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第二十二話

𓈖𓄿𓊃𓍯𓈖𓍯𓍯𓏏𓍯𓎡𓍯〜謎の男〜

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 誰もいない。でも確かに聞こえるのだ。朗らかな老人の声が。

「ここじゃここ!」
 声を頼りにやっとその姿を捉えたホルスはその姿にぎょっとした。子供の背丈程の老人がじっとこちらを見上げていたのだ。唖然とするホルスを見て、老人は朗らかに笑った。

「わしの姿がそんなに奇妙かの? これでも一応神なんじゃが」

「……本当かよ」
 ホルスが疑いの目を向けると老人は自慢げに胸を張った。

「わしはベスという。これでも人間達、特に民衆からは魔除けと戦闘の神として崇められておるのじゃぞ」
「……戦闘って体じゃねえけどな」

 ホルスはしゃがみ込んでその太鼓腹をつつく。同じ戦闘の神とはいえ、セトやセべクとは随分印象が違う。だが庶民に愛される神とは案外こういう素朴さを持っているものなのかもしれない。

「とにかくおぬし、名は何という?」
 ベスは呼び名に困ってホルスを見上げた。

「アヌ、兄が家出しちまって今探してるとこ」
「家出とは。喧嘩でもしたかの。まぁほとぼりが冷めたらそのうち帰って来るじゃろ」

 楽観的なベスの言葉にホルスは顔を曇らせる。

「いや、喧嘩とかそんな単純な話じゃねえんだ」
 事の他深刻な顔つきのホルスに事情を察した彼は顎に手を当てて唸った。

「何があったのかワシに話してみる気はないか? そうじゃ、ちょっと神頼みするくらいの気持ちでの。もしかしたら何か道が開けるかもしれんぞ?」

 ベスはそう言ってホルスの顔を覗き込む。その真っ直ぐな瞳に毒気を抜かれて、ホルスは思わず頬を緩めた。彼になら話してもいい、そう思えたのだ。

 ホルスの話を一通り聞いたベスは、まるで何かを思い出したかのように人差し指を立てた。

「おぬし、神官がいなくなったと言ったが、実は昨日ある男を見かけての。随分と青白い顔をしておったから声を掛けたんじゃ」

「そいつが事件とどんな関係があるんだ?」
 眉をひそめるホルスにベスはまあ聞け、と言ってその場に腰を下ろす。

「ワシと同じ豹の毛皮を着ておった」
 そしてベスはこちらにずいと近づき、まるで怪談でもするかの如く囁いた。

「しかも信じられない事にその男、一度死んだのだと言う」
 
 まさか、と思った。生き返るなど、神の力を待ってしても不可能だ。
 それに豹の毛皮といえば——。
 ホルスの頭の中にセム神官の顔が浮かび、全身から一気に血の気が引いていくのが分かった。彼は首を切られ、目の前で息絶えたのだ。この国の暴君によって。

「男は経緯を語りたがらなかったが、ワシが思うにあれは太陽神ラーの神官じゃろう。奴は一日の内で生命の循環サイクルを体現する。朝に生まれ、夜に死ぬ。その性質は太陽そのものじゃ。悪趣味じゃが、それをやってのけるのも強大な力を持つ奴くらいなものじゃ」
「じゃあ奴はその能力を使って神官を生き返らせたって事か?」
「断定はできんがその可能性は十分にあるの」

 一体何の為に?
 しかしどんな理由があろうとそのような行為は許されるものではない。命を奪ったセトも、その命を弄ぶラーもホルスは許せなかった。

 そしてそれは同時にあのペクトラムがラーのものであるという証明でもあった。だが実際の所、ホルスは太陽神ラーには会ったこともなければ神殿に行った記憶すらない。それが分かった所で解決どころかその謎は深まるばかりだ。

「どういう流れか分からねえけどそいつ、あそこでバステトを匿ってた。それに勘付いたセトに殺されたんだ。でも俺は……何も出来なかった」
 己の不甲斐なさにホルスは俯き、それを見たベスが呟く。

「うむ……。事は思ったよりも深刻なようじゃの。セトやバステトまでも関わっておるとは。じゃがその男、こうも言っておった。『約束の地にて祈りを捧げなければならない。我が同志と共に』」
「約束の地? 同志?」
 まるで聞き覚えのない言葉にホルスは首を傾げる。

「お前が採石場で神官達を見かけたのは、その先にある約束の地、つまり原初の丘ベンベンを目指していた故ではないかとわしは思う。あそこは創造神であるアトゥム、つまり彼と習合したラーが初めて降り立った場所だからな。そう考えると奴がやろうとしている事も粗方見当がつく」
「やろうとしている事?」
「わしら神にとってその力を強め、また維持する為に最も重要なものは何か、おぬしも知っておろう?」

 それは浅学なホルスの頭の中にも入っている常識である。

「人間の信仰心とか祈りだろ?」
 それが何だと言わんばかりにホルスはベスを見た。確かに祈りを捧げるという意味では神官を連れていくのが最適だとは思うが、やり方があまりにも短絡的だ。

「そうじゃ。無理やりそんな事をさせて効果があるかと言われると怪しいものじゃが、例え付け焼刃であっても力を求めたという事は、何かやむおえぬ事情があったのかもしれん」
「でも創造神だし、信仰心なんて誰よりも集めてる筈だろ? 今更そんな事しなくたって……」

 その疑問はもっともだった。この国で最も力を持っているのは他でもない彼なのだ。

「うむ……。奴の事情に関してはもっと調べてみぬと分からぬ所じゃな」
「じゃあ今すぐ行かねえと。そのベンベンとかいう場所に」

 ホルスが飛び立とうとするのをベスが止める。

「おぬし場所は知っておるのか? それにあそこはラーの許可がなければ立ち入れぬ神聖な場所じゃ。今わしらがそこへ向かったとて受け入れてはもらえんじゃろう」
「でも早くしねえと神官達が……それに兄だって」
 
 ホルスの言葉にベスは少し考え込んでから口を開いた。

「おぬし、トトに会ってみんか?」
「トト?」

 会話の流れとまるでかけ離れた提案にホルスは困惑する。

「あやつなら解決策を導き出せるかもしれん。それに——」
 ベスはそう言って切り株の上に飛び乗るとホルスの肩に手を置いて微笑んだ。

「お主の話を聞いておるとその兄とやら、なかなか考えのある者に見える。そやつが一時の感情だけで出て行ったとは到底思えん。どうじゃ、ここは彼を信用して少し待ってみるというのは。出て行った者を無理やり連れ戻すのは簡単ではないし、得策とも思えん」

 確かに、何の手がかりもない状態から憶測ではあるが少しずつ全貌が掴めてきた。その男に会えば何か解決策が見つかるかもしれない。

 一人で突っ走るのはもうやめにしよう。
 ホルスはベスの提案にゆっくりと頷いた。

***

 冷静に問答を繰り返していたセトは立ち上がり、一貫して感情の読めないアヌビスに詰め寄る。その形相に周りの神官達は震え上がった。

「それではまるで答えになっていないぞアヌビス。その程度の理由で俺の元へ来たと? 何故この国の王である俺がまだ神上がってもいない、しかもオシリスの息子を召し上げなきゃならない? 兄弟喧嘩なら他所でやれ」

 アヌビスは心の中でため息をつく。この男に生半可な言葉は通用しない。

「分かりました。そこまで信用できないと仰るなら」

 一瞬、弟の顔が脳裏を掠める。アヌビスはそれを振り切り、真っ直ぐ前を見据えた。

 ……悪いなホルス。俺はもう戻れない。
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