46 / 69
Yukito: 帰ってくるから。
しおりを挟む
8月13日。
有給休暇を取った行人は贅沢に二度寝を楽しんでいた。
遮光カーテンの隙間からは明るい陽射しが細く差し込んでいるが、見ないふりをして惰眠を貪る。
部屋はクーラーでひんやりとして、布団はさらさらと気持ちよい。
うとうとしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
高校生の空乃は夏休みだが午前中は夏期講習があると言っていた。宅配は頼んでいないし、なにかの勧誘だろうか。
居留守を決め込むことにして、行人は目を閉じる。
がちゃんとドアが開く音がする。
え、なに。そういえば、昨夜、鍵を閉め忘れた気がする。
「こらユキ! 鍵閉めろって言ってんだろ!」
怒ったような声は空乃だ。軽やかな足音が寝室にしている8畳間の前で止まる。
「ユキちゃん、いるんだろ。開けるぞ?」
「んむー」
返事と同時に部屋が明るくなる。布団の中で身じろぎする行人に、空乃は笑った。
「なんて声出してんだよ。まだ寝てたん? もしかして具合悪い?」
「んー、や、寝てただけ。あれ、おまえ、学校は?」
「終わった。もう12時だかんな。てか冷やしすぎだろ、この部屋。一回空気入れ替えんぞ」
空乃は容赦なくクーラーを切ると、カーテンと窓を全開にした。
窓越しに見る空は絵の具で乗り潰したように青く、浮かぶ雲は白く厚い。夏の熱気と蝉の声が流れ込んでくる。
さすがにもう寝てはいられない。寝すぎてちょっと身体も痛い。
行人は大きく伸びをすると、流しで顔を洗った。夏の水道水は生温い。
渡されたタオルで顔を拭いていると、うなじに柔らかいものが触れる。
キスされたのだと分かり、慌てて首筋を押さえた。
「急に、なにっ」
「なにって。目の前にうなじがあったらキスするだろ」
空乃は笑いながら、行人の寝ぐせを直すように髪をなでてくる。
「しないだろ。吸血鬼か」
「ユキの血、甘そう」
言うなり、今度は甘噛みするように首に歯を立ててくる。
空乃の匂いが鼻を掠める。汗と、グレープフルーツみたいな爽やかな香り。起きがけの股間は敏感だし、変な気持ちになってしまいそうだ。
「おい、やめろって」
くすぐったがるフリをして、行人は空乃から逃れる。
空乃は楽しそうに笑うと、戸棚からバスタオルを出して、行人に渡した。
「シャワー浴びてきなよ。昼飯作っとくから」
お昼は素麺だった。
ガラスの器に盛られた素麺は絹糸のように輝き、陶器の皿には茄子の煮びたしと卵焼き、胡瓜とタコの酢の物が盛られている。
菜食メインの行人だが、空乃の作る酢の物は美味くて、酢の物だったら魚介でも食べるようになった。
空乃は惣菜を小皿に取り分けてくれる。その仕草を目で追う。
菜箸を持つ指が長い。爪は短く切られていて清潔だ。
すすった素麺はびっくりするほどうまかった。コシがあって滑らかで喉越しが尋常ではない。
「うま。これ、本当に素麺か?」
「素麺っす。親がお中元横流ししてくれた。揖保乃糸の最高級品。なんと桐箱入り」
「桐箱。すごいな」
「他にも、カニ缶とか神戸牛とか入ってたから、おいおい食おうぜ」
高校生が食べていい食材ではない。
「君、ご両親って何してる人? お姉さんはCAさんって言ってたよな」
尋ねると、空乃はおかしそうに笑った。
「面白いよ? うち、父親が弁護士で、母親が警察官。しかも刑事」
「それは、家庭の会話がなんか凄そうだな」
「自分らの仕事の話は家ではしねえけど。サスペンス系のドラマ見てると夫婦で白熱してんな」
「ははっ、それは楽しそうだ」
空乃は素麺をすすりながら、両親の話を面白おかしく語っている。
制服の白シャツに黒いズボン。長めの金髪をカチューシャで止めているので、額が丸出しだ。
肌も瞳も水気が多くて、行人とは全然質感が違う。だってまだ17歳だ。
身体中からエネルギーが溢れてくるような。熱。若くて、眩しくて。
目尻が上がった目は鋭くて、それが行人を見る時にはやわらかくほころぶ。
好きだ。
俺は、この子が好きだ。
自覚した思いは膨れ上がるばかりで、胸が熱くなる。鼻の奥とこめかみが痛くなるくらい。
「ユキ? そんな見つめられると穴あくけど」
「あ、ごめん」
「いや、謝んなくていいし。なに、見惚れてた?」
空乃が意地悪そうに首を傾げる。
「うん」
「うんって、ユキちゃん、まだ寝ぼけてんの」
いつもは塩対応で返すからか、空乃は不思議そうな顔をしている。
いつの間にか、素麺の器は空になっている。行人は箸を置いて、麦茶を一口飲んだ。
「なあ、空乃。今日の夜、空いてるか?」
「5時まで料理教室だけど、そのあとなら」
「このあと、藤森と墓参りに行ってくる」
誰のとは言わなかった。空乃も聞かなかった。
「お盆だもんな。気いつけてな」
「ありがとう。その後、迎え火を焚いたら、ここに帰ってくる」
「おう。俺の方が早かったら、待ってるから。一緒にメシ食おうぜ。今日のレッスン、インド料理なんだ。ユキちゃん、カレー好きだろ」
話す空乃の手はテーブルの上におかれている。行人は指先を絡めるように、その手に触れた。
「ユキ?」
空乃の目は色素が薄くて明るくて優しい。その目を真正面から見返して、行人は告げた。
「帰ってくるから。そしたら、付き合おう」
有給休暇を取った行人は贅沢に二度寝を楽しんでいた。
遮光カーテンの隙間からは明るい陽射しが細く差し込んでいるが、見ないふりをして惰眠を貪る。
部屋はクーラーでひんやりとして、布団はさらさらと気持ちよい。
うとうとしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
高校生の空乃は夏休みだが午前中は夏期講習があると言っていた。宅配は頼んでいないし、なにかの勧誘だろうか。
居留守を決め込むことにして、行人は目を閉じる。
がちゃんとドアが開く音がする。
え、なに。そういえば、昨夜、鍵を閉め忘れた気がする。
「こらユキ! 鍵閉めろって言ってんだろ!」
怒ったような声は空乃だ。軽やかな足音が寝室にしている8畳間の前で止まる。
「ユキちゃん、いるんだろ。開けるぞ?」
「んむー」
返事と同時に部屋が明るくなる。布団の中で身じろぎする行人に、空乃は笑った。
「なんて声出してんだよ。まだ寝てたん? もしかして具合悪い?」
「んー、や、寝てただけ。あれ、おまえ、学校は?」
「終わった。もう12時だかんな。てか冷やしすぎだろ、この部屋。一回空気入れ替えんぞ」
空乃は容赦なくクーラーを切ると、カーテンと窓を全開にした。
窓越しに見る空は絵の具で乗り潰したように青く、浮かぶ雲は白く厚い。夏の熱気と蝉の声が流れ込んでくる。
さすがにもう寝てはいられない。寝すぎてちょっと身体も痛い。
行人は大きく伸びをすると、流しで顔を洗った。夏の水道水は生温い。
渡されたタオルで顔を拭いていると、うなじに柔らかいものが触れる。
キスされたのだと分かり、慌てて首筋を押さえた。
「急に、なにっ」
「なにって。目の前にうなじがあったらキスするだろ」
空乃は笑いながら、行人の寝ぐせを直すように髪をなでてくる。
「しないだろ。吸血鬼か」
「ユキの血、甘そう」
言うなり、今度は甘噛みするように首に歯を立ててくる。
空乃の匂いが鼻を掠める。汗と、グレープフルーツみたいな爽やかな香り。起きがけの股間は敏感だし、変な気持ちになってしまいそうだ。
「おい、やめろって」
くすぐったがるフリをして、行人は空乃から逃れる。
空乃は楽しそうに笑うと、戸棚からバスタオルを出して、行人に渡した。
「シャワー浴びてきなよ。昼飯作っとくから」
お昼は素麺だった。
ガラスの器に盛られた素麺は絹糸のように輝き、陶器の皿には茄子の煮びたしと卵焼き、胡瓜とタコの酢の物が盛られている。
菜食メインの行人だが、空乃の作る酢の物は美味くて、酢の物だったら魚介でも食べるようになった。
空乃は惣菜を小皿に取り分けてくれる。その仕草を目で追う。
菜箸を持つ指が長い。爪は短く切られていて清潔だ。
すすった素麺はびっくりするほどうまかった。コシがあって滑らかで喉越しが尋常ではない。
「うま。これ、本当に素麺か?」
「素麺っす。親がお中元横流ししてくれた。揖保乃糸の最高級品。なんと桐箱入り」
「桐箱。すごいな」
「他にも、カニ缶とか神戸牛とか入ってたから、おいおい食おうぜ」
高校生が食べていい食材ではない。
「君、ご両親って何してる人? お姉さんはCAさんって言ってたよな」
尋ねると、空乃はおかしそうに笑った。
「面白いよ? うち、父親が弁護士で、母親が警察官。しかも刑事」
「それは、家庭の会話がなんか凄そうだな」
「自分らの仕事の話は家ではしねえけど。サスペンス系のドラマ見てると夫婦で白熱してんな」
「ははっ、それは楽しそうだ」
空乃は素麺をすすりながら、両親の話を面白おかしく語っている。
制服の白シャツに黒いズボン。長めの金髪をカチューシャで止めているので、額が丸出しだ。
肌も瞳も水気が多くて、行人とは全然質感が違う。だってまだ17歳だ。
身体中からエネルギーが溢れてくるような。熱。若くて、眩しくて。
目尻が上がった目は鋭くて、それが行人を見る時にはやわらかくほころぶ。
好きだ。
俺は、この子が好きだ。
自覚した思いは膨れ上がるばかりで、胸が熱くなる。鼻の奥とこめかみが痛くなるくらい。
「ユキ? そんな見つめられると穴あくけど」
「あ、ごめん」
「いや、謝んなくていいし。なに、見惚れてた?」
空乃が意地悪そうに首を傾げる。
「うん」
「うんって、ユキちゃん、まだ寝ぼけてんの」
いつもは塩対応で返すからか、空乃は不思議そうな顔をしている。
いつの間にか、素麺の器は空になっている。行人は箸を置いて、麦茶を一口飲んだ。
「なあ、空乃。今日の夜、空いてるか?」
「5時まで料理教室だけど、そのあとなら」
「このあと、藤森と墓参りに行ってくる」
誰のとは言わなかった。空乃も聞かなかった。
「お盆だもんな。気いつけてな」
「ありがとう。その後、迎え火を焚いたら、ここに帰ってくる」
「おう。俺の方が早かったら、待ってるから。一緒にメシ食おうぜ。今日のレッスン、インド料理なんだ。ユキちゃん、カレー好きだろ」
話す空乃の手はテーブルの上におかれている。行人は指先を絡めるように、その手に触れた。
「ユキ?」
空乃の目は色素が薄くて明るくて優しい。その目を真正面から見返して、行人は告げた。
「帰ってくるから。そしたら、付き合おう」
0
お気に入りに追加
147
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢の兄です、ヒロインはそちらです!こっちに来ないで下さい
たなぱ
BL
生前、社畜だったおれの部屋に入り浸り、男のおれに乙女ゲームの素晴らしさを延々と語り、仮眠をしたいおれに見せ続けてきた妹がいた
人間、毎日毎日見せられたら嫌でも内容もキャラクターも覚えるんだよ
そう、例えば…今、おれの目の前にいる赤い髪の美少女…この子がこのゲームの悪役令嬢となる存在…その幼少期の姿だ
そしておれは…文字としてチラッと出た悪役令嬢の行いの果に一家諸共断罪された兄
ナレーションに
『悪役令嬢の兄もまた死に絶えました』
その一言で説明を片付けられ、それしか登場しない存在…そんな悪役令嬢の兄に転生してしまったのだ
社畜に優しくない転生先でおれはどう生きていくのだろう
腹黒?攻略対象×悪役令嬢の兄
暫くはほのぼのします
最終的には固定カプになります
城下町ボーイズライフ【1年生編・完結】
川端続子
青春
「人殺しの子孫のくせに!」
そう怒鳴られ、ずっと毎日学校でいじめられていたのを我慢していた幾久(いくひさ)は、ついに同級生を殴ってしまう。
結果、中学の卒業まぢかに停学となり、進路を悩む幾久に父は言った。
「幾久、父さんの母校に行ってみないか?」
本州の最西端、長州市に存在する全寮制の『報国院男子高等学校』は幾久と同じ『長州藩の維新志士』の子孫が多く通う学校だった。
東京で生まれ育ち、自分が明治時代の将軍『乃木(のぎ)希典(まれすけ)』の子孫だとろくに自覚もないどころか「メーワク」とすら思う幾久と、沢山の維新志士の子孫たち。
「ブラックバード」と呼ばれる真っ黒な制服を着た男子高校生らの成長青春ストーリー。
1年生編は完結しました。2年生編はpixivにて不定期連載中です。
お嬢様の身代わりで冷酷公爵閣下とのお見合いに参加した僕だけど、公爵閣下は僕を離しません
八神紫音
BL
やりたい放題のわがままお嬢様。そんなお嬢様の付き人……いや、下僕をしている僕は、毎日お嬢様に虐げられる日々。
そんなお嬢様のために、旦那様は王族である公爵閣下との縁談を持ってくるが、それは初めから叶わない縁談。それに気付いたプライドの高いお嬢様は、振られるくらいなら、と僕に女装をしてお嬢様の代わりを果たすよう命令を下す。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
幼馴染から離れたい。
June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。
だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。
βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。
誤字脱字あるかも。
最後らへんグダグダ。下手だ。
ちんぷんかんぷんかも。
パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・
すいません。
僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした
なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。
「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」
高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。
そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに…
その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。
ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。
かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで…
ハッピーエンドです。
R18の場面には※をつけます。
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる