20 / 86
第十八話
𓅱𓄿𓎡𓄿𓂋𓇌𓅓𓇋𓏏𓇋〜二つの道〜
しおりを挟む
「アヌビス!」
神殿に戻ったホルスは真っ先に兄の名を呼ぶ。そしてそのまま部屋の中に踏み込もうとしたホルスの足に何かが接触した。瞬間、バチっと音を立てて火花が飛び、何か熱いものに触れたような衝撃がホルスを襲う。見えない壁に阻まれ、ホルスはこれが結界である事を理解した。
しかし遺体を守る為とはいえ少し厳重すぎやしないだろうか。
「アヌビス! 話がある! ここを開けてくれ!」
ホルスは痺れの治まらない片足をぶらぶらと振りながら再度呼びかけるが一向に応答はない。考え事をしているのか、時折ぶつぶつと呟くような声が聞こえてくるだけだ。
そっちがその気ならとホルスは壁に背を預けるようにして腰を下ろす。意地の張り合いとでも言うべきか、互いに口を聞かぬまま数時間が経過した。
やがて日が沈み、冷たい夜風がホルスの髪をさらう。いつまでもこうしている訳にはいかない。そうして燭台の火が灯り始めた頃、結局口火を切ったのはホルスの方だった。
「なぁ。起きてるか?」
当然の如く返事はないが、ホルスは構わず続けた。
「覚えてるか? 俺とお前が初めて喧嘩した時の事。いや、険悪になった事は何度もあったけど。普段やり返さねえお前が一回だけブチギレて俺に大掛かりな罠を仕掛けた事があっただろ? でけえ落とし穴からやっと脱出できたと思ったら次の仕掛けが作動していつまで経っても抜け出せなくて。お前は部屋で寝てたけど俺はそこから脱出するのに三日かかったんだからな」
「……自業自得だ」
全くの正論にホルスは苦笑した。だが思ったより声が近い。もしかしたら彼も壁の前にいるのかもしれないとホルスは思った。
「俺本当は嬉しかったんだ。ほら、お前ってあんま本音言わねえタイプだし、俺みたいに顔に出る事もないだろ? でもあの時は違う。お前の中の怒りを、本音を聞けたような気がしたんだ。……手の掛かる弟で悪い」
長い沈黙が訪れ、ホルスはアヌビスが本当に寝てしまったのだと思った。その心にわだかまりを残しながらホルスは仕方なく腰を上げる。
「なぁホルス。もし俺が——」
アヌビスが何かを言い掛け、すぐに口を噤む。数秒間、二人の間には妙な沈黙が流れた。
「アヌビス?」
「……いや、何でもない」
眩い朝日が辺りを照らす頃、ホルスは神殿に差し込んだ光でようやく目を覚ました。どうやら眠ってしまったらしい。寝ぼけていたのか、昨夜アヌビスと話した後の記憶が全くない。
彼はまだ籠城するつもりなのだろうか。互いの性格は真逆ではあるものの、その頑固さは間違いなく血を分けた兄弟のそれだ。ホルスは改めて部屋の中のアヌビスに問いかける。
「アヌビス、いい加減に……」
強行突破も辞さない覚悟で腕を振り上げたが、その拳は入り口をあっさりと通り抜けた。
結界が消えている。その事実にホルスは内心ほっとした。一晩空け、互いに冷静さを取り戻せばほとぼりも冷める、そう思っていたのだ。
「……アヌビス?」
だが部屋の奥へと進んだホルスの目に映ったのはその期待を見事に裏切るものだった。
そこにアヌビスの姿はない。彼が必死に守ろうとしていたメリモセの遺体も、忽然と消えていた。その代わり、空のベッドには別のものが置かれている。
金の腕輪。これは兄弟それぞれが父の形見として母から受け取ったもので、ナイルでホルスがなくしかけたあの腕輪のいわば片割れである。
こんな大事なものを置いて一体どこへ行ってしまったのか。これが何かのメッセージだとしても、これが好意的なものだとは到底思えなかった。
ホルスは言いようのない不安に駆られる。誰かに連れ去られた可能性はないか。だがそれならば腕輪を外す必要はない。
いずれにせよ今のホルスにそれらを真剣に考える余裕はなかった。ただ兄が消えたという事実だけがその心に深く突き刺さる。
ホルスはただ呆然と、その抜け殻を眺める事しか出来なかった。
神殿に戻ったホルスは真っ先に兄の名を呼ぶ。そしてそのまま部屋の中に踏み込もうとしたホルスの足に何かが接触した。瞬間、バチっと音を立てて火花が飛び、何か熱いものに触れたような衝撃がホルスを襲う。見えない壁に阻まれ、ホルスはこれが結界である事を理解した。
しかし遺体を守る為とはいえ少し厳重すぎやしないだろうか。
「アヌビス! 話がある! ここを開けてくれ!」
ホルスは痺れの治まらない片足をぶらぶらと振りながら再度呼びかけるが一向に応答はない。考え事をしているのか、時折ぶつぶつと呟くような声が聞こえてくるだけだ。
そっちがその気ならとホルスは壁に背を預けるようにして腰を下ろす。意地の張り合いとでも言うべきか、互いに口を聞かぬまま数時間が経過した。
やがて日が沈み、冷たい夜風がホルスの髪をさらう。いつまでもこうしている訳にはいかない。そうして燭台の火が灯り始めた頃、結局口火を切ったのはホルスの方だった。
「なぁ。起きてるか?」
当然の如く返事はないが、ホルスは構わず続けた。
「覚えてるか? 俺とお前が初めて喧嘩した時の事。いや、険悪になった事は何度もあったけど。普段やり返さねえお前が一回だけブチギレて俺に大掛かりな罠を仕掛けた事があっただろ? でけえ落とし穴からやっと脱出できたと思ったら次の仕掛けが作動していつまで経っても抜け出せなくて。お前は部屋で寝てたけど俺はそこから脱出するのに三日かかったんだからな」
「……自業自得だ」
全くの正論にホルスは苦笑した。だが思ったより声が近い。もしかしたら彼も壁の前にいるのかもしれないとホルスは思った。
「俺本当は嬉しかったんだ。ほら、お前ってあんま本音言わねえタイプだし、俺みたいに顔に出る事もないだろ? でもあの時は違う。お前の中の怒りを、本音を聞けたような気がしたんだ。……手の掛かる弟で悪い」
長い沈黙が訪れ、ホルスはアヌビスが本当に寝てしまったのだと思った。その心にわだかまりを残しながらホルスは仕方なく腰を上げる。
「なぁホルス。もし俺が——」
アヌビスが何かを言い掛け、すぐに口を噤む。数秒間、二人の間には妙な沈黙が流れた。
