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Yukito: そういうのはやめたんだ。
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仕事帰り、なんとなくすぐにアパートに帰る気にはならず、どこかで一杯だけ飲んで帰ろうと、行人は新宿まで足を伸ばした。
常連だったゲイバー「Second Floor」にはもう随分行っていない。他に店も知らないので、適当に目に付いたバーに入った。
カウンターで黒ビールを注文して、スマホを開いた。
「今年、どうする?」
昼休みに受信した藤森からのメッセージ。
「いつもどおりで」
その七文字を打ち込んでは消す動作を、今日は何度も繰り返している。
7月に入って気温が高まってきて、ワイシャツの首元が汗ばむ感覚。
夏の到来。
盂蘭盆には懐古堂があった場所で一哉を迎えては送り出し、春の命日には墓参りをする。
この10年、藤森と2人でそうして来た。
行人は静まっていく黒ビールの泡をぼんやりと眺める。夏は苦手だ。暑くて、明るい陽射しは影を一層黒くし、目眩がする。
一弥を失って1人で迎えた最初の季節。自暴自棄になっていたあの夏のことを、行人はあまり覚えていない。
悩んでいても仕方ない。苦く濃いビールを飲み干してから、行人はメッセージを送信した。
「いつもどおりで」
藤森からはすぐに「了解」との返信が来た。
静かで居心地の良いバーだったが、2杯目を飲む気分にはなれず、店を出た。
雑居ビルが立ち並ぶ新宿の街を駅に向かって歩く。
酔客と客引きが行き交う中、避けきれずに、向かいから歩いてきた男と肩が触れた。
「すみません」
咄嗟に謝り行き過ぎようとする行人の腕を、その男が引いた。
「チカ?」
名前を呼ばれてどきりとする。
男は背がひょろりと高く、蛇のように冷たい目をしていた。昔何度か寝た男だった。
「あ」
名前が思い出せず口ごもる行人に、男はにやりと笑いかける。
「マサシだって。おまえホント、俺の名前覚えねえよな」
「悪い。急いでるんだ」
掴まれた腕を外そうとしたが、マサシは解放してくれない。手首を拘束する力が強まり、顔を寄せて囁かれた。
「そういや、埋め合わせしてもらってなかったよな」
「埋め合わせ?」
意味深に仄めかされ、怪我をした空乃と出くわした時にこの男といたのだと思い出した。
「時間、あるだろ」
マサシが一歩距離を詰めてくる。
するりと尻を撫でられ、肩が震えた。
「急いでるってる言っただろ。それに、もうそういうのはやめたんだ」
「そういうのって?」
マサシの目が細められる。その目が意地悪そうで好みだなんで何故思ったことがあったのか。
早く立ち去りたい一心で行人は吐き捨てた。
「だから、誰とでも寝るようなことだよ」
マサシがくっと喉で笑う。
「無理っしょ。おまえみたいなスキモノが。なに、カレシでも出来たの?」
「関係ないだろ」
「あるね」
周囲に視線を走らせるが、道行く人々は繁華街で男二人が揉めていても、助けようなんてしない。
当たり前だ。自分だってそうする。
「来いよ」
有無を言わせぬ力で、雑居ビルの間の路地へ引きずり込まれた。
「離せ!」
声を上げた口を掌で塞がれる。
「静かにしろよ」
壁に押し付けられて体重をかけられた。
股の間に男の脚が入ってくる。尻を撫でられ、行為を示唆するように、中指が割れ目を強く押してくる。
「…っ」
夏なのに、ぞわりと寒気が走る。腕に鳥肌が浮き立つのが分かった。
飲食店の間の路地は暗く湿っぽく、揚げ油と生ゴミの臭いがする。
欲が滲んだマサシの爬虫類顔を見ていてられなくて、瞼を閉じた。そしたら、空乃の笑った顔が視界に広がった。
「ユキちゃん」
濁りのない声が耳に蘇る。空乃に名前を呼ばれるのが好きだ。呼ばれると、自分が何か大切なものになった気がする。
空乃。
今、君がここにいて、助けてくれたらと思ってしまう自分が嫌だ。
自分は大人の男で、こんなのは自分で何とかしなければならないのに。
「おまえ、ここ好きだよな」
耳たぶを甘噛みされ、膝から力が抜けそうになる。気持ちが悪い。
脇の下を冷や汗が流れ落ちた。
こんな男に抱かれて悦んでいたのかと思うと、自分の過去を真っ黒に塗りつぶしたくなる。
行人は瞳を開いた。
マサシの目を見つめ、感情を殺して囁いた。できる限り甘く。
「場所、変えたい」
マサシは疑い深げに唇を歪めた。
「逃げたら殺すけど?」
「逃げないよ。シたい」
「何を?」
「おまえと」
「だから、何を?」
マサシは食い下がる。
そういえばこいつはベッドの中で卑猥な言葉を言わせるのが好きな変態だった。
「おまえの、早く、挿れてほしい」
最低に嫌な気持ちで絞り出すと、マサシはほくそ笑んで腕を離した。
急に血が通って手首が痺れる。
「ん、じゃ、行くか」
マサシに押し出されるようにして路地から出た瞬間に、ダッシュで逃げた。
常連だったゲイバー「Second Floor」にはもう随分行っていない。他に店も知らないので、適当に目に付いたバーに入った。
カウンターで黒ビールを注文して、スマホを開いた。
「今年、どうする?」
昼休みに受信した藤森からのメッセージ。
「いつもどおりで」
その七文字を打ち込んでは消す動作を、今日は何度も繰り返している。
7月に入って気温が高まってきて、ワイシャツの首元が汗ばむ感覚。
夏の到来。
盂蘭盆には懐古堂があった場所で一哉を迎えては送り出し、春の命日には墓参りをする。
この10年、藤森と2人でそうして来た。
行人は静まっていく黒ビールの泡をぼんやりと眺める。夏は苦手だ。暑くて、明るい陽射しは影を一層黒くし、目眩がする。
一弥を失って1人で迎えた最初の季節。自暴自棄になっていたあの夏のことを、行人はあまり覚えていない。
悩んでいても仕方ない。苦く濃いビールを飲み干してから、行人はメッセージを送信した。
「いつもどおりで」
藤森からはすぐに「了解」との返信が来た。
静かで居心地の良いバーだったが、2杯目を飲む気分にはなれず、店を出た。
雑居ビルが立ち並ぶ新宿の街を駅に向かって歩く。
酔客と客引きが行き交う中、避けきれずに、向かいから歩いてきた男と肩が触れた。
「すみません」
咄嗟に謝り行き過ぎようとする行人の腕を、その男が引いた。
「チカ?」
名前を呼ばれてどきりとする。
男は背がひょろりと高く、蛇のように冷たい目をしていた。昔何度か寝た男だった。
「あ」
名前が思い出せず口ごもる行人に、男はにやりと笑いかける。
「マサシだって。おまえホント、俺の名前覚えねえよな」
「悪い。急いでるんだ」
掴まれた腕を外そうとしたが、マサシは解放してくれない。手首を拘束する力が強まり、顔を寄せて囁かれた。
「そういや、埋め合わせしてもらってなかったよな」
「埋め合わせ?」
意味深に仄めかされ、怪我をした空乃と出くわした時にこの男といたのだと思い出した。
「時間、あるだろ」
マサシが一歩距離を詰めてくる。
するりと尻を撫でられ、肩が震えた。
「急いでるってる言っただろ。それに、もうそういうのはやめたんだ」
「そういうのって?」
マサシの目が細められる。その目が意地悪そうで好みだなんで何故思ったことがあったのか。
早く立ち去りたい一心で行人は吐き捨てた。
「だから、誰とでも寝るようなことだよ」
マサシがくっと喉で笑う。
「無理っしょ。おまえみたいなスキモノが。なに、カレシでも出来たの?」
「関係ないだろ」
「あるね」
周囲に視線を走らせるが、道行く人々は繁華街で男二人が揉めていても、助けようなんてしない。
当たり前だ。自分だってそうする。
「来いよ」
有無を言わせぬ力で、雑居ビルの間の路地へ引きずり込まれた。
「離せ!」
声を上げた口を掌で塞がれる。
「静かにしろよ」
壁に押し付けられて体重をかけられた。
股の間に男の脚が入ってくる。尻を撫でられ、行為を示唆するように、中指が割れ目を強く押してくる。
「…っ」
夏なのに、ぞわりと寒気が走る。腕に鳥肌が浮き立つのが分かった。
飲食店の間の路地は暗く湿っぽく、揚げ油と生ゴミの臭いがする。
欲が滲んだマサシの爬虫類顔を見ていてられなくて、瞼を閉じた。そしたら、空乃の笑った顔が視界に広がった。
「ユキちゃん」
濁りのない声が耳に蘇る。空乃に名前を呼ばれるのが好きだ。呼ばれると、自分が何か大切なものになった気がする。
空乃。
今、君がここにいて、助けてくれたらと思ってしまう自分が嫌だ。
自分は大人の男で、こんなのは自分で何とかしなければならないのに。
「おまえ、ここ好きだよな」
耳たぶを甘噛みされ、膝から力が抜けそうになる。気持ちが悪い。
脇の下を冷や汗が流れ落ちた。
こんな男に抱かれて悦んでいたのかと思うと、自分の過去を真っ黒に塗りつぶしたくなる。
行人は瞳を開いた。
マサシの目を見つめ、感情を殺して囁いた。できる限り甘く。
「場所、変えたい」
マサシは疑い深げに唇を歪めた。
「逃げたら殺すけど?」
「逃げないよ。シたい」
「何を?」
「おまえと」
「だから、何を?」
マサシは食い下がる。
そういえばこいつはベッドの中で卑猥な言葉を言わせるのが好きな変態だった。
「おまえの、早く、挿れてほしい」
最低に嫌な気持ちで絞り出すと、マサシはほくそ笑んで腕を離した。
急に血が通って手首が痺れる。
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