会社をクビになった私。郷土料理屋に就職してみたら、イケメン店主とバイトすることになりました。しかもその彼はーー

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】

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五章 深川めし

五章 深川めし(2)

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「で、これがなんだったんだ?」
「捨てるためにと、外に積んでいたものが床一面に散乱しておりました。これは、かき集めたものです」
「なんだそれ、雨に晒されて落ちでもしたのか?」
「……考えにくいですね。外とはいえ、前のフレンチ店との壁と壁の間でございますから風はありません。とたん屋根もつけてありますから」

じゃあ一体なにがあったのだろう。
簡単に想像がつくのは、動物や誰かがやった線だが、

「猫などはおりませんでした。当然、人もです。まぁこのような裏路地のさらに裏など、入ってくるもの好きはいないでしょう」
「強盗とかってことはないんですかね? 忍び込もうとしたら、引っ掛けちゃったとか」
「ないとは言えませんが……。わざわざこの店を狙うようなことはないでしょう。表通りにはもっと狙う利益のある店が軒を連ねています」

三人して頭を悩ますが、謎は解ける気配がなかった。むしろ貝殻の山の中に紛れていく。
そのうちに卓上のビールからはすっかり気が抜けて、泡がなくなっていた。そこで、店主は一旦の結論を出した。

「今日は店を閉めましょうか。もしなにか事件性があるとお客様にも危害が加わりかねません」
「警察に通報するのか?」
「いえ、そこまでするには足りないでしょう。お客様、大変申し訳ありませんが今日は今あるものを召し上がられたら、お帰りいただいてもよろしいでしょうか。お代はいただきませんゆえ」
「あ、あぁ」

達輝が若干戸惑い気味に、私へ視線をよこす。

もしかしたら本当に、彼はこの場で、江本さんの前で、告白の答えを求めるつもりだったのかもしれない。そうだとすれば、まさかの事件に思いがけず救われた格好になった。

達輝が店を出てから、外の札を「閉店中」へと裏返す。そもそも今日きた客は幼馴染一人だ。不要かとも思ったが念のため、臨時休業、と紙も張り出しておいた。

そのうえで、私と江本さんは、改めて貝殻を前にする。開店前は話せる気がしなかったけれど、今は明白な題目があった。

「なにか盗られたりはしなかったんですか?」
「はい。バカガイは殻だけでしたし、周りを見てみましたが、とくになにか盗まれたようなこともありませんでした。そもそもバカガイに中身があっても盗むようなものではありません。よく、鮭の腹を裂いてイクラだけを獲るという悪烈な行為がありますが、あれはそれだけの価値があるから行われるのです」

ということは、バカガイというのは比較的廉価な食材なのだろう。失礼だが、名前の印象もそうさせる。馬鹿、のことではないにしてもだ。

「ちなみにバカガイって、どうしてバカ……?」
「色々由来がありますが、今一番言われているのは、バカガイは殻を閉めることが少なく、斧足つまりは身体を出していることが多いのです。それがだらしなく見えるから、バカと」

「本当に、馬鹿の意味なんだ。……なんだか可哀想ですね」
「大衆の呼び方ですから。料理人からしても、この名前は客へ提供する時にどうしても語感が悪い。なのでバカガイの可食部分は雅な言い方で、青柳とも呼ばれております。
ですが、ここに残っているのは殻だけなので、紛れもなくバカガイです」

江本さんは貝殻を一つ拾い上げて言う。貝より、それを握った細くしなやかな指に目がいって、唾を飲んだ。それから、ううんそうじゃないと、私も貝に手を伸ばす。

するとたまたま拾い上げた殻の裏、「シ」とマジックで記してある。目を疑ったが、たしかに「シ」。

「江本さん!」

私はそれをお料理探偵に渡そうとする。手が触れかけて、少し上から放った。私がやられたら傷つくだろうな、と後から思った。だが、江本さんは

「……なるほど、こんなものが。なにかのメッセージということがあるかもしれませんね」

とこう呟くのみだった。全く気にされていないのも、身勝手とは分かりつつ少し辛い。

「一通り探してみましょうか」

江本さんは伏せているものが多かった貝殻を一つずつ返していく。私も、まずはそれに集中することにした。
全て裏を向けてみるのには、結構な時間を使った。けれど、無意味ではなかった。本当に他にも文字つきの貝殻がでてきたのだ。

