ヤンキーDKの献身

ナムラケイ

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Yukito: 無理なんてしてない。

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「ユキちゃん、なんか食べたいもんとかある?」
 人の流れに乗って渋谷の街を歩きながら、空乃が訊いた。

 久々に歩く渋谷は普段の生活で会うことのない十代の男女がひしめき合っていて、そのエネルギーと声の大きさに行人は気後れする。
 少し考えてから、兄との会話を思い出し「カレー」と答えた。
「いっすね。インド?  欧風?」
「インド希望」
「りょ。ちょい待って」
 空乃はそう言うと、行人の手を取って、通りすがりの雑居ビルの玄関に引き込んだ。
 さっき、ロフトの物陰でキスをされたことが蘇り、思わず心臓が跳ねる。
「な、に?」
 戸惑いながら見上げると、空乃はスマホを取り出して地図アプリを立ち上げている。
「店検索中」
 ああ、と行人は拍子抜けして、そして空乃の態度を好ましく思う。
 なんというか、空乃はちゃんとしている。例えば、歩きスマホはせずに、通行の邪魔にならない脇に寄ってからスマホを開くあたり。

「お、ここ良さげ」
 空乃に見せられた画面を見ると、エキゾチックな店内やカラフルな料理の写真が並んでいる。角度を計算して撮られた料理はいかにも美味そうだ。
「美味しそう」
「んじゃ決定な」
 行人が言うと、空乃は手早くオンラインで予約を済ませた。スマホをしまうと、行人の顔を覗き込むように膝を曲げた。
「ユキちゃん」
「ん?」
 空乃は、いたずらっぽく笑っている。
「キス、されると思った?」
「なっ…!」
 見透かされていたことに、一気に顔に血がのぼる。
 恥ずかしすぎる。顔を隠すように下を向いたが、きっと耳まで赤い。
「いや、そんな真っ赤になられると、こっちが照れんだけど」
「……おまえ、最悪」
「ごめんって。んじゃ、ご期待に沿ってしとく?」
「するか、ばか」
 手を伸ばしてきた空乃を振り切るように、行人は足早に通りに出た。顔が熱い。
 空乃といると、調子が狂って……困る。


 空乃が選んだのは、渋谷道玄坂の「Tom Boy 106」という店だった。
 肉も魚も好まない行人は選択肢が少ないので、すぐにメニューは決まる。
 行人はほうれん草のカレーの、空乃はバターチキンカレーのランチセットを注文すると、行人より10歳以上は若そうな店員が端末に打ち込んでいく。
「かしこまりましたー。ドリンクはどうされますか?」
 休日のランチ。
 一人ならビールでも飲むところだが、高校生連れではそうもいかない。
「ウーロン茶をお願いします。君は?」
 行人が訊くと、空乃が「生ビールで」とオーダーした。
「こら。俺が逮捕されるだろ」
 すかさず注意すると、空乃は笑った。
「ちげーって。ビールはユキちゃんの分。ウーロンは俺が貰うから」
「飲むなんて言ってないだろ」
「飲みたくねーの?」
 空乃はにやにやしている。そんなに顔に出ていただろうか。
「……飲みたいです」
「はは、なんで敬語。じゃ、ウーロンと生1つずつでお願いします」
 店員の女性は二人のやりとりに笑いを堪えていたが、注文を復唱して去って行った。


 春の日差しの中を歩いて喉が渇いていたので、ジョッキを一息に半分空けた。
 味よりも、休日の昼間から酒を飲めることに至福を感じる。
 ふうっと息を吐き出す行人を、空乃はおかしそうに見ている。
「ユキちゃん、酒好きだよな」
「好きだよ。悪いか」
「悪くないって。うち、両親も姉ちゃんも酒飲みだし」
「君も強そうだよな」
「強いよ、って言ったら怒られるか」
 空乃は勢いよくチーズナンを頬張っている。さすが現役高校生。気持ちいいほどの食欲だ。
 行人はビールを飲み終えてから、ほうれん草のカレーとナンに手を付けた。クリーミーでスパイスが効いていて、美味い。
 セットにはタンドリーチキンも入っていたので、行人は自分のチキンを空乃の銀色のプレートに移した。
「あげる」
「食わねえの?」
「肉、好きじゃないんだ」
 アルコールで舌が滑らかになっていた。思わず言ってしまい、あっと後悔したが時すでに遅し。
 案の定、空乃はぽかんとしている。

「え?」
 気まずくて、目を逸らした。
「ユキちゃん、肉苦手だったん?」
「……」
「いや、俺、朝飯にベーコンだのハムだのソーセージだのめっちゃ出してたけど。もしかして、無理して食ってた?」
「別に、思想的なベジタリアンでもアレルギーでもないから、全く食べられないわけじゃないよ。まあ、ちょっと胸焼けするくらいで」
 白状すると、空乃は盛大にため息をついた。眉間に皺が寄っている。
「んで、最初に言わねえんだよ」
 だって、それは。
「折角君が作ってくれてるのに、悪いだろ」
「無理して食ってる方が悪いわ」 
 機嫌を損ねたのか、空乃は吐き出すように言った。現役のヤンキーだ。低い声で眼光を鋭くされるとちょっと怖い。咄嗟に、ごめんと謝った。
「謝ってほしいわけじゃなくて。先に言って欲しかっただけ。無理に食わしてたとか、サイアクじゃん、俺」
 空乃は視線をテーブルに落とした。中途半端に手をつけられたカレーは、温かさを失っていく。
「……無理なんてしてない」
 行人は言った。

 幼い頃から肉も魚も苦手だった。肉は胃が重くなるし、魚は、目刺しとかサンマとか全体が目に出来るものは大丈夫だが、切り身や刺身は得体が知れなくて苦手だ。
 外では出されれば食べるが、好んでは注文しない。それだけのことだ。
 朝。古いアパートの狭い台所で、制服にエプロンをして料理をしている空乃を、身支度をしながら見るのが好きだ。
 その光景は、既に行人の日常の一部になっている。小さな幸福を感じられるその時間を、失いたくない。
 だから。

 言いあぐねて行人が押し黙っていると、空乃は声を柔らかくした。
「ユキちゃん、思ってることは言葉で言えよ。じゃないと、伝わらないだろ」
「君、言わなくても割と俺のこと見透かしてるじゃないか」
「うん、それでも。ちゃんと言って。言葉を惜しむと、大事なところですれ違うだろ」
 視線を合わせて請われて、唇を噛んだ。
 絶対的に空乃が正しい。
 言いたいことや言うべきことを言う気力を惜しんで、手に入れられなかったものや失ったものがいくつもある。分かっているのに、何度も同じ過ちを繰り返している。
 腿の上で組んだ手に力を込めた。
「君が作ってくれるものは、全部きちんと食べたかったから」
 店内のざわめきがどこか遠い世界のように感じる。行人は俯いたまま言葉を重ねる。
「それに。肉も魚も苦手なんて、メニュー考えるの大変だろ。面倒だと思われたら、もう君が来ないんじゃないかと思って」
 吐き出すと、つかえが取れたように心が軽くなった。
 次いで、頭にふわっと手が乗せられた。思わず顔を上げると、空乃は困ったような嬉しいような複雑な表情をしている。
「ユキちゃん、ほんと、ズリィ」
 空乃がぼそっと呟いたが、聞き取れなかった。
「え?」
「いや、なんもねえっす。なあ、ユキちゃんって、相当面倒くさそうだし色々こじらせてそうだけど、俺は、一回も面倒くさいとか思ったことねえよ。肉嫌いとか、ベジメニューの腕上がるな、くらいしか思わねえし」
「そう、なのか?」
 半信半疑だったが、空乃は別に気をつかって言っている風でもない。
「そうだよ。んじゃ、この話はこれで終わりな。明日から、野菜攻めにするから覚悟しとけよ」
 空乃は行人の髪を一度くしゃっとかき混ぜると、手を離した。
 あたたかな体温が頭皮から離れていく感触に寂しさを覚える。
 もう少し撫でられていたい。そう思ってしまったことを打ち消すように、行人はビールを煽った。
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