9 / 59
一章
9話 霊障沙汰
しおりを挟む♢
さらに、一週間程度が過ぎた。
怒涛の研修の日々は、今もなおも続いている。十年分の空白の時間は、簡単に埋まらないらしい。
日中はほとんど自由な時間を取れずに終わっていく日々だったのだが、その時は唐突にやってきた。
「では次は二刻後。少し空きますが、剣術練習場に来てくださいませ」
「……かしこまりました」
ついにこの時が来たか、とベッティーナはひっそり達成感に浸る。
やっとのこと日中に、自由な時間を得られたのだ。
まだ昼下がり、三の刻だ。いつもは太陽の落ちる六の刻が過ぎても始動が続いていたことを考えると、かなり余裕があるように感じる。
が、時間が有限なのは変わりない。
ベッティーナは頭を下げて、指導の監督をしていた執事が出ていくのを見送ると、すぐに行動へと移る。
足早に向かったのは、屋敷の中では西の端にある一つの建物だ。
「ここが書庫ね」
さすがに高揚感が腹の底からふつふつと湧き起こる。
ここにこれば、物語を読むことも、書くための勉強をすることもできる。要するに普段の研修とは違い、自分のしたい勉強ができる。
屋敷へやってきた時からその存在は知っていて、何度も訪れようと思ったのだが、過密日程でここまで時間が取れなかったのだ。
高揚感に任せて、ベッティーナは早速書庫に入ろうとする。が、よもやの足止めを食らった。
扉が開かなくなっているのだ。
「内側から鍵がかかっている……?」
やっと暇ができたばかりで、期待もさんざん膨らませてきた。諦められず、何度か戸を引いたり押したりと繰り返す。
そこで、あることに気づいた。
内側から流れてくる、そこはかとなく暗く、肌をそばだたせる空気感は、よく知っている。
一定以上に強い悪霊が、その力を暴発させて、いわゆる『霊障』を起こしている際に発するものだ。
それに気を取られていたからベッティーナは気づけなかった。
「今は開かないよ。ちょっと問題が発生していてね」
すぐ後ろに、いつのまにかリナルドがいたのだ。にこにこと人のいい笑顔を浮かべながら、手元には本を数冊抱えている。
ベッティーナは、瞬時に飛びのいた。
この一週間は意識的に接触を避けてきたため、顔を合わせる機会もほとんどなかった。
そこへ突然に遭遇してしまうのだから、心臓に悪いったら。
「おいおい、そこまで警戒しないでもいいだろ?」
「……このような場所にいると思わず。申し訳ありません」
「僕の屋敷なんだから、どこで会ってもおかしくはないだろ? 君は本を読みに来たのかい?」
本音としては、少しの会話も避けたいところだったが、それで不自然になって疑われても本末転倒だ。
「はい。研修の合間に時間ができたので息抜きに参りました」
「はは、相も変わらずずいぶんと端的な答えだな。勉強漬けの中で、本まで読もうと思うなんてよほど好きなんだね」
鋭いものだ。それを言い当てられたら、首を横には振れない。
「その通りです。とくに物語が好きなのですが、アウローラ国には蔵書があまり多くありませんでした。そもそも本は高く、戦が多いなかではなかなか手に入りませんでした」
もっともらしい話をでっちあげる。
それに対してリナルドは、眉を下げて唇を引き結び、ベッティーナを見やる。
「そういう事情があったんだね。うちの書庫は、物語も多く取り揃えているよ、新書も取り扱っているよ。僕も本を読むのは好きなんだ。なんだか気が合いそうな気がしてくるね」
いや、そんなことはまったくない、と。
ベッティーナは、彼の穏やかな春に差した木漏れ日みたいな、無条件に柔らかい表情を見て、心の中でにべもなく思う。
ベッティーナはどこまで言っても、陰だ。
光の裏側でひっそりと呼吸をしているぐらいがちょうどいい。そういう意味では、真逆で相容れないとさえ言える。
「それで、この書庫はどこからも開かないのですか」
だから話を切り替えた。
「あぁ、うん。どうやらそうみたいだね。無理に開けようとしても、だめらしい。理由は不明なんだけど、一つだけ思い当たることならあるよ」
やはりリナルドも、霊障によるものと気づいているのだろう。
当たり前のことだ。彼本人が見えないとしても、あれだけ精霊を垂らしこんでいるのだ。
精霊と悪霊はお互いを視認できるから、精霊たちに教えられているに違いない。
ベッティーナはそう考えるが、続いた言葉は斜め上からのものだった。
「実は昨日、うちに勤めていた司書が一人、辞表を残して消えたんだ。もしかしたらなにか恨みがあって、魔術師でも呼んで妨害魔法をかけたのかもしれない。だから、不便をかけるけど必ず解消するからもう少し待っててもらえるかな」
肩透かしを食らった感じで、ベッティーナはあっけに取られる。
気づいていないわけがないのだ。間違いなく彼は、悪霊による霊障であることを理解している……はずだ。
だがしかし、彼はまったく見当違いな線から、推理をしようとしている。
これが演技で、理由は不明だが嘘をついているという可能性もなくはない。
見た目通りに穏やかな雰囲気を纏う彼だが、逆に言えばそのベールに包まれた奥の本心は読みづらい。
「ん、どうしたんだい、ベッティーノ。目の焦点が合っていないようだけど?」
指摘されてベッティーナは、一度彼と目を合わせる。
「いえ、妨害魔法をかけて辞めるほどとなると、どの程度揉めたのだろうと考えていただけです。他の線も考えたほうがいいかもしれませんね」
それらしくふんわりとした答えで、ここは誤魔化しておいた。
こちらから『悪霊の仕業では?』などと尋ねて、もしこの見える能力がばれたりしたら大問題に発展しかねない。藪から蛇をつつきたくなかった。
「お、理由を考えてくれていたんだね。手伝ってくれる気にでもなったかい?」
「……申し訳ありません。忙しい身ですから」
「はは、そうきたか。本を読む時間はあるんだから、都合がいいな。まぁ、無理に手伝ってもらう必要もないんだけどね」
リナルドはそう残して、書庫の前から去っていく。
その後ろ姿を見送っていると、さっそく精霊を召喚して、会話を交わしている様子が見られた。
……となると、やはり気付いている? もしくは精霊たちが言わないようにしている?
