73 / 91
第六十九話
𓍢𓈖𓅓𓇌𓇋〜抗い〜
しおりを挟む
アヌビスが目を覚ましたのは、あれから数時間後の事だった。覚め切らない頭を無理やり動かし、周囲を見渡す。薄暗い事に変わりはないが、あの地下とは明らかに違う陰湿な空気が漂っていた。
視界が鮮明になると、アヌビスは自分の置かれた状況を正確に理解する。目の前には鉄の格子。そして鎖の擦れる音がアヌビスを絶望の淵へと叩き落とした。
重りが繋がった仰々しい拘束具をアヌビスは力任せに引っ張る。だが案の定、その鎖が千切れる事はなかった。
力が駄目ならと、今度は魔術での破壊を試みる。しかしそれらを試す前に激しい脱力感に襲われアヌビスはその場に項垂れた。
何だ、これは——。
まるで生気を吸い取られているような感覚にアヌビスは怖気立った。神の力をも封じる魔具がこの世に存在するなんて。
遠くの方で物音がして、アヌビスは動きを止めその音に耳を澄ませる。徐々に近づいてくるそれは誰かの足音だ。そうして目の前に現れた人物にアヌビスは唖然とした。
「お前……!」
アヌビスは彼を見るなりその顔を思い切りねめつける。拘束されていなければ、間違いなくその顔面を容赦なく殴りつけていただろう。
「誤解ですよアヌビス様。あの場はああするしかなかったのです。私は貴方を守る為に——」
「じゃあ今すぐこの拘束を解け。でなければお前を殺す」
殺気立つアヌビスを諌めるようにエゼルは目の前で人差し指を立て、自身の口元に押し当てた。
「殺すも何も、今の貴方じゃ私に触れる事すらできませんよ。計画がバレたら私も貴方もおしまいです。私と貴方は無関係。それを証明する為に一発殴らせて頂きました」
心なしか楽しそうな彼を見て、アヌビスの中に再び怒りが込み上げる。
「とはいえ状況は良くありません。貴方が影で謀反を企てている事を陛下に知られてしまった。いえ、もしかしたら始めから知っていたのかも」
「御託はいい。それより計画を——」
ガチャン、と扉が開く音がして、アヌビスは再び身構える。エゼルが何食わぬ顔で歩き去った後、入れ替わるようにしてその男が姿を現した。
「悲しいなアヌビス。イシスの次は俺を裏切るのか」
檻の鍵を開け、力なく座り込むアヌビスの目の前でしゃがみ込んだ男は悲哀の表情を浮かべた。
「裏切る? 端から信用などしていなかっただろ。じゃなきゃ今ここにお前はいない。裁判を抜け出してまで俺を殺そうとしたのは——」
「よく分かってるじゃないか。だがそこまで頭が回るお前でも、弟の命までは守れなかった」
「殺す! お前をこの手で!」
鎖が大きな音を立ててしなる。その体がキリキリと痛み、悲鳴を上げるのも構わずアヌビスは目の前の男に食ってかかった。
「この状況で殺されるのはお前の方だと思うがな」
そう言ってセトは無表情のまま拳を振りかぶった。
「ッ——」
目の前に火花が飛ぶ。痛みが顔面全体に広がり、口の中で血の味がした。しかし多くを失ったアヌビスにとって、もはや痛みなどどうでもよかった。
口内に残った血を吐き出し、アヌビスは再びセトを睨みつける。
「……お前は……この国の王じゃない。真の王はオシリスだ」
その言葉にセトはピクリと眉を動かす。
「……お前は父から王座を奪い取った、ただの反逆者だ!」
言葉を遮るように再びセトの拳が飛ぶ。
アヌビスは痛みに顔を歪ませながら言葉を続ける。今までの鬱憤を晴らすかの如く、その罵倒は止まらない。
「……お前がいくら暴力でその座を奪い取ろうと……父は名君であり続け、人々、そして神々の心に残り続ける。その事実は父を殺したとて消し去ることは出来ない」
家族を殺され、殴られ、その尊厳が踏みにじられようと、まるで戦意を失わない青年の強かさにセトは初めて恐怖を覚えた。
「何とでも言うがいい。どの道お前の命運もここまでだ。あいつは一体どんな顔で見るのだろうな。息子が死んでいく様を」
セトは母の目の前で自分を殺る気なのだ。アヌビスは母の顔を思い浮かべ、それから父と弟の顔を思い浮かべる。
「執行は明日だ。せいぜい余生を楽しむがいい」
残酷な宣告に頭の中が真っ白になる。日の当たらぬこの場所ではそのタイムリミットさえも把握は困難だ。計画を実行するにはあまりにも悪条件だった。
「これで俺も『さよなら』か」
セトの背中を見送りながらアヌビスはそっと呟いた。
視界が鮮明になると、アヌビスは自分の置かれた状況を正確に理解する。目の前には鉄の格子。そして鎖の擦れる音がアヌビスを絶望の淵へと叩き落とした。
重りが繋がった仰々しい拘束具をアヌビスは力任せに引っ張る。だが案の定、その鎖が千切れる事はなかった。
力が駄目ならと、今度は魔術での破壊を試みる。しかしそれらを試す前に激しい脱力感に襲われアヌビスはその場に項垂れた。
何だ、これは——。
まるで生気を吸い取られているような感覚にアヌビスは怖気立った。神の力をも封じる魔具がこの世に存在するなんて。
遠くの方で物音がして、アヌビスは動きを止めその音に耳を澄ませる。徐々に近づいてくるそれは誰かの足音だ。そうして目の前に現れた人物にアヌビスは唖然とした。
「お前……!」
アヌビスは彼を見るなりその顔を思い切りねめつける。拘束されていなければ、間違いなくその顔面を容赦なく殴りつけていただろう。
