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第六十二話

𓎼𓇋𓊃𓇌𓈖〜偽善〜

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 半ば強制的に長老の家へと招かれたホルスは緊張した面持ちで入り口の前に立った。日干しレンガで作られた白亜色の巨大な邸宅。さすがは長の家といった所か、村人の住むそれとは比べものにならない程の豪邸だ。火の元から離れていたからだろうか。村の悲惨な状況とは裏腹にこの家だけは綺麗な状態を保っていた。

「こちらです」
 使いの男が指し示す建物の前には、天に向かって伸びる二本のオベリスクが建っている。

 なるほど絶大な権力とはこういう事か。この村で長老というのは神と同等の権力を持つ。仰々しくそびえ立つそれらにホルスは苦笑し、同時にサヌラが言っていた事の意味を理解した。

 ホルスが建物に足を踏み入れようとすると、使いの男がすかさず制止する。

「その前にまずこちらで身を清めて頂きます」

 どこかで聞いた事のある台詞にホルスは苦笑する。確かに煤で汚れたこの体で彼に会うのはさすがに忍びない。ホルスは大人しく彼に従った。

 水で汚れを落とした後元の場所に戻ってくると、今まで着ていた衣服は没収され、代わりに別の服を渡される。

 この肌触り。神官の服にも使われる亜麻リネンで織られた上等なものだ。普段越布シェンティのみ着用しているホルスからすれば全身を覆うその服には随分と違和感があった。

 ホルスはそれに仕方なく袖を通し、待機していた女性から傷の手当を受ける。こちらをじっと見つめ、微笑む女性。かと言ってこちらが話しかけても言葉を発しない彼女の態度がどうも気になったが、ホルスはされるがまま治療を受けた。

 身なりを整えたホルスはようやく長老の待つ広間へと案内された。広間の奥に数人の侍従を侍らせ鎮座する男。薄気味悪い笑みを浮かべ、まるで品定めでもするようにこちらをじっと見つめている。

「よく来てくれたホルスよ。さあ座るといい」
 長老に言われるままホルスは用意された椅子に腰を下ろす。

「儂がこの村の長老であり村長じゃ。何か分からぬ事があれば遠慮なく聞くといい」

 長老はそう言って微笑んだが、ホルスにはその笑顔が何故か受け入れられなかった。それにこの村の長であるなら有事の際にはいち早く現場に向かい、指揮をとるべきだろう。だが今回の火災で彼の姿は見当たらなかった。

「今回の火事で村の大半が焼けちまった。家族を亡くして立ち直れねえ奴もいる。こんな立派な家があるなら俺よりも村の人達に住処を提供してやってくれないか」
 ホルスの言葉に侍従達は息を呑む。

「――うむ。そうだな、考えておこう。だが今回村を救ったのはお主じゃ。儂は村を代表してその礼がしたい。それだけじゃ。……何か不満でも?」

「いや、そういう訳じゃ……」
 やはりこの男一筋縄ではいかないようだ。これ以上追及してもこの男の機嫌を損ねるだけ。仕方なくホルスは押し黙った。

 ホルスがふと部屋の奥に目をやると、二人の男と目が合った。彼らは床に座らされ、両手を後ろ手に縛られた状態で恨めしそうにこちらを見つめている。何だかばつが悪くなったホルスは男達からすぐに目を逸らした。

「あやつらは見ての通り罪人よ。昨夜の火事もあの男共の仕業。火を放ったのち、闇夜に紛れて村から出て行こうとしたのを捕まえたのじゃ」

 長老はまるで自分の手柄でもあるかの様に誇らしげにそう言って、再びホルスの方を見やる。

「どうじゃお主、儂の下につかんか」
「えっ……?」
 突然の提案にホルスは目を瞬かせる。

「何も難しい事はない。ただ儂のそばで身の回りの世話をしてくれれば良いのじゃ」
「いや、俺は——」

 そんな事をしてる場合じゃない。一刻も早く天界に戻り、セトを倒さねばならない。それにアヌビスの事だって――。

 そんな事の為にここに来た訳じゃないのだ。ホルスは長老の誘いをやんわりと断り、早々に席を立とうとするホルスを長老が呼び止める。

「——分かった。だが今日はもう遅い。一晩だけでも泊まっていきなさい」

 周りを取り囲む侍従達の視線。長老の熱意に押し負け、ホルスは結局ここに一晩留まる事を余儀なくされた。

 その後すぐに部屋を当てがわれ、ホルスはすぐにベッドに横になった。やはり人間は体力の消耗が激しい。体は疲れているのに、今日の惨劇が頭から離れない。まるで本当の息子のように接してくれたタリク。その父親を亡くし、憔悴するサヌラ。そして救いきれず家族を失った村人達。彼らの事を思うと、とても眠る気分にはなれない。

「眠れないの?」
 突然響くその声にホルスはすぐさま起き上がる。

「あんたは確か……」
 目線の先にいたのは先程怪我の手当てをしてくれたあの女性だった。白い肌に切れ長の目。エキゾチックな雰囲気を持つ彼女はその口元に妖艶な笑みを浮かべ、ホルスに近づいた。

「じゃあ私がよく眠れるおまじないをかけてあげる」
 そう言って彼女はホルスの胸を押し、その体をベッドに押し戻す。疲労がピークに達していた事もあり、状況を飲み込めぬままホルスは彼女に身を委ねた。

 彼女の手が胸から鎖骨、そして首元へと伸びた瞬間、ホルスは身を強張らせる。

「——ッ」
 突然、女とは思えない力で首を締め上げられ、ホルスは思わず彼女の手を掴む。

 何て力だ。
 首に絡みつく手を剥がそうとしてもびくともしない。

「アブドラ様の申し出を断ったお前はもう用済みだ」
 先程とは打って変わり、女は鬼のような形相でホルスに迫る。

 このままじゃ本当に殺される。
 命には代えられないとホルスは彼女の腹を思い切り蹴り上げた。

 突き飛ばされた女は呻き声を上げ腹を抱えながらこちらを睨みつける。だが一度仕留め損なえば勝ち目はない。女もそれを理解していた。彼女はよろけながら立ち上がり、そそくさとその場を走り去っていった。

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