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第六十九話

𓍢𓈖𓅓𓇌𓇋〜抗い〜

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 アヌビスが目を覚ましたのは、あれから数時間後の事だった。覚め切らない頭を無理やり動かし、周囲を見渡す。薄暗い事に変わりはないが、あの地下とは明らかに違う陰湿な空気が漂っていた。
 
 視界が鮮明になると、アヌビスは自分の置かれた状況を正確に理解する。目の前には鉄の格子。そして鎖の擦れる音がアヌビスを絶望の淵へと叩き落とした。

 重りが繋がった仰々しい拘束具をアヌビスは力任せに引っ張る。だが案の定、その鎖が千切れる事はなかった。

 力が駄目ならと、今度は魔術での破壊を試みる。しかしそれらを試す前に激しい脱力感に襲われアヌビスはその場に項垂れた。

 何だ、これは——。

 まるで生気を吸い取られているような感覚にアヌビスは怖気立った。神の力をも封じる魔具がこの世に存在するなんて。

 遠くの方で物音がして、アヌビスは動きを止めその音に耳を澄ませる。徐々に近づいてくるそれは誰かの足音だ。そうして目の前に現れた人物にアヌビスは唖然とした。

「お前……!」
 アヌビスは彼を見るなりその顔を思い切りねめつける。拘束されていなければ、間違いなくその顔面を容赦なく殴りつけていただろう。

「誤解ですよアヌビス様。あの場はああするしかなかったのです。私は貴方を守る為に——」
「じゃあ今すぐこの拘束を解け。でなければお前を殺す」

 殺気立つアヌビスを諌めるようにエゼルは目の前で人差し指を立て、自身の口元に押し当てた。

「殺すも何も、今の貴方じゃ私に触れる事すらできませんよ。計画がバレたら私も貴方もおしまいです。私と貴方は無関係。それを証明する為に一発殴らせて頂きました」

 心なしか楽しそうな彼を見て、アヌビスの中に再び怒りが込み上げる。

「とはいえ状況は良くありません。貴方が影で謀反を企てている事を陛下に知られてしまった。いえ、もしかしたら始めから知っていたのかも」
「御託はいい。それより計画を——」

 ガチャン、と扉が開く音がして、アヌビスは再び身構える。エゼルが何食わぬ顔で歩き去った後、入れ替わるようにしてその男が姿を現した。

「悲しいなアヌビス。イシスの次は俺を裏切るのか」

 檻の鍵を開け、力なく座り込むアヌビスの目の前でしゃがみ込んだ男は悲哀の表情を浮かべた。

「裏切る? 端から信用などしていなかっただろ。じゃなきゃ今ここにお前はいない。裁判を抜け出してまで俺を殺そうとしたのは——」
「よく分かってるじゃないか。だがそこまで頭が回るお前でも、弟の命までは守れなかった」

「殺す! お前をこの手で!」
 鎖が大きな音を立ててしなる。その体がキリキリと痛み、悲鳴を上げるのも構わずアヌビスは目の前の男に食ってかかった。

「この状況で殺されるのはお前の方だと思うがな」
 そう言ってセトは無表情のまま拳を振りかぶった。

「ッ——」
 目の前に火花が飛ぶ。痛みが顔面全体に広がり、口の中で血の味がした。しかし多くを失ったアヌビスにとって、もはや痛みなどどうでもよかった。

 口内に残った血を吐き出し、アヌビスは再びセトを睨みつける。

「……お前は……この国の王じゃない。真の王はオシリスだ」
 その言葉にセトはピクリと眉を動かす。

「……お前は父から王座を奪い取った、ただの反逆者だ!」
 言葉を遮るように再びセトの拳が飛ぶ。
 
 アヌビスは痛みに顔を歪ませながら言葉を続ける。今までの鬱憤を晴らすかの如く、その罵倒は止まらない。

「……お前がいくら暴力でその座を奪い取ろうと……父は名君であり続け、人々、そして神々の心に残り続ける。その事実は父を殺したとて消し去ることは出来ない」
 
 家族を殺され、殴られ、その尊厳が踏みにじられようと、まるで戦意を失わない青年の強かさにセトは初めて恐怖を覚えた。

「何とでも言うがいい。どの道お前の命運もここまでだ。あいつは一体どんな顔で見るのだろうな。息子が死んでいく様を」

 セトは母の目の前で自分を殺る気なのだ。アヌビスは母の顔を思い浮かべ、それから父と弟の顔を思い浮かべる。

「執行は明日だ。せいぜい余生を楽しむがいい」
 
 残酷な宣告に頭の中が真っ白になる。日の当たらぬこの場所ではそのタイムリミットさえも把握は困難だ。計画を実行するにはあまりにも悪条件だった。

「これで俺も『さよなら』か」
 セトの背中を見送りながらアヌビスはそっと呟いた。
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