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第十八話

𓅱𓄿𓎡𓄿𓂋𓇌𓅓𓇋𓏏𓇋〜二つの道〜

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「アヌビス!」

 神殿に戻ったホルスは真っ先に兄の名を呼ぶ。そしてそのまま部屋の中に踏み込もうとしたホルスの足に何かが接触した。瞬間、バチっと音を立てて火花が飛び、何か熱いものに触れたような衝撃がホルスを襲う。見えない壁に阻まれ、ホルスはこれが結界である事を理解した。

 しかし遺体を守る為とはいえ少し厳重すぎやしないだろうか。

「アヌビス! 話がある! ここを開けてくれ!」

 ホルスは痺れのおさまらない片足をぶらぶらと振りながら再度呼びかけるが一向に応答はない。考え事をしているのか、時折ぶつぶつと呟くような声が聞こえてくるだけだ。

 そっちがその気ならとホルスは壁に背を預けるようにして腰を下ろす。意地の張り合いとでも言うべきか、互いに口を聞かぬまま数時間が経過した。

 やがて日が沈み、冷たい夜風がホルスの髪をさらう。いつまでもこうしている訳にはいかない。そうして燭台の火が灯り始めた頃、結局口火を切ったのはホルスの方だった。

「なぁ。起きてるか?」
 当然の如く返事はないが、ホルスは構わず続けた。

「覚えてるか? 俺とお前が初めて喧嘩した時の事。いや、険悪になった事は何度もあったけど。普段やり返さねえお前が一回だけブチギレて俺に大掛かりな罠を仕掛けた事があっただろ? でけえ落とし穴からやっと脱出できたと思ったら次の仕掛けが作動していつまで経っても抜け出せなくて。お前は部屋で寝てたけど俺はそこから脱出するのに三日かかったんだからな」

「……自業自得だ」

 全くの正論にホルスは苦笑した。だが思ったより声が近い。もしかしたら彼も壁の前にいるのかもしれないとホルスは思った。

「俺本当は嬉しかったんだ。ほら、お前ってあんま本音言わねえタイプだし、俺みたいに顔に出る事もないだろ? でもあの時は違う。お前の中の怒りを、本音を聞けたような気がしたんだ。……手の掛かる弟で悪い」

 長い沈黙が訪れ、ホルスはアヌビスが本当に寝てしまったのだと思った。その心にわだかまりを残しながらホルスは仕方なく腰を上げる。

「なぁホルス。もし俺が——」
 アヌビスが何かを言い掛け、すぐに口を噤む。数秒間、二人の間には妙な沈黙が流れた。

「アヌビス?」
「……いや、何でもない」

 眩い朝日が辺りを照らす頃、ホルスは神殿に差し込んだ光でようやく目を覚ました。どうやら眠ってしまったらしい。寝ぼけていたのか、昨夜アヌビスと話した後の記憶が全くない。

 彼はまだ籠城するつもりなのだろうか。互いの性格は真逆ではあるものの、その頑固さは間違いなく血を分けた兄弟のそれだ。ホルスは改めて部屋の中のアヌビスに問いかける。

「アヌビス、いい加減に……」
 強行突破も辞さない覚悟で腕を振り上げたが、その拳は入り口をあっさりと通り抜けた。
  
 結界が消えている。その事実にホルスは内心ほっとした。一晩空け、互いに冷静さを取り戻せばほとぼりも冷める、そう思っていたのだ。

「……アヌビス?」

 だが部屋の奥へと進んだホルスの目に映ったのはその期待を見事に裏切るものだった。

 そこにアヌビスの姿はない。彼が必死に守ろうとしていたメリモセの遺体も、忽然と消えていた。その代わり、空のベッドには別のものが置かれている。

 金の腕輪。これは兄弟それぞれが父の形見として母から受け取ったもので、ナイルでホルスがなくしかけたあの腕輪のいわば片割れである。

 こんな大事なものを置いて一体どこへ行ってしまったのか。これが何かのメッセージだとしても、これが好意的なものだとは到底思えなかった。

 ホルスは言いようのない不安に駆られる。誰かに連れ去られた可能性はないか。だがそれならば腕輪を外す必要はない。

 いずれにせよ今のホルスにそれらを真剣に考える余裕はなかった。ただ兄が消えたという事実だけがその心に深く突き刺さる。

 ホルスはただ呆然と、そのを眺める事しか出来なかった。
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