疑念は次々に生まれるが、ベッティーナはすぐにそれを振り払った。
0
お気に入りに追加
277
あなたにおすすめの小説
神隠し令嬢は騎士様と幸せになりたいんです
珂里
ファンタジー
ある日、5歳の彩菜は突然神隠しに遭い異世界へ迷い込んでしまう。
そんな迷子の彩菜を助けてくれたのは王国の騎士団長だった。元の世界に帰れない彩菜を、子供のいない団長夫婦は自分の娘として育ててくれることに……。
日本のお父さんお母さん、会えなくて寂しいけれど、彩菜は優しい大人の人達に助けられて毎日元気に暮らしてます!
婚約破棄された竜好き令嬢は黒竜様に溺愛される。残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ
水無瀬
ファンタジー
竜が好きで、三度のご飯より竜研究に没頭していた侯爵令嬢の私は、婚約者の王太子から婚約破棄を突きつけられる。
それだけでなく、この国をずっと守護してきた黒竜様を捨てると言うの。
黒竜様のことをずっと研究してきた私も、見せしめとして処刑されてしまうらしいです。
叶うなら、死ぬ前に一度でいいから黒竜様に会ってみたかったな。
ですが、私は知らなかった。
黒竜様はずっと私のそばで、私を見守ってくれていたのだ。
残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ?
華都のローズマリー
みるくてぃー
ファンタジー
ひょんな事から前世の記憶が蘇った私、アリス・デュランタン。意地悪な義兄に『超』貧乏騎士爵家を追い出され、無一文の状態で妹と一緒に王都へ向かうが、そこは若い女性には厳しすぎる世界。一時は妹の為に身売りの覚悟をするも、気づけば何故か王都で人気のスィーツショップを経営することに。えっ、私この世界のお金の単位って全然わからないんですけど!?これは初めて見たお金が金貨の山だったという金銭感覚ゼロ、ハチャメチャ少女のラブ?コメディな物語。
新たなお仕事シリーズ第一弾、不定期掲載にて始めます!
【完結】追放された生活錬金術師は好きなようにブランド運営します!
加藤伊織
ファンタジー
(全151話予定)世界からは魔法が消えていっており、錬金術師も賢者の石や金を作ることは不可能になっている。そんな中で、生活に必要な細々とした物を作る生活錬金術は「小さな錬金術」と呼ばれていた。
カモミールは師であるロクサーヌから勧められて「小さな錬金術」の道を歩み、ロクサーヌと共に化粧品のブランドを立ち上げて成功していた。しかし、ロクサーヌの突然の死により、その息子で兄弟子であるガストンから住み込んで働いていた家を追い出される。
落ち込みはしたが幼馴染みのヴァージルや友人のタマラに励まされ、独立して工房を持つことにしたカモミールだったが、師と共に運営してきたブランドは名義がガストンに引き継がれており、全て一から出直しという状況に。
そんな中、格安で見つけた恐ろしく古い工房を買い取ることができ、カモミールはその工房で新たなスタートを切ることにした。
器具付き・格安・ただし狭くてボロい……そんな訳あり物件だったが、更におまけが付いていた。据えられた錬金釜が1000年の時を経て精霊となり、人の姿を取ってカモミールの前に現れたのだ。
失われた栄光の過去を懐かしみ、賢者の石やホムンクルスの作成に挑ませようとする錬金釜の精霊・テオ。それに対して全く興味が無い日常指向のカモミール。
過保護な幼馴染みも隣に引っ越してきて、予想外に騒がしい日常が彼女を待っていた。
これは、ポーションも作れないし冒険もしない、ささやかな錬金術師の物語である。
彼女は化粧品や石けんを作り、「ささやかな小市民」でいたつもりなのだが、品質の良い化粧品を作る彼女を周囲が放っておく訳はなく――。
毎日15:10に1話ずつ更新です。
この作品は小説家になろう様・カクヨム様・ノベルアッププラス様にも掲載しています。
異世界着ぐるみ転生
こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生
どこにでもいる、普通のOLだった。
会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。
ある日気が付くと、森の中だった。
誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ!
自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。
幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り!
冒険者?そんな怖い事はしません!
目指せ、自給自足!
*小説家になろう様でも掲載中です
人質王女の恋
小ろく
恋愛
先の戦争で傷を負った王女ミシェルは顔に大きな痣が残ってしまい、ベールで隠し人目から隠れて過ごしていた。
数年後、隣国の裏切りで亡国の危機が訪れる。
それを救ったのは、今まで国交のなかった強大国ヒューブレイン。
両国の国交正常化まで、ミシェルを人質としてヒューブレインで預かることになる。
聡明で清楚なミシェルに、国王アスランは惹かれていく。ミシェルも誠実で美しいアスランに惹かれていくが、顔の痣がアスランへの想いを止める。
傷を持つ王女と一途な国王の恋の話。
老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜
二階堂吉乃
ファンタジー
瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。
白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。
後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。
人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる