アクアイル王国物語

ナムラケイ

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見習い官僚シマ、仕事とは何かを考える。1

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 就職して4か月、アクアイル王国国防省統合戦略局戦術課事務官シマは彼氏にフラれた。
 学生の時から3年間付き合った男だった。

 その男曰く、
「仕事仕事って言ってるけど、本当なのかよ。第一おまえ、公務員だろ。そんな忙しいわけあるかよ。1か月以上も会えないとかさ、俺もう無理だわ――ですって」
 元カレの口調を真似して、シマはサーモンとクリームチーズのバゲッドサンドにかぶりついた。
 ランチタイムの国防省職員食堂である。
「公務員が9時5時だとかどこの都市伝説よ。官僚馬鹿にすんじゃないわよ」
 息巻くシマに、
「そーそ。9時5時の5時は朝の5時だっつーの」
 シュレッドチーズとジャガイモのガレットを頬張りながら同調するのは、統合戦略局国際協力課のビアンカだ。ビアンカはシマの1つ先輩だ。
「ビアンカ先輩、昨日帰り何時?」
「家に帰ってない」
「右に同じ」
 疲れた顔を見合わせる二人に、
「私はきっちり朝9時から夕方5時ですけどねー」
 おっとりと言うのは、同じ局の管理課で庶務を担当しているエミリだ。
 シマやビアンカより年上の26歳だが、職場でのポジションは二人より下なので、いつも敬語である。
「あ、悪い悪い」
 ビアンカは全然悪いと思っていない口調で謝る。
「いーえ。お二人と違って一般事務職ですから」
 答えるエミリも気にする風もない。
 同じ局で勤務する3人は、年齢が近いこともあって時間が会えばランチを共にする仲だ。

「失恋した時こそ、仕事に打ち込む時だぞ」
 そう息巻くビアンカは花形部署の国際協力課所属で、同期の中でも出世頭と名高い。
 仕事熱心で深夜残業の連続なのに、メイクもヘアスタイルもネイルもいつも完璧で、一体どう時間をやりくりしているのか謎だ。
「男にフラれたからって、仕事に逃げるような真似したくない。ってか、これ以上働くの無理」
 シマはぼやく。そもそもフラれた原因はその仕事だ。
「シマの働き方はまだまだ甘いよ。与えられたものをこなしてるだけのうちは仕事とはいえない」
「目の前の仕事やっつけるので精一杯。ビアンカ先輩みたいに自分で企画立ち上げるなんて到底無理」
「それはやる気の問題。働け。仕事は裏切らない」     
 デキる女の仕事論はシビアだ。

「もー、二人とも。ランチ中に仕事論はやめてください。まあ、私に言わせれば、仕事がないと生きていけない。でも、仕事は女を救ってくれない、ですけどね」
 エミリが人差し指を立てて断じる。

「エミリこそ、語ってんじゃないか」
 ビアンカが笑って、話題を変えた。
「ま、そんなわからんちん男はさっさと別れて正解だな。こっちの仕事分かってくれる奴じゃねーと、絶対続かない。お互い疲れるだけ」
「そうですよ。うちの役所、いい男いっぱいいますからね。特に王国軍」
「軍は転勤族だからなー」
「私は結婚したら辞めちゃいます。お気楽事務職だし。シマさん可愛いから、彼氏なんてすぐできますよ」
 シマはもぐもぐとサンドを咀嚼しながら、二人の会話に相槌を打つ。
 こういう時はおためごかしの一般論や根拠のないお世辞がありがたい。
 落ち込んでいる時に、他人から振るわれる正論ほど鬱陶しいものはない。

「そういえば、シマさん、悠長にしてていいんですか? 戦術課の定例会議、13時からに早まってましたけど」
 管理課は会議室も管理しているので、エミリは局内の会議スケジュールに精通している。
 あ、やっばい!
 開始時間が1時間早まったのを忘れていた。
 シマは慌ててバゲッドサンドを飲み下すと、立ち上がった。
 遅刻なんてしようものなら、また課長に叱られる!


 2か月後に立ち上げ予定(これは国家秘密だ)の王国軍特殊部隊通称「スピリッツ」に関する業務で、国防省の関係課は多忙を極めている。
 予算要求から始まり、組織編制、司令部建設、装備品調達、備品調達、制服制定、人選、隊員の福利厚生、関連法案の策定、政治家や議員への根回し、人事発令、発足式の段取り等々。数え上げればキリがなく、そのすべてに、説明資料や決裁文書という膨大な量の書類が作成される。
 勿論それぞれの業務は各所掌課が担当するのだが、そのすべてを仕切っているのが、戦略課、言い換えると、シマの上司であるナツリ戦略課長だ。

 実のところ、シマはこの上司が少し苦手だ。
 35歳、独身。
 女性ながら、同期トップどころか全省庁中最年少で課長職に昇任。
 顔は中の上。皆と同じ国防省の制服を着て、長い髪はサイドで一つ結びにしただけ。なのに、ナツリは目立つ。
 ぴんと伸びた背筋や芯を持ってきちんと発生される声、揺るぎない自信。
 そういったものが、この女性を美しく見せている。
 そこは、人として羨ましいと思うけれど。
 女としては、
「ああはなりたくない」
 とナツリは意地悪な気持ちで思ってしまう。
 女が怖いくらいに仕事して出世して、その先に何があるというのだろう。

 ナツリは走りながらナプキンで口元を拭い、飛び込んだ化粧室で高速で口紅を塗り直し、仕事モードのスイッチを入れた。


 週例会議は、課員が業務の進捗状況を報告し、ナツリ課長が方向性を指示を出していくスタイルだ。
「氷の国フロストベルクの国防武官より連絡があり、砂漠の国デザイアがフロストベルクに特使を派遣し、鉱山開発への投資を提案するという情報を掴んだそうです」
 先輩達の仕事内容は、1年目のナツリには何が何だか分からないことの方が多い。
 必死に耳を澄ましても右から左へと抜けていってしまうし、徹夜明けの身に、ランチ後の会議は拷問に等しい。
 ナツリは片眉を上げて、「それで?」と促す。
 この会議では、現状報告だけではなく、自分がどうしたいかという意見を述べなければならない。
「国防武官には危険がない範囲で更なる情報収集を依頼済です。平行して、在グラシールトのデザイアの情報提供者にも裏取りをします。デザイアは自国需要を賄うだけの鉱山資源を有しており、輸入額における鉱山資源の割合は微小です。フロストベルクの鉱山開発に投資する意義は積極的には見いだされませんので、誤情報の可能性もあると考えています」
 ナツリは一度大きく瞬きをした。
 こういう時の彼女は、高速で頭を回転させている。
「分かった。デザイアとフロストベルクの埋蔵鉱山物の比較を産業省調査課に依頼して頂戴。デザイアは軍事大国。やることなすこと全部軍に結びついている国だから、今回も裏に何か思惑があるはずだわ。今は、誤情報の可能性は考えなくていい」
「承知しました」

 続いて、サイガ主任が報告を始める。
「―――軍司令部より海の国マリノとの歩兵部隊年次共同演習のシナリオを受領しました。今年はマリノの仮想ダンジョンを使用した市街地模擬戦の予定です。シナリオ精査の後、国際協力課と一緒にマリノと細部調整に移ります」
 サイガはシマのメンターで4期上の先輩だ。
 長めの髪はいつもぼさぼさで、ダサい黒ぶちメガネをかけている。
 痩せ型だけど背は高いし、結構整った顔してるのに勿体ないな、とナツリは常々思っている。
 あ、やばい、本当もう落ちそう。
 目がしぱしぱするし、昨日から付けっぱなしのマスカラがずっしりと重い。

「今の件はシマがお願い」
 落ちないように、爪で手のひらをつねるのに集中していたら、急に名前を呼ばれた。
「あ、はい、はい!」
 慌てて顔を上げると、ナツリは阿修羅のごとき顔つきだ。
「シマ、聞いてた?」
「・・・・はい」
 とても、聞いていなかったし、分かっていませんと言える雰囲気ではない。
「そう。じゃあ、次に何すればいいか分かってるわね」
 声はフロストベルクのブリザード並みに冷たい。
 ここはやり過ごして、後でサイガ主任に教えてもらうしかない。
「はい、大丈夫です」
 縮こまりながら答えると、ナツリはばしんと掌で机を叩いた。
 その音の激しさにシマは縮こまる。
「徹夜明けも寝不足もあなただけじゃない。どうやっても寝てしまう時は誰にでもある。但し、取り繕うのは止めなさい。自分に非がある時は、素直にそれを認めて謝って。分からないことは分かったフリをせずに、その場で解決しなさい!」
 浅薄さを見抜かれた上に容赦なく叱責されて、怖いより以前に、ナツリは恥ずかしさで消え入りそうになる。
 課員の視線を受ける勇気がなくて、俯く。
 俯いたら涙が落ちそうになったけれど、この上司は女が職場で泣くことを何より嫌うと女子更衣室で誰かが噂していたのを思い出した。
 だから、顔を上げた。
「申し訳ありませんでした。もう一度説明してください」

「今年の訓練では、新開発した火砲を使用します。マリノは領内の武器使用許可が厳しいから、先方の国内法令を入手して、うちの武器が規格内に納まっているか確認してちょうだい」
 ナツリは既に怒りを解いており、普段通りの口調だ。切り替えが早い。
「分かりました」
「シマだけじゃないわよ。何人かこっそり居眠りしてたの、ちゃんと気づいてるんですからね」
 そして、デキる上司は場を操作するのも上手い。
 その台詞に、課員たちにくすくす笑いを招き、凍り付いていた空気は一瞬で溶けた。


「よ」
 資料室でマリノの法令集を捲っていると、目の前にお茶の入ったカップが置かれた。
 カモミールの香りがふんわり漂う。
「サイガ主任」
「やってるか?」
「はい。もう睡眠不足がデフォルトになってます」
 サイガは行儀悪く机に腰かけると、ははっと笑った。笑うと目尻に皺が出来て少し可愛い。
「仕事って大変なものですね」
 呟くと、サイガはまた、ははっと笑った。
「大変じゃなかったら、給料貰えねえだろ」
「それはそうですけど。仕事ってなんなんですかね」
 朝から晩まで働いて、見たくない顔見て、嫌いな人にも合わない人にもにこにこ笑って、失敗して叱られて。
「おまえ、それ反則な」
「え、何がですか?」
「仕事とは何かを聞くのも語るのも。そーゆーのは、自分の中だけに持っとけばいいの。偉そうに人に語ったり、人の考え探ったりするもんじゃねーの。大体サムいだろ、同業者同士で仕事に対する理想とか意味とか語ったりすんの」
 そういうものなのか。
 確かに、ビアンカやエミリと仕事の話をする時も、個人の内面まで踏み込んだ話にはならない。
 あくまでも女子トークの範囲内だ。
「そう、ですよね。すみません。変なこと聞いて」
 サイガは伸ばしっぱなしの髪を無造作に掻き上げた。
「まあ、なんだな。ひとつだけメンターとしてアドバイスするなら、あれだ。やりたいことやれ」
「何ですかそれ」
「そのまんまだ。こうしたい、こうしてみたい、こうした方がいい、そういうの、全部やれ。そしたら後悔しなくて済む」
 その意味を考えるべく黙っていると、サイガはじゃあなと立ち上がった。
 去り際、シマの頭をぽんぽんと叩いていく。
 その手は大きくてあたたかくて、なんだか元気が出た。
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