アクアイル王国物語

ナムラケイ

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薬師ニーナ、お酒で失敗する。2

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 ニーナの家は古くから続く薬師の家系だ。
 ニーナは、曾祖母、祖母、母の3人の女性から薬師に必要な技も技術も心構えも教わった。
 彼女たちが常々口にしていたのは、
「私たちは人様の命を預かっている」
 という戒めだ。
 人は誰ひとりとして同じ体質ではない。
 食事や睡眠といった生活習慣だけでなく、天気や温度や湿度といった外的環境も体調に影響を及ぼす。
 毎回毎回、その瞬間に、その人の身体に一番負担が少なく、一番効力を発揮する薬を処方しなければならない。
 ニーナは薬を調合するとき、いつもその言葉を反芻するのだ。


「問題といえば、最近フェイクの武器や防具を売りに来る輩が多いんですよ」
 何杯目かのワインを飲み乾してから、中古屋レオンが話題を変えた。
 キツネのような顔立ちにどじょう髭を生やしたレオンは、商売の腕は確かなのだが、余計な一言が多い曲者でもある。
「フェイクって、どういうことでしょう。武器も防具も、その場で試着すればバロメーターが上下しますから、偽物はすぐに分かると思うんですけど」
 ニーナはレオンのグラスにワインを注ぎながら尋ねる。
 そこへ、ジュリエットがメインの皿を運んできた。
 ウサギの赤ワイン煮込みは人数分の小皿に取り分けられている。
 運ばれる皿を全て小皿に取り分けていたニーナを気遣ってくれたのだろう。
 ニーナが目線で感謝を伝えると、ジュリエットはにっこり笑いながら、ウサギに合うからと、すっきり辛い白ワインのボトルを新たに開封し、ニーナの前には一緒に水のタンブラーもおいてくれる。
「ニーナさん、ちょっとペース早いですよ。お水も飲んでくださいね」
「ありがと。大丈夫よ。私、お酒はそこそこいけるの」
 ジュリエットは来月から任期付きで王宮の調理場で働くと聞いているが、この細やかさだ。王宮でも重宝されることだろう。

 さて、ニーナの質問に、レオンはちっちっちっと舌を鳴らしながら、人差し指を左右に振った。
 なんだか芝居がかった仕草である。
「最近は、冒険者だけじゃなくて、転売や投資目的で装備を買う一般人が多いんですよ。薬屋さんには縁のない話かもしれませんが」
 いちいち言い方が鼻に着く男だ。
「あら、そうなんですね。存じ上げませんでした」
 ニーナは作り笑いを浮かべたまま、勉強させていただいてますというように振る舞う。
「会長の店にも来ませんか? そういう輩」
「来ますね。私は、基本的に冒険者の方以外には品物をお売りしていませんが」
 とマルセロ。
「格式高い正規販売店はそうでしょうが、私どものような中古屋はお客を選んでられないですからねー」
 レオンは笑いながら喋っているが、これって結構重大な問題なんじゃないかしらとニーナは心配しつつ、きりりと冷えた白ワインを口にする。


 そうこうしているうちに、マルセロが他のテーブルに呼ばれ、ニーナはレオンと差し向かいになった。
 他の人にも挨拶をしたいし席を移動したかったが、ここで席を立ったりお手洗いに行くのもわざとらしい。
 ちらりとティトを見遣ると、ブティックのムーランと何やら楽しそうに喋っている。
 ムーランはティトより二回り近く年上だが、セクシーでチャーミングな女性だ。
 ニーナは苛立ちを覚え、そんな自分自身にまた苛立ちを覚える。
 
 誰かを好きになったり付き合ったりするのって、とても幸福なことだけれど、時々面倒くさいなと思ってしまう。
 今日は一日部屋で眠っていたいと思う日でも、一緒に出掛けることになったり。
 残業で疲れて帰った夜も、明日ティトと会う予定があれば、髪や肌や身体の手入れをしてしまう。
 他の女性と自分を比較して、落ち込んだり。
 ティトのなにげない言葉や動作ひとつで一喜一憂してしまったり。
 素直になりたいのになれなかったり。
 思いと反対の言葉を言ってしまったり。

 レオンと隣に座る靴屋の男が繰り広げる愚痴とゴシップを聞き流しながら、そんなことを思いつつワインをすする。
 なんだか内省的になってしまうのはお酒のせいだろうか。
 グラスが空く度に近くの誰かが注いでくれるので、あれ、飲みすぎてるかしら、と思った時には頭がくらくらしていた。
 前に座るレオンの顔も真っ赤だ。
 
 目が合うと、レオンは靴屋との話を中断して、ニーナに矛先を向けた。
「ニーナさん、ティトとは仲良くやってるの」
 品のない言い方に、ニーナはむっとして答える。
「ええ。おかげさまで」
「そろそろ結婚した方がいいんじゃないの」
「結婚は、二人で考えることですから」
「でもニーナさんの家、代々女性が家継いでるんでしょ。早く女の子産んれおかないと、母上も心配れしょうに」
 酔いが回ったのか、ろれつが回っていないレオンである。
 冷静さを常とするニーナだが、次第に苛立ちが募ってきた。
 何様なのよ、この男。
 ああ、もうなんだか頭はくらくらするし。
 瞳も乾いて瞼が重い。
「家族は私の意志を尊重してくれてますし」
「とはいっても、女性は子供を産むのに期限ってもんがあるからねえ」
 あ、沸点超えちゃった。
 ニーナは持っていたワイングラスをテーブルに置いた。
 思いのほか力が入ったのか、ダン、と大きな音が店内に響く。
 一瞬、店内が静かになったが、止まらなかった。

「私の結婚や出産が、あなたに何の関係があります? 余計なお世話なんですよ。いい歳して仕事しかやることがないもんだから、商工会や近所の噂話やゴシップに花咲かせて。そもそも、結婚できなかっただけなのに、自分は独身貴族だとか吹聴してるあなたに、結婚の話なんてされたくないわ」
 自分でもびっくりするくらいに舌が滑らかに回った。
 レオンは呆気にとられたようにぽかんと口を開けてニーナを見ている。
「さっきの話だって、装備のフェイクが出回ってるって相当問題ですよ。どうしてそんなお客さんが来た時点ですぐに商工会と産業省に報告しないんです。確かに中古屋は綺麗事だけでは立ち行かないお商売かもしれないけど、もう少しプライドを持っ」

 ダムが決壊したように溢れ出てくる言葉は、大きな手で塞がれた。
 びっくりして振り向くと、ティトがいた。
 後ろから、左手をニーナの肩に置き、右手で口元を覆っている。

「ニーナ、やめろ」
 耳元で囁かれた声は、普段のティトとは違う低く固いもので、ニーナの高揚はすっと冷める。
 見渡すと、商工会の面々は話をやめてレオンとニーナとティトの3人に注目していた。
 やっちゃった・・。
 自分の発言を反芻し、ニーナは恥ずかしさで逃げ出したくなる。

 ティトは、ニーナの横に腰を下ろすと、場の緊張に怖気づくことなく、明るい声で陽気に言った。
「すみません、皆さん。うちの彼女、酔っぱらうとスイッチ入っちゃうんですよ」
 ティトの右手が、ニーナの頭をぽんぽんと叩く。
「普段すましてる分、毒吐きだすと止まらないんで。ここだけの話、俺も何回も泣かされてんですけどね。ストレス多い仕事してるってのもあるし、大目に見てやってください」
 深刻にならないよう茶化した調子で言い、ぺこりと頭を下げると、
「あーら、そんなの誰も全然気にしてないわよ。今時、おっさんの言うことはいはい聞いてるだけの人形みたいな女子なんているわけないもの。そんなこと、やり手の商売人の皆さんはちゃーんと分かってるわよ」
 とムーランが加勢してくれる。
「だよな。ニーナの本音なんて、マダム・ムーランの毒舌に比べたら砂糖菓子みたいなもんだ」
 とは、食堂のジョージだ。
「ちょっと聞き捨てならないわね」
 ムーランがジョージを睨みつけ、食堂に笑いが弾けた。
「大体レオンが下世話な話するからだろ」
 靴屋がレオンを小突き、レオンは、
「悪かったよ」
 とぼそりと呟く。
 場はすっかり和やかになり、ニーナは心からほっとすると共に、商工会の面々との距離が少し縮まったのを感じた。


 懇親会がはけたあと、ティトはニーナを家まで送ってくれた。
 城下町の石畳の道は、飴色の光を放つ街灯でぼんやりと照らされている。
 そよぐ夜風が火照った肌に気持ちよい。
 ニーナはティトの半歩後ろをてくてく歩く。
 酔いはすっかり冷めていたが、何をどう話せばいいのか分からない。
 ティトも何も話そうとしない。
 怒っているのだろう。
 彼女が酔っぱらって人前で醜態をさらしたのだ。当然だ。
 

 二人は自然速足になり、すぐにニーナの家についた。
 ニーナは扉の鍵を開ける。
 顔を合わせる勇気がなく、俯いたまま言った。
「さっきは、ごめんなさい。それと、助けてくれてありがとう」
「いいよ、全然。ニーナ、酒強い方だけど、めちゃめちゃ強くはないの知ってるし」
 そういうティトの声はいつもどおりあっけらかんとしたものだったので、ニーナはほっとする。
「じゃ、またな。水飲んでから寝るよーに」
 片手を挙げてから去って行くティトの背中をしばらく眺める。
 途端に胸が熱くなって、足が勝手に動いた。
 数歩走って、手を伸ばして、ティトの袖口を掴んだ。
「どうしたの?」
 ティトは驚いたように振り向く。
「助けてくれてありがとう」
 今度はうつむかずに、ティトの目を見て伝えることができた。
「どういたしまして、お姫様」
 ティトがおどけたように言う。
「それで、あの、お茶、飲んでいかない?」
 袖口を掴んだまま切り出した。
「まだ酔ってる?」
「もう酔ってない」
 それを聞くと、ティトは面白がっているような表情で、へえと呟いた。
「本当にお茶だけなら謹んで辞退するけど、どうする?」
 ニーナの顔を覗き込んでくる目は、完全に意地悪モードに入っている。
 飲んだお酒が全部顔に逆流するかと思った。
 なに、やっぱりちょっと怒ってるんじゃないの。
 これ、絶対仕返しよね。

 もう少し一緒にいたいから部屋に来て。

 可愛らしくおねだりできればいいんだろうけど。
 ・・・無理。それ、もはや私じゃないし。

「そう。だったら、残念だけどまた今度にしましょう」
 ニーナはクールに言い放つと、くるりと踵を向けた。
 可愛くなんて振る舞えない。
 でも、私は知ってるから。
 私の彼氏は、そういう私の可愛くないとこを知ってくれていること。

 部屋へ戻るニーナの後ろから、ティトの声がちゃんと追いかけてきてくれる。
「分かりましたよ。いただきます、お茶。喜んで。そのかわり、俺の好きな玄米茶だかんな」
 ほらね。
 くすりと笑いながら、ニーナは考える。
 部屋に入ったら、まずキスをしよう。
 そして、たっぷりのお湯を沸かして、美味しいお茶を煎れよう。(了)
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