アクアイル王国物語

ナムラケイ

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宿屋の娘サラ、冒険を夢見る。2

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 夕陽が沈み、薄藍色のベールが村を覆い始めている。
 薄闇の中、家々や商店の軒先にぽつぽつとランプが灯り出す。
 ジャックの店までは全速力で1分もかからない。
「乾燥ハーブくださいな!」
 店に駆け込むと同時に、店番をしていたジャックに注文をする。
 ジャックはすぐに品物を用意し、代金のギル硬貨を受け取った。
「気を付けて帰るんだよ、最近は物騒だから」
「うん! ありがとう、ジャックおじさん」
 サラは、たっぷりのハーブが詰まった油紙の袋を抱える。
 荷物があるので、来た時のように全力疾走はできない。
 
 逢魔が時。
 この世とあの世が繋がる時間。
 村はぐんぐん闇に沈んでいく。

 怖くはないけど、ちょっと気味が悪い。
 早く帰らないと。

 精一杯の早歩きを更に早めた時。
 サラの前に大きな影が立ちふさがった。
 達磨のようなおかしな黒いシルエット。
 目を凝らして、サラはぞっとする。

 巨大な蛙だった。
 鮮やかな蛍光グリーンの皮膚に、赤い斑点が禍々しく散っている。
 身体全体がぬらぬらと濡れていて、長い舌が伸びる口からは腐臭が漂ってきた。
 金色の大きな眼にサラの姿が映っている。

 ポイズン・フロッグだ。

 いつか、お客さんから貰ったモンスター図鑑で見たことがある。
 力は強くないけど、舌と水かきから毒を出すモンスターだ。

 辺りを見回すが、夕飯時だ。誰も歩いていない。
 村の用心棒は定時巡回をしているが、違う地区にいるのか、今は見当たらない。
 大声を出すか、灯りがついている家に飛び込んで助けを求めようか。

 駄目だ。そんなことしたら、こいつはその家を襲う。

 ポイズン・フロッグは、サラと同じくらいの身長だけれど、横幅は4倍はある。
 倒すのは、無理だ。
 サラはごくりと唾を飲み込む。
 でもせめて、村の外まで追い出せれば。

「ジャックおじさん、ごめんね」
 サラは呟いて、持っていた紙袋を大蛙に向かって投げつけた。
 乾燥ハーブが舞い散り、視界が草色に覆われる。
 ハーブの爽やかな香りが場違いに広がる。

 グエッグエッ、シューーーーーッ!!

 蛙が腐臭と咆哮を撒き散らし、サラ目掛けてジャンプしてくる。
 サラは身軽にそれをかわすと、90度方向転換して、村の外へ向けて駆け出した。

 怒り狂った大蛙がすぐ後ろに迫ってくるのが気配で分かる。
 
 べちゃっと嫌な音がして、右足首に何かがぶつかった。
 構わず走り続けようとしたが、右足が地面から離れない。
 立ち止まって下を見ると、べったりとした紫色の粘着物が、足の地面を繋いでいた。

 何これ。
 あまりの気持ち悪い触感にサラは泣き出したくなる。

 両手で右足を持って地面から剥がそうとするが、全く動かない。
 大蛙が楽しそうにサラを見下ろしている。
 蠢く舌から唾液が滴っている。

 やだ!
 サラは恐怖に叫ぼうとするが、声が全く出なかった。
 お母さん! お父さん!

 ぎゅっと目をつぶって構えるが、いつまで経っても蛙は襲ってこない。
 恐る恐る薄目を開けると、サラの前にマント姿の3人が立ちふさがっていた。
 
 うちのお客さんたちだ。

「気持ち悪さ全開だな、こいつ。スミレ、結界張れ。村に被害が出る」
 マントの1人が粗野な言葉遣いで言う。
 その声の高さに、サラはあれっと思う。
「了解」
 答えたもう1人は、「魔導書魔導書」と言いながらマントの中をごそごそと探っていたが、
「ああ、もう動きにくいわ、この服。ミナト、今は脱いでええやろ」
 異国のイントネーションで言うなり、マントをばさりと取り去った。
 それを見た二人も同じようにマントを投げ捨てる。

 サラは目を見張った。
 女の人だった。3人とも。
 
 結界を張れと命じたのは、ミナトという名らしい。小さな顔にロングウェーブの黒髪という人形のようだ女性だった。華奢な身体を戦士の衣装に身を包んでいる。
 スミレと呼ばれたのは、真っすぐな髪を腰まで伸ばしたクール系の美人で、召喚士だ。
 最後の1人はモンクだ。おかっぱで背筋が良く、立ち姿が凛々しい。
 全員、髪と瞳が黒い。
「東の国」
 サラは呟く。
 光の大陸のずっと向こうにあった今は滅びた国。その国の民族は、髪も瞳も真っ黒だと聞いたことがあった。