「アヌビス?」
「……いや、何でもない」
眩い朝日が辺りを照らす頃、ホルスは神殿に差し込んだ光でようやく目を覚ました。どうやら眠ってしまったらしい。寝ぼけていたのか、昨夜アヌビスと話した後の記憶が全くない。
彼はまだ籠城するつもりなのだろうか。互いの性格は真逆ではあるものの、その頑固さは間違いなく血を分けた兄弟のそれだ。ホルスは改めて部屋の中のアヌビスに問いかける。
「アヌビス、いい加減に……」
強行突破も辞さない覚悟で腕を振り上げたが、その拳は入り口をあっさりと通り抜けた。
結界が消えている。その事実にホルスは内心ほっとした。一晩空け、互いに冷静さを取り戻せばほとぼりも冷める、そう思っていたのだ。
「……アヌビス?」
だが部屋の奥へと進んだホルスの目に映ったのはその期待を見事に裏切るものだった。
そこにアヌビスの姿はない。彼が必死に守ろうとしていたメリモセの遺体も、忽然と消えていた。その代わり、空のベッドには別のものが置かれている。
金の腕輪。これは兄弟それぞれが父の形見として母から受け取ったもので、ナイルでホルスがなくしかけたあの腕輪のいわば片割れである。
こんな大事なものを置いて一体どこへ行ってしまったのか。これが何かのメッセージだとしても、これが好意的なものだとは到底思えなかった。
ホルスは言いようのない不安に駆られる。誰かに連れ去られた可能性はないか。だがそれならば腕輪を外す必要はない。
いずれにせよ今のホルスにそれらを真剣に考える余裕はなかった。ただ兄が消えたという事実だけがその心に深く突き刺さる。
ホルスはただ呆然と、その抜け殻を眺める事しか出来なかった。
10
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
友よ、お前は何故死んだのか?
河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」
幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。
だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。
それは洋壱の死の報せであった。
朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。
悲しみの最中、朝倉から提案をされる。
──それは、捜査協力の要請。
ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。
──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
没落貴族イーサン・グランチェスターの冒険
水十草
ミステリー
【第7回ホラー・ミステリー小説大賞奨励賞 受賞作】 大学で助手をしていたテオ・ウィルソンは、美貌の侯爵令息イーサン・グランチェスターの家庭教師として雇われることになった。多額の年俸と優雅な生活を期待していたテオだが、グランチェスター家の内情は火の車らしい。それでもテオには、イーサンの家庭教師をする理由があって…。本格英国ミステリー、ここに開幕!
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
白雪姫の接吻
坂水
ミステリー
――香世子。貴女は、本当に白雪姫だった。
二十年ぶりに再会した美しい幼馴染と旧交を温める、主婦である直美。
香世子はなぜこの田舎町に戻ってきたのか。実父と継母が住む白いお城のようなあの邸に。甘美な時間を過ごしながらも直美は不可解に思う。
城から響いた悲鳴、連れ出された一人娘、二十年前に彼女がこの町を出た理由。食い違う原作(オリジナル)と脚本(アレンジ)。そして母から娘へと受け継がれる憧れと呪い。
本当は怖い『白雪姫』のストーリーになぞらえて再演される彼女たちの物語。
全41話。2018年6月下旬まで毎日21:00更新。→全41話から少し延長します。
舞姫【後編】
友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。
三人の運命を変えた過去の事故と事件。
彼らには思いもかけない縁(えにし)があった。
巨大財閥を起点とする親と子の遺恨が幾多の歯車となる。
誰が幸せを掴むのか。
•剣崎星児
29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。
•兵藤保
28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。
•津田みちる
20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われ、ストリップダンサーとなる。
•桑名麗子
保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。
•津田(郡司)武
星児と保の故郷を残忍な形で消した男。星児と保は復讐の為に追う。
蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜
二階堂まりい
ファンタジー
メソポタミア辺りのオリエント神話がモチーフの、ダークな異能バトルものローファンタジーです。以下あらすじ
超能力を持つ男子高校生、鎮神は独自の信仰を持つ二ツ河島へ連れて来られて自身のの父方が二ツ河島の信仰を統べる一族であったことを知らされる。そして鎮神は、異母姉(兄?)にあたる両性具有の美形、宇津僚真祈に結婚を迫られて島に拘束される。
同時期に、島と関わりがある赤い瞳の青年、赤松深夜美は、二ツ河島の信仰に興味を持ったと言って宇津僚家のハウスキーパーとして住み込みで働き始める。しかし彼も能力を秘めており、暗躍を始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる