上 下
2 / 70
一章 開店直後に客足が伸びない?

2話 異動先・店舗円滑化推進部は曲者ぞろい?

しおりを挟む
     ♢

四月一日、朝九時、快晴。

外は、春真っ盛りといった陽気だった。

出社するときには、ブラウスの内側が汗ばんで、ついジャケットを脱いでしまったほど。

ほんの先週まで雪が降っていたのを、忘れそうになる暑さだった。

最近は季節の変わり目がはっきりしている。

三月までは冬で、四月からはくっきり春。
それを証明するかのごとく、ここ港区のビル群から少し歩いたところにある日比谷公園では、今日、桜が開花したそうだ。

異常気象のせいなのだろうが、新年度を迎えた今日、桜が咲くというのは、なんだかめでたい。
いい年になる予感がする。

少なくとも、そんな希望を抱いていた。

──ほんの五分前までは。

「うわぁ」思わず、木原希美は感嘆符を漏らす。

下の階から押してきた、荷物の入ったワゴンに乗りかかるように肘をつく。

立ち止まってしまったのは、希美にとっての新しい勤務室前だ。

ただ、目前に広がっているのは、むしろ跡地。そう形容する方が正しそうな、埃まみれの部屋である。

春うららかな外の華々しさとは対称的に、くすみきった光景だった。

会社のゆるキャラ・「ダッグスくん」が描かれたポスターが虚しさを助長する。
犬ではなく、なぜかデフォルトがジト目のアヒルだ。

思い起こされるは、「当日までには綺麗にしとくから」という総務社員の言葉。
ここは昨年度、つまり昨日までは、雑多なものを詰めておく倉庫だった。

前使用者が掃除まで担当するという話だったが、あれは口先だけだったらしい。


希美は、長いため息を一つ吐いて、短い前髪を耳の後ろへかき上げる。

それで、人を責めるのはやめにした。そもそも性に合わないのだ、そういうのは。


よし、と袖を絞って気合を入れる。

これは長年の癖だ。
陸上部にいた時などは、試合のたびにやっていて、よく友達に笑われた。

合図の銃が鳴って、スタートを切る気分。まだ誰もいない「新しい」勤務室に、希美は足を踏み入れた。


デスクとチェアーは、すでに据え付けてあった。

窓からもっとも遠い、めいっぱい廊下側が希美の席だ。

前にいた財務部でも、この位置だった。つまり廊下側=下っ端の席。三年目、今年で二十五になる希美は、新部署でももっとも歳が若い。となれば、掃除も仕事のうちだろう。


自分のデスク下にワゴンを収めると、ホウキと塵取りを両手持ちで掃除にかかる。

身長百六十、手の届かない高いところ以外は、念入りにやった。少しは部屋の見栄えが良くなったのだが、まだなにかが足りない。全体を俯瞰していて、気づいた。

他のフロアでは、すぐにどこの部署かと判別がつくよう、壁に部署名を掲げてあったのだ。希美は、A4のコピー用紙一枚につき一文字、その名前を記し、デカデカと貼り付けてやる。

『店舗円滑化推進部』。

それがこの春に中堅飲食店経営会社『ダッグダイニング』が立ち上げた新部署であり、希美の新規配属先であった。

我ながらなかなかの出来だろう。満足げに見つめていると、

「おー、早いなぁ木原くん。ごめんねぇ色々させて」
「あら部長。いいんですよ、掃除なんて若い子にさせておけば」

続けざまに二人、男女の先輩社員が、ワゴンを転がし入ってきた。

「おはようございます! 木原希美です! 今日からよろしくお願いします!」

早川(はやかわ)部長と、佐野(さの)課長だ。
一緒に仕事をするのはこれが初めてだが、事前の顔合わせはすでに済んでいたから顔は把握していた。
そして、あまり芳しくはない風聞もだ。

希美はそういった噂にとても疎い。基本的に興味もないのだが、前の部署にはやたらと詳しいお姉さま方(中には定年目前の人もいたが、敬意を込めて一括りにする)がいて、親切にも忠告をくれた。