 呆気に取られるサラの前で、スミレが魔導書を掲げて手早く呪文を唱えた。
 サラの前の前に青白く輝く半球が現れ、大蛙と3人を包み込んだ。
 同時に、モンクが地面を蹴り、拳を振り上げて大蛙に飛び掛かった。
 右拳が、大蛙の眉間に打ち込まれる。
 大蛙は雄たけびを上げ、着地したモンクに向かって長い舌を伸ばす。モンクは再び飛び上がると、蛙の横っ面に回し蹴りを食らわした。
 大蛙が吹っ飛ぶ。
 モンクは空中で一回転し、側の樹木の幹を右脚で蹴って再び跳躍すると、大蛙の頭上から、全体重を込めて拳を落とした。
 その拳は炎のようなフレアを纏っていて、大蛙を頭から股間まで真っ二つに引き裂いた。

 輝く球体の中で、蛙の身体の中身が飛び散る。
 スミレがもう一度呪文を唱えると、球体は内臓や体液と共に消失し、蛙の死体だけが残った。

「アカリー、もうちょっと綺麗に始末しろよ。服が汚れただろ」
 ミナトがモンクに抗議する。
「ミナトこそ、ちょっとくらい手伝ってよね」
「俺が手を出すまでもなかっただろ」
「どこの勇者もこんな面倒くさがりなんかなあ」
 スミレが魔導書をしまいながらぼやく。

「大丈夫だった?」
 仲間うちの軽口のあと、モンクのアカリがサラを振り返った。
 布袋から小瓶を出し、サラの右脚に振りかけると、紫色の粘液は瞬く間に蒸発していく。脚には何の後も残っておらず、サラはほっとする。
「このお薬、解毒剤も入ってるからもう大丈夫よ」

「ありがとうございます」
 サラは立ち上がって頭を下げた。


「おまえ、冒険者志望なのか?」
 再びマントを羽織った3人と宿屋への道を歩くサラに、ミナトが尋ねた。
「・・・そうしたいけど、お父さんもお母さんも、あたしに宿屋を継いでほしいって思ってるから」
 ミナトはよく分からないというように首を傾げた。
「おまえの人生を何故両親が決めるんだ」
 サラは言葉に詰まり、そのまま黙った。
 勇者は、神様に選ばれた存在。
 そんな人には、宿屋の娘の気持ちはきっと分からない。

 サラは、前を歩くアカリの後ろ姿を見る。
 さっきの戦いが脳裏に焼き付いて離れない。
 目で追いかけるのが精一杯のスピード。
 どうやったら、あんな速さで動けるようになるのか。
 華奢な体つきの女性なのに、力強くて重量に満ちた拳と蹴り。
 どうやったら、あんなパワーを出せるようになるのか。
 
 あんな風に戦いたいって、初めて思った。


 翌朝、おじいさん一行は宿屋をチェックアウトした。
「元気でね。これ、興味があったら行ってみて」
 モンクのアカリは、サラの両親には見えないように、紙切れを手渡した。
 開くと、サワムラ道場と読める。その下に、住所らしき地名。
「私が通ってた道場。厳しいけど、必ず強くなれる」
「でも、あたし・・」
「あの夜、うちの勇者が言ってたわよ。あなたは、冒険者に一番必要なものを持っているって。私もそう思う」
 アカリは真剣な顔でサラを見つめた。
「自分の親も説得できないような人間は、何者にもなれないわ」
 がつんと頭を殴られたような気分だった。
 
「ほら、アカリちゃん、行くよー」
 仲間の男性に呼ばれて宿屋を出ていくアカリの背中に呼びかけた。
「あたし、お姉さんみたいになりたいです!」
 アカリは振り返りはせずに、ひらひらと手を振った。


 今日も宿屋は忙しい。
 おじいさん一行の部屋を掃除して、次のお客様を迎えるための準備をする。
 昼食の仕込みを終え、番台で予約のチェックをする。
 何気なくポケットに入れた手が、アカリがくれたメモに触れた。
 
 メモを見つめていると、エルピーディオとロキが下りてきた。
 盗賊コンビも今日チェックアウトだ。

「世話になったな」
 エルピーディオが鍵を返す。
「ご滞在ありがとうございました」
「聞いたよ。ポイズン・フロッグに勇敢にも立ち向かったんだって?」
 エルピーディオが言い、サラは目の前で手を振る。
「違うんです。私、殺されそうになってて。うちのお客さんに逆に助けてもらっちゃって」
「それにしてもすげーよ。怪我なくてよかったな」

「それ、なに?」
 これまで一言も話さなかったロキが、サラの手元を指さした。
 開いたままのメモ。
「あ、これは、お客さんから貰っただけで」
「行くの? そこ」
 メモの内容を読み取っていたらしい。
「まだ、分かりません」
 正直に答えた。
「そうか。良い道場だ。俺も通っていた」
 ロキが短く言った。
 初めて聞く彼の声は、平坦だが、少し掠れていて甘さがあった。

 宿屋を出て、新たな旅路へ向かう二人の盗賊に、サラは思い切って尋ねた。
「あの! 冒険者に一番必要なものって、何ですか?」
 エルピーディオとロキは顔を見合わせて、それから同時に答えた。
「勇気」
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