それらの文字は、「ラ」と「チ」。並び変えてみて唯一意味が通じるのは、

「……ちらし?」
「それしか僕も思いつきません。ですが、ちらし寿司なのかポストに入ったチラシなのか」

江本さんは少しだけ眉を押さえた後、もしくは、と店の壁へ寄る。
ちょうど江本さんの肩の位置くらいに貼っていたメニュー表を、爪でテープを掻いてから、びっと剥がした。
私は、その位置にはっとする。


この店は昔、長い間空きテナントだった。
幼い頃の私はここを秘密の遊び場にしたこともある。時には友達や達輝、それから初恋の人とも訪れた。その時、ちょうどその位置に、落書きをしたことがあったのだ。今にしてみれば、とんだ迷惑行為だが、私にとっては、かけがえない思い出のひとつである。

でも、壁は全面すっかり白に張り替えられている。もうそこにはその字はないはずだ。

「貝の裏側に書かれていましたから、ちらしの裏かと考えたのですが、当たっていたようですね」

江本さんは左足を引いて、私に壁を見せる。目を見開いたまま、私はぽろっと握っていた貝を落としてしまった。
そこに書きつけられていた文字は、『オンナミセヤメロ』。

どう読んでも、脅迫するような一文だった。それも江本さんではなく、私に対してときた。

「……これは心穏やかにはなれませんね。一体誰がこんなことを。佐田さん、なにか心当たりは?」
「……いえ全く」
「そうですか。となると、店に入ったことのある人間であれば誰でも犯行は可能ということになりますね。もっとも現場にいた三人は除きますが」

 江本さんが眉間にしわを刻んで、重たい口ぶりで言う。
私は呆然としてしまって、返事をできなかった。

もし、私が昔ここに落書きしたのを知っての一連の犯行だとしたら。よぎっていたのは、こんな嫌な仮定だ。
もしそうなら、犯人は一人に絞られる。私以外にそこの落書きを知っているのは、初恋の人だけなのだから。それに、深川めしというのも引っかかった。

今になってなぜ、とか、いつの間に店を訪れていたのだろう、とか解けない命題が次々に生まれては脳裏をめぐる。頭には、もうべったり過去が張り付いていた。チラシのようには、簡単に剥がせない。

思い当たることがないわけでもなかった。私は、その彼を別れる最後の最後に裏切ったのだ。もしかしたら、たまたまこの店を訪れのうのうと働く私を見て、復讐として犯行を計画しなかったとも限らない。

「江本さんは気にしないでください」

努めて笑顔を心がけたが、声がわなわなと震える。後ろ手にきゅっと制服の裾を握った。でも、手汗が止まらない。嫌な幻想を振り払えない。

「今日はもう帰ります。私、誰だか考えとくので」

私は江本さんに一方的に突きつける。最低の態度だが、言葉にしただけでも精一杯だった。

「お待ちください、佐田さん」

しかし、江本さんは私を引き留める。

「……なんですか」
「犯人の狙いはあなたであることは間違いありません。ここに来ることで、万が一にも佐田さんに危険が及ぶのはよくない」

あぁ、なんだ。逆だったらしい。むしろ突き放されているようだ。

「来るなってことですか」
「少しの間だけの話でございます。この騒ぎが収まるまでは──」

私はここで江本さんの低い声を遮った。

分かりました。声にしたつもりだったが、彼に届いたかは私には分からない。
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