彼女たちが言うに、『店舗円滑化推進部』は曲者揃いだそうだ。

「私の席は、あぁ、窓際だったな。よかったよ、ガジュマルが育つには最適だな」

まず早川部長は、「セミの抜け殻」。

五十代、男。肩書きのみで、仕事のできない役職者という意味を込めているらしいが……。

シワのいったシャツといい、白髪の混じった薄い髪といい、失礼だがたしかに抜け殻感はある。

「あら、このフロア。コーヒーサーバーはないのね」

佐野課長は、「くっつき虫」。

四十代、女。はっきりした化粧に、太い唇で、目つきがよくない。

命名理由は、とにかくよく喋り、いつも誰かと一緒にいるから、らしい。

思えば今日も早川部長にくっついてきている。古くから勤めていて、今では数少ない、店舗からの異動組だそうだ。

──そして、もう一人、この部署には先輩がいる。

こちらは、お姉さま方の中で、もっとも評判が割れた人物だ。

「すいません。少し遅れました」

ちょうどその人が現れる。「しだれ桜」と評されていたのが、ぱっと思い起こされた。

なるほど、と希美は合点がいく。

ゆるっとパーマがかった前髪、第二ボタンまで開いたシャツに、全開のジャケット。
安物ではない。

早川部長のものと比べるまでもなく質がいい。

身長百七十中盤頃の細身にぴったりフィットしているあたり、オーダーメイドだろうか。それをしなだれさせるように着崩して、なお格好がついているのだ。

切れ長の目に乗せた憂いが、けだるそうな雰囲気を醸していた。だがそれだけではなく、二十八という年齢にそぐわぬような、独特の風格も感じる。

鴨志田(かもしだ)蓮(れん)、それが彼の名前だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

付喪神、子どもを拾う。

真鳥カノ
キャラ文芸
旧題:あやかし父さんのおいしい日和 3/13 書籍1巻刊行しました! 8/18 書籍2巻刊行しました!  【第4回キャラ文芸大賞 奨励賞】頂きました!皆様のおかげです!ありがとうございます! おいしいは、嬉しい。 おいしいは、温かい。 おいしいは、いとおしい。 料理人であり”あやかし”の「剣」は、ある日痩せこけて瀕死の人間の少女を拾う。 少女にとって、剣の作るご飯はすべてが宝物のようだった。 剣は、そんな少女にもっとご飯を作ってあげたいと思うようになる。 人間に「おいしい」を届けたいと思うあやかし。 あやかしに「おいしい」を教わる人間。 これは、そんな二人が織りなす、心温まるふれあいの物語。 ※この作品はエブリスタにも掲載しております。

こちら、あやかし移住就職サービスです。ー福岡天神四〇〇年・お狐社長と私の恋ー

まえばる蒔乃
キャラ文芸
転職活動中のOL菊井楓は、何かと浮きやすい自分がコンプレックス。 いつも『普通』になりたいと願い続けていた。ある日、もふもふの耳と尻尾が映えたどう見ても『普通』じゃない美形お狐様社長・篠崎に声をかけられる。 「だだもれ霊力で無防備でいったい何者だ、あんた。露出狂か?」 「露出狂って!? わ、私は『普通』の転職希望のOLです!」 「転職中なら俺のところに来い。だだもれ霊力も『処置』してやるし、仕事もやるから。ほら」 「うっ、私には勿体無いほどの好条件…ッ」 霊力『処置』とは、キスで霊力を吸い上げる関係を結ぶこと。 ファーストキスも知らない楓は篠崎との契約関係に翻弄されながら、『あやかし移住転職サービス』ーー人の世で働きたい、居場所が欲しい『あやかし』に居場所を与える会社での業務に奔走していく。 さまざまなあやかしの生き方と触れ、自分なりの『普通』を見つけていく楓。 そして篠崎との『キス』の契約関係も、少しずつ互いに変化が…… ※ 土地勘や歴史知識ゼロでも大丈夫です。 ※ この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません

希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~

白い黒猫
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある希望が丘駅前商店街、通称【ゆうYOU ミラーじゅ希望ヶ丘】。 国会議員の重光幸太郎先生の膝元であるこの土地にある商店街はパワフルで個性的な人が多く明るく元気な街。 その商店街にあるJazzBar『黒猫』にバイトすることになった小野大輔。優しいマスターとママ、シッカリしたマネージャーのいる職場は楽しく快適。しかし……何か色々不思議な場所だった。~透明人間の憂鬱~と同じ店が舞台のお話です。 ※ 鏡野ゆうさんの『政治家の嫁は秘書様』に出てくる商店街が物語を飛び出し、仲良し作家さんの活動スポットとなってしまいました。その為に商店街には他の作家さんが書かれたキャラクターが生活しており、この物語においても様々な形で登場しています。鏡野ゆうさん及び、登場する作家さんの許可を得て創作させて頂いております。 コラボ作品はコチラとなっております。 【政治家の嫁は秘書様】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981 【希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々 】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/274274583/188152339 【日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232 【希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~】  https://ncode.syosetu.com/n7423cb/ 【希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376  【Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 【希望が丘駅前商店街~黒猫のスキャット~】  https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/813152283

あやかし警察おとり捜査課

紫音
キャラ文芸
 二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。 ※第7回キャラ文芸大賞・奨励賞作品です。

このたび、小さな龍神様のお世話係になりました

一花みえる
キャラ文芸
旧題:泣き虫龍神様 片田舎の古本屋、室生書房には一人の青年と、不思議な尻尾の生えた少年がいる。店主である室生涼太と、好奇心旺盛だが泣き虫な「おみ」の平和でちょっと変わった日常のお話。 ☆ 泣き虫で食いしん坊な「おみ」は、千年生きる龍神様。だけどまだまだ子供だから、びっくりするとすぐに泣いちゃうのです。 みぇみぇ泣いていると、空には雲が広がって、涙のように雨が降ってきます。 でも大丈夫、すぐにりょーたが来てくれますよ。 大好きなりょーたに抱っこされたら、あっという間に泣き止んで、空も綺麗に晴れていきました! 真っ白龍のぬいぐるみ「しらたき」や、たまに遊びに来る地域猫の「ちびすけ」、近所のおじさん「さかぐち」や、仕立て屋のお姉さん(?)「おださん」など、不思議で優しい人達と楽しい日々を過ごしています。 そんなのんびりほのぼのな日々を、あなたも覗いてみませんか? ☆ 本作品はエブリスタにも公開しております。 ☆第6回 キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました! 本当にありがとうございます!

小児科医、姪を引き取ることになりました。

sao miyui
キャラ文芸
おひさまこどもクリニックで働く小児科医の深沢太陽はある日事故死してしまった妹夫婦の小学1年生の娘日菜を引き取る事になった。 慣れない子育てだけど必死に向き合う太陽となかなか心を開こうとしない日菜の毎日の奮闘を描いたハートフルストーリー。

処理中です...