豪勢になった。それで満腹になるわけではないが、ダイエット意識も必要だ。

その日はそこから風呂に入って、もうベッドに向かった。十二時間働くとやはり疲れる。テレビを見ていたらすぐにぐったりときた。
入念に七時半、七時四十分、と小刻みに携帯のアラームを設定する。一回だと、止めてしまって起きられない。ついでに直ってくれないかな、と吠えない犬の頭をぽんぽんと叩いた。昔のゲーム機じゃあるまいし、当然そんなことで急に吠え出したりはしない。

携帯を閉じる前、手癖でメールをチェックする。誰からの連絡もなかった。地元との関係は、完全に断ち切っている。メールもラインも来ないのは当たり前だった。ラインに至っては、アンインストールまでしてある。空のメールボックスを眺めていてもしょうがない。今度こそ閉じて、枕元に伏せた。

次の日の朝のことは、自分でも読めていた。やはり九時ちょうどにタイムカードを切ると、中谷さんにまたくどくどと叱られた。

「笹ちゃん昨日はごめんね。親戚の結婚式でさー、終わってからも二次会・三次会って」
「……ほんとですよ。めちゃ大変でした」
「そうだよね、すまん! 代わりに今日頑張るから許してよ!」

昨日休んでいた高崎さんは、そう言ってスーツの腕をまくる。昔ラクビーをしていたというだけあって、かなり隆々とした筋肉が朝日に照らされる。腕をまくったのは、ただ見せたかっただけなのかもしれない。

基本、高崎さんは昼出勤のラストまでなのだが、今日は朝から夜までいるらしい。この分なら、私はいつも通りの五時上がりが出来そうだ。

「ほら、お客様来たよ。いらっしゃいませ」

中谷さんが言うから高崎さんは、あげたばかりの袖をすぐに下ろす。私も挨拶をと前を向いたら、そこには昨日の男がいた。
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