ペンと羅針盤

ナムラケイ

文字の大きさ
上 下
34 / 53

34:おかえり、ただいま

しおりを挟む
 11月に入り、航平はようやく日本に帰国した。
 護衛艦「とわ」は、ダナン出航後、フィリピンのスービック港に寄港した。航平はスービックで「とわ」を離艦し、陸路でマニラまで移動、マニラ国際空港から羽田までは民航機に乗るルートだった。
 長旅を終えてボーディング・ブリッジに降りると、隙間風の冷たさに身体が震えた。航海に出ている間に、東京は随分気温が下がっていた。
 ターンテーブルで荷物を待ちながら、腕時計を日本時間に合わせ、スマホの機内モードを解除する。
 ユニセフの募金箱があったので、小銭入れを膨らませていてベトナム・ドンとフィリピン・ペソの小銭をすべて流し入れた。

「お疲れ様です。予定どおり羽田に到着しました」

 上司である馬場防衛課長に業務連絡のメールを打つと、「ご苦労様。久しぶりの航海で疲れただろう。明日は有給取っていいからな」とすぐに返信があった。
 仕事も溜まっているので有給休暇は遠慮する旨を返信して、有馬にも帰国の連絡をしようとラインのトーク画面を開いたところで、航平のスーツケースが姿を現した。
 ラインは電車の中で打つことにして、スーツケースを取り上げて税関を通過する。
「公用旅券」と書かれた緑色のパスポートを差し出すと、若い税関職員は「ご出張ですか。お疲れ様です」と笑顔で挨拶してくれた。
 こういう少しの気遣いは気持ちがいい。

 第3ターミナルの出口は、夜も21時近いというのに、出迎え待ちの人々でごった返していた。
 旅行会社の腕章やパスを下げた人達は、一早く予約客を見つけようと、会社名と客の名前が書かれたボードを高く掲げている。

「おかえりー!」「久しぶり!」と声を交わして、抱擁を交わす家族や恋人たち。
「あーあ、明日から仕事だねえ」と、嘆きながらも楽しそうなグループ。

 その光景に航平は口元を緩ませた。
 過去には、原発事故や感染症で空港が廃墟のように閑散としていた時期もあった。
 やっぱり、空港は賑やかなのが一番だ。

「航平!」

 出口を取り囲むように輪となる人々の一番外側で、有馬が手を振っていた。
 周りから頭ひとつ分以上飛び出す長身で、いかにも上質なコートを着ているので、人込みの中でもすぐに見つけられた。
 有馬は弾むように駆け寄ってくると、「おかえり」と航平の背中を撫でた。

「ただいま」
「車、駐車場に停めてるから」

 有馬は航平の手からスーツケースを奪うと、LEDが煌々と輝くターミナルの中をすたすたと歩き出した。
 航平はその背中を追いかける。

「有馬。なんでいんの」

 マニラ便で今日の夜に羽田着とは伝えていたが、有馬は最近仕事が忙しそうだったし、迎えまでは頼んでいなかった。
 そう言うと、有馬は肩をすくめてみせた。
 サングラスをしているので、そんな何気ない仕草も俳優のように気障に見える。

「ご挨拶だなあ。可愛い彼氏が長期出張から帰ってくるんだから、迎えに行くのが当然でしょ」
「そういうもんか」
「そういうもんだよ。迷惑だった?」

 有馬が大袈裟に悲しそうな顔を作ったので、航平は慌てて言葉を重ねる。

「いやっ、そういう意味じゃねえし。来てくれると思ってなかったから、びっくりしただけだ。荷物多いし、助かった。サンキューな」
「どういたしまして」

 優雅に微笑んで、有馬は愛車のメルセデスGクラスのロックを解除した。
 ラゲッジスペースを開けて、スーツケースを積み込んで、有馬はもう一度言った。

「航平。おかえり」

 甘い声だった。

「ただいま」

 返した声は掠れてしまった。
 有馬が合図のようにサングラスを外す。
 視線が絡んで、顔が自然に近づいて、車のドアの陰で密やかにキスを交わした。

 あ、有馬だ。
 柔らかい感触と有馬の匂いに、彼の存在をありありと感じる。
 触発されて、唐突にダナンでの夜を思い出した。
 ぶわりと顔に血が昇る。

「航平? どうしたの、急に赤くなって」

 覗き込んでくる有馬の視線を避けるように顔を背けた。
 俺、こいつと、あんなことやこんなこと。したんだよな。
 あの時はただただ夢中だった。
 ダナンで別れてからも何度もあの夜を思い出した。その度に羞恥と興奮に襲われて、いたたまれない気分のまま一人で悶々としていた。
 けれど、いざ、本人を目の前にして思い出すと。
 恥ずかしいなんてもんじゃない。

「航平? 具合悪い?」

 心配そうに航平の頬に触れてくる指。長くて節がしっかりしていて、爪は綺麗に揃えられている。
 この指で、身体中に触れられた。皮膚だけじゃない。口の中や体の中まで、触られた。
 首が熱い。腰がむずがゆい。
 溜まらずに、有馬の首に両腕を回した。肩口に頬を当て、呟く。

「悪くない。けど、なんかあのこと思い出したら、ぞわぞわして」

 有馬が喉を鳴らす。航平の手首を掴み、引き剥がした。まじまじと航平の顔を見て、薄く笑う。

「家まで送って大人しく帰ろうと思ってたけど、やめた」

 有馬はラゲッジドアを閉めると、ロックをかけた。航平の手を引いて、来た道を引き返していく。

「え、ちょっ、有馬!  どこ行くんだよ!」
しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

【完結】嘘はBLの始まり

紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。 突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった! 衝撃のBLドラマと現実が同時進行! 俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡ ※番外編を追加しました!(1/3)  4話追加しますのでよろしくお願いします。

処理中です...