「誤解ですよアヌビス様。あの場はああするしかなかったのです。私は貴方を守る為に——」
「じゃあ今すぐこの拘束を解け。でなければお前を殺す」
殺気立つアヌビスを諌めるようにエゼルは目の前で人差し指を立て、自身の口元に押し当てた。
「殺すも何も、今の貴方じゃ私に触れる事すらできませんよ。計画がバレたら私も貴方もおしまいです。私と貴方は無関係。それを証明する為に一発殴らせて頂きました」
心なしか楽しそうな彼を見て、アヌビスの中に再び怒りが込み上げる。
「とはいえ状況は良くありません。貴方が影で謀反を企てている事を陛下に知られてしまった。いえ、もしかしたら始めから知っていたのかも」
「御託はいい。それより計画を——」
ガチャン、と扉が開く音がして、アヌビスは再び身構える。エゼルが何食わぬ顔で歩き去った後、入れ替わるようにしてその男が姿を現した。
「悲しいなアヌビス。イシスの次は俺を裏切るのか」
檻の鍵を開け、力なく座り込むアヌビスの目の前でしゃがみ込んだ男は悲哀の表情を浮かべた。
「裏切る? 端から信用などしていなかっただろ。じゃなきゃ今ここにお前はいない。裁判を抜け出してまで俺を殺そうとしたのは——」
「よく分かってるじゃないか。だがそこまで頭が回るお前でも、弟の命までは守れなかった」
「殺す! お前をこの手で!」
鎖が大きな音を立ててしなる。その体がキリキリと痛み、悲鳴を上げるのも構わずアヌビスは目の前の男に食ってかかった。
「この状況で殺されるのはお前の方だと思うがな」
そう言ってセトは無表情のまま拳を振りかぶった。
「ッ——」
目の前に火花が飛ぶ。痛みが顔面全体に広がり、口の中で血の味がした。しかし多くを失ったアヌビスにとって、もはや痛みなどどうでもよかった。
口内に残った血を吐き出し、アヌビスは再びセトを睨みつける。
「……お前は……この国の王じゃない。真の王はオシリスだ」
その言葉にセトはピクリと眉を動かす。
「……お前は父から王座を奪い取った、ただの反逆者だ!」
言葉を遮るように再びセトの拳が飛ぶ。
アヌビスは痛みに顔を歪ませながら言葉を続ける。今までの鬱憤を晴らすかの如く、その罵倒は止まらない。
「……お前がいくら暴力でその座を奪い取ろうと……父は名君であり続け、人々、そして神々の心に残り続ける。その事実は父を殺したとて消し去ることは出来ない」
家族を殺され、殴られ、その尊厳が踏みにじられようと、まるで戦意を失わない青年の強かさにセトは初めて恐怖を覚えた。
「何とでも言うがいい。どの道お前の命運もここまでだ。あいつは一体どんな顔で見るのだろうな。息子が死んでいく様を」
セトは母の目の前で自分を殺る気なのだ。アヌビスは母の顔を思い浮かべ、それから父と弟の顔を思い浮かべる。
「執行は明日だ。せいぜい余生を楽しむがいい」
残酷な宣告に頭の中が真っ白になる。日の当たらぬこの場所ではそのタイムリミットさえも把握は困難だ。計画を実行するにはあまりにも悪条件だった。
「これで俺も『さよなら』か」
セトの背中を見送りながらアヌビスはそっと呟いた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
消された過去と消えた宝石
志波 連
ミステリー
大富豪斎藤雅也のコレクション、ピンクダイヤモンドのペンダント『女神の涙』が消えた。
刑事伊藤大吉と藤田建造は、現場検証を行うが手掛かりは出てこなかった。
後妻の小夜子は、心臓病により車椅子生活となった当主をよく支え、二人の仲は良い。
宝石コレクションの隠し場所は使用人たちも知らず、知っているのは当主と妻の小夜子だけ。
しかし夫の体を慮った妻は、この一年一度も外出をしていない事は確認できている。
しかも事件当日の朝、日課だったコレクションの確認を行った雅也によって、宝石はあったと証言されている。
最後の確認から盗難までの間に人の出入りは無く、使用人たちも徹底的に調べられたが何も出てこない。
消えた宝石はどこに?
手掛かりを掴めないまま街を彷徨っていた伊藤刑事は、偶然立ち寄った画廊で衝撃的な事実を発見し、斬新な仮説を立てる。
他サイトにも掲載しています。
R15は保険です。
表紙は写真ACの作品を使用しています。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
特殊捜査官・天城宿禰の事件簿~乙女の告発
斑鳩陽菜
ミステリー
K県警捜査一課特殊捜査室――、そこにたった一人だけ特殊捜査官の肩書をもつ男、天城宿禰が在籍している。
遺留品や現場にある物が残留思念を読み取り、犯人を導くという。
そんな県警管轄内で、美術評論家が何者かに殺害された。
遺体の周りには、大量のガラス片が飛散。
臨場した天城は、さっそく残留思念を読み取るのだが――。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
VIVACE
鞍馬 榊音(くらま しおん)
ミステリー
金髪碧眼そしてミニ薔薇のように色付いた唇、その姿を見たものは誰もが心を奪われるという。そんな御伽噺話の王子様が迎えに来るのは、宝石、絵画、美術品……!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる