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Yukito: 睡眠欲か性欲か。
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「お昼だいぶ過ぎちゃったし、なんか食べて帰らない?」
外回りの帰り道、同僚の神谷砂羽が、空腹をアピールするように腹を押さえた。
「和食希望」
「じゃ、そこのお店にしよ」
二人は、適当に通りがかりの鄙びた定食屋に入った。
メニューと価格設定、客層と客足、内装に眼を走らせてしまうのは職業柄だ。
年季はいっているが、清潔に保たれた店内。冒険心はないが、無駄の出にくい定番メニュー。レジの背後には巨大な招き猫が飾られている。
「いい店ね」
砂羽が微笑んだ。
砂羽はカツ煮定食、行人は野菜天ぷら定食を注文する。
油とダシの良い香りに腹が鳴った。そういえば、今日は朝食を摂っていない。
2人は水で乾杯する。
「お疲れ、ようやくひと段落だな」
「お疲れさま。あーもう、今日は早く帰って寝ちゃいたい」
「神谷、クマひどいしな」
「お互い様」
税務調査中の大手美容クリニックの膨大な帳簿の照合で、ここ数日はほぼ徹夜状態だった。
女性の砂羽は深夜過ぎにアパートに帰っていたが、行人含む男連中は泊まり込みで、執務室の床でみのむしのように仮眠を取っていた。
砂羽は、カツ煮を白飯の上にワンクッションさせてから、かぶりついた。ついで白飯を頬張る。
「うーん、美味しい。ぺろっといけるわ」
行人は肉が苦手だが、砂羽が食べているのを見ると美味そうに見えるから不思議だ。
行人も椎茸の天ぷらに齧りついた。肉厚だ。
と、テーブルの上の砂羽のスマホが震えた。
待ち受けをちらりと見やった砂羽が微妙な顔つきになる。
「彼氏だ。今夜会えないかって」
「睡眠欲か性欲か悩みどころだな」
行人のコメントに、砂羽は吹き出す。
「チカって涼しい顔してそういうこと言うよね」
「遊び人なので」
「お盛んで結構ね」
砂羽は昨年度まで新宿税務署の繁華街担当だった。
行人がよく行くゲイバー「Second Floor」も砂羽の縄張りだったので、行人の性癖だけでなく、遊び癖も承知しているのだ。
「うーん、どうしよっかな。眠い。でも会うの半月ぶりだしなー」
砂羽は食事を終えてもなお返信を迷っている。
「こう言えばいいんだよ」
行人は湯呑みを持ったまま、首を傾げて見せた。
「疲れてるから、外ごはんもエッチもしたくないの。でもすごく会いたいから、ひっついて眠るだけでもいい?」
砂羽は何故か赤くなって、行人を軽く睨んだ。
「小悪魔」
「お褒めに預かり」
「……怒らないよね?」
「それで怒るような男なら、別れた方がいい。ヤケ酒くらい付き合ってやるよ」
砂羽は同期で、打ち解けた話を出来る大事な友人だ。幸せになって欲しいと心から願っている。
「チカみたいな男をゲイにしちゃうなんて、神様は女子に恨みでもあるんだわ」
砂羽がぼやきながら返信を打っている間に、行人もLINEを開いた。
疲れているし、まだ動揺している。
今夜はバーで駆け引きを楽しむ気分にもなれない。
「今夜、空いてる?」
藤森にメッセージを送ると、すぐにOKとスタンプが返ってくる。
当日の急な連絡にも、藤森は必ず応じてくれる。そうする義務があると、頑なに思い込んでいるのだ。
既読だけつけて、アプリを閉じた。
「珍しいな。うちがいいなんて」
藤森は世田谷区用賀の瀟洒なマンションに住んでいる。
寝室のベッドは、行人の布団の十倍はしそうな高級品だが、致した後の気怠い身体で帰るのが面倒なので、会うのは行人の部屋ばかりだった。
「うちはもう無理」
「お隣さんに気い遣ってんの?」
「だって高校生だぞ」
「今日日の高校生なんざ、俺らよりエロい動画見てると思うけどな」
「ナマで聞かせるのは別問題だろ」
ジャケットを脱ぐと、藤森がハンガーにかけてくれる。闇金のくせに甲斐甲斐しい奴だ。
「メシ、どうする? なんか作るか」
藤森は冷蔵庫を開け、ビールを二本取り出した。
「さんきゅ。そういや、おまえも料理上手いよな」
「も?」
一息で半分ほど飲み干した藤森が、首を傾げる。
「なんでもない」
行人は手の中のビール缶を弄んだ。かじかみそうに冷たい。
空乃と朝ごはんを食べたのは3日前のことなのに、随分前のことのように感じる。
彼は、行人が家に帰らないことを心配したりするんだろうか。そういえば、連絡先も聞いていない。
「飲まないのか? ビール以外もあるけど」
行人はキッチンボードに缶を置き、藤森に身を摺り寄せた。
「……飲ませて」
藤森のキスは、唇が厚くて、濃厚で。酒と煙草の香りがする。
愛を伝えるためではなく、快感を与えるためのキス。
全然、違った。
流れ込むビールと唾液を飲み込みながら、行人は思う。
あのキスは、激しいのに優しかった。
空乃の首筋からは爽やかな良い香りがして。
口の中を舌で探られているのに、閉じたまぶたの裏で、春風とか青葉とか木漏れ日とか、そういう綺麗なものを思い出した。
抱き寄せられて、唇が触れた瞬間、もう全部どうでもいいから、これだけくださいと願いたくなった。
あんな素敵なキスに、自分は相応しくないのに。
行人は藤森の口の中に舌を伸ばし、藤森のそれと絡める。
煙草とビールの苦みに胸が痛んだ。
外回りの帰り道、同僚の神谷砂羽が、空腹をアピールするように腹を押さえた。
「和食希望」
「じゃ、そこのお店にしよ」
二人は、適当に通りがかりの鄙びた定食屋に入った。
メニューと価格設定、客層と客足、内装に眼を走らせてしまうのは職業柄だ。
年季はいっているが、清潔に保たれた店内。冒険心はないが、無駄の出にくい定番メニュー。レジの背後には巨大な招き猫が飾られている。
「いい店ね」
砂羽が微笑んだ。
砂羽はカツ煮定食、行人は野菜天ぷら定食を注文する。
油とダシの良い香りに腹が鳴った。そういえば、今日は朝食を摂っていない。
2人は水で乾杯する。
「お疲れ、ようやくひと段落だな」
「お疲れさま。あーもう、今日は早く帰って寝ちゃいたい」
「神谷、クマひどいしな」
「お互い様」
税務調査中の大手美容クリニックの膨大な帳簿の照合で、ここ数日はほぼ徹夜状態だった。
女性の砂羽は深夜過ぎにアパートに帰っていたが、行人含む男連中は泊まり込みで、執務室の床でみのむしのように仮眠を取っていた。
砂羽は、カツ煮を白飯の上にワンクッションさせてから、かぶりついた。ついで白飯を頬張る。
「うーん、美味しい。ぺろっといけるわ」
行人は肉が苦手だが、砂羽が食べているのを見ると美味そうに見えるから不思議だ。
行人も椎茸の天ぷらに齧りついた。肉厚だ。
と、テーブルの上の砂羽のスマホが震えた。
待ち受けをちらりと見やった砂羽が微妙な顔つきになる。
「彼氏だ。今夜会えないかって」
「睡眠欲か性欲か悩みどころだな」
行人のコメントに、砂羽は吹き出す。
「チカって涼しい顔してそういうこと言うよね」
「遊び人なので」
「お盛んで結構ね」
砂羽は昨年度まで新宿税務署の繁華街担当だった。
行人がよく行くゲイバー「Second Floor」も砂羽の縄張りだったので、行人の性癖だけでなく、遊び癖も承知しているのだ。
「うーん、どうしよっかな。眠い。でも会うの半月ぶりだしなー」
砂羽は食事を終えてもなお返信を迷っている。
「こう言えばいいんだよ」
行人は湯呑みを持ったまま、首を傾げて見せた。
「疲れてるから、外ごはんもエッチもしたくないの。でもすごく会いたいから、ひっついて眠るだけでもいい?」
砂羽は何故か赤くなって、行人を軽く睨んだ。
「小悪魔」
「お褒めに預かり」
「……怒らないよね?」
「それで怒るような男なら、別れた方がいい。ヤケ酒くらい付き合ってやるよ」
砂羽は同期で、打ち解けた話を出来る大事な友人だ。幸せになって欲しいと心から願っている。
「チカみたいな男をゲイにしちゃうなんて、神様は女子に恨みでもあるんだわ」
砂羽がぼやきながら返信を打っている間に、行人もLINEを開いた。
疲れているし、まだ動揺している。
今夜はバーで駆け引きを楽しむ気分にもなれない。
「今夜、空いてる?」
藤森にメッセージを送ると、すぐにOKとスタンプが返ってくる。
当日の急な連絡にも、藤森は必ず応じてくれる。そうする義務があると、頑なに思い込んでいるのだ。
既読だけつけて、アプリを閉じた。
「珍しいな。うちがいいなんて」
藤森は世田谷区用賀の瀟洒なマンションに住んでいる。
寝室のベッドは、行人の布団の十倍はしそうな高級品だが、致した後の気怠い身体で帰るのが面倒なので、会うのは行人の部屋ばかりだった。
「うちはもう無理」
「お隣さんに気い遣ってんの?」
「だって高校生だぞ」
「今日日の高校生なんざ、俺らよりエロい動画見てると思うけどな」
「ナマで聞かせるのは別問題だろ」
ジャケットを脱ぐと、藤森がハンガーにかけてくれる。闇金のくせに甲斐甲斐しい奴だ。
「メシ、どうする? なんか作るか」
藤森は冷蔵庫を開け、ビールを二本取り出した。
「さんきゅ。そういや、おまえも料理上手いよな」
「も?」
一息で半分ほど飲み干した藤森が、首を傾げる。
「なんでもない」
行人は手の中のビール缶を弄んだ。かじかみそうに冷たい。
空乃と朝ごはんを食べたのは3日前のことなのに、随分前のことのように感じる。
彼は、行人が家に帰らないことを心配したりするんだろうか。そういえば、連絡先も聞いていない。
「飲まないのか? ビール以外もあるけど」
行人はキッチンボードに缶を置き、藤森に身を摺り寄せた。
「……飲ませて」
藤森のキスは、唇が厚くて、濃厚で。酒と煙草の香りがする。
愛を伝えるためではなく、快感を与えるためのキス。
全然、違った。
流れ込むビールと唾液を飲み込みながら、行人は思う。
あのキスは、激しいのに優しかった。
空乃の首筋からは爽やかな良い香りがして。
口の中を舌で探られているのに、閉じたまぶたの裏で、春風とか青葉とか木漏れ日とか、そういう綺麗なものを思い出した。
抱き寄せられて、唇が触れた瞬間、もう全部どうでもいいから、これだけくださいと願いたくなった。
あんな素敵なキスに、自分は相応しくないのに。
行人は藤森の口の中に舌を伸ばし、藤森のそれと絡める。
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